二人の女の子の攻勢
僕の手に触れた柔らかくて気持ちいい感触。それが誰かを確認するため、僕はHMDを外す。
手を握ってきた人がいると思われる方向──僕の斜め後ろを見ると、葵はまだ僕の手を握ったまま、僕をじっと見つめて微笑んでいた。
「……葵」
「うん?」
「うん、じゃないよ……。何してんの? 晴翔は──」
晴翔の姿は、見当たらなかった。
どうしたんだ? あいつ、どこへ行った────
葵は僕の後ろから体を寄せて、腕を絡めてきた。葵の体温が、僕の背中と腕に甘い熱を与えていく。
自分の手の指を、僕の手の指の間へ絡めるように挿し入れて。
口を僕の肩のあたりに引っ付け、はああ、と吐息をシャツの上から吐いた。唇をつけられた部分が急激に温められて、一瞬、火傷したかのように熱くなる。
「あっつ……何を──」
「あの頃みたいに、じゃれてるだけだよ」
「そんな……だって、は、はるとが」
「晴翔はトイレ」
「でっ、も。いつ、帰ってくるか──」
「わかってる。でも、もう無理なんだ」
「無理? 何が──」
「わからない?」
体は、心を伝える。
少し動けばキスできてしまうくらいの距離にある葵の顔が、目が、心を伝えてくると思った。
そんな。やっぱり、葵────。
わあああ、と歓声が起こった。
その歓声に紛れて、ダダダダダという連射音と、ガォン、ガォンという重い銃声が混じり合う。
心臓が破裂しそうになっていた僕は、「待って、お願いだから」と言って体を離し、ほうほうのていで葵の魔力を振り切って、逃げるようにHMDを装着した。
正直、ドキドキしすぎて映像に集中できるか不安だったが、もうどうしていいかわからない。
映像を見てリンの置かれている状況を理解しようと必死になる。葵の存在が状況理解の速度を著しく鈍らせたが、なんとか動いてくれた僕の脳の分析結果によると、おそらく、リンはジズの動きだしを待ってはいなかったのだろう。
建屋の影からどういうふうに動いたのか僕は見ていなかったけど、追い詰められていたはずのリンは、自分から飛び出して反撃したのだと思う。それに歓声が上がったのだ。
リンの視界の中に、ジズの映っている時間がほとんどない。つまり、ほんの一瞬見ただけで、ジズの現在地と動きを予測し、その後、ほとんど標的を見ずに撃っている。
互いの銃声が乱れ飛び、しかし双方、まだ被弾はしていない模様。
互角の撃ち合いを演じていた二人だったが、不意にリンは三〇階を超える超高層ビルの屋上から飛び降りて、尋常じゃない速さでビルの側壁を駆け降り始めた。
途中にある窓を射撃で割って建物内へ飛んで入る。
と、すんでのところで窓枠にジズのマーキングバレットが直撃し、ビチャビチャと音が鳴った。
アルティメット・パルクール専用の造りとなっているのか、リンが進入したそのフロアは区画されておらず、反対側の窓まで見通せる途轍もなく広い一つの大空間だった。柱だけが規則正しく並んでいて、銃撃戦の盾として使うことを想定されているのか所々に壁は作られている。
リンは、自分が入ってきた窓枠の真正面のラインを外して天井にひざまずき、後を追ってくるジズを迎え撃つため銃を両手で構える。どうやら重力面を天井側に設定しているようだ。
そのリンの視界に映る窓枠の縁に、銃口だけがチラッと見えた。
激しく動くリンの視界と、連射銃撃の音。
僕は、今度はジズの視界に切り替えて状況を確認してみようとHMDを操作する。
ジズが使っているのはやっぱりサブマシンガンのようで、ダダダダダ、と連射音を鳴らしながら素早く動くリンを銃口で追跡しつつ狙っているのだが──。
リンの動きが変だ。
フワッと天井側へ浮かんだかと思うとすぐさま真横に向かって落ち、壁に到達する前にまた天井へ向かって落ち、ゆらゆらと妙な動きをしながら広い部屋の奥へと落ちていく。
絶え間ない重力面の変更と組み合わされる、全方向へのステップ・ジャンプ。回転しながら目まぐるしく変化する体位。もはやどっち方向に動こうとしているのか予測がつかない。
敵から見たリンの動きはまるで幽霊だ。連射できるはずのジズの弾は一発たりともリンを捉えることができずに全て空を切った。
「ちっ……やっぱやるよなぁ、リンちゃ──」
一瞬の無駄口が致命傷。
リンを追って窓から建物内へと入っていたジズの顔の、ほんの一〇センチ横の壁に、ビシャっ、とマーキング弾が炸裂した。
ジズの視界にはもうリンの姿は見当たらず、全く動けなかったジズは首だけ捻って壁に付けられたマーキングを見る。
たまたま外れたリンの銃撃に、胸を撫で下ろしたように言った。
「あっぶな……喋ってる場合じゃないねぇ。くくく……」
息つく暇もない。ほんの少し見ているだけで、僕はとんでもなくストレスが溜まってきた。
はあ────っっ、と、内に溜まったものを吐き出すかのように大きく息を吐く。
「やっぱ中は不利か。外、だな」
と、ジズの独り言。
続いてジズは、サングラスに付いているらしい音声通信機能を使って赤チームの仲間へ話しかける。
「オスカー、戦況は?」
「ジズ、順調だよ。青は三人キルしたぜ! あとはリンともう一人、青のリーダー・カレンだけだ」
「よくやった。これで五──二か。リンは、中では無理だ。外へ誘い出せ」
「お前でも無理なのか? 了解ジズ、中には深入りしないようにする」
HMDをジズに合わせていたが故に聞こえたその会話は、僕の焦燥感を爆発させた。
まさか。リンが、負ける……?
負けたら、どうなる?
リンは、あのジズの元へと連れ戻されてしまう。
僕の元から、去って────
何かが喉まで込み上げてきて呼吸が苦しくなり、僕は堪らずHMDを取り外した。目の前にある超高層ビル群を見上げて、どうしていいかわからず息を切らせて視線をウロウロとさせる。
そんな僕に、後ろから葵が声を掛けた。
「ゆうちゃん」
「葵! ダメだ。このままじゃ、リンが──」
「ゆうちゃん? ちょっ……待って、落ち着いて」
「どうしよう。負けたら、リンはあいつのところへ行ってしまう! 好きでもない奴に拘束されて。あんな奴のいいように──」
僕は、葵の両肩を掴んだまま、口から勝手に垂れ流される言葉を止めることができなかった。
葵は波風一つ立っていない湖面のように落ち着いた表情。逆に、パニックになった僕の両肩を掴み返す。
「……ゆうちゃん。聞いて。今、君ができることは、リンを信じて待つことだよ。わかる?」
冷静に、僕の瞳をまっすぐ見つめる葵によって心を落ち着けさせられていくかのようだ。僕の体の中で暴れていた鼓動は、葵の優しい表情が収めていった。
僕は、冷静さを取り戻す。
「うん……そうだね。ありがとう」
「ほら。やっぱり、あたしが手を繋いでいてあげる。だから、落ち着いて」
微笑んだ葵が、僕の手をそっと握る。
HMDを装着し、僕はもう一度、バトルフィールドへと視界を戻した。
リンが現に死闘を繰り広げている、戦いの場に。
【高野さん、赤チームは屋内での戦闘を避ける方針のようですが】
【そうですね。リン選手は建物内の動きが洗練されていて、大勢で中での戦闘をしようものならまとめて全滅させられる恐れがありますね。
反重力ブーツの特性の一つとして、壁面から一定の距離が離れてしまうと、重力面の設定ができなくなるというのがあります。
よって、建物内では四方八方に設定できていた重力面が、外では、例えば自分の近くにあるビルの側面にしか設定できなくなったりと、重力面設定の自由度が下がるわけですね。
リン選手は重力面の設定にイマジネーション力を発揮していたので、赤チームはそれを潰す作戦ですね】
なら、今、リンは────
【あ、今、青チームのカレン選手がトリプルチームで討ち取られました! 五対一ぃ! これはぁ──リン選手、さすがに厳しいか!?】
鼓動が、また暴れそうになる。
僕はHMDを装着した状態だったが、映像を見ていられなくて目を強く閉じた。ぎゅっと、葵の手を握りしめる。
……と、赤チームの会話に異変が。
「グッ、ああっ。しまった!」
「オスカー? どうした!」
【お────っとぉ! リン選手、赤チーム・オスカー選手を撃破! これでやっと一人討ち取った形ですね】
【そうですね……しかしかなり厳しい。リン選手は屋内に誘い込むしか勝機はないかと思いますが──】
【……え? ちょっと待ってください高野さん、赤チーム、もう一人センサーが消えました。あ、キース選手がやられています! リン選手、ダブルキル!】
僕は目を開けた。ジズの視覚映像が、慌てたようにせわしく動く。
僕は、HMDをリンの視界に切り替えた。
ビルの上方、はるか上空から地上へ向かって、地上とビル側壁に交互に重力面を変更して風のように側壁を駆け下りるリンの視界の前方には、赤のビブス。
地上にいる赤選手がリンの接近に気付いてダダダ、と銃撃を放った時には、トーン、とジャンプして向かいのビルの側壁へ。
クルクルっと視界は回り──
ガォン!
【リン選手、ビルまたぎ三角跳びからのコークスクリューで回避と同時にアタック! やりました、トリプルキルです!】
ビルの側壁に重力面を設定しているからだろうが、落下していたリンはビルの壁でギギギ、と急ブレーキをかけてギリギリ墜落を免れる。
と、すぐさま身を翻し、地上に着地したリンは休む間もなくダッと駆け出した。
ビルの角から飛び出し──そこにいる赤色ビブスを見た瞬間、
ガォン!
リンの重い銃声が一発だけ響き渡る。
【出会い頭の早撃ち勝負でクアッドキル! ────なんと四人連続、わずか一分以内に一対一に持ち込みましたぁ────っっ!!】
割れるような歓声のなか、リンの視界は依然として止まらない。三〇階ほどもある超高層ビルの側壁を疾風の如く屋上へと駆け上がっていたが──
突如、リンはジャンプしながら回転し、ビルの側壁で身を翻して回避行動をとる。
次の瞬間、
ダダダダダダっ
銃声に続いて、ガシャンガシャンと窓ガラスの割れる音。
そして、静まったバトルエリアに響く、二人の声。
「キキキっ。ったくよ、ほんとオマエはおもしれー」
「ハッ。私一人に全滅させられても笑えるか、試してみろ、ジズ」




