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7. 疲れている時に追い打ちです。

 




 帰りの馬車はしんと静まり返っていた。

 侍女にしては柔軟なアンも、王族と同じテーブルでの食事は許容範囲を超えてしまったらしく放心状態だ。フェルミンは眉間のシワを深くしたまま黙り込んでいる。レナもぐったりと背もたれに体を預け、邸に着いた後は湯あみを済ませると倒れこむように寝てしまった。







 十二歳の夏。

 祖父と訪れたサウザ領は綿の白い花が咲き乱れていた。


 毎年のように遊び相手をしてくれるアーロンは会うたびに逞しくなっていて、菫色の双眸が自然豊かなサウザ領を映す度に胸をときめかせていた。


 あの年も、アーロンは訪れたレナの相手をしてくれていた。


「レナ嬢、テラスでお茶にしようか」


 サウザ伯爵邸の広々とした庭を夢中で散策していたので喉が渇いてることに声をかけられてから気付いた。


 大きく頷いて駆け寄り飛び込むと、苦笑いしながらもアーロンは受け止めてくれた。何年もこうして遊んでもらっていたので、十二歳にしてはかなり幼い行動だったとは思うが、二人の間では自然なことだった。


 アーロンの銀髪が風に揺れるたびに綺麗だと思い、自分にはない整った頬の膨らみは憧れだった。


「アーロン様、旦那様がお呼びです」

「わかった。レナ嬢、少し失礼するよ」

「はい。わかりました」

「先にお茶を飲んでいてね。マーサ、レナ嬢に冷たいお茶を」

「かしこまりました」


 アーロンが邸内に入って行き、メイドのマーサはお茶の準備をしていた。夏の日差しで汗をかき、ブラウスが肌に貼りついていることに気付く。


「マーサさん。汗をかいてしまいましたので、着替えてきます」

「左様ですか。かしこまりました。お手伝いしましょうか?」

「大丈夫です。部屋にアンがいますので」


 お辞儀をしてから、トトトと少し小走りに廊下を急いだ。

 淑女としては少々はしたないが、アーロンが戻って来るまでに着替えて席についておきたかった。

 少し奥まった場所にある客室を借りていたので部屋まで急ぐ。


 アンは休憩時間だったので本当は部屋にいないのだけれど、サウザ伯爵邸の使用人の方たちは、どことなく冷たい雰囲気なので苦手だから嘘を吐いたのだ。


 嘘を吐くのはいけないと、わかっていたけれど、ブラウスぐらい自分で着替えられるのだし。直ぐに戻ればいい。そうすれば元通りだ。


 息を切らせて扉の前に立った。

 すると中から掃除中のメイドの声が聞こえてくる。レナが扉の前にいるとは思っていないらしく声は大きかった。


「今回やけに長く滞在すると思ったらアーロン様に婚約の打診をしてるんだってさ」

「それそれ、さっき聞いて驚いたわ」

「アーロン様は髪色こそ銀だけど、下膨れの美男子なんだから、もっと美人のお嬢様とじゃなきゃつり合わないってのに」

「奥様は世間がわかってないので了承しようとしたらしいよ」

「ほんっと、奥様の世間知らずも困ったもんだわね」

「旦那様はあんな醜女をサウザ家には入れられないと大層お怒りだったそうだよ」

「そりゃそうだわよ、あんな小顔の娘なんか入れたら財産を食いつくされちまう」

「全くだわ。そうなったとき一番困るのは私ら下っ端さ」

「真っ先に首切りだわ」

「あーーいやだいやだ」


 なにを、言われているの?


 ビルバリ子爵家では、祖父が選んだ使用人しかおらず、レナの見目を馬鹿にする者はいない。優しい使用人に囲まれて育ったレナにとって、他家とはいえ使用人に馬鹿にされるというのは初めての経験だった。


 お祖父様が、今回は少し長く滞在すると言っていたのはそのためだったの?


 何も聞かされていなかった。

 聞いたところで、アーロンと婚約したいかと聞かれたら即座に頷いただろう。


 綺麗で、逞しくて、粗野な同年代の子どもたちと違って紳士で、話を聞いてくれて、庭のお花をプレゼントしてくれて、お手紙をくれて、お誕生日にはプレゼントが届いて――どうして憧れずにいられようか。


 美しい人に憧れてはいけなかったの?

 私はそんなに醜かったの?


「お嬢様、どうなさったんです? まぁ、ずいぶんと汗が冷えて。さぁ、お早く、中でお着替えを」


 アンの温かい手に背中をさすられてしまえばもう駄目だった。涙があとからあとから零れ落ちて止めることなどできなかった。人前で泣くのははしたないのに。


 またきっと馬鹿にされてしまう――――


「なにがあったんですか!?」


 レナの肩を抱いたアンが扉を勢いよく開けると、そこには素知らぬ顔をしたメイドがアンを睨みつけていた。


「いやだね、下賤な家のメイドは態度もなってないのかい」

「私はレナ様付きの侍女です。メイドではありません」

「令嬢が令嬢なら、侍女だかメイドだかわかりゃしないが、使用人も下品だね」

「全くだよ、躾けがなってないんだわ」

「なんでアタシらがこんな子の部屋の掃除をさせられなきゃいけないんだい。侍女だなんて威張ってないで、アンタがやったらいいさね」

「田舎モンのくせに、侍女だなんて笑っちまうね」


「アンを馬鹿にしないで!!」


 レナは泣いていたぐしゃぐしゃの顔を隠しもせずに顔を上げて叫んだ。

 こんなに怒るのは初めてだった。

 自分が馬鹿にされるのは我慢ができた。

 けれども、アンを馬鹿にされるのはどうしても許せなかった。


「アンは立派な侍女です。アンを貶めるということはビルバリ子爵家への侮辱とみなします」

「はっ、弱小子爵家の醜女令嬢がなにを言ってんだい」

「ちょっと、さすがに言い過ぎだよ、あんた」

「なにさ、急に。さっきまで一緒になって――」


 やせっぽっちのメイドが小太りのメイドの袖を引く。時すでに遅しとはこのことだろう。


「なにを騒いでいるのかと来てみれば、大切なお客様を我が家のメイドが罵っているなど言語道断だね」


 アーロンは音を立てずにレナの前まで来ると、片膝をついて胸に手を当てて頭を下げた。


「我が家の使用人の暴言をお詫びいたします」

「アーロン様が謝ることではありません」


 目には涙がたまっていて、下をむいたら零れ落ちそうだった。

 こんな時に、泣いてはいけないことは知っている。たとえ先程までどれだけ泣いていようとも。


「いいえ。我が家の失態です。父に報告し、この者たちには然るべき処分を致します」

「――わかりました」


 了承するしかなさそうだ。

 アンはレナを抱きしめて離さないし、アーロンは受け入れないといつまでも膝をついているだろう。

 悲鳴をあげながらアーロンにすがろうとするメイドの声をきいているうちに、荒ぶっていた心が静まっていく。


「申し訳ありません。着替えと休憩をしたいので失礼致します」


 アンを伴って中に入れば、気が抜けて足がよろめいた。

 抱きとめてくれたアンも、声を上げずにボロボロと涙を零していた。


 アンも限界だったのね。

 私はアンを、少しは守れた?


「お傍を離れて申し訳ありません」


 アンが離れたせいじゃないのよ、そう言いたかったけれど、声を荒げて怒ったせいか瞼を開けていられないぐらい疲れていた。


 もう、眠ってもいい?




「なんでよ!! なんで外れないのっ!?」


 耳障りな声に意識が浮上した。

 幼い頃の夢は水彩画のようで、淡く切なく哀しかったのに現実はそんな感傷にも浸らせてくれないようだ。


「使用者以外は外せないわよ」


 ネックレスを掴もうともがいたのだろう。茶色の髪を振り乱して顔を歪め、レナの胸元を必死に触ろうとしている。


 悪意を持って触れる者は排除されるというのに。


「フェルミン、入って」


 声をかければ、扉の前に立っていたフェルミンが室内に入って来た。

 髪を振り乱していたオリヴィアが放心したようにフェルミンを見上げた。


「なん……で、いつからそこに」

「護衛ですから。あなたがノックもせずレナ様の部屋に入るのも見てましたよ」


 そう言うとオリヴィアの両手を後手に掴んで、騎士団へ連絡していた。

 通信のできる魔石は本当に便利だと思う。

 レナが今年もらった誕生日プレゼントも同じ物だ。


「騎士団にて取り調べをします。毒混入の容疑者でもあるあなたが、レナ様に手を出すのは悪手でしたね」




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