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11. マルガリータの恋

 



「姫様、旦那様が……、いえ、オリヴェル様が門の前にいらしてるそうです!!」

「絶対に入れないで、わたくしはイグナート様に連絡をするから」


 侍女のカーラが頷いて部屋を出ていく。外でオリヴェルが門番と言い争うような声が聞こえる。窓を開ければ何を言っているのかはっきりするのだろうけれど、そんな気にはなれない。

 通信用の魔石を取り出し、イグナートに連絡を入れた。


『どうしました?』

『門の前にオリヴェルが来てるの』

『すぐ向かいます』


 通信の切れた魔石を握り締めてベッドに潜り込んだ。嫌でも身体が震える。

 世間ではじゃじゃ馬姫なんて呼ばれているけれど、本当は怖がりで気が小さい。マルガリータの本性を知っているのは侍女と護衛、父と兄。それからイグナートと――今は亡き、リズだけ。


 父がオリヴェルとの婚約を継続させた一番の理由は、マルガリータでは他国の妃が務まらないからだった。


 アティーム国で美しいとされる下膨れは、他国では醜いと言われているから。


 他国を知る者なら誰でも知っていることだ。口に出さないだけ。

 マルガリータが他国へ嫁げば、間違いなくお飾りの妃になるだろう。

 本来気の小さいマルガリータが、味方のいない他国で醜女であることを突き付けられ、冷遇されればどうなるか。父はさすがによくわかっていた。


 それでも、国内でもっとマシな男はいなかったのかと思うだろうが、いなかった。つり合いの取れる年齢と家格の男が。

 王侯貴族の女性が結婚しないなど有り得ないお国柄だ。抵抗はしてみたけれど、オリヴェルと結婚するしかなかったのは自分でもわかっていた。


 一度でも結婚すれば寡婦ということで人の目は変わるが、それも死別のみという厳しさ。これでは離縁する貴族女性など出てこないのも無理はない。家の体面を保つために周りから反対されてしまうからだ。


 婚姻し、下膨れの子どもを生み育てよ、という理念が、この国の根底にある。


 長らく未婚だったアドラは、貴族から軽蔑されていた。しかし、男爵家の庶子であるがゆえに貴族としての責務から遠かったのが幸いだったのだろう。オリヴィアが茶髪に黒目の下膨れだったことから逆に称讃されるようになった。どんなに矛盾しているように思えても、それがこの国の現実だ。


 そして、マルガリータの夫であるオリヴェルの見目は、貴族や民から絶大な人気があった。中身は驚くほど屑なのに、ひとたび微笑めば女性からは称讃の声しか上がらない。

 オリヴェルは、他に嫁ぎ先の無いマルガリータの事情を十分理解した上で自由を謳歌していた。手当たり次第女に手を付け、孕ませ、放置した。


 気まぐれに手を付けられ、行き先を無くした女性や子供を保護し、然るべき場所へ送り届けていたのはマルガリータだった。必要な物を買い、いくらかお金を持たせ、暮らせる場所を探した。多くは修道院に頼ったが、中には働きながら子供を手放さずに育てる女性もいた。


 公爵としての仕事をこなしながら、日々蓄積していく疲労とストレスに、このまま死ぬのかもしれないと、心の奥底で考えた。なんとか踏ん張っていられたのはイグナートとリズが支えてくれたから。


 結婚して八年経った頃、ようやくオリヴェルが実家のデュナン侯爵家の説得により、避妊用の魔石を持つようになった。

 遅すぎるのだが、それでも望まれない子どもの行く先を心配しなくてよくなったことに安堵した。

 こんな有様でも、オリヴェルにいいようにされてしまう女性が後を絶たなかったのは、やはり彼が黒髪黒目の下膨れだからだろう。


 茶髪が至高と言われながらも、黒髪の希少さもまた神聖視されているから。


 オリヴェル似の黒髪黒目の子どもを授かった女性は、貴族や商家などに子どもを養子に出したりして、裕福になった人もいる。

 そこからあぶれてしまった子供たちの行き先だからこそ悩ましく、時には国外の修道院へ送ることもあった。


「ようやく、離縁できたのに」


 毛布をかぶっても震えが止まらなかった。


 結婚生活は、気まぐれにマルガリータと寝所を共にしようとするオリヴェルとの闘いでもあった。

 もちろん初夜からである。

 あれだけの女性と寝ていて、病気を持っていないとは思えず、儀礼的に必要な初夜も吐き気がして無理だった。


 あの頃は護身用の魔石が無く、護衛が交代で扉を守ってくれた。よって、マルガリータは夫婦の寝室など一度も使ったことがない。左右に扉が付いている部屋では怖くて眠れない。


 あの男にいいようにされるぐらいなら死んでやろう。


 そう思い、短剣を抱いて寝ていた。

 鞘に入っていると直ぐに刺せないと思い、抜き身で抱いて寝ようとしたらカーラに怒られたのでやめたけれど。

 いつ死んでもいいと思っていた。


 政略結婚に必要な信頼さえ築けない。もちろんそれは、オリヴェルを受け入れない自分のせいでもある。

 だからせめて、傷ついた子どもや女性を助けたかった。助けることで罪を償っているような気持ちにもなっていた。


 そんな日々を過ごして十数年、エルメルトに出会い、事情を知った彼に魔石を贈られた。


 愚かなことに、魔石を得たことですっかり安心してしまっていた。

 三十を超えたマルガリータにオリヴェルが興味を無くしたように思えたから。


 けれども。

 離縁書にサインという、その日。

 最後だから人払いしてくれと言われ、梃子でも動かない様子だったので仕方なく護衛と侍女を退出させた。


 オリヴェルは魔石の効果を無効にする、魔道具のブレスレットをつけていた。

 押さえ込まれ、動けず、突然の暴挙に声も出なかった。


 擦れるような音に不安を覚えたカーラが扉を少し開け、肌を暴かれているマルガリータを見て悲鳴を上げた。すぐに護衛がオリヴェルを取り押さえ、事なきを得たけれど。


 震える手でイグナートを呼び、そのまま意識が遠のいていった。


 後日、オリヴェルの実家を通して離縁書が届けられ、私たちはようやく別れることができたのだ。




「マルガリータ様! 姫!! ご無事ですか!!」

「イグナート様、中へ」


 イグナートとカーラの焦ったような声が聞こえた。

 いつの間にか少し眠っていたらしい。嫌な汗をかいてはいたけれど、手の震えは止まっていた。


「失礼」


 そう言ってイグナートは扉を開けて室内に入ると、ベッド脇で跪いた。


「マルガリータ様、ご無事ですか?」

「大丈夫よ。ありがとう、来てくれて」


 手を伸ばせば、その手を両手で包み込んで口元に持っていってくれる。祈りにも似たその姿を見ると心の底から安堵した。

 イグナートも安堵の息を漏らしている。彼はマルガリータが自害するのではないかという懸念をいつも抱いているから、きっとまた心配させてしまったのだろう。


「オリヴェル様はブレスレットの件で裏が取れましたので、騎士団へ連行しました」

「やはりあれは」

「騎士団の物で間違いないです。彼も連行されることがわかっていて、最後のあがきでここに来たのでしょう」


 マルガリータへの暴挙だけでも重罪なのだからと、イグナートは事件後すぐに騎士団へ連行しようとした。けれども、実家のデュナン侯爵家にまだ婚姻中での出来事なのだから罪にはならないと反論されたらしい。イグナートの憤りは凄まじく、その様子を直接見たカーラは震えていた。


「レナさんの事件の物もやはり?」

「……はい」

「そう、――レナさんには、本当に申し訳ないことをしてしまったわ」


 オリヴェルは甥のセザール・デュナンにもブレスレットを渡していたらしい。

 二つのブレスレットは、騎士団の事務方に努める女性にオリヴェルが盗ませた物だった。魔道具のブレスレットは一般には出回っておらず、出所は直ぐに判明する。


「マルガリータ様が責任を感じることではありません」

「でも、あの人がわたくしに、ああいったことをしようとしなければ、レナさんの事件は起きなかったのでしょう?」

「いえ、レナを狙っていたのは甥のセザールです。あの事件が起きてしまったのは私の判断ミスですよ」


 学園内で起きたことに、どこまで介入できるというのか。

 何か起こることを気にしてレナを邸内に閉じ込めない限りは無理だろう。学園へ通っていた身なのでわかるが、学園内を護衛付きで歩くのは王族でも目立つ。


 慰める様に手の平を強く握り返せば、切なそうにイグナートが目を細めた。


「……あの日も……私が立ち会えばよかったと、あれから何度後悔したか」

「そんなことをすれば、やはり情夫だったのだろうと難癖をつけられ、口汚い言葉でイグナート様を貶め、酷い噂を流されてしまいますわ」


 オリヴェルはイグナートに強い劣等感を持っていた。

 子爵家の次男、しかも小顔。オリヴェルにしてみれば取るに足らない相手であるはずなのに、マルガリータが信頼し、王家からも信頼され、最速で副団長まで上り詰めてしまった実力派。


 見目と血筋だけで生きてきたオリヴェルには目障りだったのだろう。

 セザールをけしかけたのも、レナがイグナートの姪だから。

 なんて卑怯な男だろう。


「そんな噂ぐらい、あなたの身の安全のためなら」

「それは嫌です! あなたに要らぬ噂が立つなんて、それがわたくしのせいだなんて……! だって、わたくし、わたくしは、イグナート様が、」


 イグナートの指先が、その先の言葉を止めるようにマルガリータの唇をふさいだ。

 ちらりとカーラたちに目くばせしていたので人払いをしたのだと思う。


 マルガリータがイグナートに想いを寄せているのは、周知の事実。カーラどころか兄のチェストミールまでもが『もうイグナートと……』と、危うい言葉を漏らしたほど。

 けれども彼は、そんな中途半端な状態で関係を持つようなひとではないから。


 何度も口にしようとして、呑み込んできた言葉を伝える。


「イグナート様をお慕いしております」


 元々護衛を務めて下さることが多く、見知った仲ではあった。親しくなったのはリズとやり取りしているうちにマルガリータとリズだけでは対処できない事柄が増えてからだった。行き場のない女性や子どもの手助けを一緒にしてくれる中で、的確な判断や行動力、穏やかでありながらも、強く頼れる姿に惹かれた。


 ようやく伝えることができた達成感で涙を零せば、剣を持つ人のかたい手で拭われた。ゆるりと親指で頬を撫でられれば、それだけで背中が震える。


「あなたが私に身をゆだねてしまえば、もう嫌だと言っても離してはあげられませんよ? 私の執着を見くびらないほうがいい」


 薄茶色の瞳に射抜かれ、もう一度身体を震わせれば、それに気付いたイグナートが少し笑う。少し掠れた声に、この強い(ひと)でも緊張するのかと不思議な気持ちになった。


「わたくしのほうも十年越しの想いですの。重たいですわよ?」


 ふっと息を漏らすように笑ったイグナートは、艶めいた顔を隠さずにマルガリータを見つめた。




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