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5. 騎士団に行きました。

 




 王城内のイグナートの執務室で、出てきたマフィンを食べようか食べまいか迷っていた。恥ずかしいけれど、昨日から碌なものを食べていないのでお腹が空いている。


「レナ、遠慮はいらない」

「すみません、昨日からあまり食べてなくて」

「それは申し訳ない。ちゃんとした食事を用意すればよかったね」

「いいえ、これはお祖父様が好きだった『フレーズ』のマフィンですよね? とても嬉しいです」


 ペコリと頭を下げてマフィンを口にした。祖父が好きだったクルミ入りのマフィンに思わず微笑んでしまう。

 それを見たイグナートはホッとしたような顔をした。


 イグナートから貰ったネックレスが光ったということは、口にしたお茶に毒が入っていたということだ。即座にフェルミンが連絡用の魔石で騎士団に通報し、イグナートを含め騎士団員たちがビルバリ子爵家に押し寄せた。


 厨房の者や他のメイドたちは邸内でそのまま事情聴取が行われ、容疑者のサリーは騎士団へ連れて行かれた。アドラとオリヴィアも昨日のうちに連れて来られ、個別で事情聴取された。特にアドラは、会頭を連れてきて無理やりレナを妾にしようとしたことから、断ったレナへの復讐ではないかと疑われている。


「朝も早くからこんな場所に呼んでしまって申し訳なかったね。あまり寝ていないのだろう?」

「いえ、三時間ほど眠れました。大丈夫です」

「レディにはもっと睡眠が必要だよ。早く終わらせよう。本題だが、アドラ夫人は関与を否定している」

「そうでしょうね」

「オリヴィア嬢は泣いて話にならないが、まぁ白だろう」

「はい」

「兄上は出かけており――指示したのが兄上だという可能性はゼロではないが、そこまで思い切ったことをするタイプではないかな」

「おそらく……」


 そうであって欲しいという願望でしかないが、イグナートも同じ気持ちだろう。


 帰宅したトリスタンは口をあんぐり開けて呆けており、全容の把握に時間がかかっていた。

 あの表情が演技とは思えなかった。


 アドラがレナを会頭の妾にしようとしていた話に驚いた様子をみせ、イグナートに詰められながら震えていた。叔父の覇気はさぞ怖かっただろう。自業自得とはいえ気の毒だった。


「サリーというメイドが、待遇に不満があり毒を混入したと自供しているけれど、一介のメイドが簡単に毒を入手できるとは思えないし、入手経路について口を割っていないので、こちらもまだ何とも。誰かの指示で、というのが濃厚だろうな」

「そうですか」


 頷いてお茶を飲んだ。


 イグナートから一年前に貰った不思議な魔石のネックレスは、他にも機能があるらしい。説明されたけれど理解できない内容もあった。とりあえず身を守るものだから着けておきなさいと言われていた。


 今回それが初めて機能したのだが、イグナートはアドラが後妻に入ってすぐにレナの身を案じてくれていたのだとわかる。


「落ち着いているね」

「いえ、そんなことはないです。でも叔父様のお陰で助かりましたから、恐怖はそれほどでも」

「そうか。もう一度確認するが、フェルミンのお茶には入っていなかったんだな?」

「はい。魔石が光りませんでした」


 騎士服の下に隠していたネックレスを取り出して見せた。


「フェルミンも着けていてくれて良かったわ」

「私たちは仕事柄、色々な物を着けていますから」


 なるほど、と頷いて残りのマフィンを頂く。バターの香りとしっとりした生地、ほどよい甘さが空っぽだった胃に沁みわたるようだった。


「叔父様、このネックレスとても便利ですね」

「そうだね」

「毒が入ったお茶も美味しく飲めますから」

「……いや、確かに飲んでも無毒化されるんだけど、飲まないに越したことないんだよ」

「そ、そうですよね、確かに。いやだわ、私ったら変なこと言ってしまって。駄目ね、叔父様の前だと気が緩んでしまうみたいです」

「なに、可愛いこと言ってくれるね」


 笑ったイグナートの、祖父に似た優しい目元を見ていると安心できる。


「フェルミン、私に嫉妬しない」

「――してません」


 ぶすっとしたフェルミンは機嫌が悪い。お腹が空いているのかもしれないと思い、チョコレートのマフィンをフェルミンの皿の上に乗せた。


「フェルミンのほうが体が大きいのに同じ量じゃ足らないわよね?」

「――いえ、」

「フェルミンも昨日からあまり食べていないのだもの。私のぶんも食べていいのよ?」


 優しく言ったつもりなのに、ますます眉をひそめられて困ってしまった。そんな様子を見たイグナートが声を上げて笑うのでどうしたらよいのかわからず、二人の顔を交互に見て首を傾げた。



 別室で待っていたアンと合流して、これから学園に戻るべきか今日はもう休むべきかと思案していると、アンが心配そうに顔を覗き込んできた。


「学園を休むべきか悩んでいるの」

「お休みされるべきです! 昨日あんなことがあったんですから!!」


 アンは自分の休憩中に起こった出来事にずっと憤っていた。私がお傍を離れたばかりにと言って興奮してしまうので、宥めるのが大変だった。


「もうすぐお昼だし、市井まで下りてご飯を食べに行きたいところだけれど」

「学園をお休みしてのお食事は少々目立ちますものね」

「そうなのよね。でも王城まで来たのに、このまま帰るのは何だか勿体ない気がするし。図書館にでも寄って行こうかしら? これってサボりになる?」


 聞けばフェルミンは首を横に振り、アンも行きましょう行きましょうと手を引っ張る。苦笑いしながらアンと手を繋ぐようにして図書館へ向かった。


「ファルエイネ国の本が読みたいわ」

「魔石の輸出国ですね」


 フェルミンは場所がわかっているようで先導するように歩いてくれた。子爵邸にも何冊かあるが教本ばかりでつまらないのだ。幼少期に母に教わったので、ファルエイネ語の読み書きはできる。


「この辺り……」


 足を止め、言葉を切ったフェルミンのことを不思議に思い、その視線を辿った。

 視線の先には、アーロン・サウザ伯爵子息がレナと同じように目を見開いていた。


「アーロン先輩、いらしてたんですね」

「フェルミンか。レナ嬢も……お久しぶりですね」

「ええ……本当に。お久しぶりでございます」


 白に近い銀髪に淡い菫色の瞳が懐かしさとともにレナの心を揺さぶる。


 アーロンには以前、婚約を断られており、会うのはそれ以来だった。

 事情を知っているフェルミンの気配が鋭いものになる。


 レナとアーロンの間には、ロマンスめいたものは全くなかった。

 祖父同士が懇意にしており、サウザ伯爵領に何度か招待され、訪れていた時からの付き合いがあったというだけ。

 ただの幼馴染だ。


 同じ年ごろの子息たちに見目をからかわれることの多かったレナにとって、憐れんだり蔑んだりしないで優しく接してくれる二つ年上のアーロンは王子様だった。


 そんなレナの一方的な憧れを勘違いした祖父が、サウザ伯爵家に婚約の打診をしたのだけれど成立しなかった。


 ただそれだけのこと。


「ファルエイネ国の本を探しに来ましたの。アーロン様もご興味が?」


 わざと明るい声で聞くと、なぜかアーロンのほうが切ないような顔をして目を伏せてしまった。


 相変わらず長い睫毛だな、と一瞬見とれてしまったのは許して欲しい。繊細な色合いの美男子が憂いを帯びていたら、恋愛感情がなくてもドキドキしてしまうのは仕方がないと思う。


「そうですね。今、ファルエイネ国のとあるお方の警護をしていまして」

「なるほど。警護している方のお国について調べるのはとても大切ですものね」


 真面目なアーロンらしいな、と感心して頷きながら、陳列された本を眺めていく。フェルミンがアーロンとレナの間に入るようにして立つので笑ってしまいそうになった。やめるように目配せしても、知らん顔をされてしまう。


 婚約が上手くいかないなど、珍しい話ではないのに。


 私の見目じゃ、由緒正しいサウザ伯爵家の嫡男様と婚約できるわけがないのよね。


 今なら当然と思えることも、当時は憧れの王子様に失恋したような気持になってしまったのだけれど。

 アーロンにしてみたらいい迷惑だっただろう。

 年下の女の子に優しく接していただけで勘違いされてしまったのだから。


 そんな自分が痛々しくて、恥ずかしくて。


 その後も何度かアーロンから領地への誘いの手紙をいただいたけれど、社交辞令だと思い、やんわりとお断りした。


 もうそんな痛みもすっかり遠のいて、少しの気まずさが残っただけ。


 自分の見目は、高貴な人に受け入れてもらえない。

 貴族としての知識や振る舞い以前に、後世に受け継ぐ見目が大切なのだ。


 祖父や母があまりにも可愛がってくれたので、小さい頃はあまり理解できておらず、同年代の子たちが意地悪なだけだと思っていた。


 むしろ最初から断ってくれたサウザ伯爵――アーロンのお父様――には感謝している。祖父同士で話し合っていたら成立してしまっていただろう。


 そうなっていたら悲劇だ。


 アーロンから婚約破棄されたら、傷つき、しばらく立ち直れなかったと思う。今でもそう思えるのだから、憧れというのは本当に厄介だ。


 ファルエイネの小説と料理の本、それから魔石の本を手に取ると、横からフェルミンの手が伸びてきて本を取り上げられた。そのぐらい持てるのに、とまた目配せしたが、首を振られ断られてしまった。


「お嬢様、そちらの本を借りてきましょうか?」

「いえ、あちらの席で少し読んでから借りるか決めるわ」

「わかりました。ではお席を取って来ます」


 アンが素早く席の確保に向かってしまい、それを追いかけようと思ったのだけれど。


「エルメルト様、お部屋にいて下さいとお願いしたはずです。護衛無しでは危ないですから」


 アーロンの声に思わず振り返ってしまった。


「自分の身ぐらい守れるよ。退屈で困っちゃって。本でも借りようかなって」


 アーロンもかなり背が高いが、そのアーロンよりも背の高い男性が笑いながら頬を掻いていた。


 体の大きさに反して仕草や声が柔らかく、精悍な顔つきなのに表情はとても優しい。亡き母と同じ黒髪に琥珀色の瞳がとても優美だ。


 サイドに流し緩く結ばれている黒髪は艶やかで、大ぶりの垂れ下がったピアスは派手なのに彼が着けていると品がある。


 アティーム国の顔立ちではないのに、とても美しいと感じる男性だった。



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