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モノトーンの黒猫  作者: もりといぶき
【本編After 1.いわれ】
144/208

11.扉一枚隔てた先で






      ◇  ◇  ◇






平気な顔で、なんてことないといった風に結衣は笑っていた。無理して強がっているようには見えなかったが、その笑顔は綾音の心に深く刺さった。



倉庫の2階の部屋に菜月が佐智を部屋に連れ込んだあと、遅れて綾音が様子を見に行くと、ドアの前で有希が呆然と立ち尽くしていた。



「……菜月と一緒にいたのはどこのどいつだ?」



どうやら説明もなく菜月に部屋を追い出されたらしい。さすがは女王様。



「結衣の妹さんですって。下でちょっと菜月を怒らせてしまったの」



眉を寄せた有希が手すりに近づき吹き抜けから1階を見下ろす。軽く手を振って結衣と凍牙にあいさつをして、彼は小さくため息を漏らした。

経緯の詳細はわからなくても、ややこしい事態が起こっていることは理解できたようだ。



「それで、長引くであろう菜月の説教のために俺は部屋を追い出されたのか」


「そう。わたしはいざという時のストッパー。あの様子からして、結衣に仲裁はやりづらそうだから」



綾音はドアにもたれかかり、こっそりと聞き耳を立てた。



「——別に、今さらわたしが年上だからって敬語で喋らなくて結構よ。日本人らしい気遣いもいらない。思ってることは遠慮なく口にしなさいよ。仲良しこよしの円満解決なんて、はなから望んでないわ。先に言っておくけど、わたしはあんたのことずっと嫌いだったから」



よく通る菜月の声は、ドア越しでも十分に聞き取れた。


佐智はムキになって声を張り上げているので、部屋の中の会話は筒抜けだった。


綾音の隣に立った有希が、同じく傍聴の姿勢をとる。



「ヒステリックに叫んでいるが、これは止めに入らなくてもいいのか?」


「悪化して暴れまわるようなら仲裁するけど、言葉のぶつけ合いは許容範囲よ」



女の喧嘩に男が入るとややこしくなってしまうからわたしがいるけど、そもそも妹さんに味方したいという気持ちは最初からないもの。



「わたしも、菜月と同じであの子のことは好きになれないわ」



大切な結衣を目の敵にする子に、いい感情を抱けるはずがない。



「結衣の妹とやらが菜月に何を言われても同情はしないが……うるさくすると洋人が起きるぞ」



有希の心配は違うところにあった。

綾音もチラリと隣の仮眠室をうかがう。今のところ、洋人が出てくる気配はなかった。



「結衣は、お父さんとお母さんが、本当のお父さんとお母さんじゃないんですって」



綾音が小さな声で告げれば、有希は瞠目した。



「そのことを妹さんがわたしたちの前で暴露した結果が、これ」



簡潔に説明してドアを指し示すと、有希は納得してうなずいた。

あぁ……と、力なく天井を仰いでいた有希の瞳が、わずかに細められる。



「……まあ、俺たちがつるんでいるのは結衣自身であって、あいつの家と付き合っているわけではないからな」


「そうね」



有希の言ったことは、綾音だけでなく春樹や菜月、そして凍牙も同じ考えだ。

自分たちが結衣と一緒にいる理由に、家族は関係ない。


部屋の中では菜月に圧倒されて、佐智の声から次第に覇気が消えていく。



「うるさいわよ……っ。どうせあんたなんかに、わたしの苦しみはわからないわ。わたしに何があったのかも……知らないくせに」


「知らなくて当たり前よ。わたしはあんたじゃないんだから」



投げやりな佐智の嘆きさえ、菜月は清々しいほどばっさりと切り捨てる。



「まるで自分だけが誰にもわかってもらえず、ひとり苦しんでますって言いたげな顔ね。甘ちゃんが、わたしなんかにまで甘えてんじゃないわよ」



そこからは菜月の独壇場だった。




——言っとくけど、あんたがこれまでサンドバックにしてた結衣は、わたしなんかよりも百倍口が達者よ。本気になれば結衣はあんたの無駄に高いプライドなんて簡単にへし折れる。それをしないのは結衣にとってあんたが妹だからよ。


気づいてなかったの?


あんたはずっと、結衣に手加減されていた。

嫌いな姉に気遣われて、格下認定していた姉に相手にされない人間——それがあんたよ。


あんたは自分が散々嫌味を言って見下し続けてきた結衣の気持ちを、理解しているの?


結衣の悩みも強がりな一面も、全部わかったうえで「自分だけが誰にも理解してもらえない」とか言ってるの? そんなわけないわよねえ。






佐智の声は綾音に聞こえなくなり、しばらく沈黙が落ちる。




——あのね、人は自分じゃない誰かの心を完全に理解することなんてできないわ。それが当たり前なの。


あんたがどんなに苦しい思いをしていたとしても、そのことをわかってほしくて人に伝えたとしてもよ。


相談を受けた側は、自分の経験の中からあんたの苦しみを自分なりに想像することしかできないの。


ましてやあんたは苦しんでますアピールをするだけで具体的なことをなんにも言ってこないのに、そんな人間の悩みなんてわかるわけがないじゃない。




わたしはあんたの相談とか受ける気ないけど——と、最後に菜月は付け足した。





——人は他人に同情することはできても、完全に、誤差なく同じ感情を分かち合うことはできない。

孤独といえばそうかもしれないけど、これについては人間みんな平等だよ。

だからこそ少しでも心の誤差を埋めるため、相手に自分を知ってほしいなら、なおさら言葉を尽くす必要があるんだろうね——。


綾音はふと、かつて結衣に言われた言葉を思い出した。



「……小学生のころから、結衣はご両親が本当の親じゃないことに気がついていたのですって。さっき、普通な顔してこのことを笑って話せるまで成長できたと結衣は言っていたけど。つまりそれは昔はご両親のことで悩んだつらい時期があったってことでしょう?」



これは綾音の主観から来る憶測にすぎないことだと理解している.

結衣はもう過去なんて気にしていないのかもしれない。でも——。



「結衣が大丈夫というのは精神的に強くなったわけじゃなくて、つらいことに慣れてしまったからだったら、……少し寂しいわね」


「そうか?」



有希が怪訝に眉を寄せる。



「結局のところ、綾音の言った『強さ』と『慣れ』は本質が同じで捉え方が違うだけじゃないのか。過去の苦しみを背負って生きる人間を前向きに見るか、悲観的に見るか——。過ぎた同情は結衣に気を使わせることになるぞ」



有希の言い分はすんなりと、綾音の頭と心に落ちていった。


そうだった。物事を後ろ向きにとらえてしまう悪い癖が出ていたのだと、すぐに気づかされた。



「……ええ、そうね」



自嘲気味に苦笑する。

わたしが勝手に結衣を「かわいそうな子供」にしてはいけない。



「——あんたがどんなに結衣を憎んでも、わたしにとってあの子は大事な幼馴染で、失いたくない仲間なの。だから結衣が気にしなくても、あの子を傷つけようとする人間は許さない。結衣にとって、あんたの言葉は何の価値もなくて、右から左に通りすぎるだけの騒音にすぎなかったとしてもよ」



棘のある菜月の言葉が、綾音にも刺さる。

二度と過ちは繰り返さない。

大好きな結衣が大切だというこの居場所は絶対になくさせないとあらためて胸に誓う。


そんな綾音に、有希が穏やかに言った。



「たとえ外で何があったとしても、ここ(・・)が変わることはない。俺が感じている安心は、まやかしではないはずだ」


「ええ。わたしもその安心感は、きっと有希君と同じよ」



そしてこの気持ちは、仲間のみんなが抱くものだと信じたい。



部屋の中から微かに嗚咽が聞こえ出す。


菜月の声は威圧的なものから諭すような響きに変化していった。菜月が告げたことは、どれだけ佐智に届いたのか。



——なんて考えても、それは本人にしかわからないことね。



止めに入らなくても、もう大丈夫でしょう。


綾音は肩をすくめて扉から離れた。



だけどまあ……、と。


綾音は扉を挟んだ先にいる佐智に向かって心の中で呟いておく。



——今日はナル君がいなくてよかったわね。



佐智が菜月に突っかかったところを成見に見られていたら、彼女はこの程度ではすまされなかったはずだ。

自尊心とか、主に精神面でいろいろと潰されていたことだろう。






      ◇  ◇  ◇




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