23. ファルエイネへ
豪奢な絨毯の上、王宮の一角でフェルディナント王太子殿下に見守られながらファルエイネへの転移魔法が展開している。転移の際は、行きも帰りもこの場所からだという。他の場所から入国すると、不法入国になるそうだ。
レナの腰を抱いたエルメルトはとても機嫌がよさそうだ。
「ではまた明日」
王太子殿下は涼しい顔で言った。
それに頷いたエルメルトは、レナに気分は悪くないかと聞いてくる。
大丈夫だと頷いているうちに、見慣れない景色の中にいた。
「ここは……」
「我が家だねぇ」
「王宮ですか?」
「うん。驚いた?」
思わず頷いてしまう。
王宮といえばとても煌びやかで厳かで、やけに大きいものだと思っていた。
でもここはまるで違う。誰かの邸宅に紛れ込んでしまったかと思うほど普通だ。
「豪華である必要がないんだよね。だってほら、暮らすだけだし?」
「……なる、ほど?」
ここは帰宅時に必ず転移してくる場所らしい。玄関だね、なんてエルメルトは笑っていた。
「んー。転移酔いも、してないみたいだねぇ」
よかったぁ~と、少々気の抜けたファルエイネ語でエルメルトが言う。やはり自国だと気が緩むのだろうか。
馬車でコトコト揺られ、長旅になるものだと思っていたので、一度母国へ帰るというエルメルトの言葉に動揺してしまった。よくよく聞けば、転移魔法で一瞬だというのでさらに驚く。しかもレナも連れて行ってくれると聞いて喜んでしまった。
「馬車の旅もいいけど、今は時間がないしね」
ファルエイネで手続きを済ませ、早く結婚したいんだと言われた時は顔を真っ赤にしてしまった。
それでなくとも学園の帰りの馬車の中では色々あったし。
「んん?? 顔赤いね?? やっぱりちょっと酔った??」
「いえ、大丈夫です」
あらぬことを思い出してました、などとも言えず、慌てて首を振った。
エルメルトはレナの頬を撫でながら、小首を傾げていた。
「帰って来てるなら、さっさと執務室へ来てくださいよエルメルト殿下」
背後からの声にレナがびくりと体を震わせると、エルメルトは盛大な溜息をつきながらレナの肩を抱いた。
「ノックぐらいしてよね! こっちはレディを連れてるんだから」
「してから開けましたけどねぇ?」
振り返れば、目の細い男性が腕を組んでこちらを睨んでいた。すっきりとした顔立ちのせいか、無言だと迫力がある。
不意にレナと視線を合わせると、驚いたように目を見開いた。
「えっ、本当にアティーム国のひと?」
「はい。初めまして。レナ・ビルバリと申します」
「どうも! この国の宰相をやってます、ティム・デリンガーって言います。驚きました。美人ですねぇ。ファルエイネ語も堪能で驚いた」
「あっ、ありがとうございます……」
頭を下げると、ふんふんと感心したようにティムが頷く。宰相と言われてもピンとこなかった。アティーム国の宰相は初老の威厳たっぷりの恰幅のよい、いかにもな人物だ。
困惑しながらエルメルトを見上げると、眉間の皺が凄いことになっていた。
「ちょっと、その口の利き方はなんなの。ちゃんと外交用にしてよ」
「うるさいですよ。むしろ私のこれは身内用なんで、レナ様を受け入れてるってことですよ。それより商談はどうなったんですか」
「売ったよ! 売れた! 書類転送したよね!?」
「入金がまだなんですよ。そのあたり後でじっくり聞かせてもらいますからね? っつーか、他国でなに魔力なんか漏らしてるんです?」
「……っ、」
「バレてますからね。陛下がご立腹でしたよ」
「えぇぇぇ」
「覚悟して、さっさとリーネルト殿下の執務室に行って。あ、レナ様、さくっとピアスあけますからね?」
「えっ!?」
ピアスって!?
慌ててエルメルトを見上げたら、驚愕の表情のまま固まってしまった。
「まさか説明してなかったんですか?」
「浮かれてて忘れてた!!」
「はーーーーーーーー、これだからポンコツって言われるんですよ。ちゃんと説明してから執務室に来てくださいよ?」
言いたいことが終わったらしいティムは、来た時と同じぐらいの唐突さで去って行った。
「ピアスってなんですか?」
「あー、僕のこれと同じものを着けてもらうことになるんだけど、ごめん。説明してなくて」
「重要な物なのですね?」
「うん、これがないと僕の離宮に入れないんだ」
「通行証みたいなものでしょうか?」
「そうだね。そうでもあるし、そのネックレスみたいな護身用でもあるし、僕との通信具でもあるし……説明しきれないんだけれど、とりあえずそんなところ」
「……便利ですね?」
「そうだねぇ。ピアスをあける時は痛くないように無痛の魔道具があるから大丈夫なんだけど……」
目を伏せる様子に、なにか言いづらいことでもあるのだろうと察した。
「これを着けたらもう、婚約解消はできないっていうか、結婚と同義なんだけど大丈夫?」
「はい。もちろんです」
「心の準備とか」
「できてます!!」
ファルエイネに一度帰ると言われたとき、一緒にという意味だと理解できず、とても寂しい気持ちになった。エルメルトと離れがたく思う気持ちに動揺した。いまさら結婚しないと言われたら、レナのほうが参ってしまうだろう。
「よかった。ありがとう」
「エルメルト様こそ、本当に私でいいんですか?」
「もちろんだよ!」
拳を握り締めて言うので笑ってしまった。二人でクスクス笑っていたら控えめなノックの音が聞こえ、エルメルトが返事をした。
顔を覗かせた男性はエルメルトそっくりの容姿をしていた。言われなくてもお兄様だろうと予想できた。
「お帰り、エルメルト」
「兄上! ただいま戻りました」
「うわぁ、本当だ。凄い美人の奥さん連れてきたって城の中大騒ぎで待ちきれなくて見に来ちゃったよ。どうも、エルメルトの兄のリーネルトです」
「初めまして。アティーム国から参りましたレナ・ビルバリと申します」
「ファルエイネ語が堪能っていうのも本当なんだねぇ。ピアスのこと説明されてなかったっていうのも本当?」
「はい。ですが、いま聞きましたので大丈夫です」
「そっか。手続きがあるから執務室までいいかな?」
エルメルトが頷き、三人で執務室へ向かった。
柔らかな質のいい絨毯はさすが王宮という感じだけれど、空間がコンパクトというか、正直にいえば狭い。王宮にありがちな華美な装飾品は無く、そういったもので権力を誇示しないのかもしれない。
室内があたたかいのであまり実感はないけれど、外は極寒らしい。
「さー、入って入ってー」
リーネルトに促されて中に入ると年配の男性が一人、ソファーに座っていた。その背後にティムが控えている。
「ほう。そなたがエルメルトの奥方か」
「父上、まだ奥さんじゃないよ?」
「なんだエルメルト、お前には聞いとらん」
「えーーー」
「可愛らしいのぅ。かの国はどうも美的感覚が合わないと思っておったがこれはこれは」
「父上、挨拶」
「うむ。これの父で国王の、もういい加減引退したいと願ってる爺だよ。よろしく」
「はい、あの、レナ・ビルバリです。よろしくお願い致します」
あまりにも全員が自然過ぎて忘れていたけれど、王族の方々だったのだ。どうにも調子が狂う。みんなフレンドリーだけれど、挨拶がちゃんとできているのかよくわからない。
「ごめんね、ゆるくて。うちはみんなこんな感じなんだ。ビックリするよね」
「いえ、とても羨ましいです」
「ん?」
仲が良くて羨ましいと言いたかったのだけど、エルメルトは小首を傾げていた。
「さ、座って~」
リーネルトが座るよう促し、四人で顔を合わせた。ティムはやはり立ったままでいるようだ。
「アティーム国だと婚約期間は最低でも一年とかだろうけれど、うちは長くて三か月ぐらいかな。エルメルトの報告書から検討した結果、レナさんはアティーム国で酷い扱いを受けていたようなので、一刻も早くこちらの庇護下に入ってもらいたいんだけれど、それについての説明は?」
リーネルトがエルメルトを見る。
「うーん、いまいち」
「全く。そういうところだぞ。ごめんね、レナさん。エルメルトは、のめり込むと大事なことをすっ飛ばす癖があるんだ。ファルエイネの王族は、魔力の測定とピアスの開通をもって婚約成立ーーほぼ結婚と同義なんだけれど、それは大丈夫かな?」
「大丈夫です」
「うん。で、ちょっとこの国の歴史と言うか決まり事というか。親戚へのご挨拶があるんだけど、それが長いんだ。結構な数の親戚を周り、その都度色々な手続きがあって、うんざりするほど長い。本来ならそれが先なんだけれど、緊急事態ということで、今回そちらは後回しにします」
リーネルトは顎に手を当てて考えるような仕草をした。
その間に、こそこそと国王がエルメルトの魔力漏れを叱責していた。イグナートが以前言っていたものだろうか。
叱責といっても『何やっとんじゃ未熟者』ぐらいの感じだったけれど。
「ティム、測定を」
「はい」
機材が置かれ、そこに手を当てるだけのものだった。
針が振れ、それを見た全員が不思議そうな顔をした。
「え、アティーム国だよね?」
「間違いなく」
「なるほど?」
「ど、どうかしましたか」
何かよくないことをしただろうか。
もっとマナーの本を読んでおきたかったけれど、そもそもファルエイネのマナー本がそれほど出回っていない。
「思ったより魔力があるんだよね」
「えっ……」
「この国の平民の、魔力量の少ない人ぐらいかな」
リーネルトは再び首を捻っていた。
不安になってエルメルトを見ると、大丈夫だよ、と微笑まれた。
「むしろ普通にピアスが機能するから喜ばしいかな」
エルメルトの言葉を補うように、ティムが軽く説明してくれた。
レナの魔力によりピアスが持つ機能が正しく使えるのだけれど、ピアスにまわすだけの魔力がなかったらどうしようという議論をしていたらしい。
数値から十分機能する量があると判明し、ホッとしているのだという。
ピアスは王族の証でもあり、とても重要なので、魔力が足りなかったら補う魔石を着けてもらおうかと話していたのだとか。
足りないから妃にはなれない、という話にならないところがアティーム国と違うところだと思う。
「ってことで、レナ様。わたくしめがパチンとやりますけど宜しいでしょうか?」
「お願いいたします」
ティムにハンディ型の機械を耳に挟まれ、パチンという大きな音と共に気付けば片耳にピアスが着いていた。
手を繋いでいてくれたエルメルトが心配そうに見ているので大丈夫だと頷く。
実際、痛みはなかった。
「これもエルメルト殿下が発案されたんですけどねぇ。そもそも王族が増えるときしか使わないんですよ。全く、要らないものをまた作りやがってと思ってたんですけれど。他国からお嫁さんが来てくれたときは便利ですね。ピアスの習慣がない国のかたでも怖さが半減しますよね?」
「はい! 怖くないですし、エルメルト殿下の作品だと思うと嬉しいです」
「えっ?」
パチン!
ティムは戸惑いながらも的確な場所にあけてくれた。渡された手鏡で確認すると、エルメルトと同じ大ぶりのピアスがゆらゆら揺れている。思わず笑顔になってしまった。
「凄いです! エルメルト殿下! お揃いですね?」
嬉しくて思わず叫びながらエルメルトを見ると、口に手を当てたエルメルトの顔が真っ赤だった。
「どうしたんですか!?」
「可愛すぎだよー」
「えっ」
慌てて周りを見渡せば、リーネルトは生温い笑顔を浮かべており、国王とティムはポカンと口を開けていた。
「エルメルト様も、のろけたりするんですね」
「だって可愛すぎない? お揃いって!!」
「可愛いですけど、え? あんた、そういうキャラでしたっけ? 絵と魔道具制作以外にも興味あったんです?」
ティムはそこに驚いたらしい。
レナから見ればエルメルトはいつも通りだけれど。
「無邪気じゃのぅ」
「無防備だねぇ」
「早いとこ囲っといて正解だわ」
「こういう子がタイプだったんだねぇ」
「ファルエイネには、あんまりおらんタイプじゃのぅ」
「我が国の女性は気が強いですからね」
無邪気?
無防備??
「まぁ、エルメルトが幸せそうでよかったよ。女性に興味がないっていう噂まで出ていたし、王族が結婚しないのは困るんだけどなぁって、心配していたから安心したよ」
リーネルトが兄の顔で言う。
「ありがとう、レナさん。エルメルトは変人だけど性格はいいからね。これからも仲良くしてやって」
「もちろんです。エルメルト殿下にはいつも助けていただいていたのです。私のほうこそよろしくお願いします」
深々と頭を下げたレナに、国王もリーネルトもティムまでもがエルメルトには勿体ないなぁと呟いた。




