9. お邸に帰ります。
迎えに来た馬車にアンが乗っていて顔を見た途端ホッとしてしまった。
「アン、会いたかったわ」
「私もです!」
「運命の再会みたいな会話は、私が馬車に乗ってからにしてくれるかな?」
フェルミンは騎士団に顔を出したせいで仕事を振られてレナに付き添えなくなってしまったらしい。イライラしてたよ、とイグナートは笑うが、次期当主の指名を拒んでいるのではないかと心配になる。
「叔父様もお忙しいのに申し訳ありません」
「私の仕事なんて、代わりは沢山いるから平気さ」
髪をかき上げながら言う今日のイグナートは、憂いを帯びてやけに色っぽい。
「それより、兄上たちの様子は?」
「旦那様は奥様の説得に時間がかかっていたようで、ジルドさんが装飾品で釣って事なきを得ました」
「たかが領地に嫁と子供を連れて行くだけなのにその体たらくか。情けない」
「ジルドさんが例のエメラルドを奥様に差し出し、大喜びで受け取ったあと出発されました」
「そうか。彼にはボーナスをあげないとな」
ニヤリとレナを見て笑った。
例のエメラルドとは、祖父がむかしレナのおままごとの為に作らせた模造品だ。色付けやカットの仕方や重さなど、かなり凝って作られているうえ、装飾の美しい箱に入っているので、一見すると本物に見える。
祖父は笑いながら『泥棒がこれだけ持って行ってくれたら成功だな』なんて笑っていたけれど。いつしか本当に金庫に入れられ、そのままになっていたのだ。
レナに対して興味がなかったトリスタンは知らないエピソードだ。
「ジルドのボーナスは、弾んでおきますね」
そう答えて窓の外を見た。
レナの婚約が破棄された場合、トリスタンは領地経営に勤しみ社交界から引退すること。
そう書かれた契約書に、トリスタンはサインしている。
祖父はレナがトリスタンのせいで婚約破棄されかねないことまで予測していた。
レナがいくらそんな文言は要らないと言っても聞き入れてもらえなかった。
同時にイグナートも、レナが望む時は次期当主にイグナート、もしくはフェルミンが応じること、という契約書にサインしている。祖父はレナの自由まで補償してこの世を去ってしまった。
レナにはトリスタンが何をしたいのか、何をしたかったのかわからない。
今回は領地に行くだけで、まだ一応当主はトリスタンのままだ。それでも社交界では噂になるだろう。
子爵としての立場より、愛する家族三人での領地暮らしが望みだったのだろうか?
だとすればやはり、自分の居場所はそこには無い。
わかっていたのに突きつけられた気持ちになり、沈んでしまう弱い心が嫌いだ。
「ジルドとベンとアンの雇用主もフェルミンにして下さってよかったのに」
「それは私というより、三人が首を縦に振らなかったのだから仕方ないだろう」
「そうですよ、お嬢様! 私はどこまでも付いて行きますと! 何度申し上げればよいのですか?」
「でも子爵家の費用からお給金が出るのに雇用主は私だなんて」
アンはレナ付きなので仕方ないとしても、ジルドとベンはフェルミンのほうがいいと思う。
「フェルミンが子爵位を継ごうとも、レナがレナ・ビルバリであることは変わらないんだよ」
「確かに、そうですが」
「そんな風に全ての関係を切ろうとしないでおくれ。寂しいじゃないか」
「叔父様……」
「それにフェルミンだけじゃ心許ない。出来る限りの教育は施したが、いかんせん根っからの騎士で脳筋だからな」
夕日がさす馬車内でイグナートの笑顔が陰った。他国へは行かせたくないと、心配だと何度も言われた。
私がこの国から出たいという理由だけで、みんなを巻き込んでしまっている。
「こんなことになるぐらいなら、私がビルバリ子爵家を継いでおくべきだったな。そうすればレナをもっと守れただろう」
そんな悲しそうな顔をしないで下さい。
そう言いたかった。
けれども、喉から言葉を絞り出そうとすればするほど声が出なかった。ただフルフルと首を振ってイグナートを見つめる。
「父上とも散々話し合った。兄上は割と堅い仕事をするし、気が小さいので勝手に金を借りて無謀な事業に手を出すこともない。私は騎士団で稼ぎもあったから、これが最善だと思った」
そうだと思う。祖父は最後までレナを心配していたけれど、トリスタンのことはもっと心配していた。子爵家を継がないのであれば食べていくのは難しかっただろう。
才女と呼ばれたリズと結婚させたのもトリスタンを見捨てないためだったのだと思う。
「再婚を阻止出来なかったことが全ての敗因だ。本当に申し訳ない」
「いいえ。私、本当はこうなって良かったと思ってるんです」
イグナートは、レナがなにを言うかなど、すべてお見通しだろう。
「ケビンのことは、どうしても好きになれなかったのです。それに、彼は私を雑に扱ったけれど、それは私も同じでしたから」
むしろ解放されて嬉しかった。
アティーム国を出る計画を実行できるから。
見目を重視するこの国に、疲れきってしまったから。
マルガリータには計画性のないような話をしたが、祖父の残してくれた個人資産を切り崩しながら他国を周り、最終的には働ける場所を探そうと思っている。無計画とほぼ同じなので、どのみち反対されそうで口にはできなかったけれど。しばらくはアンと二人で、旅行みたいな感じになるだろう。個人資産から、アンのぶんの護身用ネックレスを購入できないか相談したいな、などと考えていた。
「やっぱり失敗だったな。レナは義姉さんそっくりの、とても魅力的な女性に育ったのに、それをわからない奴となんて婚約させなければよかった」
「私、お母様に似ていますか? マルガリータ様も仰っていましたが」
本当は無計画ではないので、似てはいないような気もするけれど。
「雰囲気がそっくりだよ。それに、母上にも似ている」
「お祖母様!」
「色や顔立ち、笑った顔がそっくりだよ」
絵姿しか残っておらず、この国では小顔の人のことも下膨れに描く風習があるので本当の容姿はわからない。トリスタンは、容姿コンプレックスが強すぎて思い出話すらできないし、祖父は似ていると言ってくれたけれど、早くに亡くしてしまった祖母を思い出して辛そうだったから、レナから話題に出すことはなかった。
「レナはとても可愛いし魅力的だ。ありとあらゆる男が君に跪くだろう」
「そんなずは……」
「私のお嬢様は可愛らしくて素敵な女性ですから当然です」
「アンってば!」
思わずアンに抱きつけば温かな腕に囲まれて、寂しかったはずの気持ちがゆるく萎んでいく。
「今日は叔父様も一緒だから、ベンにご馳走作ってもらわなきゃ」
「もうすでに食べきれないほど作ってますよ。フェルミン様がたくさん召し上がるので作りがいがあるようです」
「そうね! 男の子って本当によく食べるのね。知らなかったわ」
「フェルミン様は立派な騎士様ですからね」
「騎士じゃない男の人はやっぱりケビンぐらいしか食べないの?」
「あのヒョロヒョロよりは皆さんお食べになるのでは?」
「まぁ! ケビンて、かっこつけてるのにダサいのね?」
「ぷぷっ、そうですね。かなりダサいです。本人が思っているほど美男子でもありませんし」
「叔父様たいへん! 私のアンが辛辣だわ!」
アンの腕の中からイグナートを見つめる。
イグナートは、肩眉を上げてニヤリと笑った。
「それは辛辣とは言わないよ。事実だ」
一瞬の間があいたあと、車内が笑いに包まれた。
お邸に着くと、トリスタンに付いて行かなかった使用人たちが出迎えてくれた。
ジルドが厳選した者しか残っていないので、身の危険についても気を張らなくていいので助かる。
夕食まで寛いでいようと本を読んでいたら、フェルミンが帰宅したとメイドから知らせが入った。色々なことがあったし、きっと疲れているだろう。
部屋を出て階段を下りると、客人の声がすることに気付いた。
機嫌の悪いフェルミンと、申し訳なさそうなアーロンと、嬉しそうなエルメルトが、三者三様の面持ちで立っていた。
「レナ嬢! お久しぶり~!」
「エルメルト殿下、お久しぶりです……」
この間会ったばかりだが、とりあえず話を合わせてお辞儀をした。
「突然の訪問、申し訳ありません」
「いえ、ようこそいらっしゃいました。どうぞお入りになって下さい」
アーロンの恐縮した様子に、かなり強引にエルメルトが付いてきたのだろうと予測する。
嬉々としたエルメルトと、縮こまるアーロンと話ながら応接室へ向かった。
イグナートも苦笑しながら応接室に来て座り、ビルバリ子爵家に奇妙な空気が漂う。
「前回もらえなかった返事を聞きにきたよ!」
ニコニコ笑うエルメルトをフェルミンが睨んでいるのだけれど、不敬なので本当に止めて欲しい。
「前回といいますと、あの」
「食事ね?」
「はい。あの、そうですね。やはり二人きりでなければと、そう思います」
思わず小声で答えてしまった。
王子様と二人きりなど何を食べても味がしなさそうだ。
「もしかしてフェルミンと結婚するの?」
「いえ、それは無いです!!」
「じゃぁ、デートとして誘っても大丈夫だよね? 護衛がつくのは仕方ないけど」
食事がさらにパワーアップして、デートということになってしまった。
フェルミンの視線がグサグサ刺さる。やめて欲しい。本当にどうしたらいいのかわからない。
「殿下、あまり無理に誘っては……」
アーロンが気を遣ってくれた。相変わらず親切だなと思う。
「迷惑かなぁ。でも僕がこの国に滞在できるのも、それほど長くはないし。帰る前に美女とデートしたいって思うのが男心ってもんじゃないか。ねぇ、イグナート殿」
「まぁ、それはそうですねぇ」
イグナートが頷き、エルメルトが懇願するようにレナを見る。
レナが美女かどうかは置いておくにしても、断る要素が見つからない。護衛もいるなら二人きりではないだろうと無理やり自分を納得させた。
「私でよければお受け致します」
「本当に!?」
「はい」
あまりにも嬉しそうに笑うので釣られて笑顔になってしまった。
なぜ断らないんだと言わんばかりのフェルミンは憮然としており、アーロンは困ったように眉を下げ、イグナートは終始笑っていた。
「エルメルト殿下、レナに王族であることをバラしてしまったんですねぇ」
イグナートは楽しそうだ。なぜそんなに楽しそうなのか、先ほどからちっともわからない。
「そういうのって、後から知るほうが嫌じゃない?」
「確かにそうかもしれませんが」
「僕が隠してるのって、面倒くさいからってだけだし」
「失礼ですが、この国の女性は下膨れの男性が好みなので大丈夫かと」
「それって、僕はこの国ではモテないって言いたいの?」
「そうですね」
「ほんとイグナート殿は素直だなー」
あまりの軽口にレナの方がドキドキしてしまうが、イグナートはどこ吹く風だった。やけに親しいと思ったら騎士団で一緒に鍛錬したりと、親交があるとのことだった。聞くところによると相当お強いらしい。
つまり、アーロンは元よりフェルミンもエルメルトを知っていたのだろう。
「殿下は騎士団で有名ですし。野郎ばかりで申し訳ありませんが大人気ですよ」
「うん、それは割と嬉しい。あと女性だったらレナ嬢以外にモテても嬉しくないから別にいいや」
エルメルト様、こちらを見てウインクするのは止めて下さいね?
終始無言のアーロン様とフェルミン、怖いですよ?
「フェルミン、オリヴィア嬢はどんな様子だった?」
イグナートが話をようやく本題に振ってくれた。それがずっと聞きたかったのだ。
「泣いてばかりいましたよ。非を認めず、ひたすらレナ様のせいにして。聞いていられませんでした。結局、窃盗が未遂だったことや未成年であることが考慮されて釈放されましたが、次に何かやらかした場合は長く拘留されるそうです。今日のところは迎えに来た馬車に乗せられ、そのまま領地へ向かいました」
フェルミンはよほど悔しかったのだろう。歯をギリギリさせている。
「……そう。うちの領地はそれほど遠くないし、もう着いたころかしら」
「私はアドラ夫人もオリヴィア嬢も牢にぶち込んでおくべきだと思いますけど」
若いフェルミンらしい発言だと思うが、毒の混入に関してはアドラやオリヴィアの関与を今のところ証明できていないし、ネックレスも奪われていないので、どちらにせよ騎士団に留め置くのは難しいだろう。
ちなみに散々アドラに取り上げられ、オリヴィアやアドラの部屋に仕舞われていた母の形見の装飾品やドレス、鏡台は、彼女たち曰く『借りていただけ』ということらしい。
言い訳しながらレナの部屋に運ばせていたらしい。
売られていなくてよかったと言うと、フェルミンにはお人好し過ぎますと言われてしまった。けれども、諦めていた物が戻ってきた嬉しさのほうが勝ってしまったので仕方がない。
「領地で大人しくしてくれるといいのですが」
「大人しくできなかった時は、我々の出番だな」
イグナートの言葉にフェルミンとアーロン、そしてなぜかエルメルトまでもが頷いたのだった。