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16. フェルミンの告白

 



 食べ終わったモニカと一緒に、トレーを持って立ち上がった。最近忙しさにかまけて訓練がおそろかになりがちだったので休憩時間のうちに体を鍛えておくことにする。

 訓練場へ行き、騎士団員たちと稽古に励んだ帰りにアーロンを連れたバレリアノ隊長に呼び止められた。


「今日はビルバリ子爵家に帰るのか?」

「その予定です」

「そうしたらあれだ、レナ嬢が気にされていた彼女のことを伝えておいてもらえるか?」


 レナが気にしていた女性とは、ケビンのいる部屋へレナを連れて行ったベラ・キュラコスキという名のキュラコスキ伯爵家の離れに住んでいる令嬢で、ヘイノの異母妹のことだ。


 バレリアノの話ではキュラコスキ伯爵がメイドに手をつけて生まれた子らしい。離れに住まわせながらも、日常的に酷い虐待を受けていたらしく、あの日もレナを連れて来ないと鞭で打つと言われて脅されていたそうだ。


 虐待するぐらいなら、母親と二人、市井に放たれたほうが幸せだったんじゃないかとフェルミンは思う。

 母親は何年も前から行方知れずらしく、こちらも第三が調査中だ。


 ベラは現在、騎士団に拘留されている。本人は騎士団にいる方がご飯が食べられるし暴力を振るわれないので嬉しい、伯爵家には帰りたくないと言っているらしい。そう言いたくなるぐらいの環境だったのだろう。


 ちなみにヘイノはジルドがアドラに渡した偽物のエメラルドを、セザールの指示で売りに行ったところで捕まった。あの偽エメラルドは祖父が本気で作った玩具のため、売られた場合は窃盗のため、迷わず通報して欲しいという文言が箱の底を開けると書かれている。真面目な店主は、精緻な箱の台座の下まで見分したうえで通報してくれたようだ。


 アドラはセザールにエメラルドを盗まれたと言い、そのセザールは換金しろとアドラに命令されたと供述しており、偽エメラルド問題は泥沼化している。


 久しぶりにバレリアノの傷だらけの迫力のある顔と声にビビッて漏らす奴が出たよ、と噂になっていたのだけれど、どうやらヘイノのことだったらしい。自分より弱い者には暴力をふるうくせに、自分がされることには極端に弱いという典型的なクズだ。


 いわゆる別件での逮捕というやつで、ほとんどがセザールとの関りや、ベラへの日常的な虐待に対して厳しく取り調べを受けている。虐待の内容は、ざっと聞いただけでも耳を塞ぎたくなるようなものだった。エメラルドのことがなくても捕まるのは時間の問題だっただろう。


「やはり酷い扱いを受けていたんですね」


 バレリアノの斜め後ろに控えていたアーロンの顔が険しいものになった。取調室の記録係が、ぼそっと『アーロンさんて美人なのに怒ると怖いんですね、僕チビりそうになりました』なんて言ってたのを思い出した。バレリアノがますます気に入っている様子で連れまわしているらしい。


 ジルドはレナがアーロンに婚約を断られてから容姿コンプレックスになったと思っているらしく、アーロンのことをめちゃくちゃ嫌ってるけど。

 婚約が成立しなかったことについては、他人にはわからない事情があるのだろうとフェルミンは思っている。アーロンの清廉潔白な感じは見ていて気持ちがいいし、普通に強いので密かに尊敬している。恋敵だと勝手に思っているので、口には出さないけれど。

 ちなみに、下膨れが美しいと言われているけれど、フェルミンからすれば、銀髪に菫色の瞳の色彩と、目鼻立ちが綺麗だなぁと思う。


「母親もまだ見つかってないし、結局、ひとっつもいい話じゃねぇんだけどよ。それほど重くない罪でそのうち出られると思うし、虐待は明らかだから保護法を利用して伯爵家には帰さないようにするからよ。本人の希望でもあるしな。環境のいい修道院か、働きながら暮らせる場所を見つけるからさ。第四が動いてるから、そう時間もかからねぇと思うんだ」


 怖い顔をくしゃくしゃにしてバレリアノが言った。

 アーロンもそうだけど、強い人は女性に優しい。


「わかりました。レナ様には私から伝えておきます」

「うん、頼むわ。お前も少し休めよ、あんま寝てねぇだろ?」


 首を振って否定したけれど、わかってるとばかりに肩を叩かれた。アーロンの綺麗な顔が緩く微笑んでいて、なんだか落ち着かない気持ちになりながらその場を後にした。






 * * *






「ですから、それほど重くない罪で出られると思いますし、現状よりはいい環境を騎士団が用意してくれると思います」

「そう……」


 ビルバリ子爵家の庭園にあるテーブルで、レナは目を伏せて黙ってしまった。

 バレリアノの言う通り、ひとつもいい話ではない。彼女の傷は消えず、母親と暮らせるわけでもない。



 タイミングよくアンが温かい紅茶を淹れなおしてくれた。甘い香りで、なんて名前の紅茶か忘れたけれど美味しいと思う。


 隣に座っているレナも、一息ついたような雰囲気だった。

 何も話さない時間でも一緒にいるだけで幸せな気持ちになる。

 忙しかったフェルミンにとっては、久しぶりの休息でもあった。

 四阿ではなく、レナが小さい頃から好きで使っている庭の隅の小さなテーブルに通されたことが嬉しかった。昔からここでよく一緒に本を読んだりお茶を飲んだりしたから。


 柔らかな風が吹き、レナの眩い金の髪を揺らす。

 それを、とても美しいと思う。

 どうしてこの色が忌み嫌われるのかわからない。

 煌めきが誰かの嫉妬心を刺激したせいじゃないかとさえ思う。


 静かに立ち上がったフェルミンを、不思議そうな顔でレナが見つめた。


「私は、レナ様を心からお慕いしております」


 目の前で跪いて、胸に手を当てて言った。

 唐突なのは仕方ない。

 エルメルトが結婚を申し込んでいる以上、時間がないから。


 アンがレナの後ろでポカンとしていたけれど、構っていられなかった。


「それって、私と子爵家を継ぎたいってこと?」

「違います。今は正直、爵位とかどうでもいいです」

「本気なのね?」


 レナの顔を見上げて、頷いた。

 蒼の瞳が揺らめき、そこに映る自分は情けない顔をしていた。


「フェルミンのことは大切な、とても大切な家族なの。だから、ごめんなさい」

「男としては見られないですか?」

「大好きよ。でも……」


 そんな哀しい顔しないで。

 泣きそうな頬に手を伸ばしかけて、それは自分の役目じゃないことに気付いて下ろしてしまった。

 それはたぶん、エルメルトの役目だろう。


 二人が出会った瞬間から、なんとなく、こうなることはわかっていた。



「私なんかより、フェルミンにはもっとふさわしい人がいるわ」

「考えられないです」

「そんな……」

「今は、考えられないです。でも、私は誰よりもレナ様の幸せを願っています」

「フェルミン」

「だからどうか、ご自分のことを、私なんか、などと言わないでください」

「――そうね、ありがとう」


 泣かせたくないのに、結局泣かせてしまった。

 自分が酷い扱いを受けても絶対に泣かないのに、フェルミンのことを思って泣いてしまう姿に切なくなる。


 レナがいつか、自分のために泣けるといいなと心から願う。


 それがエルメルトの元であれば、安心だろう。

 フェルミンからみても、エルメルトはいい男だと思うから。





 まだフェルミンがレナより背が低かった頃。

 フェルミンよりもはるかに体の大きい子に殴られ、唇を切ってしまったことがある。少し離れたところにいたレナは、フェルミンが唇を擦ってることに気付いてすっ飛んできた。それがまたもの凄く速くて、フェルミンはそのことに気を取られて顔の痛さを忘れたほどだった。フェルミンの周りにいる女の子は、みんな走ったりしないから。


 フェルミンを殴った子はレナと同じ年の子で、実はその子はレナのことが好きで。レナにはそれが全く伝わっていなくて、ジレた上に、レナにかまわれてるフェルミンが目障りだったのだ。


「自分より小さい子には優しくしなさいと、習わなかったの!?」


 叱られた子は驚き、泣き叫んだ。騒ぎを聞きつけた人が邸内から出てきて、レナはリズに怒られていた。その後、唇を切ったフェルミンの顔を見て理由がわかったらしく、親同士が話し合って、その場はおさまったのだけれど。


 レナは昔から弱い者イジメが嫌いで、黙っていられないタイプだった。

 そんなレナは憧れだったし、心の底から大好きだった。

 彼女はこの日のことなんて、全っ然覚えていないけれど。


 それからは、強いレナを守れるぐらい強くなろうと思い、騎士団を目指した。

 イグナートに『学園で習うべきことを前倒しできるなら入団試験を受けてもいい』と言われ、訓練と勉強に明け暮れた。


 結果、史上最年少で騎士団入りを果たしたけれど、初恋のほうは残念ながら叶わないようだ。


 けれども。

 どこか吹っ切れたような軽い心持ちになっている。


 それというのも。


 訓練場へ行く前、モニカと一緒に食堂を出たあの時。

 モニカにちょいちょいと手招きされて、少し下にある彼女の顔のほうへ耳を傾けた。


「相手の幸せを願えるほど心の広い男になれたら、アタシがお前を追いかけてやるから安心して告ってこい」


 ビックリして顔を見れば、もの凄い真っ赤な顔で。


「そんな真っ赤な顔の人に言われると、さすがに俺も勘違いしますよ?」

「そのまま勘違いしとけ」

「マジっすか」


 コクコク頷いている。理由はわからないけど、モニカからモテているらしい。

 フラれた上でレナの幸せを願えるようだったらって、レナへの気持ちごと受け止めるってことだ。

 さすがのフェルミンにも、それがどれだけ凄いことかわかる。


 その後のモニカの大きな独り言は、フラれたフェルミンの心を後々まで癒してくれた。


「はっ、しまった! フェルと結婚したら子爵夫人じゃん!! どーしよ、やっべ」


 無計画かよ!!


 真っ赤な顔で慌てるモニカは、めちゃくちゃ可愛いかった。




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