12. イグナートの笑顔
ビルバリ子爵家の領地の邸内を、トリスタンに続くようにして進んだ。足早に夫婦の主寝室へ向かう。
フェルミンは王都に留まらせようと思ったが、どうしてもというので連れてきた。王都の屋敷が手薄になると言ったら、モニカ・ポルポラがレナの護衛をかって出てくれたようなので、よしとした。なんでもケビン相手に立ち向かった姿に感銘を受けたとかなんとか。どうやらレナは一躍有名人になってしまったようだ。
部屋の前まで来ると、トリスタンはノックもせずに扉を開け、同時に中から若い男の悲鳴が上がった。
「わあああああああ」
シーツでしきりに体を隠そうとしているのは、ケビンの友達のセザール・デュナン侯爵子息。その下で悠然とアドラが寝転がっていた。長い茶色の髪が寝台に広がり、突然の訪問者に眉ひとつ動かさない。肌を晒していることに抵抗がないのか、トリスタンに言われてようやく体を覆った。
「もうお帰りでしたの」
「王都には行ってないからな」
「そうですか。それで、なにか御用ですの? 冴えない男ばかり揃って。もしかしてセザールさんを捕まえに来ましたの? イグナート様は野蛮な騎士団所属でしたものね。どうぞ、連れて行って下さいまし」
シーツにくるまって震えていたセザールが『俺は何もしてない』と叫びながら寝台から飛び降り、逃げようとした。即座にフェルミンに捕らえられ、体を隠していたシーツで手足を縛られて床に転がされると、醜いうめき声をあげた。
「お前の男は、その小僧だけか?」
「お前の男? そのようなひとは、ただ一人しかおりませんわ」
「ほう? 誰だそれは」
「オリヴェル・ブルーメンタール様ですの」
うふふ、と少女のようにアドラが笑う。
「オリヴェル様だと?」
「ええ、そうですわ。あの方があたくしの唯一ですわ」
「マルガリータ様の旦那と、お前のような男爵家の庶子がつり合うわけなかろう」
「それを言うなら、あなたとあたくしのほうがつり合いませんわ」
「なんだと?」
トリスタンの低い声を聞いても、アドラは小首を傾げて笑っている。
「なぜ不細工なあなたと、あたくしがつり合うと? あなたがどうしてもと言うから『好きにしていい』という条件で結婚してあげたのに。あたくし、すっかり騙されてしまいましたわ。あたくしのオリヴィアが嫌がっていたのに結婚してあげたのに、結局レナちゃんが子爵になるだなんて。あたくしのオリヴィアも泣いてましたわ。本当のお父様はカッコいいのにって」
「オリヴィアは誰の子だ!?」
「もちろん、オリヴェル様ですわ」
「なんだと? お前は、私の子だと言ったよな!?」
「嫌ですわ。あたくしはただ、『そういえば、あの時そういうことを、いたしましたわね』と申し上げただけですわ。あたくしが大嫌いな金髪碧眼を生むなんて考えただけでも悍ましい。ですから、おいしくない避妊薬まで飲んだんですもの。あなたの子どもであるはずがありませんの。あたくしのオリヴィアがレナちゃんみたいにならずに済んで、本当に良かったですわ」
口元に手を当てて笑うアドラは醜い顔をしていた。背後でフェルミンが殺気立っていたので、視線で堪えろと促す。
「貴様、よくも私を騙したな」
「騙す? あたくしは一言もあなたの子だなんて言っておりませんの。あたくし、オリヴェル様と同じ黒目になるように、ちゃーんと選んで生んだんですの。ふふふ。思い通りオリヴェル様の黒目が遺伝しましてよ? 素敵でしょ? オリヴェル様もマルガリータ夫人の赤い髪が嫌いなんですって。下品だって、あんなのが妻だなんて嫌だと。本当はあたくしと結婚したかった、本当に愛してるのはあたくしだと、何度もそう言いながら求められたのですわ」
恍惚とした表情で、頭のおかしいことを言う。
私は心底、この女が嫌いだ。絶世の美女などと言われているが中身は妖魔の類だろう。
父がレナを次期当主に指名する際、トリスタンからの条件は『再婚は好きな女とする』というものだった。それ以外は父の言う通りにすると約束させ、交わされた何枚もの契約書の中に、トリスタンの結婚にイグナートは口を挟まないことが盛り込まれることになった。
その結果、アドラとの結婚をジルドやアンを通じて阻止しようとしたが、うまくいかなかった。
父と何度も議論した再婚の件が、結局は今の事態を引き起こしている。
レナを次期当主に指名することを優先しすぎてしまった。
「そうか、ではお前とは離縁だな」
「まぁ! して下さるの? 嬉しいわ。あたくし、こんなつまらない領地の屋敷に押し込められて息苦しくて仕方なかったのです。そろそろオリヴェル様も離縁されるみたいですし、ちょうどよかった」
得意げに胸を反らせているアドラに、トリスタンは無言で離縁書を突き付けた。
アドラは嬉々として書類にサインした。
「お前がオリヴェル様の妻に? 笑わせるな。寝言は騎士団で聞いてもらえ」
「なにを仰ってますの?」
「私を馬鹿にしたこと、牢の中で後悔するといい」
トリスタンがこちらを向いたので頷いて前に出ると、余裕の笑みを浮かべているアドラを拘束した。
「アドラ・ヘストン。騎士団へご同行願おう」
「あら、それはセザールさんだけにして下さいな。あのひと酷いんですの。レナちゃんをケビンさんに襲わせたんですって。女性の敵ですわね?」
背後で転がっていたセザールが何ごとかわめいていたが、フェルミンに黙らされた。
「生憎、メイドのサリーが、レナへの毒の混入はあなたからの指示だと供述しましてね」
「まぁ、役に立たないこと」
「オリヴェル様も現在は騎士団に拘束されておりますが、あなたのことも、子どものことも知らぬと仰せでしたよ」
「ふふふ。いやね。不細工な方たちって。嫉妬かしら? 男の嫉妬は醜いですわよ? 赤毛のじゃじゃ馬姫の情夫さん?」
後ろ手に縛ったアドラの手を引き、近付きたくもない耳元に唇を寄せ囁いた。
イグナートの囁きに、睨みつけてくるアドラを、引きずるようにして扉まで連れて行く。
外で待機していた騎士団員に、アドラとセザールを連行するよう指示した。
室内に戻り、トリスタンから手渡された離縁書を確認した。
トリスタンはアドラとセザールの関係に薄々気付いていたらしく、今回の話を持ち掛けてみれば、あっさり了承し、離縁書まで用意して臨んでくれた。
トリスタンが三日ほど王都へ行くと言い、わざと屋敷を手薄にしてみれば、案の定セザールを引きずり込んだ。セザールはアドラを利用しているつもりのようだったが、わざわざ領地まで来てしまうあたり、結局アドラに溺れたようにしか見えなかったが。
「彼女に未練はないのです?」
「私は馬鹿にされるのが嫌いなんだ。こんな茶番を仕組まずとも、直ぐに離縁ぐらいしてやったわ。お前にしてみたら、現場を突き付けなければ私がアドラとの離縁に応じないとでも思ったのだろうが」
驚きを隠さずに目を丸くすれば、見くびるなと言われてしまった。
「失礼ながら、あの女に骨抜きにされていたようなので。確かに証拠も押さえてますし、罪状も確定しているので、こんな現場を押さえる必要はなかったんですけどね」
「お前はいつもそうだ。回りくどい」
おやおや。
吹っ切れたような顔をしていると思えば。
「お前とリズが想い合っていたのは知っているんだ。だから私は、リズが離縁したくなるよう仕向けていたのに。お前は早くに妻を亡くし、すぐにでも再婚できるような状態だったにも関わらずグズグズしおって」
「はい? なんですって??」
「わからんのか! リズをお前に譲ろうと。お前とリズ、それからレナとフェルミンは四人で仲良く――私といるよりも本当の親子のようだっただろう?」
驚愕しているイグナートに、トリスタンが訳知り顔で頷き、勝手に納得している。
「いいえ、私と義姉さんの間には何もありません。義姉さんは、私とマルガリータ様の手紙の受け渡しをしてくれていただけです」
「なんだとっ!?」
「もし、仲良く見えていたのだとすれば、レナとフェルミンがいたからでしょう。子どもが関われば会話も増えます。それに、義姉さんはマルガリータ様と仲が良かったですし。当時、彼女はとてもお辛い状況にあり、私と義姉さんが相談を受けていましたので」
「アドラが言ってたマルガリータ様の情夫っていうのは本当なのか!?」
「いえ、誓って、そのような関係ではありませんでした」
頭を下げたイグナートの肩をトリスタンが叩いた。
「お前がそう言うのなら、そうなのだろう……。しかし、オリヴェル様まで拘束されているのは知らなかったな。彼は何をしたんだ?」
「レナの事件にも使われた魔道具を、女性を使って盗ませたんですよ」
「随分、卑劣な方なのだな」
トリスタンは意外そうな顔をしていた。
トリスタンにアドラを諦めてもらうために、オリヴェルのことは先に教えなかった。先に名前が出てしまえば鈍いトリスタンでもアドラと関係があると察しかねない。
それではインパクトが弱い。
「アドラのことでは迷惑をかけた。まさかレナに毒を盛るとは」
「……兄上、ひとつ聞いてもいいですか?」
「なんだ?」
「オリヴィアが実子ではないと、本当は知っていたのでは?」
薄々感じていたことだった。
親子だと信じていたにしては、あまりにも余所余所しい。
そもそもアドラとの関係も、本当にそんなに前からだったのだろうか。
「夜会で悪酔いして、介抱されたことがあってな。朝起きてみれば、裸のアドラが横にいた。私も半信半疑ではあった。十年以上経って久しぶりに会ってみれば、まだ誰とも結婚してないと言うし。あの時できた子かもしれないと聞けば、ひとりで育てるのは辛いだろうと、学園に入れるのも金がかかるだろうし。そう思って結婚を申し込んだ。それにアドラと結婚するなら、オリヴィアは私の子だろう?」
「兄上……」
馬鹿なんですか、と言いかけて止めた。
リズとイグナートを添わせようとしたり……全く理解できない。
いや、こんな風だから父は心配して、レナを次期当主に指名したのだ。一見、突き放しているようでいて、様々な契約書は騙されやすいトリスタンを守るための物だったように思える。
「なぜ使用人をアドラの言いなりに解雇したんです?」
「自由にしていいと約束して結婚したから、その……」
「なんですって?」
「そう怒るな、わかってる。これから戻ってきてもらえそうか、手紙を出すから」
「そうして下さい」
それじゃなくとも人手が足りないというのに。もう他家で働いてる者は難しいだろうけど。もしかしたら、とも思う。父が育てた素晴らしい使用人たちが、一人でも多く戻ってきてくれたらと願わずにいられない。
「誤解されているのは知っているが、私はレナのことだって、その……愛してるんだ。私に似てしまって、この国では生きにくいだろうと、自分を見ているようで辛くて。傷付けたことを、これでも後悔してるんだ」
「後悔しているのなら今からでも謝罪して下さい」
「………………」
「兄上」
「……わかった」
いい笑顔で笑うと、トリスタンが嫌な顔をした。
「それから、マルガリータ姫と婚約しますので宜しく」
「ハァ!? お前、情夫ではないと先ほど言ったではないか!」
「情夫などではありませんよ。兄上と違って、何もしておりませんので」
「お前、くそっ、私だって、私、私は記憶がないが。私はリズを愛していたのにっ、だからお前とのほうが幸せならと、くそっ、なんであの時、酒に何か入っていたのか!?」
「これからは女性に騙されないよう気を付けて下さいね?」
「………………」
「兄上?」
「わかった、わかったから。睨むな、おっかないから」
もう一度いい笑顔で笑うと、トリスタンはますます嫌な顔をして目を逸らした。




