新しい道へ進む君へ
これは、ある高校の卒業式で校長が語った式辞である。
本日は、卒業生の皆さま誠におめでとうございます。校庭の雪もすっかり溶け、春の佳き日の門出ですね。保護者の皆様、ご来賓の皆様も本日は、誠におめでとうございます。
さて、我が聖マリアアザミ学園は、キリスト教の理念に基づいて創立された学校です。今は教師も生徒もクリスチャンは少ないですが、創設者は特に女子教育に力を入れておりました。歴史は長く、我が学園は大正時代に創立されました。
創設者は、元々ドイツの宣教師の女性でしたが、当時の日本の女性への教育格差に驚きを隠せなかったそうです。確かに文字が読めないと、聖書を読むのにも苦労しますよね。という事もあり、創設者は女性への教育に力を入れていました。卒業生の皆様、今こうして教育が受けられて、卒業式を迎えられた事は、奇跡みたいな事なんですよ。時代が違ったら、手に入れる事が出来なかったものかもしれません。
本日は、創設者の理念に立ち帰り、聖書に言葉を引用しつつ、お祝いの言葉を述べようと思います。
聖書のマタイの福音書に、タラントの例え話はご存知でしょうか。クリスチャンなら、もちろん知ってますね。日曜学校でも語られる話題です。といっても我が学園は、ノンクリスチャンも多いので、タラントの例え話を簡単に説明します。
タラントというのは、聖書の時代のお金を表す言葉でした。英語のタレント、才能を表す言葉の語源でもあります。この例え話は、才能に関わる素敵な例え話ともとれます。クリスチャンにとっては、神様への従順をあらわす例え話でもありますが、聖書の言葉はあらゆる現実にも適応できましから。
このタラントの例え話は、何の才能も無いと思っている人のも朗報です。特に真面目さだけが取り柄で、努力しか出来ない人は、よく聞くように。
ある主人としもべがいました。主人は、しもべに能力に応じて、タラントというお金を貸し付けました。主人はこれを元手に、商売しろと命令します。五タラントン預かったしもべはさらに五タラントン増やして主人に褒められました。ニタラント預かったしもべも増やして褒められます。しかし、一タラント預かったしもべは、臆病になり土に埋めてしまった。
主人は、このしもべにどう言ったと思います?主人の立場に立って少し考えてみましょう。
怒ったと思います? そうです、怒ったんです。銀行に預けて置けば普通に利子がついたのに、このしもべの預けても何の特にもなりませんからね。
しかも主人は、このしもべが持っていたタラントも奪い、ちゃんと商売しているしもべに渡しました。持っているものは与えられ、持っていないものは奪われるっていう聖書の言葉に繋がります。
みなさんは、この例え話から、何を読み取りますか? 自分は臆病になって土にタラントを隠したりしないっていう人も多いと思いますが、たいていの人は、何もやらないで終わる事が多いです。そもそも人間は悪に傾きやすく、隙あれば、サボろうとしますしね。ダイエットの方法があれだけあるのは「努力するよりも楽して痩せたい」という人間の悪い気持ちにつけ込んだものです。
そう、たいていの人は楽する事しか考えません。私もそうです。本当はAIでこの原稿を書いて欲しかった! という冗談はさておき、何もやらない人ばかりの中で、継続して行動出来る事は、実はすごい事です。私も教員ですので、コツコツ努力しているうちに、だんだんと成績が上がったり、スポーツの大会で優勝する生徒を何人も見てきました。元々才能なんて無さそうな普通の子達もそうです。これは、誰かが臆病になって土に埋めたタラントが、そんな子達に送られたんじゃないかと思ってしまいます。
みなさんは、タラントを土に埋めますか?それとも諦めずに継続して行動しますか?失敗してもいいんです。神様は結果を見ません。その心と、動機、そして恐れるずに行動したかを見ます。卒業後、みなさんにも理不尽な目に遭ったり、納得できない現実も襲ってくるでしょう。でも、恐れて何もやっていない人には、何も生まれません。どうでしょう? 何かやりたくなったでしょう?
最後になりますが、保護者の皆様、ご来賓の皆様、改めで御礼を申し上げます。
新しい道へ進む皆様に神様の祝福がありますように。