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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【本編After 2.傷の最初は誰も知らない】
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26.【追憶】彼らだけが知っている(中)







丸椅子に座る子供の前に、吉澤が立つ。



「名前は言えるか?」


「…………」


「家はどこかわかるか?」


「…………」


「なんであそこに隠れてたんだ?」


「…………」


「……誰に、こんな街まで連れてこられた?」


「…………」



何を訊いても反応がない。

子供はスカートを強く握り、下唇を噛んでうつむいたままだ。

床に届かず宙に浮いた足の先まで力が入り、まるで岩のごとく微動だにしない。


身元を示す持ち物はひとつも持っていなくて、親元に戻そうにもどこへ連れて行くべきかわからない。

頼みの綱である幼女自身には、吉澤たちに心を開く素振りがまったく見られなかった。


皇龍の所属者に幼児の世話に慣れた者がいなかったため、接し方に一同困り果てた。



「ヨッシーの顔は怖いからなあ」



面白がった柳が人好きのする優しそうな顔をして、子供と目線を合わせるように身を屈めて顔を覗く。


外見だけで判断すれば、皇龍の所属者の中だと確かに柳が最も無害で、優しそうに見える。


しかし線の細い秀麗な容姿の柳と目があった途端、子供は目を見開いて息を止めた。

時が止まったかのような硬直に、つられて周囲にいた吉澤たちの動きも止まる。


そんななか、柳が「ん?」っと首をかしげた。

すると数秒の時差を置いて、子供の表情がみるみる引きつった。咄嗟に丸椅子を倒す勢いで飛び上がり、吉澤を壁にして柳から隠れる。


吉澤は自身のズボンを掴む子供の手から、アークに連れてきた時以上の震えを感じ取った。



「お前のほうが怖いだと」


「マジか。よくわかってんじゃん。将来有望だな」



幼い子供に逃げられた柳は傷つく様子もなく、面白そうにからからと笑う。



「ヨッシーなんかより俺のが絶対好かれると思ったんだけどなー」


「見た目はな」



どうやらこの子供は有害無害の判別を、外見とは別の何かで行っているらしい。

そうでなければ目つきの悪い金髪の、見るからに相手を威嚇する風態をした吉澤へ自ら近づいたりはしないだろう。



「倖龍に懐くとは……」


「やっぱ拾った人間は特別なんじゃないんですか」


「なかなかシュールな光景だな。写真撮っとくか」



好き勝手に言ってくる外野に吉澤が内心苛立つと、途端に子供はズボンから手を離して後ずさる。


引っ込んでいた涙が再び大きな目を潤ませる。


そうか、感受性が高いのか——、と。

自身のささくれだった感情を悟られたことに驚きながらも、吉澤はすぐに気持ちを沈めて子供の前にしゃがんだ。



「泣いたところで何も変わんねえんだよ。こっちは助けてやるって言ってんっだ。家に帰りたければ協力しろ」



ゆっくりと話しかければ、子供は恐る恐る吉澤の目を見た。その瞳は真っ黒で、瞳孔と虹彩の色の違いが見分けづらい。

吸い込まれそうな漆黒に、吉澤は形容し難い感覚に陥った。


まるで心の内側を見透かされ、己の汚い部分を強引に引きずり出されるようだ。

錯覚だと自分に強く言い聞かせても、喉に引っかかった小骨のように、不快感が腹の中にいつまでも残る。


子供が無自覚で、吉澤にも怯えているのがせめてもの救いだった。

意図して相手の精神を揺さぶっているなら、こいつはとんだ化け物だ。



少しして、子供は吉澤から目を離して不安そうにうつむく。

視線が外れたことで吉澤を襲った妙な感覚も消えた。



「……おにいちゃん……」



蚊の鳴くような声で、子供が初めて言葉を発した。



「兄貴がいるのか」


「…………まってる、って……」



とうとう耐えられなかったらしく、瞳に溜まった涙が頬をつたってこぼれ落ちた。



「やーい。ヨッシーが泣かしたー」



囃し立てる柳は黙殺し、吉澤は口を開く。



「どこで待っているかはわかるか?」



子供は嗚咽を漏らしながら首を横に振った。


おそらく本人も自分がどこから来たか、そしてどこへ帰ればいいのかわかっていない。

現時点では「お兄ちゃん」とやらが本当の兄なのかすら怪しい。




日もすっかり暮れてしまった。

子供の親はおそらく心配しているだろうし、探しまわっているに違いない。

しかし親元へ返そうにも、身元を判明させる手がかりが少なすぎた。



「警察へ引き渡すにしても、まずは春成木から出すべきです」



皆が泣いた子供の扱いに困窮していると、それまで離れた場所から傍観していた蔵尾みつぐが口を挟んだ。


みつぐはいつもと変わらぬ冷徹な顔で子供を一瞥して、吉澤へと向き直る。



「その子を西から入り込んだ奴らが探しているというなら、単純に西側の街から来た可能性が高い。日奈守まで行けば、蔵尾の力は届きません」



——蔵尾。その言葉を放つ際、嫌悪を隠しきれずみつぐの語気がわずかに強くなった。

自身の家と、実兄を嫌悪する彼はそれでも淡々と、吉澤に進言する。



「いつまでもここに置いておくわけにはいかないでしょう」



皇龍が拠点に幼女を連れ込んだ。

そんなことが知れ渡ると、事実がどうかなど関係なく蔵尾箕神砥に攻撃の材料を与えてしまう。

子供をアークに長く居させるのは皇龍にとってもリスクが高かった。



「……そうだな」



立ち上がった吉澤は、声を押し殺して泣く小さな姿を見下ろし、深く息を吐いた。







      *






さて、子供は日奈守へ送り届けることにした。


移動は電車にするべきだ。タクシーを使うにしても、一度春成木を出なければ運転手を信用できない。


……問題は、誰が幼女を連れて行くかである。



「ヨッシー行ってこいよ。一番懐かれてんだしさあ」


「ああ? 俺がこいつと公共交通機関を使ってみろ。どう考えても違和感しかないだろ。柳、てめえの人たらしの外見を今日ぐらいは活用しろ」


「ええー。俺絶対嫌われてるって。電車で泣かれたら俺のほうが危ないって。こっちは任せて行ってこいって」



皇龍の創始者ふたり、言い合いの末に折れたのは吉澤だった。


結局は吉澤と、路地裏で子供を見つけた際に一緒にいた仲間二人で日奈守へと送り届けることになったのだが。



「急いだほうがいいかもしれない。……あと、駅まではもう何人かつけるべきだ」



携帯を操作していたその仲間が、苦虫を噛み潰したような表情で言い出した。


彼は吉澤たちを見渡し、慎重に言葉を紡ぐ。



「見回りをしてる奴から連絡が来た」



その報告に、アークの2階の空気が変わる。

ピリついた雰囲気に、子供が全身をこわばらせる。




西の、本物の化け物が春成木で目撃された——と。




携帯のメールには、そんなことが記されていた。







      *







不安材料が増えたところで、子供をアークに置いておけない事実は変わらない。


足を負傷している子供を吉澤が抱っこして、仲間を5人連れて春成木駅へ向かうことにした。


柳をはじめとした他のメンバーはアークに残り、もしもの事態に備える。

西の狙いが不明瞭なだけに、吉澤たちも取れる対策が限られた。


本来なら有事を想定し、皇龍のトップである吉澤も春成木に残るべきなのだろう。


しかしながら、皇龍の所属者にとっては血生臭い喧嘩よりも、幼女の引率のほうが遥かにハードルが高かった。

彼らは子供が自分たちよりも吉澤に懐いているのをいいことに、トップの男に面倒事を押し付けたのだ。




夜に街のならず者たちが、幼い子供を連れ歩いている。絵面的にも誤解を招きかねない光景だ。

吉澤たちは極力表の通りを避けて春成木駅を目指した。



駅が近づき、表通りへ出るために裏道を外れる。


正面に商店街の大通りが見えてきた。そこを曲がれば駅のロータリーはすぐそこだ。


電灯の明かりも増えて、暗くどんよりとした空気が薄れていく。


大通りの交差点まであと50メートルほどとなったその時、それまで吉澤に大人しく抱き上げられていた子供の体がビクリと跳ねた。



「どうした?」



問いかけと同じくして、吉澤の耳に遠くの怒声が届く。


それは次第に大きくなり、吉澤たちの進む道の先にある十字路を横切ろうとしていた集団が騒いでいるようだった。

その中のひとりが吉澤たちに気づいて足を止める。



「おいっ!」



じっと暗い通りに目を凝らした男が、集団に声をかけた。たちまち彼らは表通りの行進を中断して吉澤たちがいる道へと曲がってきた。


子供の呼吸が浅く早いものに変わる。

全身の震えが酷かった。


安心させるために、吉澤は子供の背中を軽く叩いた。



「大丈夫だ。そんな怖がんな」



はっきりと伝え、腕の中の荷物を誰かに預けようと左右の仲間を見渡す。

障害物を退けるにしても子供を抱えていてはまともに動けない。


しかし吉澤の仲間は誰ひとり目を合わせようとしなかった。


吉澤から子供を受け取ろうとする者はなく、周囲の仲間は我先にと集団の前に出る。



お前ら、普段はもっと俺の意を汲んで動くだろう。


大変遺憾だ。



「ああ? てめえらに用はねえんだよ。さっさとそのガキをこっちに寄越せ」



集団の先頭にいる男が吉澤に抱きかかえられた子供を指さして凄む。男の声には、強い焦りが感じられた。


暗がりに見える集団はどう見ても皇龍の脅威ではない。

どうやら春成木に現れたという化け物はいないようだ。吉澤は密かに胸を撫で下ろした。



「こいつがどこの誰だかか知ってんのか?」


「そんなもんてめえらには関係ないだろ!」


「確かにそうだな」



援軍を呼ばれたら面倒だ。

こいつらが日奈守から来た化け物の手先なら、この先さらに面倒なことになる。


抱える子どもは吉澤にとってのお荷物でしかなく、フットワークを軽くするためにも早々に手放さなければならない。



「てめえらと話している暇は俺たちにねえ。わかったならさっさと道を開けろ。邪魔だ邪魔」


「んだとっ!」



殺気立つ敵に、皇龍の者たちはさらに距離を詰めた。

数では向こうが有利だが、負ける気はしない。


大声で威嚇してくる集団を、表通りの通行人は見向きもせずに通り過ぎていく。

誰もが面倒ごとに関わるまいとする、吉澤たちにとってはいつもの光景だ。


しかし今日は勝手が違った。


怒声に吸い寄せられるように、表通りで足を止めた者たちがいたのだ。


吉澤がそれに気づくのと同時に、目の前の集団との戦いが始まった。



乱闘の中でも仲間は吉澤のいるところまで決して敵を通さない。

味方のことは信用している。目の前の集団は問題ないだろう。


それよりも吉澤は、道の先にいる二人組の方が気になって仕方がなかった。

彼らは眼前の暴力に慄くことなく、裏道へと足を踏み入れ近づいてきた。


野次馬などではない。

恐れや緊張のないしっかりとした彼らの足取りに、嫌な予感が脳裏をよぎる。



「——ぃ……」



男たちの怒声にかき消されながらも、暴力を挟んだ向こう側からかすかな声が届く。


次の瞬間、子供が弾かれたように顔をあげ、身体を捻って後ろを見た。


道の先を凝視する目が大きく開かれる。それまで大人しくしていた子供が急にもがきだした。



「っ、危ないだろっ」



このままでは子供を落としてしまいかねない。

咄嗟に吉澤は身をかがめて小さな身体を地面へと下ろした。

止める暇もなく、子供は脇目も振らずに乱闘中の集団のほうへと走り出す。殴り合う男たちの間を抜け、夢中でその先へと進んでいった。


真横を通り過ぎる小さな身体に気づいた敵が細い腕を掴む。子供はまったく見向きもせず、ただ表通りへと必死に手を伸ばした。


表通りから近づいてきた二人組の片割れが、子供へと駆けた。


そしてごく自然に、まるで最初からそこにいたかのように乱闘に混ざった彼は、幼い背中に手を回し、自身の元に引き寄せる。



「なんだてめっ……!?」



文句には耳を貸さず、乱入者は子供の腕を掴んだ男を容赦なく蹴り飛ばした。





吉澤にとって想定外の事態が起こった。

それは周囲の者たちにとっても同様だった。


騒然としていた路地が静まり返る。


突然喧嘩に割って入った彼は、愕然とする周囲の人間を意に介さずただ子供を見下ろしていた。


子供は過呼吸を心配するほど荒い呼吸を繰り返しながら、必死になって乱入者にしがみつく。

息を吸う時に発していた引きつった声が、次第に大きくなっていく。

号泣しはじめた子供を、彼が抱き上げた。



「……いいや、多分そいつが一番やばい……」



仲間の誰かが唸るように呟いた。吉澤も同意する。



顔は写真でしか見たことがなかったが、仕入れていた情報と特徴が完全に一致している。暗がりであっても間違うはずがない。


皇龍が縄張りとする春成木より西にある街、日奈守で暴れ回っているその男について。

背格好や容姿以外にも、まことしやかな怪しい話が春成木にも届いていた。



彼の機嫌を損ねれば社会的に死ぬ。


刃向かった人間に明日は来ない。


目を合わせたら次の日には無一文になる。


話しかけられたら、その日の夜は必ず悪夢に見舞われる。


人を無害そうな笑みで騙しては、悪魔よりも残酷に地獄へと叩き落とす。


死神であっても決して彼の命を奪えない。



様々な都市伝説級の噂が飛び交う、西の支配者。





日奈守の化け物——高瀬涼が、そこにいた。








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