6.首を突っ込む
ううむき気味で最後尾を行く佐智の歩みは遅く、集団との間に隙間ができかけていた。そこに先頭の金髪女子が戻ってきて佐智の背中を押し、彼らの輪へと戻した。
すかさず男子が佐智の肩に手を回して逃げられなくする。
「……何やってんのさ」
どうしてわたしはこんなところを目撃してしまったのだろう。
あの子、昨日はちゃんと家に帰ったのか。
遠目からだと佐智はあの集団に馴染んでないように見えるけど……。
これは気付かなかったことにしていい場面なのだろうか。
あの子がどんな状況に置かれているかも定かでないのに、余計な口出しをしに行くのも気が引けてしまう。
わたしがあそこに割って入ったら、絶対に佐智は怒る。これだけは断言できる。
「どうした」
背後から凍牙の声が降り注ぐ。振り返って見上げたわたしは、ためらいつつも口を開いた。
「妹が、あの中にいる」
凍牙がわたしの示す先を目で追う。
「道の向こうを歩いている頭の軽そうな連中か」
「そう、それ」
「妹もそういう奴なのか?」
「違う。あの中でひとり浮いているのがそうなんだけど、様子がおかしいというか……」
佐智があそこに混ざりきって周囲を気にせず彼らとはしゃいでいたなら、わたしだってここまであれこれ考えなかっただろう。知らないうちに悪趣味になったなと思うぐらいだ。
凍牙が言うところの頭の軽そうな集団は、駅に背を向けゆっくりと遠ざかっていく。
どうしよう。これは追いかけるべきなのか。
「さっきから何を迷ってんだ、お前は」
呆れ返った様子で凍牙に言われ、うっとなった。全部見透かされている。
「妹が気になるんだろ?」
「……否定はできない」
ただ、首を突っ込んでもいいところなのか、判断しかねているのだ。
わたしは何もせず、涼君に目撃情報を伝えるのが、ひょっとして最善なのかもしれないし。
「そいつに対して負い目でもあるのか」
「いや、それはないんだけど」
「お前にとって、妹は気を使うべき相手なのか」
「や、特には……」
うわあ。凍牙の目線が怖い。少し睨みが入っているのは気のせいではないはずだ。
「俺の事情に断りもなくずかずか踏み込んで来た奴が、なんの遠慮をみせて躊躇してるというんだ」
言い返せずに黙り込んだわたしに、凍牙は呆れた目をしてため息をついた。
「別に、大した理由はないよ……たぶん」
佐智とのこじれた関係が悪化するのも、別に嫌だとかは思っていない。仕方がないと割り切れるくらいには、わたしは妹に情がないのだ。
我ながら薄情な人間だ。わたしが気にしているのは佐智じゃなくて、佐智を心配する涼君や両親たちだとここでようやく自覚した。
「それで、そもそもお前はいったい何に悩んでいるんだ?」
これは……、とんだ背中の押し方があったものだな。
凍牙が結論を急ぐ。早くしないと集団を見失ってしまう。
バスのエンジンが掛かった。小刻みな振動が全身に伝わる。
ああそうだね。わたしは佐智に遠慮や気遣いなんてしたことがないし、これからも優しい姉になんてなるつもりはない。
ただあの子がそういう連中と一緒にいるってことに、ちょっとだけ興味がある。だから確かめずにはいられない。
ついでに涼君にも報告しておきたいし。
「ごめん、巻き込む」
「今さらだ」
運転手が行き先を告げる車内放送に反して、凍牙が乗客をかき分け出口へと向かう。
あとに続いて段差を蹴る勢いで地面に降りる。先を行く凍牙の背中を追いかけた。
人の多い歩道を進んでいるとはいえ、わたしが凍牙に付いていけるのは、彼が後ろを気にかけてくれているからだろう。
歩行者専用の信号が点滅する。赤になるギリギリで道を渡った。
バスの中から連中が見えていた位置まで追ったのはいいけど、目に見える範囲に目的の彼らはいない。
見失ってしまった。
「裏に入ったか」
凍牙が忌々しげに呟いた。
歴史のある日奈守駅周辺は大通りをひとつ外れるだけで、小さな道が幾重にも入り組んだ迷路のようになっている。
大通りに近いところには昔からの街並みが楽しめる観光地にもなっているけれど、さらに奥へ進めば一般人はまず足を踏み入れない危険な地帯が点在する。
駅から離れた山合いの住宅地に実家があるわたしは、そこまでこの近辺の地理に詳しくはなかった。
注意深く周囲を見回しながら、一番近くの小路を歩く。
十歩も進まないうちに道路の幅が細くなった。車一台通るのがやっとなくらいだ。
道の両側には2階建て以上の背の高い建物が並び、昼間でも太陽の光が届かず薄暗い。
早足で直進していると細い曲がり角の先から騒がしい声が聞こえてきて、目的の集団が見つかった。
わたしたちに背を向けて、裏の通りをさらに奥へと進んでいく。
集団の歩く速度が遅いため、もう見失うことはないだろう。
「この先って何があるか知ってる?」
「エリアからしてそこまで危ない場所ではない。このまま行けば広い通りにぶつかる。激安のカラオケ店や、ゲームセンターにクラブ、要は若年層が集まる地帯だ」
娯楽施設の密集地か。店に入られると厄介だな。
大勢の後ろ姿を捉えつつ、細い通りを見渡す。道の両側にある建物には店の看板や入り口はなく、どうやらこの通りは裏道にあたるようだ。
従業員向けの簡素なドアと、稼働中の換気扇。あちこちの室外機が不気味に唸っていた。
窓から室内の灯りが漏れている建物も複数ある。
壁一枚隔てた先には確実に人がいる。
凍牙もいてくれることだし、状況は申し分ない。
「もしも向こうがわたしに手を出してきても、一発目は動かないで」
「喧嘩慣れしてそうなのが顔面狙ってきたらどうするつもりだ」
「そうならないよう努力する」
不満そうな凍牙に止められる前に集団に接近する。
「ねえ、ちょっといいかなあ?」
年下と推測して敬語はなしで。この集まりの主導権を握っているであろう先頭の連中にも聞こえるぐらい声を張り上げる。
「あ? なんだよ、お前」
最後尾にいた少年が怪訝な顔で舌打ちする。
集団に紛れていた佐智が驚愕に目を見開いた。
「そこでおどおどしている気弱そうな子って、あなたたちの友達か何かなの?」
言いながら佐智をまっすぐ指し示す。
集団の中で小さなざわめきがしばらく続き、やがて先頭にいた連中が仲間を押しのけわたしたちのほうへと戻ってきた。
男が3人女が2人。この集まりの中心人物たちだ。
「なによ、あんた。この子に用事?」
「それ、一応わたしの妹だから」
わたしが告げた途端に質問してきた女は目を泳がせた。自分たちは後ろめたいことをしていますって、その態度で教えているようなものだ。
あちゃー……身内が来ちゃったよ。
そういった感じの気まずさを含んだ空気が集団を包む。
なんだ、罪悪感があるなら事は簡単に進められそうだと密かに安堵するも、そうは問屋が卸さない。
「ふ、ふざけないでよ! あんたなんか家族でもなんでもないわよ!」
などとわたしに向かって佐智が喚いた。
お前がふざけるな。少しは状況を考えろ。
「あれー、まさかのお姉ちゃん拒否?」
ほら、気落ちしていたあんたの周りの人たちが持ち直したじゃないか。
「……それで、そこの子はあんたたちの友達なの?」
「友達っていえば友達だよね。言ってみればわたしたち、この子にとっての恩人みたいなものなんだよねー」
「ねー」
にやにやしながら近い人同士で同意しあう。仲良しを見せつけつつ仲間意識を確認する儀式めいた行為に、わたしの斜め後ろから「うぜぇ」という小さな悪態が聞こえた。
「へーえ。恩人、ねぇ……」
「別になんでもいいじゃない! あんたには関係ないでしょ!」
「お前は黙れ話が進まねえ」
「——……っ」
地を這うような凍牙の声に、佐智がすくみあがる。
まあ初対面で目つきの鋭い長身の男にそんなこと言われたら誰だってビビるか。
……嫌な役やらせてホントにごめん……。
佐智の周りにいる奴らは一瞬ぎょっとするも、凍牙の苛立ちの対象が自分でないと判断するや否やすぐに調子を取り戻す。
それでいい。こちらを格下だと思っていてくれるほうがやりやすい。
「で、自称恩人とやらの皆様は、その見るからに気弱そうな子に、恩着せがましくもいったい何をして差し上げたのかな?」
「何ってぇ、助けてあげたのよ。その子昨日の夜ひとりで街をうろついてて、家に帰りたくないけどお金がないっていうし、一緒にカラオケでオールしてあげたの」
わたしの質問に、リーダー格の女子が胸を張って得意気に返す。
そうか、こいつら馬鹿か大物のどっちかだ。
「……誰も挑発されたってことに気づいてないな」
ぽそりとわたしにかろうじて聞こえるくらいの声量で、凍牙が呟いた。
言わないでよ無かったことにして流そうと思ったのに。
段差もないところでひとりつまづいた気分だ。目論みが外れたことを指摘されたのが恥ずかしくて顔が熱くなる。
「それはありがとう助かりました。それでカラオケで一夜明かしたあとも妹と一緒に行動している理由は?」
平静を装って話を続けた。凍牙にはバレたけど、前方の集団に動揺が知られなければ問題ない。
「ええーだって、一晩分もカラオケ料金払ってあげたんだよー。それなのに何もしないでさようならって、俺らになんの得もないじゃん。今日一日ぐらい遊びに付き合ってもらわないとねー」
「さっきのビルもおもしろかったよねーさっちゃん。ショップのおばさんすごい顔になって怒ってたし、思い出しただけで笑えてくるわ」
近くにいた女に肩を組まれた佐智が真っ赤になってうつむいた。
察するところ、カラオケ代金を盾にして佐智に迷惑行為をさせて、こいつらはそれを見て楽しんでいるらしい。
典型的な弱い者いじめだ。調子に乗って見境がなくなると、そのうち万引きとかも強要しそうだな。
「本当に今日一日でその子とはさよならしてくれるのかな?」
念のために訊くと、なぜか目の前の連中は大うけした。大爆笑。笑いのつぼがよくわからない。
「いやいやダメでしょ。たった一日で一夜の恩を忘れるとか、さっちゃんそんな薄情な子じゃないもんねー?」
同意を求められ、佐智の顔色が赤から青へと変化する。
だろうね。せっかく出会えたとっておきの遊び道具を簡単に手放すわけがない。
「話が違うじゃない。今日だけ言うこと聞いたら、それでチャラにするって……」
「えー、そんなこと誰か言ったー?」
「今日で全部チャラにしたいってんなら、もちろんさっちゃんは今すぐ昨日のカラオケ代払ってくれるんだろうね」
焦りだす佐智をよそに、連中のテンションはヒートアップしていく。
周りの建物にいる人たちが迷惑しているのではと心配になるほど、ものすごくうるさい。
騒いでいるのは向こうなのに、悪いことをしている気分になってきた。こいつらと相対する場所にここを選んだのはわたしなのだから、申し訳なさはあって然るべきなんだけど。
騒音が問題になる前にさっさと終わらせよう。
「いくらなの?」
「——え? なんか言った?」
「その子に使ったカラオケ料金はいくらなのかって訊いてるの」
「あれれー、もしかしてお姉ちゃんが払ってくれるのー?」
「やっさしいねー! いくらにするー?」
ギャハハとふざける連中に囲まれる佐智が、屈辱そうにわたしを睨んでくる。
勘違いするな。あくまで立て替えておくだけだからね。あんたにはあとできっちり請求するよ。
集団の一番近くにいた目元のメイクがやたらときつい女に「ほら」と手を差し出す。
「は? 何この手」
「代金払うって言ってんだから、さっさと領収書見せてよ」
当然のごとく要求してやれば、はしゃいでいた連中がじわじわと大人しくなっていく。
「……はあ?」
何言ってんだこの女、頭おかしいんじゃないの——と、集団のひそひそ声はばっちりこちらに届いている。
いいやわたしの頭はいたって正常だ。
「まさか見ず知らずの他人に金銭を要求しようってのに、レシートひとつないなんて甘ったれたことぬかすんじゃないだろうね」
信用ならない相手の言い値で払うわけがないだろう。カラオケ店でレシートを貰ってないなら、問答無用で踏み倒すぞ。
「社会のルールに則っていというのに、お前のほうが非常識に見られるのは不思議だな」
感慨深げに凍牙がこぼす。
「見た感じ義務教育っぽいから、社会に出る前でしょ。そういう意味では仕方ないんじゃないの」
「お前も大概甘いな。引率なしのひとりで買い物ができるようになった時点で、どんなガキでも売る側からしたらいち取引相手としてみなされるだろ。子供も大人も関係ない」
「もしかしてひとりで買い物ができないから、これだけ大人数で群れているのかも」
「ああ、その可能性はあるな」
「……てめえら」
よかった。さすがにこの挑発は通じたか。
殺気立つ連中を前にして、凍牙も同じことを思ったに違いない。