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十数年の人生に匹敵する数日



 僕がリンに嘘をついてから、リンはパルクールの競技に参加する前よりも僕にベタベタするようになってしまった。

 この明らかな変化が僕のついた嘘のせいだとすると、すなわちそれは、僕の嘘がリンにモロバレだったってことで……。


 あぁ。僕って、嘘がつけない人なのかなぁ。結構うまくやったつもりなのに、どうしてだろう。

 もしかして、目線が泳いだのだろうか? それとも、手とか指がモゾモゾ動いた?

 こんな思いをするくらいなら、嘘なんてつかなきゃ良かったのだろうか。


 ……リンがいない間に、葵があんなことをするから。


 あんなことがあったなんて正直に話すのは、めちゃくちゃ勇気が要るよ。それに、また真正面から二人が喧嘩しちゃうことになりそうだし。

 そうなると、もっと上手く嘘をつく練習が必要だという結論に。


 はぁ……気が重。

 葵、もうあんなことしないでほしいなぁ……。



「ねえ夕真、私、甘いものが食べたいんだけど!」



 リンはスイーツを所望する。考え事をしている最中だったが、僕は、リンのこの要望をしっかり聞き逃さなかった。

 葵のことを考えていたせいでリンの呼びかけを二回も聞き逃したらしいことを通告されてから、僕はリンの言葉にだけはそこそこ集中しているのだ。

 僕の考え事よりも、リンの言葉。うん。その考えは間違っていなかったと思う。


「じゃあ、フロアガイドで調べようか」


 僕が、自分のスマホによって出現させた目の前の3Dインターフェイスを指先で操作しようとすると、リンは僕に体を引っ付け、それを僕の代わりに自分の指で操作した。


「私ね、実は行きたいお店が決まってるの。『ソコラータ』っていうお店でね……ほら、これ! いい感じのお店でしょ。結構な有名店だからちょっとだけ並ぶかもしれないけど、めっちゃ美味しいんだよ! せっかくだから行きたくて!」


 そうなんだ。まあ、女の子だから、好きなスイーツ店くらいあるよなぁ……


 リンが3Dインターフェイスを操作すると、「ソコラータ」というお店のある方向が、僕らの目の前の床の上に、目立つ矢印で示された。どうやらこのホログラムみたいな矢印に沿って歩けば目的のお店に到着するらしい。

 へー、すごいなぁ……とその様子を見つつも、僕は何かが引っ掛かっていた。


 リンは確か、ここへはアルティメット・パルクールの練習とか大会でよく来たって言ってた。

 だから、遊びに来たとかってわけじゃない気がする。まあ、練習後に一人で立ち寄ったり、もちろん別の機会に友達と来た可能性がないわけではないが──。


 だとすると、誰と来た?


 あのジズは、パルクールで一度もリンに勝ったことがないって言ってた。つまり、一緒に練習していたかもしれない。

 そして、ジズは元彼。



 ………………。



「ねえ。ちなみにその店、ジズと来たとかじゃないよね」


 こんなこと、言うべきじゃなかった。言ってから、僕は激しく後悔した。そんな気は無かったのに、つい口を突いて出てしまったのだ。


 尋ねる意味など全く無い。ジズは、もう別れた男だ。


 それに、ジズと二人で来たからってそれがどうしたってんだ? 前に付き合ってた男と行った場所には一切行ったらダメなのか? そんなことを言っていたら、行くところがなくなっちゃうだろ。


 そもそも! 僕はリンと付き合ってもないし!

 さらに言うならリンは単に僕を落としたいだけの女の子! 何回忘れたら気が済むんだ僕はっっっ!!!


「えっと……。うん……」


 リンは、視線をウロウロさせながら、僕の問いを肯定した。

 そんな僕らの様子を無言でうかがう、葵と晴翔。

 これはまずい! と思って反射的に謝る。


「あ、ごめん! だからどうってんじゃないんだ。……ははは。ほんと、ごめんね! 気にしないで」


 僕はそう言ったものの、ズシン、と重さのある何かが胃のあたりに乗る。

 思いのほか苦しい。なんなんだこれ!?

 居ても立ってもいられない、謎の焦燥感。指先をピリピリさせるような、意味不明の緊張感。

 何をどう言い繕っても、自分が動揺しているのは紛うことなき事実だった。


 そんな動揺を実体験させられたからか、ふと、葵と手を繋いだ自分の行いが思い出される。


 過去に付き合ってた男の影を意識させられるだけで胃にくるのだ。仮にリンが僕のことを本当に好きだったとしたら、今まさに他の異性と手を繋がれたのだと知った時に──そしてそれを嘘をついて隠されたのだと知った時に、どれほど心を傷つけられるだろうか。


 取り返しのつかない悪行を贖罪したいと願う僕の様子を見て、元彼のことで傷ついたと勘違いしたのだろう。リンは床に視線を落として謝り始める。


「私のほうこそ、ごめん。そんなつもりじゃなくて……別のお店にしよう」

「違うっ! 違うんだっ、僕が妙なこと言っちゃって! そのお店に行こう! いや、もう絶対にその店じゃないと嫌だ! リンが好きだっていうそのお店、どんなところか僕も見たいから! ほら、フロアガイドからするとこっちだよね!」


 僕はリンの手を引いて、お店の方向を示す矢印のほうへ強引にズンズン進んだ。


 リンは、僕に手を引かれるがままになっていた。

 そういう感じになるのは珍しい。いつもは、リンが僕をどんどん引っ張るのだ。最初に出会った日、教室でむちゃくちゃやり出したリンを引っ張り出したとき以来か。


 そういや、あれからまだそんなに経っていないのにな。

 もうずっと前からリンと知り合いだったかのように錯覚してしまう。まるで自分の生活の一部であるかのように、昔から二人で一緒に過ごしてきたかのように思ってしまう。

 

 どうしてそう思うんだろう?

 僕はリンの手を引っ張りながら考えたんだけど、その答えにはすぐに辿り着いた。


 リンと出会うまでの僕の毎日の生活は、一人で過ごす生活。

 誰とも接することなく、仮に接したとしても上辺の事務連絡のみ。心が触れ合うことなんてない。

 中身なんて何もなかったんだ。そりゃ好きなゲームをひたすらやってはいたけれど。


 こんなに密度の濃い関係、誰とも築くことはなかった。

 リンと過ごした僅か数日が、今までの十数年に匹敵する──いや、軽く超えるほどの濃度を持っていたんだ。

 

 そうか。なら……。


 仮にリンが本気じゃなくても、僕にとっては、もうかけがえのない思い出になったんだ。


 僕がリンに落とされたと認めたとき、ほれ見たことかと馬鹿にされても。

 これは単なるゲームだ、お前と付き合うつもりなんかない、と蔑まれても。

 そして、僕の前から突然黙って消えていなくなっても……。


 リンはもう、僕の中で、すごく大きくなってしまった。

 僕の人生そのものだと、言ってもいいくらいに。

 

「ふふ。なんか、前にもあったね、こんなこと」


 ソコラータの行列が見え、列の最後尾に辿り着いたとき、リンは僕にこう言った。

 

「初めて出会った日の教室、でしょ? 僕も今、それを思い浮かべてたんだよ」

「夕真も? シンクロ、だね」


 リンが嬉しそうに微笑む。


 この関係が幻かもしれないという僕の恐れを、いつも払拭してきた幸せそうな笑顔と水色の瞳。

 リンがいなくなる時に備えて自分の心を守ろうとしていた僕は、この笑顔を見せられるたびにそんなことをやめ、今の関係に真摯に向き合おうと思わされた。


 お店の列に並んでいたのは十人程度。これくらいなら、すぐに順番は回ってくるだろう。ビークルシティには美味しいお店がたくさんあるから、お客も分散しているのだろうか。


 葵と晴翔も追いついて、僕らの後ろに並ぶ。パルクールの時の葵の行動が僕は気になっていたんだけど、今は晴翔と楽しそうに話している。

 

 なんだったんだろう?

 本当に、ふざけてじゃれただけなんだろうか?


 チラチラと葵を見る視線をリンに見咎められる。列に並んでいるうちに焦茶色になっていた瞳は、再びスッと水色に塗り替わった。しかし今度は幸せそうではない。


 リンはほっぺをぷっくらと膨らまして拗ねているのをしっかりアピールしてから、はっきりと僕に申し入れた。


「いやだ」

「え?」

「夕真が葵のことをそんなふうに見るの、いやだ」

「あ……ご、ごめん。そんなつもりじゃ」

「じゃあ、どういうつもりですかぁ?」


 半目で問い詰められて言葉に詰まる。


 どう反応しようか迷ったが、少なくとも、この前みたいに「お前だって僕のことを落としたいだけなのにその態度はおかしいだろ」的な感じで毒づこうなんて気持ちは全く湧いてこない。


 むしろ、こんなふうに問い詰めてくるリンの態度を目の当たりにして、やっぱり僕のことが好きなんじゃないのかなぁ、なんて改めて思っちゃったり。


 それがまた僕の心をフワフワと浮かび上がりそうなほど幸せな気分にさせて、リンがいなくなる時のことなんて考える必要はないんじゃないかと思わせられたりして……。


 だからこそ、これ以上は何があっても口を割るわけにはいかなかった。


「やぁっぱ、なんか隠してるな……」

「隠してない! ほんとだよ!」

「ほんと……?」


 うつむく僕の顔を下から覗き込む。

 てか、うつむいたりするから怪しまれるのだ。堂々としろ、堂々と!

 僕は顎をシュッと上げる。


「私、夕真の嘘は百パー見抜いてる自信あるんだよね」

「その自信、どっから来るの? 見抜いてるって、いつ誰が証明したの?」

「顔は口ほどにものを言う」

「め、だろ」

「夕真の可愛い顔が大好きな私は、いつもじっと君の顔を眺めているからね」


 そんなことを言って、ふふ、と微笑む。


 このビークルシティに来てからというもの、以前にも増してリンはあからさまに僕へのアプローチを強化している気がする。

 こんなふうに、オブラートにせず真正面から言ってくるのもそう──いや、これは最初からか。


 ま、僕のことが色々リンにバレているのは今に始まったことでもないが。それは結局、ネリムさんのせいだったりもしたんだけど……

 そういや、ネリムさんはどこにいるのだろう?


 ……とか考えているうちに、列はどんどん進んで僕らは店内に入る順番になった。

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