1.女子会(上)
◇ ◇ ◇
俺が手にしたものはすべてあいつが奪っていく。だったら何も持たなければいい。
そうすれば、悔しさやもどかしさを胸の内に抱かずに済む。
俺が必要としたものをあいつが欲しがるのなら、大切なものほど自分から遠ざけるべきだと——。
ずっとそう、思っていた。
◇ ◇ ◇
10月のはじめ。
残暑が長引く今日この頃、昼間の太陽は容赦なく街を照らす。それでも、日が落ちる夕方以降はだんだんと寒さを感じるようになってきた。
紅葉の季節はまだまだ先になるだろう。それでも街の景色に少しずつ秋らしさが出てきた土曜日の今日。
わたしはカプリスの開店準備だけ手伝ってバイトを終えた。
かねてから決まっていたことなので、静さんには快く送り出された。
そこから歩いて駅へと移動する。
待ち合わせの人物はまだ来ていないようだった。
約束の時間まであと20分ほどあって、することもないので駅に併設されたコンビニの前でぼんやり待つ。
ちょうど駅に電車が来たあとだったようだ。
駅舎から出てきたジャージを着た学生の集団が、目の前を通り過ぎてバス停へと移動していった。
休日の朝9時前。
せわしなく動く通行人を観察していると、こちらを興味ありげに見つめてくる、見知らぬ男を見つけてしまった。
——……またか。
うんざりしつつ、さりげなく顔をそらして気づかぬふりをしたものの遅かった。
左右の耳に大量のピアスをした、軽薄そうな男だがどんどん近づいてくる。
あの人のファンはどうしてこういうのばかりなんだろう。
「こんにちは」
かけられた声には反応せず、二、三歩横にずれる。
あたかもわたしじゃなくて後ろの人に話しかけたのでしょう? という体裁をとったけど、男に効き目はなかった。
「君だよね、あの柳虎晴さんや、現役の皇龍が目にかけている女子高生って」
まったくもって不本意かつ不愉快な覚え方だ。
少し前から、わたしはこんな感じで、皇龍の縄張りにおいてちょっとした有名人になってしまっていた。
それもこれも全部あのチャラくて小さい櫻庭先輩が、街の若者に向けておかしな情報を流したせいだ。
高瀬結衣のバックにはかの有名な柳虎晴が付いている。
あの女は現役の皇龍総長も認めるほどのツワモノだ——とまあ、あることないこといろいろと。
櫻庭先輩がこの情報を広めたおかげで、街中にあったわたしに対する敵意はなくなった。
その点については評価する。
だけど代わりに発生しているこの弊害もどうかと思うよ。
待ち合わせがコンビニ前なので遠くに移動できず、無視してやり過ごそうとするが男は思いのほか諦めが悪かった。
「高瀬、結衣ちゃんだったよね。写真でしか知らなかったけど、実際に見たほうが可愛いね」
思ってもないことを。
「俺さ、柳虎晴さんにすげー憧れがあるんだ。あの人がかつて街で暴れてた時の話なら結構知ってるし、結衣ちゃんとも気が合うと思うんだよね」
合うわけないだろう。聞かなくてもはっきりしている。
この男が望んでいるのはわたしを通して柳さんのお近付きになることだ。
夏休みが終わる少し前から、街に出るとこういった人がたまに寄ってくるようになった。
少し前は隣にいてくれた凍牙が睨みつけるだけでなんとかなっていたものの、いつまでも甘えてはいられない。
ひとりでなんとかするか、もしくは櫻庭先輩に責任問題として押しつけるか。
いい加減対策を考えないと気軽に街を歩けなくなる。
声をかけてきた連中全員、いっそのこと柳さんに差し出してやろうとも目論んだが、寸前で思いとどまった。
あの人に厄介事のネタを与えるなんて、自殺行為にしかならない。
8月の終わりから今日まで、わたしに接近してきた者たちの話を聞き続けて判明したことがある。
この街は柳虎晴という男をあり得ないぐらい美化しすぎているのだ。
目を輝かせている男とわたしの温度差はどうしたものか。
あのはた迷惑な男のどこがいいのか、はっきり言って理解に苦しむ。
目の前の男も含め、憧れというフィルターを付けた状態で柳さんを見続けている連中は非常に厄介だ。
わたしの言葉なんて聞く耳持たないだろうし、本当のことを言ったところで柳さんの悪口にしか捉えられないだろう。
しまいには「お気に入りだからって調子に乗るな」と怒りをあらわにされて、敵意を向けられては元も子もない。
あの経験は一度すれば十分だ。
愛妻家のくせに女子高生を口説き落とそうとする、お調子者。吉澤倖龍をからかって遊ぶのが趣味で他人の迷惑はいっさい考えない。
柳虎晴は自分の楽しみのために周囲を動かしている。——と、先日ナンパしてきた男に自棄になって伝えたら激怒されたことがある。
断じてわたしは嘘をひとつも言ってない。
しかしこうして近づいてくる男を相手にしないことにも、「柳さんをひとり占めして優越感に浸ってやがる」と多少の反感が出てきているのは知っている。
だからといってわたしにどうしろと?
「ねえ、結衣ちゃんから柳さんに俺のこと、紹介とかできないのかな?」
「……あの人が経営している店を教えますので、ご自分で直接どうぞ」
「いや、柳さんが喫茶店してるなんて街では常識だよ。俺みたいなのがなんのアポもなしに会うなんて恐れ多いことだし、だから結衣ちゃんが——」
……もう嫌だ。柳さんはこの街でどこまで神聖視されているんだ。あの人は王様か。
しつこい男に限界を感じていると、駅前のロータリーに2人乗りのバイクが入ってきたのを見つけた。
ほっと胸を撫で下ろし、男から離れる。
「あ、ちょっと!」
駆け足で車道へと向かうと目的のバイクはタクシー乗り場の傾斜から歩道に乗り上げ、わたしの前でエンジンを止めた。
後ろに乗っていたマヤがバイクから降りる。
「ごめんなさい。遅れちゃったかしら」
「時間どおりだよ。わたしが早く来すぎただけ」
茶色のヘルメットを外したマヤは軽く頭を振る。
わたしを追いかけてきた男の足が固まった。
バイクを運転していた三國先輩がフルフェイスの黒いヘルメットを脱いで、冷たい一瞥をくれたからだ。
男はこちらに向けて伸ばしていた手を引っ込めて、気まずそうに眼を泳がせる。
「誰かしら?」
「放っておいていいよ。ただの柳さんのファンだから」
「……あの人の?」
マヤの顔が少し引きつる。
そうそう、わたしが望むのはこの反応だ。
話しているうちに男は人の波に紛れていなくなっていた。
「問題ないのか?」
これからマヤを送り出すにあたっての不安から、三國先輩が軽く睨むようにわたしに訊いた。
「見かけたから声をかけてきたって感じでしたし、それほどこちらに執着はないはずですよ。最悪は自滅覚悟で柳さんに押しつけますから」
「……ならいい」
自分で言っておいてなんだけど、少し早まってしまったかもしれない。
三國先輩のことだから、撤回は認めてくれないだろう。
いざとなったら柳さんに文句を言う前に、まず静さんと吉澤先生に相談するとしよう。
マヤが三國先輩にヘルメットを預ける。
「行ってくるわ」
「うん。帰りも連絡入れて。迎えに行くから」
決してわたしには向けることのない満面の笑みを三國先輩がマヤに見せる。
わたしとマヤが駅のエスカレーターを上るまで、彼はその場で見送った。
相変わらずわたしの周りにいる恋人たちの熱は冷めない。向こうでマヤに何かあったらわたしは三國先輩に殺されそうだ。
電車に乗って行き着いたのは日奈守の街。
ちょうど改札を出たところで、綾音と菜月が待ち構えていた。
*
いつの間に。というのが話を聞いたときの率直な感想だった。
週末に綾音ちゃんと菜月さんと遊びに行きましょうとマヤに誘われたのは、今週月曜日のことである。
わたしのいないところでマヤと菜月と、そして綾音が繋がっていたのをその時初めて知った。
電話とメッセージのやり取りで意気投合したこの3人。
主なやり取りはマヤと綾音がしていたらしい。遊びに行く場所と日取りもあれよあれよと決定したというのだから、根本的にふたりは気が合ったのだろう。
夏休みに負った怪我がようやく完治しつつある綾音は、先日会った時と変わって松葉杖なしで歩いていた。眼帯も外されている。
そして場所は変わり、日奈守駅から歩いてすぐのショッピングセンター。
初対面とは思えないフレンドリーっぷりでショッピングを楽しむ綾音とマヤを目の当たりにし、ふたりの属性は同じであると確信した。
つまり、今日の買い物は恐ろしく長いものとなる。
「——逃がさないわよ」
疲れてこっそり店を離れようとしたら、菜月に見つかって首根っこを掴まれてしまった。
「あんた体力が落ちたんじゃないの? まだ建物に入ってそんなに経ってないじゃない」
「休日で人が多いんだよ」
見上げると菜月は苦笑して後ろから覆いかぶさるように顎をわたしの頭の上に乗せた。
この身長差はなんだ。長身なうえにヒールのあるパンプスを履いている菜月とわたしには頭ひとつくらいの差ができている。
モデル体型の菜月は、スキニ―パンツを履いていることもあって細くて長い足の形がよくわかった。
かつて街でモデルにスカウトされたことがある。それぐらいに菜月のプロポーションは抜群だ。
わたしと菜月を店の前で待たせ、マヤと綾音は店内でスタッフを交えて楽しそうに盛り上がる。
「あれが年相応のはしゃぎ方なんだろうね」
「やめなさい。こっちが枯れてるような言い方しないの」
言いながらも、ふたりを見つめる菜月の目は優しい。
「綾音、学校は問題ない?」
「今のところはね。多少反発があるのは予想の範疇よ。でもやっぱり、気にしなくても周囲の注目ってのはあるだけで疲労がたまるものよ。どこかでガス抜きしないとやってらんないわ」
菜月の口調はどこか投げやりだった。
「菜月は大丈夫なの?」
顔を上げて聞いてみると、少し驚く菜月の瞳と目が合った。
さっきの言葉は菜月自身に経験があるから言えたものだと思う。
モノトーンとして名をあげた成見の隣で、菜月も周囲の注目を浴びているはずだ。
「むしろわたしは突っかかって来る奴らに、成見が何をやらかすかってことにいつもヒヤヒヤしてるわよ。あいつ、男女関係なく容赦しないから」
「……ああ、そうだね」
菜月の隣にいるために、問題児のレッテルを好んで受け入れてる奴だからなあ。
自分を制御できるのは菜月だけだという認識を、成見は常に周知徹底させている。そこには大人も同級生も、性別も関係ない。
成見の問題行動はもう慣れっこなので度が過ぎなければ仲間も止めることはない。
何より一番の当事者である菜月が達観してしまった時点でわたしたちは誰も口を挟まなくなった。
わたしを含めた札付き集団に常識のなんたるかを叩き込み続けた菜月の度胸は筋金入りだ。
主に中学2年でこのスキルはいかんなく発揮されたのはいい思い出である。
「成見が動くなら問題ないか」
あいつの恋愛観は執着と依存に極端なまでに偏っているけれど、思いを向けられる相手が嫌がらなければ犯罪にはならない。
「綾音は今洋人と同じクラスだし、あいつも女子に睨みをきかしてくれてるみたいよ。逆に洋人との浮気説が浮上しているみたいだけど」
「そこら辺は言い出したらきりがないだろう。もし菜月と成見が綾音と同じクラスになったら、今度は成見に二股説が出てくるだろうし」
「ゴシップ好きって面倒ね」
フィッティングルームで試着していた綾音がカーテンを開けた。
ダンガリー調の淡い水色のシャツワンピースを着こなして、少し離れた位置から鏡で自分の姿をチェックしている。
うん。身内の贔屓なしで可愛いよ。
「ま、結論からすると放置、相手にしないってのが一番であることには変わりないわね。わかりあう努力もしないで陰口や嫌みに文句をたれ続けるのは傲慢よ」
菜月の言うとおりだ。
一定のラインを越えない以上、こちら側から手を出すことはしない。
ラインを超えた相手は、見せしめに使うまでだ。
「菜月もこういうのだったらアリなんじゃない?」
試着を終えた綾音が、襟ぐりに大きめのレースが付いたダークブラウンのチュニックを菜月に見せる。
「ガラじゃないわ。わたしが着られるのはこの店のだとあんたの後ろの人形が来ているので限界よ」
菜月が示したのは、デニムのシンプルなブラウスだ。
「……このスカート?」
わかっていながら綾音はわざとその隣にあるトルソーが履いている、タータンチェックのミニスカートを指差した。
「願望丸出しだね」
綾音は菜月限定の足フェチである。
「頼まれても履かないわよ」
対する菜月はパンツスタイルが定番な人だ。
スカートは制服しか持っていないと言っていた。
「もったいないわ。その足にどれだけ女のロマンが詰まってると思ってるの」
「女のロマンじゃなくてあんたのロマンでしょうが」
「そんなのどっちでもいいわよ。ねえマヤちゃん、このスカートにハイソックスとショートブーツで菜月が着こなしたら素敵だと思わない?」
綾音のこだわり。
足フェチだけど、形が見えれば生足じゃなくても十分とのこと。
マヤが菜月を上下に2往復ほど観察する。スカート姿を思い浮かべているのだろう。
「……たしかに、ぐっとくるものがあるわね」
「でしょ? 今度ナル君に提案しなくちゃ」
「あんたたちふたり纏めて沈めるわよ!」
「なっちゃんどうどう」
顔を赤くしてむきになった菜月をなだめる。
菜月と綾音の言い合いは毎回どちらも引こうとしない。熾烈を極めると店にも迷惑なので、ここらへんで止めておく。
店のスタッフがもったいなさそうに菜月を見ていたのは、黙っておくことにする。




