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22. アーロンの激昂

 




 サウザ伯爵家は異常だ。


 それに気付いたのは、割と早かったと思う。


 白銀色の髪に茶色の瞳の父は下膨れの美男子と言われているが、実際は銀髪コンプレックスを拗らせた厄介な人で、アーロンを生んだ母に対する態度は酷いものだった。


 本来なら下膨れの嫡男を生めば、それだけで母の価値は跳ね上がりそうなものだけれど、我が家は違った。父は母の菫色の瞳が遺伝したことに憤りを感じたらしい。白銀髪は父からの遺伝だというのに理不尽だ。


 父が使用人の前で母を罵倒するせいで、使用人までもが母を馬鹿にした態度を隠さない。茶髪に菫色の瞳の儚げな母は、部屋からほぼ出ない生活を長らく続けていた。




 祖父がビルバリ子爵とレナを領地に招くようになったのは、母が既に引きこもりがちになっていたころ、アーロンが九歳の時からだ。


 決して居心地がいいとはいえない我が家に滞在していても、レナはいつも零れるような笑顔を振りまいてくれた。それは密かに荒んでいたアーロンの心を癒し、彼女の滞在中だけは、息苦しい邸内でも笑っていられたほど。

 夏だけ領地に滞在していた母も、庭園でレナと花を摘み楽しそうに笑っていた。


 貴族学園に入学しても、レナが来る夏だけは領地へ帰ろう。

 そう心に決めていた十四の夏。

 十五歳の成人を秋に控えていたあの日、珍しく呼ばれた父の書斎で頭を殴られたような衝撃が走った。


「図々しくも、我が家と縁を結びたいそうだ」


 端的に切り出した父は、鼻で笑った。誰が、など聞かなくてもすぐにわかった。

 祖父が二つ返事でそれに了承したことが、父の逆鱗に触れた。領主である自分を差し置いて、嫡男の婚約者を決めるなどあってはならないことらしい。

 祖父が一度了承したにもかかわらず、横暴な態度で断りを入れたらしい。


 レナの滞在中は領地にいないはずの父が滞在していたことや、普段より長いレナの滞在日数から察して用心しておくべきだった。


「あんな見目でよくも我が家になどと。しかも、アレを気に入ってる父と妻の前で言うとは。さすが賤しい商売人らしい手法だ」


 父はビルバリ子爵が領地の観光事業を軌道にのせたことを不快に思っていた。綿の流通の際、ちょうどよい休憩場所になり、サウザ領に用のある多くの商人達が利用していたのが面白くないのだ。


 矮小なことだと思う。


 商人達が活発に行き交ってこそ、サウザ領も潤うというのに。父からすれば『我が家のお陰で成り上がった』になるのだから笑ってしまう。


 ビルバリ子爵なら、サウザ領などなくとも何らかの事業を軌道にのせただろう。

 たまたまその先にサウザ領があっただけ。

 さすがに祖父は理解しており、むしろ恩恵を受けていると話していた。


 コンプレックスとは、人をここまで卑屈にするのだろうか。

 まだ子爵位を継いでいない嫡男のトリスタンを、見目の悪い無能息子と罵っている。他家のご令嬢を『アレ』などと呼んでいる自分の下劣さには気付かないようだ。


 アーロンに言わせれば、そんな父こそ無能だ。

 たまたま綿の産地で、先祖代々の恩恵を受けているだけだというのに。人を見下すことでしか自分を保てない可哀そうな人。


「お前も二度とアレが勘違いしないよう、態度に気を付けろ。気のあるフリなど、かえってアレのためにならん。話は以上だ、下がれ」


 アーロンは何も言わず書斎を出た。

 我が家に嫁入りなどしたら、人の悪意など知らないあの可愛いらしい笑顔は曇り、涙にくれるだろう。母がそうだったように。


 そんなことになれば、自分を許すことが出来なくなる。

 どんなに彼女を愛おしく思っても、手に入れてはいけない。


 唇を噛みしめながら廊下を歩いていると、言い争うような声が聞こえてきた。


「令嬢が令嬢なら、侍女だかメイドだかわかりゃしないが、使用人も下品だね」

「全くだよ、躾けがなってないんだわ」

「なんでアタシらがこんな子の部屋の掃除をさせられなきゃいけないんだい。侍女だなんて威張ってないで、アンタがやったらいいさね」

「田舎モンのくせに、侍女だなんて笑っちまうね」

「アンを馬鹿にしないで!! アンは立派な侍女です。アンを貶めるということはビルバリ子爵家への侮辱とみなします」

「はっ、弱小子爵家の醜女令嬢がなにを言ってんだい」

「ちょっと、さすがに言い過ぎだよ、あんた」

「なにさ、急に。さっきまで一緒になって――」


 普段から母の前で悪態をついている二人組だった――彼女たちに限らず、我が家には程度の差こそあれ低俗な使用人しかいない。

 自分の中の怒りのスイッチが静かに作動した。


「なにを騒いでいるのかと来てみれば、大切なお客様を我が家のメイドが罵っているなど言語道断だね」


 レナの前で跪き、胸に手を当てて頭を下げた。小さな赤い靴が目に留まる。父もメイドも、なんて酷い仕打ちをするのだろう。


 この可愛い子が何をしたというわけでもないのに。


「我が家の使用人の暴言をお詫びいたします」

「アーロン様が謝ることではありません」


 毅然とした態度に胸を打たれた。


「いいえ。我が家の失態です。父に報告し、この者たちは然るべき処分を致します」

「――わかりました」


 了承はしてくれたけれど、納得してはいないような声だった。

 こんなにも大人びていたのか。驚きと共に、得難い女性だったのだと気付く。


 それに反して、悲鳴をあげながらアーロンにすがるメイドたちの醜さよ。

 自分の言葉には責任をもて。


「申し訳ありません。着替えと休憩をしたいので失礼致します」


 笑顔がそぎ落とされたレナの顔には、拒絶が浮かんでいた。


 すがるメイドを振り払い、即座に父に報告する。


「くだらん、メイドの言うことは事実だろう」

「事実ですって?」

「躾けがなってないだろう?」

「お言葉ですが、躾けがなっていないのは我が家のメイド達では」

「なんだと?」

「ビルバリ子爵とレナ嬢は現在、我が家において大切な客人です。サウザ領はいつからお客様に暴言を吐くような賤劣(せんれつ)な場に成り下がったのでしょう」

「お前ごときになにがわかる」

「我が家のメイドが仕事を放棄していることはわかります。お客様の侍女に対し、自分で掃除をしろと言ってました。己の仕事に誇りがない証拠です」

「客だと? 私は招いてなどいない」


 これが一領主の態度だろうか。模範になるべき人物がこれでは、サウザ領はいずれ衰退するだろう。


「お前の偽善に付き合うほど私は暇ではない、下がれ」


 父の言葉に、堪えていた感情が決壊した。

 怒りにまかせて壁を殴ったら、こぶし大の穴が開いた。

 父はアーロンの反抗的な態度に驚き――少々手が震えていたようだ――減俸と洗濯場への移動を言い渡すと言った。洗濯女は下女と呼ばれメイド以下になる。


「他家へ放出を」

「ならん。我が家は人手不足だ」


 人手が足りないのはまともな人が辞めていくからだ。心ある者は荒んだ職場環境と母への暴言に苦しみ、泣きながら辞めていく。


「次はないと伝えて下さい」


 返事は聞かずに書斎を出た。

 自分の中で燻る荒々しい感情に折り合いがつかず、気がつけばレナとよく来る綿の花を見渡せる場所まで来ていた。


「アーロン君」


 声で誰なのかすぐにわかった。振り返り頭を下げる。使用人の暴言はきっとこの人に伝わっている。


「君がそんな風に頭を下げる必要はないよ」

「父と、使用人の態度をお詫びいたします」

「いやいや、私も歳だね。孫の気持ちを勝手に汲んだつもりになっていたよ」


 顔を上げれば、困ったように眉を下げたビルバリ子爵が頷いていた。薄茶色の瞳が柔らかくアーロンを見つめ、皮膚が裂け血を流す右手にハンカチを巻いてくれた。


「君が責任を感じるようなことは何もない」

「ですが私は……」


 レナのことが、とても好きだった。

 この国がどんなに彼女の容姿を否定しても、ほころぶ蕾のような姿が愛おしくてたまらなかった。


 こんな家でさえなければ、自ら婚約を申し込みたかった。


「どんなに想い合っていても添えないこともある。添うてもまた、失うことも」


 ビルバリ子爵の愛妻家ぶりは有名だった。早くに夫人を亡くし、それからは後添えも迎えず領地経営に奮闘していた。


「私はどうすれば……」


 いま思えば、そんなことを聞いていい相手ではなかった。

 けれども、ビルバリ子爵は咎めることも馬鹿にすることもなくアーロンの瞳を見て言った。


「君はとても美しい。私自身も、君が孫の夫であったらと願うぐらいにーーどうか自分を責めることなく、君は、君自身を幸せにするんだよ?」

「…………それは、ご自分の……お孫さんに掛けるような……お言葉ですね」


 震える声で伝えれば『誰も見ていない』と言って、ビルバリ子爵はアーロンを抱きしめた。


 父からは得られない優しい抱擁に、涙が止まらなかった。





 その後、どんなに手紙を送ってもレナがサウザ領に訪れることはなかった。

 当然のことなのに、半身をもがれたような気持ちになった。

 レナの訪れない領地になど、帰る意味などない。

 加えて母の精神が限界を迎え、療養施設に入ったため王都の邸宅にも帰らなくなった。


 その頃、祖父から次期当主に指名したいと手紙が来たけれど断った。父と愛人の間に生まれた子が茶髪だったことに不安を感じているらしい。それすら祖父の怠慢のように感じてしまい、反抗心が頭をもたげる。幾度となく送られてくる釣書も見ないまま山積みにした。

 母が施設に入っても、アーロンがどれだけ帰らずとも、父からの手紙は一度も届かなかった。


 そして。

 学園の寮に入っている間に騎士団の入団試験を受け、学園の卒業後に入団し、今に至る。


 憧れのイグナート・ビルバリ副団長と共に騎士団に所属していることは、アーロンにとって幸福としか言いようがない。


 騎士団も、騎士団の寮も、とても快適だ。


 一生を剣に捧げると決めている。



 レナが婚約破棄されたと聞き、出来る限り手を尽くした。けれども、彼女をいまだ愛おしく思っているこの気持ちを伝えることはない。

 エルメルトであれ、フェルミンであれ、彼女を尊重し慈しむ相手なら誰でもいい。


 自分はただひたすら彼女の幸せを願うだけだと、そう思っていたのだけれど――――





 どうしても二人きりにして欲しいと、前日までレナが学園に行くことに反対していたエルメルトに頼まれた。


 真っ赤な顔で馬車から降りてきたレナをアンが介抱し、アーロンは馬車から降りてきたエルメルトに頭を下げた。


「エルメルト殿下、お帰りなさいませ」

「うん、我がまま言ってごめんね。僕の護衛をしなかったという理由でアーロンが罰せられないよう、王太子殿下やイグナート殿には許可をもらったから」


 優しいエルメルトらしい気遣いだと思う。


「いえ、私からも副団長には確認の連絡をしましたので、大丈夫です」


 単身でこの国を訪れるぐらいなので、本当はエルメルトに護衛は必要ない。

 それでも必ず護衛をつけるのは、彼がこの国にとって重要人物だからだ。

 彼を尊重しているという態度を貫かなくてはならない。

 それほどまでに、彼のもたらす魔石や魔道具には価値がある。


「アーロン様」


 エルメルトの背後に控えていたら、ジルドにそっと話しかけられた。

 珍しいことがあるものだと驚きに目を見開いた。


「これまでの数々のご無礼、申し訳ございませんでした」


 確かに彼の態度は使用人としては褒められたものではなかっただろう。けれども貴族的な表面だけのお綺麗な対応をされるよりも、ジルドぐらいハッキリとした拒絶を示してくれるほうが心地よかった。


「いや、なにも」

「アーロン様の活躍は当主から聞き及んでおります。お嬢様のために尽力して下さり、ありがとうございました」


 フェルミンか。

 余計なことを、と深々と頭を下げるジルドに少々居心地の悪さを感じていると、今度はレナに話しかけられた。

 まだ赤みの引かない顔をしながらも、令嬢らしく振舞う姿に微笑ましさを感じる。なにか思うところがあるのか、エルメルトがそんなレナの腰を緩く引き寄せていた。


「先日の美味しいチョコレートのお礼と言うには、手作りで恥ずかしいのですが」


 渡された包み紙は菫色のリボンが掛けられ、とてもよい香りがした。


「祖父が好きだったクルミ入りのクッキーです。良かったら召し上がっていただけませんか?」

「それは……」


 懐かしさのあまり、頬が緩む。


 レナが領地に遊びに来るたびに、持ってきてくれていたものだ。小さな手で焼かれたクッキーは愛らしい形をしていた。


 先日、熱を出したレナに、むかし彼女が好きだと言っていたチョコレートを贈ってしまった。ただ幸せを願うという誓いに反する行動だったと、密かに後悔していたのだけれど。

 

 チョコレートのことを覚えているよ、というメッセージのようで。自分の浅ましい心を許されたような気がした。


「ありがとうございます。いただきます」


 頭を下げたアーロンの斜め上で、エルメルトが自分も欲しいと拗ねた声を出している。


「殿下もご一緒にいかがですか?」

「それはアーロンのでしょ!?」

「……それは、そうですが」


 困ってしまい、思わずレナに視線で助けてを求めてしまった。


「僕は、僕に焼いてくれたやつが欲しいの!」

「わかりました。すぐ焼きますから。殿下がお好きなのはココアクッキーですよね? それにしますから、ね?」


 慌てたレナに宥められ、エルメルトが笑顔になる。

 会う度に仲良くなっていく二人を見て安堵する。

 きっと誰もが羨むような、仲のいい夫婦になるだろう。

 

 レナの笑顔を見ながら、胸の中に長らく渦巻いていたしこりが、霧散していくのを感じた。




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