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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【本編After 2.傷の最初は誰も知らない】
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7.帰り道





洗面所で顔を洗って歯を磨いた。

寝ていた部屋に戻り身支度を整えたときにはもう、涼君は電話を終えてダイニングに戻っていた。



「おはようございます」


「おはよう。……悪い、結衣。今日は家まで送ってやれそうにない」


「わたしは構いませんが、仕事ですか?」


「……ああ。もう少ししたら会社行ってくるわ」



それは珍しい。


涼君は自分の勤め先をウルトラホワイト企業だと常々豪語している。

そんな会社で急な休日出勤をしなきゃいけないなんて、よほどのことがあったのだろう。


わたしが朝食のトーストを食べているあいだ、涼君は同じダイニングテーブルでノートパソコンを開いて作業をしていた。



「……なんでこれが週末までに終わってねえんだ」



画面を睨みながらの低い声のぼやきは無心になって聞き流す。



「さあて、どうしてやろうか」という地を這うような声とか。

悪どい笑みを浮かべながら「これは高くつくぞ……」なんて。


涼君がいつも被っている猫がすごい勢いで剥がれていってるが、絶対に指摘はしない。


わたしは空気の読める妹だ。



「ごちそうさまでした」



朝食を食べ終え、涼君の分の食器も一緒に重ねてキッチンへ持っていく。

使用した食器をシンクで軽く濯いだら、食洗機の中に並べてスイッチを押した。



「今日はもう実家に寄るつもりはないのか?」


「用事もありませんし、朝のうちに春成木まで帰ろうと思います」


「りょーかい」



硬く絞った布巾でダイニングテーブルを拭いていく。

涼君がノートパソコンを持ち上げたので、その下にも布巾を滑らせた。


片付けを済ませたあとは泊まりの荷物を手早く片付ける。



「そんなに慌てなくても、駅までは送るからな」


「忙しいならいいですよ。バスもありますし」


「会社に行くついでだ。ここは甘えとけ」



キッチンでコーヒーを飲んでいた涼君は、わたしにもコップを渡してくれた。


お礼を言って受け取ったコップの中のブラックのコーヒーは、半分ぐらいの量だ。そこに冷蔵庫か取り出した牛乳を適量、コップに注いでカフェオレを作る。

この家に泊まったときの、いつもの流れだ。


コーヒーを片手にスマートフォンを操作していた涼君が、ダイニングの椅子に腰掛けたわたしに顔を向けた。



「凍牙から、結衣が電車で帰るなら日奈守駅を出発する時間を教えてほしいって連絡がきてるんだが。何かあるのか?」



どうやら凍牙は本当にわたしの行動を訊いてきたらしい。

いつ来た問い合わせかは知らないけれど、凍牙も心配しすぎだ。


自然な態度を心がけながら、それらしい理由を考えて言葉にしていく。



「特に何も。ただ、今日はアルバイトも休みなので、早く戻れたらふたりで過ごそうって話していただけです」



涼君は勘がいい。

過剰な警戒を見せたらわたしの周囲でおかしなことが起こっているのではと怪しまれかねない。


蔵尾箕神砥のことを言うべきか迷うところもあるけれど、実害がない状態で詳細を語るのは憚られた。


柳虎晴という男について、できれば涼君には知られたくない。


混ぜるな危険。このふたりはわたしの精神の健康を保つためにも、絶対に関係を持たせてはいけない。


何より蔵尾の存在が明るみになると、今のバイト先に涼君が難色を示す可能性がある。

反対されてもカプリスを辞める気はないから、平和にいくなら話さない選択が現状では正解だろう。



「あー、やっぱり俺も休日出勤なんかやめて、童心に帰って遊びてえ」


「いい大人が何言ってるんですか」


「そうだよなあ。あーあ……久しぶりに麻雀打ちたい」



……童心、とは?


わたしは空気が読めるので、これ以上は突っ込まない。


それにしても、最近涼君が優しいだけのお兄ちゃんじゃなくなってきているのは、わたしの気のせいか?






      *






10時を少し過ぎたころに家を出て、車を取りにふたりで実家へと歩いた。

そこから日奈守駅まで涼君に送ってもらった。


駅のロータリーで涼君にお礼を言って降車する。

車が走り去るのを見届けてから、改札へと続く駅の階段を登った。




日中の日奈守駅は休日ともあって多くの人で賑わっていた。


ホームには電車を待つ人がそれなりにいた。階段近くの混雑した場所を避けて端のほうへと移動する。

ガラス張りの待合室を過ぎて、自動販売機の横を通る。ホームに設置されている屋根が途切れるところまで来たら、人の数もまばらになった。


到着する電車のドアの停止位置を示す、足元の三角印に電車を待つ人が4人。小さな列の最後尾にわたしも加わる。


電光掲示板の情報によると、春成木方面への電車はあと5分もしないうちに着くらしい。

寒空の下で長い時間待たずに済みそうでよかった。


電車の到着が間近に迫る。

その時、ホームにできた列の、わたしの後ろに人が並んだ。


若い男が5人。

どことなく感じる一体感から、彼らはひとつのまとまりなのだろうと察せられた。


それにしても。

至近距離で背後に誰かが立っていると落ち着かない。


不快感を紛らわそうとさりげなくホームの左右に目を走らせて——、冬だというのに背中に嫌な汗が伝った。


もうすぐ入ってくる電車に乗ろうと、待機している乗客は多い。わたしもそのひとりだ。


横に長いホームにいる人の分布としては中央の改札からホームへと降りる階段の近くが一番多くて、端に行くにつれて人の数は少なくなっていく。


わたしが今並んでいる場所は、到着する電車の後ろから二両目にあたる。周囲に立つ人はそう多くない。

隣の三角印の目印なんて、待機人数は2人にとどまっていた。

最後尾の車両が止まる地点に至っては、ひとりしか並んでいない場所だってある。


したがって、わたしの後ろに並んだのが5人組の大所帯というのもあるが、ここだけやたらと目立つ長い列になっているのだ。


男たちも、わざわざホームの端まで人の少ない場所へと移動してきたなら、あえてわたしの後ろに並ぶ必要があるか?


ひとりふたりの数の違いなんて、これから到着する電車に乗ってしまえばい五十歩百歩かもしれない。しかし違和感は強烈だった。


何より背中に感じるねっとりとした視線と、緊張感を含んだ興奮気味な空気が、危機感に拍車をかける。


男たちは一言も発しない。

聞き耳を立てても言葉の情報は得られないが、どことなく楽しそうな気配が伝わってきた。

語らずして悪巧みを仲間内と共有する際の、独特の雰囲気だ。


そうしているうちにアナウンスと定番の音楽が流れて、電車がホームへと到着した。


ドアが開き、乗客が人が降りるのを待ってから前の人に続いて電車内に踏み入る。


そのまま足を止めず、先に乗っていた乗客のあいだを縫って電車の最後尾側へと移動した。

連結部分の引き戸を開き、最後尾の車両へと移る。


振り返った先、男たちが乗客を押し除けながらこちらへと近づいてくるのを窓越しに確認した。


成人済みの体格のいい男が多人数で乗客がひしめく車内の狭い通路をスムーズに進むことは難しく、こちらへくるスピードは遅い。

乗客たちも非常に迷惑そうにしていた。



——やっぱりか。



悪態をつきたくなるのをぐっと耐え、連結部分の引き戸の前に立ち止まって男たちを引きつける。


あちら側と、こちら側。

車両のドアを隔てて先頭の男と向かい合ったところで、電車の出発を知らせるアナウンスが聞こえてきた。



「ドアが閉まります——」



ご注意ください、と車掌が言い終わる前に踵を返して走り出す。


閉まりかけたドアから飛び出すように電車を降りた。


動き出した電車の窓に、焦る男たちの姿を見た。

彼らの事情なんてものはわたしの知ったことではない。


それよりもこれからどうするべきかを考えないと。


後続の電車は使えない。

男たちがどこかの駅で待ち伏せしている可能性がある。

見つかってしまったら今度こそ危ない。


そうなるとタクシーで帰宅するのが一番安全か。


かかる料金は当然柳さんに請求する。最悪財布のお金が足りなくても、行き先をカプリスにすれば問題ないか。


よし、それでいこう。


電車の通過後、降車した乗客たちがいなくなったあとの閑散としたホームを中央改札へ上がる階段に向かって歩き出す。


そこでわたしがこれから登ろうとしている階段に、ひとりの男を見つけた。



——次から次へと……。



頭の中で警鐘が鳴り響く。

危機に直面しているというのに、妙に冷静な自分がいた。


相対するのはこれで二度目だ。


最初はカプリスの裏口で。

その日から、あの柳さんに散々気をつけろと言われてきたが……まさか日奈守に現れるなんて。


執念深くて用意周到な、なんて恐ろしい暇人だろう。

現実逃避して呆れている間も、距離は徐々に縮まる。


ホームに立ち尽くすわたしへと、男は不気味な笑みを顔に貼りつけ、鼻歌まじりに足を弾ませながら近づいてくる。


やや猫背気味に上半身を丸め、奴は一歩一歩、肩を揺らしながら階段を下る。



蔵尾箕神砥が、そこにいた。





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