25. 卒業パーティーです。
兄のエスコートで卒業パーティーの会場へ入ったサーシャは、マリエルと合流してレナを待った。
普段の制服とは違い、ドレス姿の女子生徒やタキシード姿の男子生徒などを見渡す。
「今日はいらっしゃるとお聞きしているのですが」
左右を確認するように顔を動かしているマリエッタは、淡いピンク色のドレスがふわふわした茶髪にとてもよく似合っている。
「マリエッタさん、今日のドレスとてもお似合いですね」
サーシャの言葉に、マリエッタだけではなく、マリエッタの婚約者である商家の次男のビルまでもが頬を染めた。幼馴染同士での結婚は間近だそうだ。マリエッタは一人娘なので、ビルが婿入りするらしい。
正直に言えば羨ましい。
マリエッタは忌避される色を持たないため、養子縁組などを経れば、貴族との結婚も可能だっただろう。
色が忌避されるサーシャは、庶民とのまともな結婚すら夢のまた夢。どこかの爺さんの後妻がいいところ。
せめて実家のお荷物だけにはなるまいと、使用人の募集や、城のメイドの募集などを探し、面接に赴いたが色よい返事はもらえなかった。
気付かれないようそっと溜息を吐く。
隣に立っている兄は、妹のエスコートなんてつまらないものを引き受けたのでさぞや不満だろう――そう思っていたのだけれど、次の顧客層になる生徒たちを鋭い目つきで観察していた。さすが商魂たくましい兄だと思う。
レナが到着しない間に、学園長の挨拶や来賓の挨拶に続いてフェルディナント王太子殿下がカタリナ王太子妃と共に入場した。
卒業生であるにもかかわらず、これまでこの学園の卒業パーティーに顔を出したことはないと聞く。
まるで舞台俳優と女優が入ってきたかのように会場は盛り上がった。
レナの事件後、学園内では下膨れは本当に美しいのか?という、誰からとも知れない疑問の声が上がっていた。色彩差別者が大勢捕縛されたこともあり、敏感な年頃の生徒たちは、下膨れは時代遅れかもしれないと思いはじめたらしい。
そんな生徒たちを煽るように、他国では金髪碧眼の小顔が美しいと言われていると、外交官の子息が言い出したせいで生徒たちはさらに色めき立った。
ざわつく学園内で、金髪にエメラルドグリーンの瞳のサーシャも噂になった。
それはもう、うんざりするほど。
いくら生徒がざわつこうが、どうせサーシャを見た子息たちの親は難色を示すのだ。親世代の気持ちがそんなに簡単に変わるはずがない。
それに、流行りだからと色めき立つ子息たちも、散々色彩差別をしてきたのだ。今はざわめいているが、金髪が再度否定されるようなことになれば、こんなはずじゃなかったと言い出すはずだ。
サーシャは流行りに乗り遅れまいとする子息たちを冷めた目で見ていた。
商家で育ったせいで、人の表の顔も裏の顔も見飽きるほど見てきた。
貞淑に見える夫人の性に奔放な姿も、紳士に見える殿方の欲にまみれた汚い裏側も。
だからサーシャはレナのことがとても好きだった。
裏表がなくて、いつも凛としていて美しくて。彼女の傍にいると、サーシャの心は澄んだままでいられた。
レナの婚約者が他国の貴族で、レナの本当の美しさを理解している人で本当によかった。
この国の子息たちには、レナを娶る資格などないと思っている。
負けず嫌いなサーシャは、髪色や瞳の色を馬鹿にされたときは相手をコテンパンにやっつけるまで気が済まなかった。さすがに学園に入るころには感情のコントロールを身に着けたけれど。
子息たちの急な手の平返しは、サーシャの気持ちを逆なでした。今まさに告白でもしてこようものならコテンパンにしてしまうだろう。
馬鹿どもには、自分の頭で考えろと言ってやりたい。
――少々話はそれたが、王太子殿下である。
真っ赤な髪に金色の瞳、尖った顎の王太子殿下は、色彩差別者に常に足を引っ張られていた。
馬鹿らしいと思う。
能力がある人が国を動かしてくれたほうが市場が活発になって儲かる。王太子殿下は優秀だとサーシャでさえ知っているのに。
見目ばかりよくとも、悪政を敷くような人物に国を握られたくない。
祝辞の挨拶をする王太子殿下の隣には、銀髪に藍色の瞳の王太子妃が寄り添っている。二人は学園で出会い、恋愛結婚をした。密かに王太子殿下の世代に人気がある二人である。色彩差別者の親を持つものは、口には出せないけれど、二人のロマンスに密かに憧れていたらしい。
王太子殿下のラブストーリーは、生徒から生徒へと密かに語り継がれてきた。そのため、王太子殿下、妃殿下の入場が盛り上がったと、そういうわけである。
話し終えた王太子殿下は、妃に優しげな瞳を向けたあと、もう一度生徒たちに向かって微笑む。
少々うさんくさい笑顔だなぁと思う。
「さて、私の妃が身重なため、ファーストダンスは控えたいと思う。代わりに、この国で最愛の人と出会った、私の友人であるファルエイネ国第二王子のエルメルト殿下に、ファーストダンスを踊っていただこうと思う。その最愛の人も、本日卒業を迎える。皆にも紹介しよう、レナ嬢」
王太子殿下の言葉に、思わずマリエッタと顔を見合わせた。レナの婚約者は王子様だったらしい。高貴な方だと思ってはいたが、とても驚いた。
壇上に突然現れたレナとエルメルトに会場からはどよめきの声が鳴り響いた。
二人は仲睦まじく寄り添い、壇上から降りてきた。
この国の意匠とは思えない精緻な刺繍が施されたドレスは、レナの瞳より少し濃いブルーだ。金色の刺繍はサーシャの位置からでもよく見える。会場の誰もがその美しさに息を呑んだ。
背の高いエルメルトにエスコートされ、流れ出した音楽に合わせファーストダンスを踊る。
ターンする度に翻る幾重にも重なった裾が、内側へ向かうほど淡い水色になっている。
二人のダンスも息が合っていて、溜息が出るほど美しい。エルメルトの視線からは愛おしさが溢れ、二人が両想いであることは一目瞭然だった。
音楽が途切れ、次の曲に入る。慣例通り、中心部にいた生徒たちがパートナーと踊り出した。全員が踊るほどの広さはないので、中心部にいる者たちが二曲目を踊り、それ以外の生徒は、三曲目以降に踊るというルールが学園の卒業パーティーにはある。
エルメルトが人混みを上手く避けながら、サーシャとマリエッタの前までレナを連れて来てくれた。
「「レナ様!」」
「マリエッタさん、サーシャさん、お待たせいたしました」
踊ったせいか少し息の上がった様子のレナを、婚約者のエルメルトが抱き寄せた。
「とても美しいですわ、レナ様」
「本当に。他国の意匠ですわね」
「ええ、ファルエイネ国の意匠です」
「お似合いです!」
「お似合いですわ!!」
「ありがとうございます。マリエッタさんもサーシャさんもお似合いですね。とても素敵です」
レナのドレスは鎖骨ラインが綺麗に出ており、肩にひと筋落ちている金の巻き毛がなんともいえず艶っぽい。
耳にはエルメルトと同じピアスが揺れており、時々それを弄るような仕草がとても可愛らしかった。
レナは丁寧にマリエッタの婚約者や、サーシャの兄とも挨拶を交わした。
喉が渇いた様子のレナに、飲み物を取りに行きたそうなエルメルトの背後から従者がすっと飲み物を手渡していた。
王族の従者というのは本当に気が利くのだなぁと感心していたら、その細面の従者がサーシャを見て唖然としたのだ。
視線が鋭く、怖かったので思わず兄の腕をギュッと掴んでしまう。
「ティム?」
ティムさんという名前らしい。
エルメルトがティムという人の目の間で手を上下させている。
ハッと我に返ったティムは、勢いよくサーシャの前まで来て跪いた。
「私はティム・デリンガーと申します。お名前をお伺いしても?」
「サーシャ・プリンツです」
「サーシャさん……素敵なお名前です。いえ、お名前以上にあなたの美しさが、私の心を捕らえて離しません。どうか私とダンスを一曲お願いできませんか?」
「えっ、ええ……よろこんで……?」
半疑問系になってしまったのは許して欲しい。
兄は金の匂いを嗅ぎつけたのか、行ってこいと顎をしゃくり、レナは申し訳なさそうに眉を下げ、エルメルトは片手で顔を覆っていた。
マリエッタたちの様子を窺う余裕はなかった。
立ち上がったティムの顔は、サーシャの顔ひとつぶん上にある。
小さな横顔がほんのり赤く染まっているように見えた。
エスコートで添えたサーシャの手に、反対側の手が伸びてきてそっと撫でるように触れた。動揺しているサーシャを気遣う素振りに感心しながら、長い指だなぁとぼんやり思う。
視線を感じたので再びティムの顔を見上げた。
とろりとした笑顔に、これは逃げられないやつだと本能が赤色に点滅した。
* * *
「エルメルト殿下」
「レナ、愛称で呼んで?」
「あっ、そうでした。エル」
「なぁに?」
「ティム様って、あんな風に笑うんですね」
「僕も初めて見たけどね」
「そうなんですか!?」
「一目惚れっぽいね」
「ですねぇ……」
淡いグリーンのドレスを纏ったサーシャはストレートロングの金髪をあえて結わなかったようだ。踊るたびドレスと一緒にふわりと揺れている。それをティムが目を細めて見ていた。
サーシャの緊張がこちらにまで伝わってくるようで、見ているとドキドキする。
マリエッタも婚約者と一緒に踊っているけれど、こちらは見ていて安心というか、長年の仲を感じさせる息の合ったダンスだった。
フェルディナント王太子殿下に、卒業パーティーに二人で出席して欲しいと頼まれたとき、パートナーは元からエルメルトに頼もうと思っていたレナにとって、大役という認識はなかった。
王宮から会場に転移して、壇上に突然現れるという派手な演出に、断るべきだったかと後からかなり悩んだ。
ティムが、そのような謀りごとに協力するならもう一台、魔道具を売りつけるべきだと主張していたのでなおさらそう思った。
エルメルトひとりに任せておけないとばかりに、アティーム国への転移の際についてきたティムは、手紙の転送用の魔道具を売ることに成功していたけれど、結局ここでエルメルトの侍従のふりをさせられている。
普段のエルメルトは従者も護衛も連れていないけれど、アティーム国では王族の側に従者がいないのはおかしいからだ。
従者のフリをするティムを気の毒に思ったり、やっぱり王太子殿下はぬかりないなと感心したりしていたのだけれど。
「私がエルと登場しただけで、この国の色彩差別なんて本当になくなるのでしょうか?」
色とりどりのドレスが舞うダンスホールを眺めながら言う。
「差別はいけません、なんて話をするよりは効果的だとは思うよ」
エルメルトの落ち着いた声色に、斜め上を見上げた。
実はレナの十歳年上で、前世生きた記憶もあるから結構な年齢になるという彼は、普段はあまり見せないけれど、遠くを見つめるような仕草をするときがある。
「押さえつけるより、そういう風潮を若い世代が生み出すことに賭けてるんだろうね。抜かりない殿下のことだから、そうなるように世論も誘導しているだろうし。急な変化は無理でも、変えようと努力するのが大事だろうね。誰もがアティーム国の美的感覚が合うわけでもなく、言い出せなかっただけの人もいただろうし」
「そうでしょうか?」
「流れは感じるよ」
「えっ?」
「レナに熱い視線を送る輩をひとつひとつ潰すのに、さっきから苦労してるんだけど気付いてない?」
「まさか」
思わず周りを見回したけれど、そんな視線は感じない。気のせいではないだろうか。
「もう一度ダンスを踊って見せつけたら、そろそろ子爵邸に行こうか。お義父上も到着しているようだし」
「あぁ……そうでした」
「なに、気が重いの?」
「はい。どうしても気は重くなります」
「僕がついてるから大丈夫だよ」
エルメルトはレナの額にキスをしてから、ダンスの輪の中へエスコートしてくれた。
その姿をマリエッタにはバッチリ見られたようで、ニヤニヤされてしまう。慌ててサーシャの方を向けば、真っ赤な顔をしてティムに何ごとかを話しているようだったので見られなくて済んだようだ。
「エル、皆の前で恥ずかしいです」
腰に添えらえていたエルメルトの手に力がこもり、必要以上に体を寄せられてしまった。
『この国で忌避されている令嬢が実は絶世の美女で、他国の王子の寵愛を一身に受けて幸せになりましたっていうのを見せつけてるの』
耳元で囁かれ、カっとなった頬を隠そうとエルメルトの胸元に顔をうずめた。ちゃっかりファルエイネ語だった。聞かれたところで理解出来る人はなかなかいないだろう。
頭上で含み笑いをしたエルメルトの手が、背中をするりと撫でた。
『寵愛……』
『うん。それと、当たり前すぎて言うの忘れてたけど、ファルエイネは王族も一夫一妻制だから安心してね』
『はい。昨日ティム様に教えていただきました』
『さすがティム……って言いたいところだけど、今日は使い物にならなそうだよ』
エルメルトの言葉にサーシャたちの方をもう一度見てみると、二曲目を続けて踊るという暴挙にもかかわらず笑顔のサーシャと、とろけたティムの顔が飛び込んできた。
金髪のサーシャと他国の従者の連続ダンスは、レナたちよりも目立っている。
細身で長身のティムは、ダンスの際とても目立つことがわかった。身のこなしも驚くほど洗練されている。そんなティムが、明らかにサーシャに好意的な視線を送っているのだから、会場内がざわめくのも無理はない。
『ティム様ってあんな感じなんですね』
『僕も知らなかった。彼は仕事一筋って感じだったし』
『サーシャさん、大丈夫でしょうか』
『どうかなぁ。あの歳で宰相に抜擢されるぐらいだからね。ティムが狙った獲物を逃したところなんて見たことないし』
二人で目を合わせて、なんとも言えない気持ちになりながらダンスを続けた。
『僕も、絵や魔道具にしか興味ないって思われてたんだけどね』
『それが不思議です』
『そう? 僕は前世でも今世でも【非モテ】だよ』
『ひもて……』
『モテない男って意味』
『まさか』
『そのまさかなんだなー』
納得いかない顔をしたレナの耳元でエルメルトが囁く。
『前世から今世を通して』
吐息でピアスが揺れる。
「僕が好きになったのはレナだけだよ」
今度こそ本当に顔をあげていられなくなったレナを抱きしめながら、エルメルトは最上級の笑顔で、レナに熱い視線を寄越す男たちを蹴散らしていた。
終




