紙一重の斬り合いの末に(リン視点)
ビークルシティの地上階──遊園地やアルティメット・パルクールのパークがある広大な敷地の中を、ネリムは飛んでいた。
どのあたりを捜索するかについて私は指示しなかったが、ネリムは奇跡的にすぐに二人を見つけた。
夕真と葵は、アルティメット・パルクールのパーク近くにある二号観覧車の中にいるようだった。私もまた、急いで観覧車のところへ走って向かった。
さすがに観覧車に飛び乗っていくわけにもいかない。でも、もしゴンドラの中でキスでもおっ始めようものなら、私は何もかもを捨てて空中にあるゴンドラに飛び乗る覚悟だった。
ネリムはすぐさま飛んでいき、ゴンドラの換気窓にピタッと張り付く。それによって、内部の会話をダイレクトに聞き取れるようにしてくれたのだが……。
予想外の展開に、私は動揺した。
てっきり、葵は体を使った誘惑で攻めてくると思っていたのだ。
密室を使う理由など、それしか思い浮かばない。それに、いくら覚醒した葵といえど、いったん離れた夕真の心を言葉だけで奪い取ることなど困難を極める。この場でどうにかするには肉体的魅力を織り交ぜて、夕真のことを強制的に葵の魅力の底に沈めるしか方法はないだろう。
だから、間違いなくそうしてくると私は恐れていたのだ。
そのうち、葵は真剣に話し始める。
話を聞くうち、なぜなんだ? という気持ちが止められなくなった。
体の誘惑を使わないだけにとどまらず、葵は自分のこれまでの行いを、夕真を苦しめた行いを全て白状し始めたのだ。
こんなことを言って何になる?
夕真の嫌な思い出を余計に蘇らせるだけだ。
場合によっては嫌われるかもしれない。もっと自分に有利になるように、夕真を誘惑することだけを考えればよかったんじゃないのか?
なんと葵は、自分が他の男の子とセックスをした話まで、正直に夕真へ話し始めた。
完全にイカれてる。
当初そう思ったが、話を聞くうち、葵がどうしたいのか、なんとなくわかった気がした。
葵はきっと、夕真の気持ちがずっとわからなかったんだ。
ずっとずっと追い求めてきた大好きな人の心が、まるでわからない。それが辛くて堪らなかったんだろう。
そして、ここに来て葵は、夕真もまた実はそうだったんじゃないかと考えた。だから、自分のことを包み隠さず話し、夕真の本当の気持ちも知り、互いに全てを知り合った上で愛して欲しかったんだ。
不器用。そうとしか言えない。
あれほどの美少女が、大好きな人の気持ちがわからずに何年ものあいだ振り回され、苦しみ、のたうちまわり、最後にはこんな不器用な告白をした。
気づけば、私は観覧車のところへ向かうのをやめていた。
大勢の人が行き交うよく晴れた地上階で、近くにあったベンチに座り、十字架ピアス型通信機から流されてくる不器用な葵の愛の言葉に耳を傾ける。
【リン、すごくいい子だね。見てるだけで、嫉妬しちゃう。ゆうちゃんのことを一番に考えて、ゆうちゃんが幸せになれるように、一生懸命で】
【うん……】
【負けた、と思った。この子には勝てない、もう無理だ、って】
葵は、私に負けたと白状した。
自分のことを全く有利にしない発言だ。だからこそ正直に、素直に話しているという印象を私は持ったが……。
……葵は、混乱しているのだろうか?
夕真を落としたいなら、こんなやり方、リスクが高いだけだ。こんなことを素直に話しても、本当に私に負けを認めているかのようで……
素直────?
その言葉が自分の頭に思い浮かんだとき、ハッとした。
私は、立ち上がって二号観覧車のほうを向く。ネリムが盗撮するゴンドラ内の映像をすぐさまスマホに表示しながら、二人の様子をうかがった。
【それでも、どん底にいたあの日のあたしを救ってくれたゆうちゃんは、あの時から今まで、ずっとあたしの心を支え続けてくれた掛け替えのない男の子だったから。諦めることなんてできない、って思ったんだ。もし願いが叶うなら、もう二度とゆうちゃんを傷つけたりしない。今度はあたしがゆうちゃんにたっぷり愛を注いで、ゆうちゃんのことを幸せにしよう、って】
鳥肌が立った時にはもう遅かった。
葵が用意した渾身の一撃は、この後だったのだ。
【これが最後。あたしが今まで生きてきた中で、何より大事で、離れたくないゆうちゃんに、もう一度、きちんと伝えたいんだ】
見つめ合う二人。
夕真は葵に見入ってしまい、まるで金縛りにでも遭ったかのようだ。
最も防ぎたかった葵からの全力のアプローチを、私は致命的に許してしまった。
【あたし……あなたのことが、大好きです】
素直。その効力に、私は遅まきながら気づく。
葵の言う通り、夕真もまた、ずっと葵の気持ちがわからず苦しんできたとしたら?
悪い話も含めて何もかもを素直に話した葵の態度は、言った言葉が全て夕真の心へダイレクトに届くという特殊効果を発生させることになる。
しかも、葵がこうなってしまった原因が夕真にあると思わせられ、夕真の罪悪感まで引き出されてしまった。
その上で繰り出された最後のこの告白は最大限の攻撃力に高められただろう。嫌われるのを覚悟の上で放った葵の捨て身の一太刀は、幼馴染である夕真の思い出とこれまでのあらゆる経緯を全て纏ってさらに攻撃力を上げ、夕真の心に対して全方位からの攻撃を可能とする一撃必殺の刃へと昇華された。
夕真の表情が、葵を受け入れる。
このままでは、夕真は葵を受け入れてしまう。受け入れた瞬間、二人は互いの全てをぶつけ合うようなキスをするだろう。
ダメだ。ダメだ、夕真……
葵が、ゆっくりと夕真に近づいた。
私は、胸を鷲掴むようにして息を切らせる。頭が真っ白になり、遠くに見える観覧車をただ見ていることしかできなかった。
だめ。だめ! お願い。お願いだよ、神様────
「夕真っ……夕真、だめっ!」
目を閉じ、首を横に振りながら、祈るような言葉が漏れる。
周りを歩いていた人たちが、怪訝な顔をして一瞬こちらを向いた。
……どうしよう。どうしよう、夕真が──……
完全にパニックになっていた私だったが、ふと、汗ばんだ手で握りしめたスマホに映るネリムの映像が変なことに気づく。
夕真と葵は、キョロキョロと周りを見回したのだ。
そして────
【ごめん】
夕真の口から、葵の求愛を拒絶する言葉を聞く。
続いて、錯乱する私の耳に入ってきたのは、私のおかげで立ち直れたことを感謝する夕真の想いだった。
────どうして?
あの時、間違いなく夕真は葵を受け入れる顔をしていたはずなのに。
私の気のせいだったの?
動揺し、ピンチからの大逆転によって混乱が最高潮の私へ、十字架ピアスから漏れる声が聞こえる。
ネリムが通信してきたのだ。
「貸し二、だよ、リン」
「え…………?」
「君の声が、夕真くんに届いたんだよ。君の勝ちだ」
私は、ようやく気がついた。
ネリムは、私が声を出しそうになったことに気づいて、マイクをONにしたのだ。十字架ピアスの集音マイクで拾った私の声を、コマンド・ビットのスピーカーから出した。
──そうか。夕真に、私の声が届いて。
私のことを思い出して、葵の告白を、断ったんだぁ……。
私は、ネリムに素直にお礼を言った。
「……ん。ありがと。お礼に、今度、気絶するまでぶっ叩いてあげるね」
「だから何でそれ喜ぶと思うかなっ!? ふッ、普通のお礼でいいよっ!」
どうやら私は葵の最後の攻撃を防ぎ切ったらしい。スマホの映像でも、ピアスから聞こえてくる音声でもわかる。葵は本当に負けを認めたようだった。
勝ったとは思えないほどに汗に塗れ、放心し、倒れるようにベンチに座る。
葵の猛攻を凌ぎ切れたのは、完全に奇跡と言ってよかった。
もうダメだと思ったのだ。混乱して頭が真っ白になった私に替わって機転を利かせたネリムのファインプレーがなければ、今頃、夕真と葵は結ばれていたかもしれない。
「……ねえ、ネリム。私、ネリムのこと使って葵の告白を邪魔したりして、ズルかったかな……」
「葵は、リンの手の届かないところに黙って夕真くんを連れ込んだ。あっちだってなりふり構ってこなかったんだ、このくらいはアンフェアじゃないよ」
「……そっか」
ネリムのカメラに映る二人。どうやらゴンドラが最下部へと辿り着いたらしい。
ゴンドラを降りた葵は、後ろに続く夕真へこう言った。
【ありがとう、あたしに付き合ってくれて。あの……ゆうちゃんのこと、すぐには忘れられそうにないから、もしかしたら未練がましい目で見ちゃうかもしれないけど……ごめんね、なるべくそんなことないように頑張るから、その時は許してね】
震える声で自信なさげに言った葵の言葉は、なぜか勝ったはずの私の胸を、切なさで締め上げた。
雲一つない空を見上げながら、夕真のことを考える。
アンドロイドと、人間は、真剣な愛では結ばれない。
子供が作れないから? それも、こんな風潮が蔓延る一因だろう。だが、原因が何であるにせよ、事実としてアンドロイドと真剣な愛を育む人間の異種族恋愛者は少ないのだ。
夕真と結ばれたいというのは、私のエゴだ。
夕真の本当の幸せを考えたときには、葵と結ばれるのが正しいんじゃないのか?
私のために、夕真の人生を、犠牲に────…………
何が正しいか、私にはわからなくなった。
だけど、愛する人を守り抜いた純粋な喜びが、何が正しいかなんて私たちの想いに比べれば優先すべきことではないように思わせた。
葵の気持ちをぶった斬って、夕真のことを守り抜いたんだ。
自分の全てを注ぎ込んで、夕真との関係にできるだけのことをしなければ、葵に殺されても文句は言えない気がした。
「うしっ! 愛する人のところへいくかぁ」
立ち上がり、また空を見上げる。
空の色はさっきからずっと同じ色のはずだが、見るときの気持ちによって随分と印象が変わる。
今の私には、無限に広がる希望の象徴のように見えた。
二号観覧車の方向へと歩いていると、館内放送が流される。
ピンポンパンポン、とリズミカルで明るい電子音のあと、迷子の案内でもしそうな優しい女性の声が続く。
その女性の声と、喋った内容があまりにもかけ離れていて、私は一瞬、この放送の受け取り方を間違えた。
「諸君、御機嫌よう。まずは我々の自己紹介をしようか。我々は、人間の世界を取り戻すために活動する組織『アズリエル』だ。
我々の本来の目的はアンドロイドの殲滅だが……その中でも、先日、首相官邸でとびっきりの悪行を働いてくれたクソッタレアンドロイドが今、このビークルシティでのうのうと遊んでいるようだ。
端的に我々の目的を言おう。特別制圧隊『アームズ』コードNo.5、『リン・ラミレス』。お前に殺された仲間の仇を、今日、この場で討たせてもらう」
フェーズの変化を即座に理解し、瞬時に気持ちを切り替えることこそが、この無常な世の中を生き延びる術。
状況を理解できずにざわつく群衆の中、すぐさま反重力ブーツに履き替えていた私は、放送が終わる頃には、もう駆け出していた。




