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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【本編After 2.傷の最初は誰も知らない】
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13.後悔





それを目の当たりにしたのは、凍牙と一緒にタクシーを使って春成木へと戻り、カプリスに到着してすぐのことだった。


店の大きな窓ガラスのあちこちに走る細かいヒビと、硬質な物がぶつかった跡。窓の下に放置されたレンガブロック。


静さんや柳さんに説明を求めるまでもない。無残な有り様がカプリスに起こった事実を物語る。

カプリスのドアには「臨時休業」のプレートが吊るされていた。店の中から、物音はしない。


自分の頭の中が不気味なぐらいクリアになっていくのを自覚した。



「逃げるんじゃなかった」



日奈守駅に現れた蔵尾に、わたしが手段を選ばず立ち向かっていれば、カプリスに被害が及ぶことはなかったかもしれない。



「おい」



凍牙の咎めるような声に、冷静さを取り戻す。



「わかってるよ。結局はたらればの話でしかない」



蔵尾に恐怖を抱き、それを奴に悟られた時点でわたしの負けは確定していた。

あの時は対抗する手段がなくて、ただ逃げるしかなかった。


敵がどんな人間なのか、柳さんや吉澤先生に聞いていたというのに。万が一に備えて具体的な対策を講じていなかった。明らかにわたしの失態だ。



「後学のために聞きたいんだけど。わたしみたいに力のない人間が一対一に対処する場合、どこを狙うのが有効だとおもう? もちろん不意打ち前提で」



目か、首か、胸か、股間か——。

わたしが思いつく選択肢はこれぐらいしかないけど、凍牙なら穴場を知っているんじゃないかと期待して訊いてみた。



「あと、カバンか服のポケットに入るぐらいの大きさの、護身用に最適な武器ってないかな。外で調達するとなると、迷って判断が遅れることはさっき嫌ってほど思い知ったから、できれば用意しておきたい」



理想はカッターや先の尖ったハサミのような実用的な文具系かな。持っているところを第三者に知られても問題なさそうだし。



「切るのと突くのだと、どっちの方が攻撃しやすいと思う?」



着々と計画を練るわたしに対し、凍牙は冷ややかだった。

呆れ混じりの表情で見下ろしてくる。



「逃げろよ」


「やだよ」


「だったらせめて防犯用の催涙スプレーくらいで考えろ。よりによって殺傷能力に重点を置いて悩むな」


「蔵尾から逃げ切れば万事解決ってわけにいかないなら、出会った時に確実に仕留めるしかないでしょ」



自分の手を汚すことに怖気づいている場合じゃないと、今になって思い知らされた。


敵を潰す機会は、相手が卑怯であるほど頻繁に巡ってこない。貴重な出没チャンスを逃すと、カプリスのように被害が拡大する。


幸いにも蔵尾はわたしの前には姿を現してくれるみたいだし、これを利用しないのはもったいない。



「ほんと、どうしてわたしだけ綺麗でいようと必死になってたんだろう」



人としての尊厳? プライド?

自分のちっぽけな誇りを守ろうとした結果、周りに被害が拡大するなどたまったものじゃない。



「わたしの手が血で汚れたら、凍牙は離れてく?」


「……離れる理由にはならないが、カウンターを狙う場合はせめて返り血を浴びないやり方を検討しろ。往来で血は目立ちすぎる」



一理ある。

刃物で首を狙うのは、やっぱりまずいか。



「俺としては最悪の事態が起こった際は逃走云々関係なく、結衣が最後まで生き残るために足掻くなら手段は極論どうでもいい。結果が過剰防衛になろが関係ない」


「なるほど。そっか」


「だけどな。悪意を持つ奴とは接敵するほど、身の危険のリスクが上がるとは頭に叩き込んでおけ。距離を保って逃げられるなら、それが最善であることに変わりはないはずだ」


「だから、その最善を選んでしてしまったからこんなことになったんだって」



ヒビだらけになったカプリスの大窓を指さした。

あそこまで亀裂が入って、割れていないのが不思議だ。


逃げるだけでは今回のような事態は解決しないと痛感したばかりなのに、逃走が最善だと言われても納得できない。



「問題ないだろ。そもそもの発端が柳さんにあるのだから、この状況はこれまで蔵尾の対応を渋り続けたあの人の自業自得だ」


「ちょっと、さりげなく話を逸らそうとしないでよ。言っとくけど蔵尾については、次は逃げるつもりはないからね」



狙われ続けるのは性に合わない。

蔵尾がわたしを標的と定めているなら、餌にぐらい喜んでなってやる。


柳さんと蔵尾の怨恨はこの際どうでもいい。

ここまでくるともはやわたしと蔵尾の問題だ。



「向こうが来る前に、こちらから仕掛ける。もう迷わない。柳さんにも遠慮はしない」



あの男を脅威ではなく、獲物とみなす。

少し捉え方を変えるだけで、胸の内に高揚感が湧き上がる。

蔵尾を狩るのが楽しみになってきた。


きっとわたしは凶悪な顔で笑っていることだろう。

こちらを見下ろす凍牙は呆れを隠そうとしないが、その顔に嫌悪や畏怖はない。


そうだ。どうして忘れていたんだろう。

凍牙はわたしのそういう一面を、ずっと前から知っていたじゃないか。



「まあいい。お前がやる前に俺がやるからな」


「ちょっと、なんでそうなるの!?」



せっかく人がやる気を出したって時に限って、こいつはそうやって出鼻をくじく。



「蔵尾箕神砥は俺に譲れ。そいつには言いたいことが山のようにあるんだ」


「譲れって簡単に言うけど、あんた蔵尾が食い付くような釣り餌持ってないよね」


「そんなもの頭使えばどうにでもなる」


「何それちょっとその辺詳しく」



人をおびき寄せる便利なやり方があるならわたしも知りたい。


さらに凍牙に言い寄ろうとしたら、タイミング悪くカプリスのドアが開いた。


店の中から顔を覗かせたのは、吉澤先生だった。



「……お前ら、もうすぐここに警察が来るんだが、その物騒な話をそろそろ終わらせないか」



話に熱中しすぎていたのもあるけど、まさか人がいるとは思わなかった。

しかも会話を聞かれてたとか。ばつが悪くて先生から目を逸らした。



「いるならいると、もっと早く言ってくれませんか」


「俺に当たるな。お前らが入ってこなかっただけだろう。鍵は開いてたぞ」



吉澤先生に招き入れられ、店の中へ踏み入れる。


店内では柳さんがカウンター席に突っ伏して肩を震わせていて、厨房にいた静さんが苦笑して出迎えてくれた。


みんないるじゃん。ていうか店の外観がぼろぼろになってるのに、ここの空気は驚くほどいつもどおりだ。


なんなの。ひょっとしてこういう事態は慣れっこなのか。


厨房を出てきた静さんがわたしの前で腰をかがめる。



「お帰りなさい。怪我はない?」


「はい。ご心配をおかけしました」



頭を下げようとしたわたしを、静さんは小さく首を振って止めた。



「無事でよかったわ」



そう言ってくれる静さんに、この人は柳さんの奥さんなんだとしみじみと実感した。


わたしさっき、この店の前で結構人に聞かれたらまずい話をしていたんだけど。

柳さんの反応から凍牙との会話は店の中に筒抜けだったみたいだし。

内容を把握してもなおわたしの身を案じてくれる静さんは、やはりただ者ではない。



「いやー、お前らほんと最高だわ」



声を殺して笑い続けていた柳さんが顔を上げる。



「おかえり。災難だったな」


「まったくです」



憮然と言い返す。


へらりと表情をゆるめる柳さんは、どこか覇気がなかった。


なんだ。

やっぱり店を壊されたらさすがの柳さんでもダメージを受けるのか。



「悪かったって。さて、本当は俺が直々に労ってやりたいところだがな……。高瀬、お前今日は家に帰れ。明日の朝もバイトは休みだ」


「警察が来るからですか」


「おうよ。ごたつく前にいなくなっとけ」



柳さんが凍牙に顔を向ける。



「送り頼むぞ」


「言われなくとも」


「そうだな。この先ちょーっとややこしい事態になるかもしれないが、まあ高瀬なら大丈夫だろう」



ほら、行った行ったと急かされて、わたしと凍牙は早々にカプリスを出た。


とりあえず、静さんが無事だったならまあいいや。



それにしても。


話しているのが凍牙だからと、遠慮なしだった発言の数々が、大人たちに聞かれていた。

まあ柳さんたちだからよかったものの、それでも羞恥心的な意味合いの精神的ダメージは大きかった。








      *







とぼとぼと。

凍牙と共にマンションへと続く上り坂を歩く。


まだ昼過ぎになったばかりだというのに、今日はいろいろありすぎた。

まだ気が張り詰めているからか、空腹は感じない。

それよりも目の奥がつんと痛くて、若干の頭痛の方が気になった。体がだるく、気疲れがひどい。


帰り道で凍牙に蔵尾を誘い出すための具体的な方法を聞いたけど、詳細は教えてくれなかった。



「それぐらい自分で考えろ」


「ヒントは?」


「やらねえ」


「そこをなんとか」



などとぐだぐだ話しているうちに、目的のマンションが見えてきた。



「昼ごはんどうする? よかったらうちで食べていく?」



なんといっても今のわたしの家には、静さんお手製の作り置きおかずがある。

ここまで送ってもらって、何もせずに帰ってもらうのは申し訳ない。

日奈守まで迎えにきてくれたお礼もしたいし、凍牙もうちで休憩すればいいと思って気軽に誘ったつもりだった。



「……いや」



凍牙は少し考えてから、正面を見据えたまま呟いた。



「昼飯どころじゃないかもな」



凍牙につられて視線を走らせれば、垣根が途切れたマンションの敷地の奥。


エントランスに入るドアの前に、涼君が立っていた。






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