3.砂上の平和(上)
騒ぎを避けるためにマヤと別行動をしたら、それこそ皇龍に対するうわさを認めたみたいになってしまう。
周りがどんな目で見てこようが、わたしとマヤは普段どおりにすごすことを心掛けた。
「津月さん、そんな子と一緒にいていいの? 三國さんの彼女ならちゃんと友達選ばないと」
授業の間の10分休憩に原田さんが突っかかってきた。
とうとう来たか。
ため息交じりでむっとしたマヤを無言で制止したところ。
「上が事実と断定してないことで、外野がとやかく抜かしてんじゃねえよ」
——と、わたしの代わりにクラスのやんちゃ系金髪男子が反論してくれた。名前は確か、榎本君だったか。
思わぬところからの反撃に原田さんは悔しそうに唇を噛んでおとなしくなった。
「榎本君は皇龍に所属している人よ」
聞き分けのよさに感心していたら、小声でマヤが教えてくれた。
榎本君はその後何事もなかったかのように、男友達と窓にもたれて話している。
これは、助けてくれたとみていいのか?
昼休み、マヤが昼食を一緒にと誘ってくれたのは断った。
どうせ行くところは人のいない場所だし、マヤが昼休みを恋人とすごしているのは有名な話だ。
普段と違う行動は、敏感になっている周囲を刺激しかねない。
弁当の入ったカバンを持って、ひとり教室を出る。
昇降口で靴を履き替えているとき、階段から原田さんたちが下りてきた。
7人ほどのグループは、全員手にカバンやコンビニの袋を持っていた。
わたしが下駄箱の前で止まっていると、距離を置いたところで彼女たちも足を止めて世間話に花を咲かせる。
無視してそのまま外に出ると、あとをつけてきた。
……面倒なことになった。
——たまには外で食べようと思っただけ。
——別に高瀬さんについて行ってるわけじゃないし。
なぜ行く先が同じなのかなんて馬鹿正直に聞いたら、屁理屈で返されるのがわかりきっている。
このままいつもの第二体育館へ行くのは気が引けた。
後ろの連中に、あの静かな場所を壊されたくない。
毎日のくせで第二体育館に向かおうとしていた足を途中で止める。以前マヤと昼食を食べた場所が開いていたので、そこに腰を下ろした。
原田さんたちも、10メートルほど手前でグループで輪を作って座りだした。
皇龍のこと、マヤのこと。
こちらを見ながらにやにやと聞こえるように話す彼女たちに、弁当の味を持っていかれた。
いや、もともと薄味なんだけど、耳障りな声に食べ物を味わう気が失せる。
あのときマヤはよく教室で昼の時間に耐えたものだ。改めてすごいと思う。
食べたらすぐに移動しよう。黙々と弁当のおかずを口に運んでいたら、正面に影がさした。
「こんなところで何してんだ」
「あ」
声に顔を上げたら、凍牙がわたしを見下ろしていた。
こんなに至近距離にいたのに、気づかなかった。
「あそこには行かないのか?」
凍牙は第二体育館に向かう途中だったのか。
顔は凍牙に向けたまま、目だけで原田さんたちの事情を伝えた。
「——ああ」
納得した凍牙はひとりでいつもの階段に行くのかと思いきや、わたしの隣に腰を下ろした。
視界の端で原田さんたちが驚いているのが見えた。
「付き合わないでいいよ。わたしの被った面倒事だし」
「話しかけたところを見られた時点で、ああいうのはあることないこと騒ぎだすんだろ。ほっとけばいい。それにあんなうるさそうな連中に、あの場所を知られるのはごめんだ」
あ、それは同意見。
興味津津な視線を向けてくる原田さんたちを気にせず、凍牙はコンビニの袋からパンを出して食べ始める。
——皇龍にまとわり付く女は水口凍牙と知り合いだった。
彼女たちはここから、わたしに対してどんなマイナスイメージを持ち出すのだろう。ちょっと知りたくなってきた。
「これだろ」
凍牙はスマートフォンを出して、今朝マヤに見せてもらったものと同じ画面を見せてきた。
「え、いつから凍牙も皇龍のファンになったの」
「この手の情報収集の重要性についてお前に小一時間ほど説き伏せたいところだが、まあいい。このコミュニティは一般公開されているから、どこの誰でも閲覧できるんだ」
そんなものか、と。気のない相槌をするわたしに、凍牙は諦めた様子でスマートフォンへと視線を戻す。
「文面と写真の女の表情が噛み合ってないが。この写真、昔のお前を知っているやつが見たら顔面青くして『頼むから何もするな』とすがり付かれるんじゃないか。どう見てもお前の逆鱗に触れる一歩手前だろ」
言いたい放題だな。
「どうやらこの高校の皆さんには違うように見えるみたいだけどね。これ、バイト先に知られたらひょっとするとクビかもしれないし……」
「そういやお前のバイト先ってどこなんだ?」
「駅近くのバーガーショップ」
前に言ってなかったかな。
「たまに利用するが、お前、いるか?」
「主に裏でミートを焼いてるから」
「今日もあるのか?」
「うん。6時から夜の11時まで」
本当は今日に日直をするはずだったので、開始時間が遅くなっているのだ。
ウインナーパンを食べ終えた凍牙が立ち上がった。
「仕事終わり、家まで送る」
「……は?」
何を言っているの? なぜに?
「さすがにこれでお前に何かあったら後味が悪すぎる」
言うだけ言って、凍牙は返事を待たずに校舎のほうへと消えていった。
え? 今のは本気で言ったの?
見返りとか要求されても、もう絶対弁当なんて作らないよ。
何が狙いだ? 一体わたしをどうしたいんだ。
中学2年からそれなりに話たりしてきた仲だけど、今までで一番凍牙がわからなかった。
凍牙の登場以降大人しかった原田さんたちは、彼が去ったあとも静かなままだ。
きっと混乱しているのだろう。
わたしもさっぱりだよ。
*
放課後、教室で時間を潰してからバイト先へ向かう。
街中を歩いているとこちらを見てこそこそと何かを言っている集団に何組か出くわした。気にせず堂々と歩いていれば話しかけてくることもなかったので放っておく。
怯えて挙動不審にでもなったりしたら、それこそリンチコースまっしぐらだろう。
バイト先では先輩スタッフたちから明らかに侮蔑した目で見られた。
幸いにも、今日出勤しているスタッフはみんな年上で、大学生以上の人たちだ。気に食わないけど、仕事の戦力としては除け者にしない。
彼らがわたしに取った対応は、大人なものだった。
23時5分。
深夜から早朝にかけて勤務する人と交代し、バイトが終わった。
調理場の奥にあるスタッフルームで私服に着替えて、制服をカバンに詰め込む。
裏口から外に出て、店の表側に回ると——、本当に凍牙が待っていた。
店内の入口が見えるテーブルでドリンクを飲んでいた凍牙は、わたしを見つけると椅子を立った。
ゴミ箱にドリンクのカップを捨てて、そのまま店から出てくる。
立ち尽くすわたしの横を通り過ぎて、店の中から完全に見えない位置で止まって振り返った。
顎で「早く来い」と指示される。
正直、迷う。
凍牙が迎えに来てくれたのは、100パーセント親切心ゆえの行動というわけではないはずだ。だけど少なからずわたしの身の安全に配慮してくれているのも確かで、彼の好意を無碍にするのもどうかと考える。
結局のところ、どれだけ迷っても結果は同じか。わたしは小走りで凍牙に近づき、隣に並んだ。
それにしても……。
「あんた、この時間になに制服で歩きまわってるのさ」
これじゃあわたしが私服に着替えた意味がない。
「周り見てみろ。ここでいちいち補導していたらキリがないだろ」
「繁華街はそうかもしれないけどね。住宅地でパトロール中の警官に見つかったらどうすんの。生贄にして逃げるよわたし」
「繁華街も住宅街も、この街にある以上は皇龍の縄張りだ。多少のことなら目をつぶるだろ」
さも当然のように言ってきたが、ここは納得していいところか。
警察の仕事にも介入できるって、ひょっとしてわたしは皇龍というチームを甘く見すぎているのか?
歩道を歩くわたしに向けられる視線は、夕方に比べるととげとげしさが倍増していた。そんななかで誰ひとりとしてわたしに声をかけてこないのは、どう考えても隣を歩く凍牙のおかげだ。
駅前大通りからわたしたちの通う高校が見えてくるのを合図に、繁華街は終わって住宅が密集する地区になる。
道に座り込む若者の姿もなくなり、外灯が薄暗く照らす道からは喧騒が消えた。
「なんで、迎えに来てくれたの?」
疑問は早いうちに解消しておきたい。
もしも今日、ひとりでマンションまで帰っていたとして。たとえわたしが途中でトラブルに遭遇しても、凍牙が気に病むことはない。
マヤと一緒にいるのも、原田さんと因縁を作ったのも、皇龍の幹部と接触してしまったのだって、全部わたしの行動によって引き起こされたことだ。
結果何があっても責任を被るのはわたしだし、凍牙がわたしの尻拭いをする理由なんてどこにもないだろうに。
「明確な線引きだな」
「何が?」
「お前にとっての仲間と、それ以外の」
「……何が言いたいの」
「もしお前の横に立っているのが俺じゃなくてあいつらだったら、お前は何も言わずに無条件で甘えているだろ。見返りも、利害も考えずに、ただ『仲間』という理由ひとつで」
……確かにそうかもしれない。
近い距離感で、損得勘定を抜きにして付き合える存在は、わたしにはあいつらしかいなかった。
——凍牙は友達だけど、仲間ではない。
「無意識かもしれないが、お前の線引きははたから見てわかりやすい。昔のお前を知っていると、なおさらな」
「それは——」
当然だなんて、言っていいのか。
昼休みの居場所をもらいながら、散々彼の手を借りておいて。
わたしは凍牙に対してあまりにも自分勝手にふるまいすぎてはいないか。
「罪悪感に付け入る言い方をするが、俺はお前らの仲間ではないからな。——今回の送迎の報酬は俺が決めてもいいか?」
「……弁当以外で、わたしにできることなら」
「言ったな」
ふたりで学校の前を通過する。
校内には人の気配はなく、非常口を知らせる緑の電気がよく目立っていた。
学校の敷地を通り過ぎてから、凍牙は口を開いた。
「これから先、もしも俺とお前らが敵対するようなことになったら、俺の相手は結衣、お前がしろ」
「……………どういうこと?」
言われたことを理解するまでに時間がかかった。
「お前ら」ってのは、わたしと、わたしの仲間のことだよね。
だけど今のわたしはあいつらと決別中で、この先昔のように戻れる保証はどこにもない。
戻れたとしても、何年後か、あるいは十何年後か。
それに、もしもなんて言ったけど、わたしたちと凍牙が敵対するなんて。
「そんなこと、あり得るの?」
「さあな。先の話なんざ俺もわからないが、確率はゼロじゃないだろ」
確かにゼロではない。だけど、確率は限りなくゼロに近いくらいには、低いはずだ。
「お前とあいつらが復縁するのも、俺がこの先どこかの集団に所属する可能性も含めてだ。そうなって万が一、俺たちが敵同士になった場合の話だ。間違ってもあの精神的悪魔や脳筋鬼を俺に差し向けるな」
「……大魔王は?」
「論外だ。正々堂々お前が来い」
これは、うなずいていいのか。
可能性がゼロじゃないというのは凍牙に賛同できる。
未来なんて誰にもわからない。
だからこそ今ここで承諾してしまって、不透明な未来に枷をつけてもいいのか?
迷いはある。だけど——。
「わかった」
ここで約束するのが、わたしにとって凍牙に対する最大の敬意だと思った。
寂しさを埋めるために利用して、仲間の代わりのように見てしまいながら「そんな約束できない」とは、わたしには言えない。
「そんなことあってほしくないけど、その時はわたしが凍牙と相対する。容赦も手加減もしない。本気で混乱させて迷わせて、こちら側に有利になるよう引き込むから」
わたしの宣戦布告に、凍牙は不敵に笑う。
「やれるもんならやってみろ」
楽しそうで、とても嬉しそうだった。
本音を言えば、戦いたくない。もしものことなんて、考えたくない。自分で言っておきながら、最悪を想定するのがつらかった。
その後は互いに何かを話すことはなかった。
殺伐とした空気はなく、昼休みに一緒にいる時と何も変わらない。
大通りをそれて坂道を登り、マンションが見えたところで立ち止まった。
「あそこだから」
「ああ」
きびすを返して、凍牙は登った道を下る。
「ありがとう。送ってくれて」
「気にするな。もうひとつ言っておくと、今夜お前を送るのを理由に皇龍からの召集を断れたからな。お互い様だ」
…………。
……………………ん?
「はあ!? んなこと聞いてないよ!」
なに今になって、さらっとぶっちゃけてんだこいつ。
「声を落とせ。こんな時間に近所迷惑だろうが」
「え、そこ? 貸し借り問題で帰り道散々わたしは悩まされたけど、あんたにも利益はちゃんとあったてことなの?」
「そこまで勘ぐれなかったお前の負けだ。道中の約束は守れよ」
ひらひらと手を振った凍牙は道を曲がって見えなくなった。
やられた。
口喧嘩に勝ちとか負けとか、そういうのはどうでもいい。最終的にたどり着く結果がすべてだから、こんなことでいちいち目くじら立てても仕方がないのは承知しているけど……。
もしもの場合、自分の立てた筋道通りに凍牙を動かせるのか、さっそく不安になってしまった。




