20. フェルディナントの決断
延期されていた手続きのために、イグナートとフェルミンと三人で王城を訪れた。
本来ならトリスタンも来るところではあるが、アドラがレナに毒を盛ったことに対する責任の一端があるとして当主交代と領地での謹慎を言い渡されている。
事件への関与は完全に否定されているので、対外的に罰を与えているように見せるためだと説明された。
元々、数年のあいだに当主交代の予定だったので、ビルバリ子爵家としては何も困らないのだが、被害者でもあり加害者でもあるような、複雑な気持ちになる。
今日はイグナートたちの婚約と当主代行手続き、フェルミンの当主指名、さらにはレナのエルメルトの婚姻のための書類作成(こちららは別室だが)まで行うらしい。
事件に関わった人たちの沙汰にも触れるらしく、事前にイグナートから内容を聞かされた。今はそのことについて、あまり深く考えないようにしている。イグナートにも、その方がいいと言われた。
これから少しずつ、長い年月をかけて折り合いをつけていくのだろう。
そしてフェルミンは、次期当主指名どころか当主指名になってしまった。十八歳を迎えるまではイグナートが代行になるが、環境がガラリと変わってしまうので心配だった。
けれども、レナの心配をよそにフェルミンはケロリとしており、ダンスを含め色々と仕込まれておりますと言われた。
「お入り下さい」
陛下の側近に声をかけられ、中に入る。
紺色のドレスをしっとり着こなしたマルガリータがニコリと笑って迎えてくれた。その横を通り過ぎ、揃って陛下に頭を下げる。
「よい、顔を上げよ」
陛下の脇にはフェルディナント王太子殿下とチェストミール殿下が控えていた。
「マルガリータのことでは、そなたには大変な苦労をかけたな」
陛下はまず、マルガリータとオリヴェルの騒動について労われた。
「マルガリータは気の小さいところがあるのでな。そなたとなら安心だ。二人の婚約を祝福しよう」
「ありがたき幸せに存じます」
イグナートがもう一度頭を下げた。
「さて、フェルミンの活躍はわしにも届いておるよ。戸惑うこともあろうが、よきお手本となる父がおるので大丈夫じゃろう。これからも励むように」
「精励する所存にございます」
フェルミンは胸に手を当て、静かに頭を下げた。
「レナ嬢よ」
「はい」
「ファルエイネは不思議な国でな。友好的であるのにどこか閉鎖的で、穏やかであるのに鉄壁の守りは荒々しい。深部に潜り込めたものはおらんし、王族が政略結婚したことのない国なのじゃ」
「そのように、お聞きしております」
「うむ。それゆえ、我が国としても大変有意義な婚姻となるのじゃが――まぁ、そんなことより」
金色の瞳が優しく細められた。
「幸せにおなり」
「っ……、ありがたきお言葉、痛み入ります」
「うむ。さて、わしの仕事はこれで終わりかえ?」
陛下は、コテンと首を傾げて王太子殿下に聞いた。
赤い燃えるような髪に金の瞳の王太子殿下は、口元だけ緩めて『お疲れ様でございます』と言った。
「この後は私が説明してもよろしいですか?」
王太子殿下が言うと、陛下はコクコク頷いた。
陛下はすでに全権を王太子殿下に委ねている。高齢のため、こういった式典に出てくるだけだ。
「何年も前から、茶髪のチェストミールを押す勢力が、たびたび事件を起こしていてね。ヘストン男爵家の猟奇的な事件も、レナ嬢の事件も、そういった色彩差別者絡みの事件であり、延長線上にあるものだと思う。そしてマルガリータの離婚こそ、そういった者たちに私を下ろす理由を与えてしまいかねなかった。赤毛の姫は結婚すらまともにできないのか、それでは赤毛の王など国を困窮させるに違いない、とね」
王太子殿下も赤毛であり、第二王子のチェストミール殿下だけが茶髪だった。三人とも王族らしい金色の瞳なのだけれど。
赤毛は亡き王妃陛下からの遺伝だ。
王太子殿下だけ下膨れではないせいで、余計に色彩差別者が騒いだのだろう。
大国のパティロニアの第三王女だった王妃の赤毛を、表立って罵る人はいなかったと思うけれど、王宮内では色々あったのかもしれない。
「ほんっと、くだらない!!」
マルガリータが叫んだ。
「下膨れが美人だなんて、不細工に生まれた昔の王様が作った嘘なのに!! なにが金貨の入った革袋よ、馬鹿らしい!!」
下膨れの陛下とチェストミール殿下が下を向いてしまった。いたたまれない気持ちになる。その話をイグナートから聞いたときのレナの衝撃も相当なものだった。
「そう。そんなものは嘘だ。私は国民に対し、そのことを詳らかにしていこうと思う」
王太子殿下の決断に、レナは息を呑んだ。
あらかじめイグナートに聞かされていたけれど、王太子殿下の口から聞くと重みが違う。
「それと、今回の事件の沙汰について触れたいのだがよろしいかな?」
王太子殿下が確認をするように言った。
皆は一様に頷いて了承した。
「数々の殺人、毒殺未遂の罪でヘストン男爵とその夫人や妾、アドラを含む事件に関わった男爵の子息子女は全て死罪。お家取り潰しが決定した。
実行犯のサリーは情状酌量の上、三年の禁固刑。他の使用人も関わった罪に応じて禁固刑を課す。
またオリヴィア嬢とセレナ嬢という男爵の娘は未成年であることや、殺人には関与していないことから、戒律の厳しいパティロニアの修道院へ入ることとなった。男爵家の歪んだ教育が正されることを願う。
そしてオリヴェル・デュナンは貴族籍から除籍の上、国外追放。
ケビン・エルウッドとセザール・デュナン、ヘイノ・キュラコスキは貴族籍から除籍の上、五年の禁固刑の後、北西部の橋の建設にて労働を課すこととする。その期間は本人たちの素行次第となる。
エルウッド子爵家、キュラコスキ伯爵家は嫡男に当主交代の上、領地の一部返還を申し出てきたため、貴族院で審議のうえ了承。返還された領地は隣接する領地に吸収されることが決定した。
またレナ嬢への一方的な婚約破棄に対する慰謝料については、エルウッド子爵家嫡男のフィル・エルウッドが倍額の支払いを申し出ており、そちらは近々ビルバリ子爵家を通してレナ嬢へ支払われる。
そしてキュラコスキ伯爵家によるベラ嬢への虐待についてだが、こちらは審議の結果、罰金刑を課すこととなった。大半をベラ嬢への慰謝料とする。ベラ嬢は虐待の被害者であるため今回の件に関する罪は問わないことが決定している。
さて、大変残念なことではあるが。
オリヴェルとセザールという二人の罪人を出したデュナン侯爵家は、反省がみられないことから、異例ではあるが子爵位に降爵の上、領地の大半を没収。
爵位は嫡男が継ぐものの、領地の規模からいって税収だけでは貴族としての暮らしは厳しいだろう。手腕が試されるところであるが、不当な税収を課すなど、領民に不利益が被らないよう厳しく監視していく。
以上。質問はあるだろうか?」
「なぜオリヴェルを禁固刑になさらないのですか?」
マルガリータが頬を膨らませ、それをイグナートがどことなく愛おしそうに見ているような気がした。
王太子殿下もクスリと笑い、予想通りといった顔で頷いた。
「追放先は我が妃カタリナの母国、美形の国で有名なバルリンディだからな」
「まぁ! 芸術の盛んな美の国ですわ」
「そうだ。それこそカタリナやレナ嬢のような美女や、イグナートやフェルミンのような美男子しかいないような国だ」
「それはよかったですわ」
マルガリータが楽しそうに笑った。
「あの顔では、男娼にもなれないだろう。今までのように女が言うことを聞いてくれるということはないだろうから、食べるのにも苦労するだろう。国をまたぐのも、それなりに金が必要だしな」
「お辛いですわね」
「禁固刑より、彼にはそちらのほうが堪えるだろうね。なにせ、この国では禁固刑にしたところで、あの顔にやられる人が出てきそうなのでね。先手を打ってというところかな」
バルリンディ国が芸術の国と言われていることはレナも知っている。
どうしても、彼の顔なら、なんでも許されるというイメージがこびりついているのでピンとこないけれど。
そんなレナを見た王太子殿下はひとつ頷いてから、顔を引き締めて言った。
「美醜など、ところ変わればというやつなのだよレナ嬢。歪んだこの国の思想がレナ嬢を苦しめてしまったこと、心からお詫び申しあげる」
綺麗な赤い髪がサラリと揺れ、王太子殿下が頭を下げた。
「そ、そのようなこと、なさらないで下さいませ」
焦ったレナに、顔を上げた王太子殿下は緩やかな笑顔を向けてくれた。
「エルメルト殿下は変わった御仁ではあるが、とても聡明なかたでもある。私もレナ嬢の幸せを願っているよ。どうかお幸せに」
「ありがたきお言葉、痛み入ります」
震えながら頭を下げた。
わかっていたはずなのに、王族のエルメルトが遠い存在のように思えてしまった。
* * *
エルメルトと合流し、フェルディナント王太子殿下の執務室に通された。さぞ煌びやかな部屋なのだろうと胃の痛くなる思いで入室したところ、とてもシンプルな部屋で余計なモノは一切置かれていなかった。窓が大きく明るい部屋ではあるけれど、王族というよりイグナートの執務室のようだと思った。
王太子殿下の机だけでなく、二人の側近どちらにも書類が多く積まれており、参考文献が高く積まれているせいで、二人の顔が見えない。
「こんな殺風景な部屋で申し訳ないが、楽にして欲しい」
勧められるまま座り心地のよいソファーに腰かけた。エルメルトに『瞳の色と同じ色でとても綺麗だね。似合ってるよ』と褒められたドレスの裾が揺れる。
既に作成されていた書類に二人でサインをすると、ファルエイネに直接書簡を送れる魔道具(もちろんファルエイネ製)に乗せられ、あっという間に送られていった。
忽然と消えた書簡に驚きが隠せない。
「これは転移の手紙バージョンだから、難しいものじゃないよ」
驚いているレナに、エルメルトが優しく教えてくれた。
「とはいえ、なかなかのお値段なので、この部屋にしかないのだけれどね。さて、ここまで来てもらって申し訳なかったね。これで手続きは完了だよ。いつでも結婚できるね」
片目をパチンと閉じて王太子殿下が笑った。謁見の間では見られなかった気さくな雰囲気に緊張がほどけていく。
エルメルトと一緒にお礼を言って、出された紅茶を一口飲む。
「エルメルト殿下には、マルガリータがお世話になりっぱなしだね」
「いえ、お世話だなんてとんでもない。この国で魔石が売れるようになったのはマルガリータ様のお陰ですから」
「それだって助かったよ。レナ嬢が救われたのだって魔石のお陰だし。カタリナも魔石のおかげで無駄に毒を盛られることもなくなったしね」
さらりと交わされた台詞に目を見開いた。
「反王太子派は過激だからね。王族はもちろん、妃もバルリンディで王女だった頃から毒には慣らしてはいたけれど、中にはキツイのもあるからね」
赤い髪をかきあげながら、なんてことなさそうな雰囲気で言われた。
「ファルエイネでは盛ったところで無駄だと皆が知っているので、もうなん十年も前に誰も盛らなくなりましたよ」
のんびりとした口調だが、エルメルトが言っている内容も怖い。
「あれ? 怖がらせちゃった!? ごめんね? 結婚したくなくなっちゃったかな!? 今の王宮はそんなことないから、大丈夫だからね??」
焦ったようにレナを見るエルメルトに、なんとか首を振って誤魔化した。ネックレスがあるので毒で死ぬことはないだろう。今は違うと言われても暗い気持ちにはなる。
それでも、エルメルトと離れるなんて考えられないのだけれど。
「こんなに活躍しているのに、ファルエイネで穀潰しとか言われてるって聞いたのだけれど、本当?」
「本当ですよ。絵ばっかり描いてって毎日宰相に怒られてます」
「殿下の場合それが本職でしょうに」
「そう理解してくださるかたは一握りですから」
エルメルトの言葉に、王太子殿下は少し考える素振りをみせた。
「イグナートに、例の鑑定機が欲しいと言われてるんだけれど、予算が通るか微妙なところなんだよね」
「そうですかぁ~。売れたら嬉しいなぁ」
「高いんだよねぇ」
「すみません、無駄に力作なんで」
エルメルトが頬を掻いて笑う。
「これは取引なんだけれどね」
「……なんでしょう」
王太子殿下がとてもいい笑顔で取引内容を語り、エルメルトが首を振った。
それを見ていたレナは、エルメルトの袖をツンツンと引いた。
「やります。やりたいです。お役に立てるなら」
「えぇぇぇ……」
「そうしたら、なんとか機というのを買ってもらえて、ファルエイネでエルメルト殿下が褒めてもらえるんですよね?」
「褒めて……うん、ちょっと違うけど可愛いからいいや」
「え? 違うんですか!? 売れても誉めてもらえないんですか!? 叔父様が欲しがるほど便利で貴重なものなんですよね!? それを発案したのはエルメルト殿下なんですよね!?」
レナが必死に言えば言うほどエルメルトは何かを堪えるように身を捩り、王太子殿下は口を開けて笑い出した。
「レナ嬢、これからもその調子で。ファルエイネとのかけ橋になってもらいたい」
エルメルトの袖を握ったまま、王太子殿下のいい笑顔に押されてコクンと頷いてしまった。
できることがあるならば、これからも協力したい。
なぜか横でエルメルトが【もう無理可愛いしぬ】と言って顔を両手で覆っていた。




