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4. お断り致します。

 



 舐めるような視線を這わせている人物は、有名なガードナー商会の会頭で、齢七十にして妾が複数いると言われている好色爺だ。

 座ったまま、こちらへ来いなどと言っているが、そんなことをレナに命令できる身分ではない。

 アドラはもちろん、そのことを理解しているであろう会頭も無視しているようなので思い知ってもらうしかない。


「ジルド」

「はい、お嬢様」

「どうやら私のお客様ではないようです。お帰り頂いて」

「かしこまりました」


 壁際で控えていたジルドは会頭の横へ立ち、お帰りはあちらですと手の平で扉を指した。


「なんだとっ! 使用人風情がわしにそのような態度を取ってどうなるかわかってるのか!!」

「そうですわよ! 失礼にもほどがあります。会頭は婚約破棄されて行き先のないレナちゃんに同情して可愛がって下さると約束して下さったのですよ!? こんな見目の悪い女に優しくして下さるのだからレナちゃんもジルドも感謝なさい!!」


 二人の発言に斜め後ろに控えていたアンが殺気立った。出てこないように目配せしてから、胸を張る。


「お言葉ですがお義母様、私が次期当主に祖父から指名されていることはご存知ですか?」

「なにっ!?」


 その言葉に反応したのは会頭の方だった。


「そもそも、貴族である私が庶民である会頭の妻にはなれません。そんなことは当然お二人ともご存知でしょうから、妾にというお申し出かと思いますが、次期当主という身分であることからお断りさせて頂きます」


 真っ赤になって震える二人に努めて冷静に語りかけた。

 アティーム国の指名制度は絶対なのだから、最初から出る幕などないのだ。この制度が使われるのは、嫡男の領地経営や素行に不安がある場合と決まっていて、子どもや親族が指名された状態で当主を務めるというのは大変不名誉なことなので秘匿される。


「なにを言ってるの? ケビンさんとあたくしのオリヴィアが婚約するのだから、次期当主はあたくしのオリヴィアでしょう。そんなことも知らずにレナちゃんは学園でなにを勉強されてるのかしら」


 アドラは勝ち誇ったように笑ったが、会頭の顔色は徐々に青ざめていった。先ほどの余裕はどこかへ消え失せたようだ。


「そんな話は……聞いていない」

「公にすることではありませんので」

「しかし、なぜそれを後妻とはいえ子爵夫人が知らんのだ」


 会頭は怒りの眼差しでアドラを見つめている。その表情を見ても理解できないようで彼女は本当に不思議そうに首を傾げていた。


「それがどうしたというのです? 今はトリスタンが子爵なんですから、今度はトリスタンがあたくしのオリヴィアを指名すれば、なんの問題もありませんわ。レナちゃんは見目も性格も悪いんですもの。次期子爵なんて荷が重いはずです。その点あたくしのオリ、」

「貴様っ!! さっきからなにを寝ぼけたことを!!」


 誰もがアドラの長い話を最後まで聞いてくれるわけではない。会頭は気が短いのだろう。


「なっ、なんですって!?」

「これだから男爵家の庶子あがりなど!! 最初からワシは貴様が嫌いだった!! 喋り方が下品で教養のないお前のような者には理解できないだろうが、陛下の前で指名されたものが覆るわけがない!! こちらにまで累が及ぶようなことに巻き込むなっ!!」


 唾をまき散らし立ち上がった会頭は、怒りが収まらないのかレナのことも睨みながら従僕を引き連れて出て行った。扉は叩きつけられ、蝶番が歪な音を立てた。


 アドラはソファーのひじ掛けに体を預け、ヨヨヨと芝居がかった涙を流していた。


「酷いわっ、レナちゃん。あたくしがなにをしたっていうの、酷いっ、トリスタンに言いつけます!!」

「そのお父様がお義母様に黙っていたのです。私から申し上げるわけにはいきません。不名誉なことですから」

「あたくしは見目の悪いあなたのことを思って!!」

「ところでお義母様、今日の晩からフェルミンがビルバリ子爵家に私の護衛として滞在しますので宜しくお願いしますね」

「はっ!? フェルミンってあの冴えない男の子どもね?」


 アドラからすれば騎士団副団長のイグナートも『冴えない男』になるらしい。茶髪に茶目の、少々小顔だが優しくて強くて格好いい自慢の叔父である。彼が父親だったらと、何度思ったことか。


 そうやって何もかも容姿でしか図れないアドラを少し気の毒に思う。


「婚約破棄に伴い私の身に危険が及ぶと判断されたため、騎士団から直々に派遣されました」

「レナちゃん、一体どうしちゃったの? 婚約破棄がそんなにショックだったの? 前々から陰気だと思ってはいたけれど、なにか困っているのなら、あたくしに相談してもよろしくてよ? あたくしが実の母のように包んでさしあげますから」

「ありがとうございます。では客室をフェルミン用に整えますので、使用人への指示をお願い致しますね、お義母様」





 夕方、少ない荷物を担いでフェルミンが到着した。

 一年ぶりに会った従弟は成人男性の身長をゆうに超えており、目を見開いてしまった。イグナートを追い越す日もそう遠くないように思えた。


「レナ様、お久しぶりです」

「お久しぶりね。活躍はそこかしこで聞き及んでいたわ」

「恐縮です」

「忙しいのに変なことに巻き込んで申し訳ないわね」

「変なことではありません。許し難いことです」

「――まぁ、そうね」


 フェルミンも録音を聞いたのだろう。射殺(いころ)さんばかりの表情に背中が冷たくなった。

 本物の騎士の覇気は怖い。ケビンやら周辺の子息には纏えない雰囲気だろう。


「お部屋に案内するわ」

「ありがとうございます」


 アドラが来る前まではよく遊びに来ていたので、子爵邸の間取りはフェルミンも知っているけれど。アレコレ懐かしい話に花を咲かせながら客室の前まで辿り着いた。


「お義姉様、どちら様ですか?」

「――あぁ、オリヴィア。フェルミン、紹介するわね。義妹のオリヴィアよ。オリヴィア、従弟のフェルミンよ」


 フェルミンが軽く会釈をすると、オリヴィアはアドラ仕込みの笑顔と仕草でフェルミンを見つめた。

 フェルミンの逞しい身体と精悍な顔つきは、ケビンのようなお坊ちゃまに見慣れたオリヴィアには珍しいのだろう。


「酷いわ、お義姉様。こんな素敵な殿方を隠していただなんて!!」


 両手を胸のあたりで組んで拗ねたように口を尖らせ体をくねらせた。もちろんアドラ直伝である。

 アドラ曰く『美女にしか』似合わない仕草らしい。


「フェルミンは忙しい身なの。私も会うのは一年ぶりよ」

「十三ヵ月ぶりですよ、レナ様」

「え? ほぼ一年ってことでよくない?」

「私にとっては重要です。会えない期間、どれだけ心配したか」


 熱のこもった視線にドキドキする。なにを従弟相手に、と思うだろうが、フェルミンは危険を伴う仕事をしているせいか妙に大人びているのだ。


「し、心配してくれてありがとう」


 どもってしまい、ごまかす様に顔を逸らした。


「酷いわ、お義姉様! いつもそうやって私をのけ者にしてっ!! 私もフェルミン様とお話がしたいです!!」

「えっ、……でも、フェルミンも疲れて……」

「レナ様とならいくらでも話せますよ?」

「やめてよ急に。恥ずかしいわ。でも、立ち話は失礼よね。部屋に入りましょうか」

「そうですね」


 客間の扉を開けた。

 荷物を持ってついて来ていたメイドのサリーが、空気の入れ替えのために開けていた窓を閉めている。


「夕飯まで少し時間があるからお茶にする?」

「ありがとうございます」


 ソファーに向かい合わせで腰かけると、オリヴィアは許可も得ないままフェルミンの隣に座った。肩が触れるほど近くに座ったせいで、フェルミンが顔をしかめながら距離を開けていた。


「フェルミン様は、婚約者はいらっしゃるの?」

「いえ、おりません」

「まぁ! お寂しいですわね?」

「全く」

「それなら私がお相手をして差し上げます」

「……」

「遠慮なさらないで下さい! お義姉様と違って、私の話は楽しいと言われるんです! ですから」

「お相手などと言われますが、あなた様は某子爵令息とご婚約されるのでは?」

「えっ、ええ。どうしても私が良いって、私じゃないとってケビンが言うから――あたしは」


 オリヴィアはアドラの会話を真似ているのだろう。

 この邸に住むようになってから直ぐにその仕草と美貌でケビンを振り向かせたのだから他の殿方には効果的なのだろが。

 相手はフェルミンだ。そこら辺のお坊ちゃまとは違う。


 けれども、終始こんな調子のオリヴィアが学園に入ったらどうなるだろうかと想像してしまった。勘違いした令息達が揉め事を起こさないといいなと遠くを見つめた。


「どうしてもと言われたら、義姉の婚約者を奪ってもいいと?」

「酷いっ、酷いですそんなっ、あたしは奪ってなんかいません!! ケビン様に無理やり……」

「無理やり、なんでしょう? ケビン様とやらは節操なしですか? 無体なことでもされましたか?」

「ケビン様がそんなことするわけないですっ!! フェルミン様は意地悪です、どうしてそんな意地悪言うんですか!? お義姉様のせいですねっ!? お義姉様って本当に意地悪なんです!!」


 瞬間、フェルミンが殺気立ったのがわかり、慌てて止めに入った。アドラもだが、オリヴィアも空気が読めない。


「ちょっと、二人ともやめましょう。お茶でも飲んで」


 目くばせすると、サリーが三人分のお茶を出してくれた。


 オリヴィアは誤魔化せたと思ったらしく満足したように笑った。泣き真似までしていたのに立ち直りが早いというか、図々しいというか。やはりアドラに似ている。


 それを見たフェルミンは眉を寄せ、不快に思っていることを隠す気がないようだった。


 レナは明日からの生活が思いやられると溜息を吐いて、お茶を口に含んだ――次の瞬間。


 レナの胸元のネックレスが真っ赤に点滅した。




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