生きにくいなぁ(菱山敦史視点)
強いほうが生きやすいかっていうと、一概にそうは言えないものだ。
俺は、喧嘩ではずっと負けなしだった。
その上、父ちゃんは会社の社長だし、母ちゃんは地元の市会議員。俺に逆らう奴なんて何の苦労もなく叩き潰してきたし、大概のことは思い通りになる。
じゃあ、なんで俺が今「生きにくい」なんて感じているかというと──。
「菱山さん! 今度、M高のめっちゃ可愛い女の子、コンパできることになったんすよ! 菱山さんくらいのドSに耐えられそうな、すげーMっ気を振り撒いてる女の子だから、絶対気にいるっすよー」
俺は、喧嘩相手はとことん虐め抜く。二度と逆らわないようにするためだ。
攻めると言うよりは責める。責めて責めて責め倒す。
そんな俺のやり方を普段から見ているからか、こいつらはいつの間にか勘違いしてしまった。
「別にいいよ。お前らでやってくれ。俺は大丈夫だ」
「え──っ!? ほんとっすか? ホントのホントーに後悔しないっすか? ドMっすよ!?」
「ああ、せっかくセッティングしてくれたのに悪いな。お前らで楽しんでくれ」
「了解っす──……。じゃあ、またお誘いしますね!」
もう誘わなくていいよ。
だって、どうせM子ばっか見繕ってくるんだろ。
なにせ俺は、真性のMだ。
くそっカスのM。もう、ぐっちゃぐちゃにして欲しくて堪らないのに、こいつらは真逆の女ばっか用意しようとする。
だからといって、「ドSの女を用意しろ」とは言えない。
子分たちの手前、体裁というものがある。俺がお姉様からぐりぐり踏まれて、首輪をつけられ後ろから鎖を引っ張られて、いろんなところを責められながら「もっと!」とか言ってる様を見せられるわけないじゃないか……。
唯一、それを見抜いたのは玲奈だ。
あいつは、「さすが不良」と言える素質がある。
相手の戦力を瞬時に見抜きやがるんだ。だから、俺の性質も速攻で見抜かれた。あいつの前では、俺は丸裸も同然だった。
知り合ってすぐの頃、たまたま二人でいる時、俺が座っているとおもむろに俺の髪の毛をチョンマゲみたいに束にして引っ掴んできて──
「あんたさ。こういうのが好きだろ?」
ニヤッと口を歪めたと思うと、強引にキスをされた。
「違ったらどうしよう」っていう躊躇いが微塵も見られない。それがまた真性のS気質を思わせる。
全て見抜いた上で俺を虐め抜こうとする表情に、俺はゾクゾクさせられたものだ。
俺は男たちを恐怖で支配するが、玲奈は俺をドSっぷりで支配する。
というか、俺は進んで支配されている。
支配されたい。ああ、本当に気持ちいい。
実のところ、俺は葵が好きだ。
あいつもまた玲奈と同じSの化身。玲奈ですら葵に一目置いている。一度、葵の奴隷になってみたい……。
がしかし、葵は危険な香りがする。
別に喧嘩が強いわけじゃないし、不良ってわけでもない。
だが、俺にはわかる。あいつは、とんでもない狂気を内に孕んでいる。
俺だってまあまあの不良だから、相手の戦力くらいは察知できる。その俺の感性に従うと、葵は俺の手には負えなさそうに思えるのだ。
まあそういうわけで、いまいち女関係の趣味については楽しく喋る仲間がいない。
もっといろんな女を抱きたいとも思うが、いかんせん俺の趣味に合う女を探すのも一苦労だ。
ああ、生きにくいなあ、と思う。
校舎から校庭を眺めると、真面目に部活なんてやっている野郎どもが一生懸命に走ってやがる。
何をそんなに真剣に打ち込んでんだ? クソ面白くねえ。見てるだけでイライラする。
まあいい。今から、高木の報告会だ。
同じクラスの中島結月とアンドロイドのカイト・マーレイが、二人揃って例のクソオタクとリン・ラミレスに教室で話しかけているのを俺と玲奈は見かけた。
怪しいと思って調べさせたら、あいつら付き合ってやがったのだ。それを引き裂くためにちょいと差し向けてやった刺客が高木だ。
だいたい、あのオタク佐々木とリンが堂々としやがるから、それに感化されてクラスの風紀が乱れちまった。それを引き締めるための刺客だ。こうなるぞ、ってな。
あの中島結月は恋愛中毒のミーハーっぽい空気を出しているから顔の良い奴には人一倍弱いはずだ。面白い話が聞けるといいが……。
俺は、校舎の中庭にあるベンチに腰掛けた。
両肘を背もたれに引っ掛けて足を組み、ため息をつきながら空を見上げる。
今日は玲奈とでも遊ぶか。あいつにとことん虐めてもらうことだけが最近はストレス解消になっちまった。
俺の家にはSM部屋がある。そこら辺のラブホとは比べ物にならない種類の道具が揃ってるから、最初に来た時、玲奈はそれを見て異常に興奮していた。そんな玲奈を目の当たりにした俺も、これから起こることにワクワクしてこれ以上ないほどの興奮を覚えたものだ。
よし。高木の報告会が終わったら、玲奈とヤろう。
……そんなことを考えていた俺の背後に、気配が。
戦闘態勢を作りながら振り返る。
気配がかなり近いように思ったからだ。全く気づかれずに俺様の背後をとるなんぞ、只者じゃねえ!
「こんにちは」
「お……前、は、」
そこにいたのは、リン・ラミレス。
普通じゃないほどに可愛い顔をしている転校生。
それに、こいつは初日から俺たちに喧嘩を売ったし度胸も並じゃねえ。
ただの美少女ってわけじゃないのかもな。もしかすると、前の学校では幅を利かせてたのかもしれない。
「へっ……なんだ? 俺に愛の告白でもしにきたか」
「ちょっとだけ、あなたとお話ししたくてさ」
リンは、小首を傾げて優しく微笑む。一瞬、気分をポワッとさせられるほどに可愛い。
何だ? マジで俺に告白でもしにきたってのかよ?
とか考えてる時点で俺はすでに奴の術中だったのかもしれない。
リンは、特に表情を変えることなく言い放った一言で俺を黙らせる。
「高木って奴を使って中島結月を誘惑させたのは、君だよね」
俺の目を覗き込むようなリンの瞳は、さあっと水色に移り変わった。
どうしてその事実を知っているのか問いただす余裕もなく、背筋を凍らせるかのような透き通った青瞳に睨まれた俺は、この時点でようやく理解する。
水色の光に込められた感情は「殺意」。
憎悪じゃない……紛れもなく、殺意だ。
まずい。この俺様としたことが……敵の戦力を見誤ったか!
おそらく手慣れている。喧嘩では百戦錬磨の俺の体格や振る舞いを見ても一切の焦りや動揺が見られない。その上で、「敵意」とか「憎しみ」とかじゃなく、「殺意」をぶつけてくるんだ。
こいつ、相当ヤバい!
……いや待て。落ち着け。
そうだ、冷静に考えろ。
この中庭には、仲間を呼んである。もう少ししたら集合する予定だったんだからな。
概ね三〇人は集まるはず。いくら殺意を抱けるほどの思い切りの良さがあっても、本当に殺すわけではあるまい。
くっくっく……そんな人数に囲まれて、いくらなんでもこんな女がたった一人で凌げるわけはない!
ポツポツと、手下どもが集まり始めた。
「おーっ? めっちゃ可愛い子がいんじゃん!」
「誰誰? 菱山さんの女?」
お、高木が来たな。このリンの前で、こいつが高木だと言ってやったら、一体どんな顔をするかなぁ。
俺が号令をかけるだけで、こいつらは一斉にリンを襲う刺客に変わる。仮にちょっとばかしこの女がやり手だったとしても、高木に手が届くわけはねぇ。
ただ、一応は、得体が知れねえこいつの具合を、しっかり見極めてからにするか。
これほどの殺意、このリンももしかしたらドS気質かもしれん。まずはそのあたりの洞察からだが……。
もし逸材なら、手下を使って抵抗できなくした後、俺の家へ連れ込むか。
そして二人っきりになってから交渉だ。「俺を虐めてください」って。しかし「手加減要りません」って言ったらこいつ、俺のこと情け容赦なく殺しそうな空気感あるな……。
う。ゾクってキた。面白くなってきたぞぉー!!
決めたっ、今日はこいつと遊ぶ!!
「ずいぶん集めてたんだね」
「ハッ。怖くなったか? さっきまでの威勢はどうした」
……いや。ビビってはいないな。こいつ、三〇人から集まってるこの不良どもを見て、どうしてこんな平然としていられんだ!?
しかし倒せるはずはない。俺の勝ちは揺るがない!
「別に、威勢とか演出する必要もないんだけどね」
「余裕じゃねえか。すぐに泣いて許しを乞うことになるぜ」
「へえ、自信あるんだね。なら、私がここを突破できたら、一つだけ要求があるんだけど」
「そりゃ俺じゃなくても自信出るだろこの状況じゃ。逆に、なんでお前はそんな余裕ぶってられんだよ? 何だって叶えてやるぜ、ここをお前が一人で突破できたらなぁ。お前が条件を出すならよ、こっちも出すぜ。突破できなかったらお前は俺たちのおもちゃだ」
手下どもの顔に、情欲の色が浮かんだ。自分たちにもおこぼれが回ってくることをチラつかせれば、やる気はいつもの数倍だ。
なんせ、これほど可愛いアンドロイドの女と好きなように遊べるんだからな。
俺は、リンと真正面から睨み合う。
さすがにこう言われりゃビビんだろ。
ビビってくれりゃ底が見える。ま、どうせ拒否しても俺んちに無理やり連れ込んでやるけどなぁ。
「うん。オッケーだよ」
なっ……!?
「……お前、おもちゃになるって意味、履き違えてねぇよな?」
「君たち全員と、セックスをするって事だよね」
リンは、俺の言葉を正しく認識したうえで快諾する。
なんだこいつ? どういう余裕だ?
「気絶しちゃったら話できないから、先に私の戦利品を聞いておいてくれる?」
「くっく。嫌いじゃないぜ、そういう態度。言ってみろ」
「君を、私の奴隷の一人にしてあげる」
…………はっ?
奴隷? それ、むしろ俺が勝った時のお願いなんだが。
俺の家に連れ込んだ後、そうしてもらえるようにお願いする予定だったんだから。えっ、まさか全部見抜いた上でしてあげるって言った?
こいつ……間違いない! そもそも他人を奴隷にするなんて発想、普通の奴にできるわけがない。奴は俺の性質を一瞬にして看破し、Mだと断定したのだ。
しかも、奴隷の一人!?
うおお。女王様ぁあああ!!
やはりこいつは間違いなくS側の存在! 俺を快楽と幸福に導く先導師!
ラッキーだ。勝っても負けても、俺は得!
もちろん、勝ったほうが理想的だ。体の関係が付いてくる。俺はこのリンの性奴隷にしてもらえるのだからな!
めちゃくちゃやる気、出てきたぁ……
「いいぜ。奴隷でも何でもなってやるよ」
こんなに楽しい喧嘩──いやリンチは久しぶりだ。
と愉悦に浸った俺の耳に、謎の声が聞こえる。
「リンちゃん、パワーチャンネル開通する?」
「さすがに学校の生徒を斬るわけにもいかないな。このままでいい。ってか、ちゃん付けやめろっつってんの。ご主人様をちゃん付けで呼ぶ奴隷がどこの世界にいるの?」
「ごっ、ごめんなさいっ」
何を言ってる? 誰と喋ってる? 恐怖で頭でもおかしくなったか?
なら、そのまま俺のものになれ!
「お前ら! この女をとっ捕まえて、俺の家へ連れて行け!」
俺の号令で、手下どもが歓喜に震えて叫びながらリンへ向かっていく。
これで、とうとう理想的な性生活が送れるかもしれない────。
俺が、そんな妄想に浸りかけた矢先。
リンを囲んだはずの手下どもが、まるで人間噴水のように真上に飛んだ。
何だ!? どうした!?
あんな女、囲んじまえば一瞬のはず────。
チラッと見えたリンの姿。
俺の視界に映るリンの体は美しく流れるように舞い、手下どもを若干の時間差で順次吹っ飛ばしていく。
まるで合気道の達人のようだ。くるくると水平回転しながら手下どもの攻撃をいなし、カウンター気味に的確に攻撃を打ち込んでいく。
リンは、無数に襲いかかる俺の手下を薙ぎ倒し、掻い潜って、一目散に高木へと突っ込んだ。
バカな! どうしてわかった!?
あいつが高木だなんて、誰も言っていないはず。
なのに、どうして────!
高木の懐に潜り込んだリンは、軽いボディブローを入れたように見えた。
が、相当きついやつだったらしい。高木は吐物を撒き散らしてうずくまる。
リンは高木の髪を片手で掴んで引っ張り上げ、もう一方の手で顔面をおもくそブン殴った。校舎の壁に叩きつけられた高木は、そのまま正座するように座り込む。
「お前は、二度と女に手が出せないように顔の形を変えてやる。わかったな?」
リンは、後ろから襲いかかる手下どもをその都度迎撃しながら、壁を背にした高木の顔面に拳や回し蹴りを何度も何度も叩き込む。一発めり込むごとに、鈍い音を立てて高木の歯が数本飛んだ。
手下どもの攻撃は、当たりそうで当たらない。カスりそうでカスらない。
顔面に向かってくる拳を、瞬きもせずに見つめながら紙一重で回避すると同時にクロスカウンター。
見えていないはずの後ろからの攻撃に、踵で蹴り上げる前転蹴り。
足払い、回し蹴り、掌底、アッパーカット、肘・膝蹴り。
連続して繰り出される流れるような攻撃は、完全に格ゲーの連チャンコンボだ。
その上──リンは本当の急所は狙っていない。
これだけの人数に囲まれて、まだ手加減している。相手を気遣っているのだ。
格が違う…………
しかも。攻撃を繰り出すたび、短いスカートの下にある白いパンツがチラチラ見えて。
さらには、ブレザーの上からでもわかるデカめの胸がバインバインと揺れる。なんでそんなのぶら下げててこんな動きできんの?
手下は、あっという間に一人残らず床に寝た。
もはや勝ち目はないだろう。しかし、ここで俺だけ逃げるわけにもいくまい。俺だって、まがりなりにもこいつらのボスだからな。
「ほう。なかなかやるな。いいだろう、俺が相手をしてやる」
「結果がわかっていて逃げないところは褒めてあげる。本当は奴隷がお望みのM男君なんでしょ? 心配しなくても大丈夫。ぐっちゃぐちゃにしてあげるから」
やっぱバレてたか。その上、俺の正体を見破っていると伝えるのを俺の手下が全員寝てからにするという配慮。Sっ気の中にチラリと見える優しさがまた堪んねえ。
すでに喧嘩から意識が逸れた俺を容赦なくぶっ飛ばす、芸術的な連撃。
ああ。これで俺、リンの奴隷になれるんだぁ……。
◾️ ◾️ ◾️
気絶から目覚めた時には、警察が来ていた。どうやら教師どもが呼んだらしい。
だが、リンは事実を話すことなく被害も訴えなかったので、話は「不良どもが集まって喧嘩を始めた」ということで落ち着いた。まあもちろん、親の力で俺たちは退学なんかにはならない。
顔が包帯まみれの高木は「あの女を訴える!」と喚いて威勢よくリンのところへ行ったが、帰ってきた時にはすっかり毒気を抜かれて、がらんどうになっていた。
奴は、「目、怖いっす」とポツリと呟いていた。こうしてリンは、俺たちを力と恐怖で支配した。
教室に入り、俺は自分の席に座ってリンを見つめる。
あいつは、俺のことなんて見ることもなく、楽しそうに佐々木と喋ってやがる。
おい、リン。俺のことを奴隷にするっつう、あの約束はどうするんだ?
「ねえ敦史、どうしたの?」
「あ……ああ? いや、あいつらが気に入らねえな、って──」
「全くね。でも、あんた今、そんな顔してなかったよ」
リンたちを見つめながら玲奈が素っ気なく言う。
玲奈の目を誤魔化すことなんてできやしない。こいつは俺の表情の意味なんてとっくに察しているはずだ。俺の彼女なんだから、その点を怒ってきてもおかしくはないんだが。
これ以上追求してこないのは何なのか。よくわかんねぇ。
いずれにしても、リンの奴隷になったことは、玲奈には黙っていることはできないだろう。
だから俺は、自ら白状した。
「なあ。俺さ、昨日、あのリンに負けてさ」
「そう」
思いの外、あっけない反応。
想定内かよ。
「負けたら奴隷になる、って約束しちまった。だから、その」
「あんたまさか、リンの奴隷になりたいからってワザと負けたんじゃないよね?」
何もかも知ってる女ってのはやりづらい。
そのセリフ、あんま大声で言わないでくれる?
「違うよ! んなわけないだろっ」
「ふ〜ん……」
これは本当に嘘じゃないしな。
それにしても、リンは何も言ってこない。
何だろう。待ちきれない。あいつから言ってこないなら……
俺はリンの席に近づいた。リンの向こう側にいる佐々木が怯えて震える。
「よお。昨日のことだけどよ。どうすんだ」
リンは、佐々木と喋っていた時には水色だった瞳を急激に茶色に変えていく。
まるで「お前になど興味はない」と言われているかのようだ。それがまた堪らない。
「そうだね。手始めに、私の靴の裏を舐めさせてあげてもいいけど」
ヒャッホイっ
その程度のこと、お安いご用だ。
目を丸くするクラスメイトたちや佐々木の視線が若干痛いが。
俺は負けたんだ。だから仕方ないんだ。そう、これは約束だから。
「裏だけだよ。それ以外舐めたら金玉一個潰すから」
「はいっ」
ついでに色々舐めたいなぁ……と抱いた奴隷の邪心を即座に見抜き、突き刺すように命令するところなんてホント堪らない。
足を組んだリン様の靴の裏を、嬉々として舐める俺。
いや、顔に出しちゃダメだ。周りの奴らにバレちゃう。これは勝負に負けたから仕方なくやってんの。うん。
ああ──……。俺、あなたに一生ついていきます。