罠に嵌めてやる(川口玲奈視点)
人をじっと観察していると、私はそいつの性格がある程度わかる。
何でだろね。まあ彼氏の敦史に言わせると「敵の戦力を瞬時に把握するのは俺たち不良の必須能力だ」ってことらしい。
別に不良になりたくてなったわけじゃないけど、やりたいようにやってたら自然とそう呼ばれるようになっただけ。
今の時代、ほとんどの学校では「自己表現の一種」ってことで髪型やら髪の色は校則で規定されていないから、わたしたちみたいなのは見た目で不良と呼ばれているわけじゃない。
素行。一言で言えばそうなるか。
その素行の元となっている心の歪み。そいつがどんな歪みを内に秘めているか、それをどれだけ早く見極められるかが生き延びるためには大切だと言える。大袈裟でなく、そういうものなのだ。
二年に上がった時に同じクラスになった、上原葵。
学校一の美少女だとか言われていて、わたしはちょっと気に入らないな、と思ってた。
いくら厳重に皮を被っていても、わたしならしばらく話せば本性がわかるはず。
この学校の「トップアイドル」とやらが一体どんな奴か。つまらん奴だったら虐めて奴隷にしてやろう、と興味本位で近づいた。
上原とたわいもない世間話を続けるうち、わたしは背筋が寒くなってくる。
瞳の底が見えなかった。
反射しているはずの光ですら吸収しているのかと思うほどの、ブラックホールのような瞳。
自らの正体は一切外に漏らさない。こんな奴、初めてだ。正直、あまり関わり合いにならないほうがいいかもしれないと思った。
こいつは別に喧嘩が強いとかではないはずだ。だけど、自分より強い「歪み」を持つ人間と関わると、知らない間に引き込まれて危険な状況に陥ることになる。
肉体的な暴力の話じゃない。心を囚われるんだ。つまり、こういうのがもっとも警戒すべき人種だと言えるのだ。
だけど、そんな奴から逃げるように振る舞うと、それはそれで余計に危険なことになるかもしれない。逆に近くに置いておいたほうが、安全なこともあり得る。台風と同じだ。
それに、そんな変わり者と繋がりを持ってみるのも、おもしろいかもしれないな……。
わたしは引き寄せられるように上原と話をするようになり、上原は、このクラスで最初のわたしの友達になった。わたしたちは、互いに下の名前で呼び合うようになる。
同じく、二年から一緒になった佐々木とかいうオタク野郎がいた。教室の隅っこで独りでいるような、根暗なチビだ。
普通なら、わたしがこんな奴に気を取られることなんかない。だけど、葵が妙に気にしているんだ。
自分の根源的な性質を全く見せなかった葵が、唯一見せたのが佐々木への視線だ。
あの視線。わたしの勘が間違いないなら「恋する乙女」と言ったところ。
あの葵が? あんなオタク野郎に?
面白くなってきた。一度、佐々木に近づいてみよう。
だが、当の佐々木は、喋ってみると本当につまらない奴だった。
ビクビクと、わたしのことを恐れるように話す。相当に怖いのだろう。まあ、前のクラスの時のわたしの噂なんかを知っていれば、この程度のオタクは当然こうなるか。
話の途中、慣れてきたのか急に敬語をやめやがったから、おもくそ頬を張り倒してやった。
体、軽っる。女のわたしのビンタで三メートルくらい吹っ飛んだんじゃないか?
頬に手を当てながら、床に尻餅をついてわたしを見上げる佐々木を、わたしは屈んで至近距離から睨みつけてやった。二度と無礼な物言いをするなと警告するためだ。が、
ん…………?
涙を浮かべてわたしを見つめる佐々木の顔が、ちょっと。
あれ……。なんか、可愛くない?
実はわたし、S気質で。いやもう誰が見ても明らかそうじゃんとか言われそうだけど。
可愛い男の子を見るとウズウズと。今、一瞬、虐めたくなっちゃった。
気に入らない奴をシメるっていう意味じゃなくて。
ちゃんと愛してあげながら、愛を込めて虐めて、虐めて、それで、こいつのことをぐちゃぐちゃに犯したくなった。
わたしは引き寄せられるように佐々木の顎に指を触れて、こいつの顎をクイっと上にあげる。
あ。やっぱ、かわい……。
体の芯がポワッと熱くなるのを感じながら、わたしは決めた。
よし。放課後、呼び出してやろう。わたしの家に連れ込んでやる。
わたしの見る目は確かなはずだ。こいつ、ガッツリわたし好みのドM────
「玲奈。やめてあげて」
わたしの後ろから、葵が声をかけてくる。
その声色が気になって、わたしは恐る恐る葵を窺う。
瞳のブラックホールは、ヤバいくらいに大きくなっていた。
葵に引き止められて、佐々木には何も言わずにわたしは引き下がる。
あとで二人になったとき、葵は静かにこう言った。
「ねえ、玲奈。一つだけ言っとくね。ゆうちゃんに手を出したら、殺すから」
殺す。
その言葉はケンカの売り文句によく使われるが、しかし本当の意味で使う奴はほとんどいない。
なのに、不良でもない葵は、その言葉を本当の意味で使っていた。
喧嘩が強くなくとも、殺す手段はいくらでもある。
例えば、毒を塗った針を靴に忍ばせておくこともできるし、わたしの飲み物に何かを入れておくことも、駅のホームで後ろから押すことも、なんなら闇サイトで殺害を依頼することだってできるだろう。
つまり、殺そうと思えばいくらでも殺せる。要は、本当にやる気があるかどうかだけの話なのだ。
葵がわたしを「殺す」と言った以上、こいつは絶対に殺す。喧嘩が得意でないのなら、そのほかの手段を用いて。
もしそうなった時にわたしが自分の身を守ろうとしたら、殺られる前に殺るしかない。それほどの覚悟を持ってしか、葵のことは倒せない。
わたしの見立ては間違っていないはずだ。
葵に闇があることはわかっていたが、その深さは未だ測りきれていない。
わたしは、佐々木に手を出すことをやめた。
あれから半年くらい経っただろうか。うちらのクラスに、転校生がやってきた。その転校生は、葵すら凌ぐのではないかと思えるほどの美少女。
まあ、その転校生はアンドロイドだから、葵と同列で語ることはできない。あいつらは所詮ロボットだ。天然であれほどの美しさを誇る葵の価値とは、比べるべくもない。
私は、敦史と相談した。
アンドロイドのくせに人間と付き合うなどもってのほかだと言われる。
それはわたしも同感だ。調子に乗りやがって、と敦史も怒っていた。それに、葵も転校生のことが相当気に入らなさそうだった。
さて、ならどうするか、だけど。
中島結月とカイト・マーレイをせっかく罠に嵌めてやったのに、うまくいかなかった。自分の女が寝取られたのに許すとは、想定よりもあのカイトとかいうアンドロイド、やる奴らしい。
高木は、まだ敦史には報告していないようだ。明日が報告会らしく、「大丈夫っすかね……? 寝取りには成功したけど、結局、元サヤなんすけど……」と心配そうにしていた。
こうなったら、わたしらが自ら動くしかないだろうな。
敦史には、仲間と一緒にリンを襲わせようか。リンは喧嘩も手慣れてそうな雰囲気があるからな。
なら、わたしは……
そうだな。リンは、見るからに佐々木に執着している。あの童貞をわたしの思い通りにできれば、面白くなってくる。
ただ、葵にだけは一応筋を通しておいたほうがいいだろう。
「葵。あのリンとかいう転校生を潰すためにさ、佐々木を使いたいんだけど」
「どうするの?」
「佐々木の弱みを握って、あの転校生を操りたいんだ。あの転校生、佐々木にご執心だろ?」
「…………」
葵は、自分が佐々木に執着しているのを悟られたくないみたいで、以前に「手を出したら殺す」って言ったときも、「幼馴染だから」とかいう下手な言い訳で誤魔化していた。
だが、あれはそんな生半可な感情じゃない。自分の命に準ずるほど大切なのは間違いない。
とはいえ、佐々木のことを考えた場合、わたしよりもリンのほうが葵にとって脅威なのは間違いないだろう。だから、リンを嵌めるためだと言えば、葵は承諾してくれるはず。
「……わかった」
くっくっ。
これで、佐々木にアプローチする権利を得た。
実はわたしは、教室で佐々木をぶっ叩いたあの日から、なんとかして佐々木を犯したいと思い続けてきた。
根暗だから雰囲気暗いし、一度眼中から外れちゃうと気にはならない影薄な奴なんだけど。
気になってしまって見れば見るほど、やっぱ可愛い顔をしてるんだ。何度あいつのことを思い出して熱くなった体を鎮めたか。
今にして思えば、葵も加虐性癖保有者だからそういう意味で佐々木に執着しているのだろう。わたしもその気持ちはすごくよくわかる。
葵は、佐々木とヤったのだろうか?
いや。あれは、まだだな。
ごめんね、葵。佐々木の童貞は、わたしがもらうよ。
どうやらリンは、今日は佐々木と一緒には帰らないみたいだ。
チャンス到来。あいつ、ずっと佐々木とベッタリだから、今日しかないな。
わたしは、放課後になって、校舎から出て行こうとする佐々木を呼び止める。
「ねえ、佐々木」
「えっ。なっ、なに!??」
「はは。そんな怖がらないでよ。そういやごめんな、前は頬を叩いたりしてさ。謝るよ、この通り! だからさ、ちょっと相談に乗って欲しいんだ」
「相談?」
「うん。そうだよっ」
「わっ」
わたしは佐々木の首に後ろから腕を引っ掛けて、自分の頬をこいつの頬に引っ付けるようにしてやる。
ほら。赤くなった。わたしのこと「怖い」なんて言っても、わたしだって学校の可愛いランキングには入ってる身だし。胸だって結構あるから、こうやって引っ付いて、ちょっと優しくしてあげれば女経験なんてなさそうなこいつはギャップで萌えで頭真っ白になっちゃうはずだ。
「あっ、あの」
「わたしさ、実は葵から悩み相談を受けててさ。それが、佐々木がちょっと絡んでんだよね」
「えっ!? 葵の悩みに、僕が?」
「そう。ここじゃなんだし、外も誰かに見られちゃうじゃない? わたしと佐々木のペアなんてレアすぎて、あいつらどういう関係だ、なんて噂まわされちゃうでしょ。だから、今からわたしの家、来てくれない?」
「えっと。……うん、いいよ」
チョロ。
お前の本性はわかってる。押されたら全く断れないドM気質だろ?
理想的な性格だ。連れ込んでしまいさえすればどうとでもできる。
この可愛い顔を好きにできる日をどれだけ待ったか。間近くで顔を見せられるだけで、今わたし、ちょっと危なかったわ。
ああ。早くこいつをぐっちゃぐちゃにしたいな──♫
敦史のところほどじゃないけど、わたしん家もそこそこお金はあるほうなんだよね。葵のところとは正反対だから、そこはちょっと優越感。
家は結構広いし防音性も高いから、自分の部屋にこもってしっかり扉を閉めてしまえば、部屋内の声は全然外にバレない。
「さ、入ってくつろいでて。お茶淹れるからさ」
「は〜〜……おうち、おっきいね──ですね」
「いいよ。もう敬語じゃなくても」
「え? どうして? ……ですか?」
「悩み相談を頼む側なのに、敬語を使わせるのもちょっとね。紅茶とコーヒーあるけど、どっちにする? あ、チャイとかジュースもあるよ。それともビールのほうがいい?」
「ビッ……大丈夫、です。ホットコーヒーで」
「ふふ。ミルクと砂糖は?」
「ブラックで」
「へー、意外。もっと甘いのが好きかと思ってた」
「そう? 僕、コーヒーが好きでさ」
「なら、もしかしたら気に入ってもらえるかも。お父さんも好きだから、いいのがあるよ」
「ほんと? すっごい楽しみだよ。ありがとう」
早くも和んできた佐々木が微笑む。初めてわたしに心を許したような、柔らかい笑顔。
ん……なんか今、鼓動がとくん、って。
あ、れ?
なんだ、これ。
違う違う。そんなバカな。襲うのはわたしのほう。支配するのはわたしのほう。完全に今、作戦通り進んでんじゃんか。
「はい、どうぞ」
「あ! 香りが……わぁ」
反応が子供みたい。てか、見た目も子供みたいだから、まさしく子供そのものだ。
左手でコーヒーカップを持ってる。こいつ、左利きなのかな? そういや教室でも左手でペン持ってたかも。
今まで結構こいつのことをこっそり眺めてきた気がするんだけど、なんか、こうやって眺めてみて、改めて思う。
やっぱ飽きないなぁ……。
「ん? 何?」
「え? ……あ、い、いやっ、なんにも」
慌てて顔を背ける。
え? え? わたし、なに動揺してんの?
はぇ……。顔、あっつ……。
いや、だってしょうがないじゃん。こいつのこんな微笑んだ顔、こんな真近くでまともに見たことなくて。
って。あれ?
やっぱ。これ、間違いないよね?
まさかわたし、落とされた?
「こんなに美味しいやつ、なかなか飲めないよ。川口さんのお父さんは、すごい拘ってるね!」
「そ、そう? 喜んでもらえて嬉しいよ」
「ううん、僕のほうこそ、ちょっと川口さんのこと誤解してたかも。もっと怖い人だって思ってたけど、さっきから照れた笑顔がすごく可愛いし」
へへへ、と柔らかく微笑む佐々木の様子から目が離せない。
焼けつくような熱が、喉の奥から上がってくる。
どうしよう。
ねえ、葵。佐々木の体だけもらうつもりだったけど、ちょっと予定変更になるかもしれない。
心ごと。わたしがもらおうかな。
葵には、もう返さないでおこうかな。
表立っては付き合ってないことにして、裏では「二人だけの秘密だよ」って言って、関係を築いていこう。うん。
「それで、葵の相談って、どんなこと?」
「……うん。その前に、一つだけお願いがあるんだけど」
「あ、うん。何?」
わたしは、彼の真横に体を引っ付けるようにして座る。
「え……あの」
うろたえる彼の手を握って、優しく見つめてやった。
「『佐々木』って他人行儀だからさ、夕真って呼ぶね」
「……あ……はい……」
「夕真はさ、本当は誰が好きなの?」
「……え?」
「きっと、葵のことが好きなんだよね。それとも、リン?」
「あ……えっと、」
「なら、わたしには、入り込む余地はないのかな……」
夕真の首の後ろに手を当てる。
もうだめだ。オートで勝手に口と体が動く。止められない。
「夕真のことが好きなんだ。わたしは、ずっと前から君のことを見てたんだよ?」
「あぅ……」
予想の通り、されるがままとなった夕真に口付けをする寸前。
向こうの窓ガラスに映った人影に、わたしは小さく叫び声をあげて飛び上がった。
「ひっ……」
「こんにちは」
カラカラ、と掃き出し窓をゆっくり開ける、あまりにも美しい女子高生。
瞳を水色に灯らせたリンは丁寧に靴を脱いで、部屋の主に断りもなく三階のベランダから勝手に部屋へと入ってきた。
「あ……んた、いったいどうしてここにっ」
「夕真がどこにいてもね。私、わかるんだ。……そんなことより、」
葵と初めて話した時、寒気がした。それは、瞳の奥にある、底知れぬ闇に気づいたから。
しかしこいつも……無表情だけど、今こいつの瞳にあるのは「殺意」だ。
「殺す」と言った時の葵と同じ。しかもこいつは、喧嘩もきっと強い!
法的にはこっちに理があるんだ。不法侵入だなんだと叫んでやろうと思ったのに、水色の殺意が私を突き刺し、言おうとした言葉を強制的に飲み込まされる。
「あなたはいったい、何をしているの?」
最悪、この場で殺されるかもしれない。
そう思った。
「あ、待って! リン、川口さんはね、葵がなんか悩んでるから、僕に相談をしようとしたみたいなんだよ!」
「葵が……?」
リンが、わたしをギロっと睨む。
夕真は、「ねっ」とわたしに同意を求める。彼は誤魔化す必要なんてないはずなのに、わたしを庇おうとしているのだろうか。
余計なことすんなよ。これじゃ、もっと好きになっちゃうじゃないかよ……
「あっ、そっ、そうなんだよ! あんまし外だとっ、誰かに見られるかな、ってさ。うん。ごめんね、なんか連れ込んじゃって。あはは」
彼の好意に甘えてとりあえず適当に誤魔化そうとしてみたものの。
だめだ。リンの目が怖い。「夕真のことが好き」なんて言おうものなら、瞬間でミンチにされるだろう。
余計なことじゃなかった。本当に殺られるところだった。彼はそれを知ってて助けてくれたんだ。ありがとう夕真。
やっぱやめよう。諦めよう。身の程をわきまえよう。夕真って呼び方も、心の中だけにしよう。
そうだ、わたしには彼氏がいるし。敦史のこと、すっかり忘れてた。ごめんね、敦史。