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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【皇龍編 上】
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1.入学




入学式は滞りなく、予定された時刻をもって終了した。


真新しい制服に身を包んだ生徒たちは、体育館から退場してそれぞれの教室へと移動する。


中学校が同じだったのか。廊下では見知った顔を見つけた生徒たちが上機嫌にはしゃぐ姿が目立った。


つられるように、そして焦るように。

教室に入った新入生は席が近い者同士でぎこちないながらもおしゃべりに興じる。

担任の先生を待つあいだ、1年の教室内は緊張と期待が入り混じる、もどかしい空気が漂っていた。




名簿順ですでに決まっていたわたしの席は、中央列の一番後ろだった。

アタリかハズレかで考えると、正直ハズレに近い位置だろう。授業中、教壇に立って生徒を見下ろす教師たちから、ここは目につきやすい。



『灯台下暗しと言うが、なんだかんだで教卓に近い前の席のほうが居眠りされてもわかりづらいんだよな』



中学校の先生がそんなことを言っていたのを覚えている。


この席だと教壇に立つ教師にバレずに睡眠をとる難易度が上がってしまう。非常に厄介だ。


できれば早々に別の場所に移りたい。


この際担任の先生の人柄次第では、適当な理由をつけてそれとなく席替えを打診してみるのもいいかもしれない……なんて。


わたしがそんな甘いことを考えていられたのは、担任が教室に入ってくるまでだった——。






      *







高瀬(たかせ) 結衣(ゆい)です。よろしくお願いします」



抑揚のない声で淡々と言い放ち、自分の椅子に着席した。

わたしの自己紹介が終わると前の席の人が立ち上がり、名乗りだす。

入学式の終了後、高校生活最初のホームルームは定番ともいえる自己紹介から始まった。


……始まったのはいいのだけど……。


どうしよう。

ホームルームのさなか、入学して3時間足らずでこの学校に来たことを後悔しかけてる自分がいた。



代わる代わる発言していくクラスメイト。

彼ら彼女らの名前と自己申告の趣味、特技等々を聞きながら早くも心が折れそうだ。


このクラスの自己紹介は、明らかにおかしい。


最後尾の席から、クラスメイトたちの後頭部を観察する。

順番に立ち上がって発言する生徒の容姿を、誰一人として拝めないこの事態に、戸惑うわたしの感覚は間違っていないはずだ。


どうして一番前の生徒が、後ろを向かずに先生のほうを見て自己紹介してるのさ。


趣味はお菓子作りって、かわいらしく言ってるけどクラスメイトには顔がまったく見えてないよ。

次の男子も「喧嘩はこれからもっと強くなります!」って、なに爆弾発言かましてやがる。


担任教師に対する牽制か。それにしては姿勢は低いし、かもす空気は嬉しそうだね。



この異常事態に担任はとっくに気づいているはずだ。

それにも関わらず前方窓側に置かれた教員用の机で背もたれに上半身を預けてくつろぎつつ、何かの資料に目をやっている。生徒の言葉は聞いているのか、いないのか。


……注意しようよ。



このクラスで担任に呆れているのは自分だけじゃないと信じたい。


呆れたついでに担任を観察してみる。

クラスの注目を先生が独占している状態なのだから、わたしの視線がひとつ増えたとしても何も変わらないだろう。


年齢は知らないがおそらく20代だろう、このクラスの担任は吉澤という。名前は名乗らなかったので不明だ。

整った顔立ちながらも、吊り上がった鋭い目にはとっつきにくそうな印象があった。

茶色の髪をワックスで遊ばせ、入学式のためか高級そうなダークグレーのスーツを着こなしている。


若さと容姿とオーラが完全に夜の街を連想させる。吉澤先生は、そんなアウトローな雰囲気を持ったひとだった。

女子が色めき立つのはわかる気がする。

ただこのふんぞり返った態度と生徒に対する関心のなさは、教師としてどうよ。





クラス全員の自己紹介が終わると、吉澤先生が教壇に上がった。



「さっきも言ったが担任の吉澤だ。教科は数学。このクラスも俺が担当する」



わたしのせきからは話し始めた先生の言葉を一語一句聞き逃すまいと、真剣に耳を傾けているみんなの後ろ姿がよく見えた。



「いいか、俺が担任になったからには数学の赤点だけは絶対に取るな」



そこは『取らせない』じゃないのか。

先生もうちょっと頑張ろうよ。……といったぼやきを心の中にとどめる。



「あと、問題行動なんざ論外だ。クラス内だけじゃねぇぞ。学校の目の届くところでおかしなことをやらかしてみろ。その時は2年に進級できると思うな」



……あなたのそれは問題発言では……? っていうか学校の目がなかったら、何をしてもいいのか。


クラスの空気は完全に先生が支配していた。

明らかな独裁に生徒は誰も反論しない。


茶髪、金髪のやんちゃそうな男子がこのクラスには何人かいるけど、彼らですら姿勢を正して先生の話に聞き入っている。


というよりも、ほかの生徒よりも彼らのほうが緊張しているように見えるのは気のせいか?


頬杖をついてクラスを観察しているわたしをよそに、先生は話を進めていく。



「コウリュウに属していようがそうでなかろうが、俺は生徒を特別視しない。就業時間中は誰であっても対等に扱う。だから——」



…………うん?


途切れた言葉に嫌な予感がして前を向くと、こっちを鋭く睨んでいる先生と思いっきり目があった。



「——たとえ地味であろうが、普段は普通で大人しい生徒であろうが基本真面目であったとしてもだ。くれぐれも変な気を起しておかしなことをしてくれるな」



先生は言うだけ言って、目をそらす。


こちらは蛇に睨まれたカエル状態だった。





今のはなんだ。


おそらく身長180センチを超えている先生が一番後ろの席にいるわたしを見て発言しても、クラスメイトには全員に向けて言ったように捉えられるだろう。


だけどあれは、先生が意図的に個別の対象へ向けて放ったメッセージだ。

そして対象者は、明らかにわたしだった。


……だからこの席は嫌なんだ。



自意識過剰?


だったらどれだけよかったか。


この手の意思疎通をわたしは見逃さない自信がある。

それに先生がわたしに向かって言ったあの言葉にも——。


心当たりがありすぎる。



「学校の詳しいことは明日のオリエンテーションで説明する。以上、解散」



心の中で冷や汗を流すわたしをよそに、先生は何事もなかったかのように教室を去っていった。



先生がいなくなっても、クラスは静まり返ったままだった。誰も席を立とうともしない。



「……かっこいい」



離れた場所に座る女子生徒の小さな呟き、わたしのところにまで届いた。

この一言を皮切りに、教室の時間は進みはじめる。



「すっごくラッキーなんだけど。あの吉澤先生が担任なんて」


「すんげーキンチョーした。あの人をこんな間近で見れるなんて夢みたいだ」


「すごいよねー。話で聞いてたより断然カッコイイよ!」


「ねっ、ねぇ。最後の普通の生徒も問題起すなって、あたしらに向かって言ったんだよね」


「うん。一般の生徒にも気にかけてくれるって、聞いてた以上にめちゃくちゃ優しいじゃん」



笑顔で喜々とはしゃぐ周りについていけない。


「あの」吉澤先生がどの吉澤先生かを知らないわたしは、完全にクラスから置いてけぼりをくらっていた。


みんなにとって「吉澤先生」は、今日会って今知った人ではないらしい。


かといって興奮するクラスメイトたちに水を差してまで先生のことを知りたいとは思えず、騒がしいクラスからかばんを持ってひとりで廊下へ出た。



バイトの時間が迫っているので、昇降口へ急ぐ。


学校という小さな社会を当たり障りなく過ごすには、もっとも身近な教員——つまりは担任——を味方につけるのが近道と思っていたが、考えを改めるべきだろう。


なぜか生徒たちから絶大な人気がある吉澤先生と必要以上に仲良くなろうものなら、平穏な学校生活は木端微塵に崩壊しかねない。


できることなら、高校生活の3年間は無難に過ごしたい。






楽しくなくていい。


二度と同じ轍は踏まない。


それさえ守ることができれば、どうだっていいのだ。






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