10. 許せません。
領地にて領主代行を務めていた使用人のサイモンが、トリスタンと入れ替わりで王都へ来た。
当主としての業務を代行するイグナートと、その補佐に回ったサイモンを手伝いながら忙しく過ごしており、学園に来れたのは毒入り事件から一週間以上経ってからだった。
「レナ様、なんだかお疲れですね」
実家が市井で大人気の飲食店を営んでいるマリエッタが心配そうにレナを見つめた。
ふわふわウェーブの茶髪がとても可愛い女の子だ。
「確かに少し疲れているかもしれません」
「無理なさらないほうがいいですよ」
「ですが学園生活もあと少しですし」
「そうですね。卒業してしまったら身分差がありますし、あまりお会いできなくなると思うと本当に寂しいです」
「そんなことないですよ。マリエッタさんのお家のご飯も食べに行きたいですし」
「本当ですか? 庶民向けではありますが、おすすめメニューもたくさんありますし、是非」
「ええ。その時は一緒にお食事してもらえますか?」
「もちろんです。さあレナ様、次は移動教室です。そろそろ参りましょう」
マリエッタとサーシャという、装飾品を扱うお店のお嬢さんと三人で教室を出た。サーシャはストレートの金髪にエメラルドグリーンの瞳のお嬢さんだ。
レナから見ればとても可愛いお嬢さんなのに、やはりレナと似たような扱いを受けてきていて貴族が大嫌いになったという。
私も貴族よ、と言うと威張らないのでレナ様は好きですと言ってくれるので嬉しくなってしまう。
「あっ、あの」
「――はい、なんでしょう」
後ろから小柄な女の子が話しかけてきた。目が虚ろで視線が合わない。手足が細く、制服のサイズが合っていないようでぶかぶかだ。
「フェ、フェルミン様が、お呼びです」
「フェルミンが?」
「義妹様のことで、至急、お、お話が、あるそうです」
「――――わかりました。マリエッタさん、サーシャさん、先に教室へ行ってもらえますか?」
二人は訝し気な顔を女の子に向けて、黙ってしまった。
二人が疑うのも無理はない。
間違いなく罠だろうーー罠だと簡単に見抜かれる程度のものを罠と呼んでいいのならばーーそしてこの女の子は、誰かに脅されているのだろう。
わざと行くのだと伝わりますようにと、二人にしきりに目配せした。できれば教室で授業を受けているフェルミンに伝えて欲しい。
お願い、伝えて。
この時間にフェルミンがレナを呼び出すなんておかしいのだから。
かなりの時間迷った様子を見せたけれど、二人はゆっくり頷いてくれた。
痩せた女の子が立ち止まった場所は、今は使われていない空き部屋だった。弱々しい力で室内に押し込まれ、古びた音を立てながら扉が閉められた。どうやら外から鍵が掛けられたようだ。
レナを押し込んだ女の子の手は、気の毒なほど震えていた。
「久しぶりだな」
「そうでもないわ、ケビン」
溜息を吐いて言うと、ご自慢の大きな顔が意地悪く歪んだ。
「ずいぶん、偉そうになったな」
「そのお言葉、そっくりそのままお返しします」
「オリヴィアと違って、可愛げのカケラもないな」
元々は美術部の用具入れだった部屋なので狭く、窓が小さいせいで室内は薄暗かった。
「気分は乗らないが仕方ない。服を脱げ」
「は?」
「僕のことが好きなんだろう?」
「なにを仰っているのか、意味がさっぱりわかりません」
「抱いてやるよ」
「お断りします」
「素直じゃないな。勿体ぶるほどの体でもないくせに」
「どうしたらそういう思考になるのでしょう? わかるように説明して頂けますか?」
ケビンは腕を組んで偉そうにしているけれど、どうも迫力がない。本物の騎士にずっと護衛されていたので違いがわかってしまう。覇気がないのだ。
「オリヴィアから手紙が届いたよ。随分酷い仕打ちをしているそうだな、可哀そうに。冤罪なのに何度も騎士団に連れて行かれた挙句、領地に送られたそうだ。僕にも会えず寂しくて毎日泣き暮らしているのだと。そんなに義妹に僕を取られたのが悔しかったのかと、ようやく理解した。ヘイノとセザールには慰めてやれ、最後ぐらい抱いてやれと言われていたからな。ここにノコノコやって来るぐらいだし、未練たっぷりって顔だな。本意ではないが仕方がない。一度だけ抱いてやるから、それで諦めてくれ」
得意げに顎を上げているが気持ちが悪いだけだ。どこをどう見たら未練たっぷりな顔だというのだ。
そう思うならせめて自分の名前で呼び出すべきだろう。フェルミンの名で呼び出すということは、自分の名前で呼んでも来てもらえないとわかっているからではないのか。
婚約期間中、ケビンのことが好きだったことなど一度もない。
ケビンのことなど、綺麗な紙で包んでリボンをかけ、大喜びでオリヴィアに譲ったつもりだったのに。
「ケビンって気が弱いだけかと思っていたけれど、馬鹿だったのね」
「それはこっちの台詞だ。僕が何も準備してないと思っているのか?」
この人はこんな顔だったかしらと、首を傾げた。醜く歪んだ顔は、以前のような貴公子風の爽やかさがない。
ケビンは無言で近付いて来ると、レナの手首を掴み、ニヤリと笑った。
触れられるはずないと思っていたので驚いて顔をあげてしまった。
「さすがに驚いたか? 身を守るという魔石の効果を打ち消す魔道具だ」
歪んだ顔で高らかに言い放つと、手首のブレスレットを見せつけた。
イグナートもしきりにネックレスは万能じゃないと言っていたし、そういった魔道具があるというのも教えてもらっていた。だから油断しないようにと、呼ばれてもひとりで行ってはいけないと何度も言われていた。
叔父様、約束を破ってごめんなさい。
「もっと早くセザールたちの言葉を聞いておくべきだった」
「彼らがあなたのこと、本当は馬鹿にしてるって気付いてないの?」
「なっ、」
「あなたは騙されてるのよ」
「黙れブス!!」
ケビンの振り上げた手が、レナの頬を叩いた。
手が耳に当たったせいで耳鳴りがする。鼓膜が破れたかもしれない。
痛かったけれど、泣いたり怯えたりしたくなかったので歯を食いしばった。
「抱いてやるって言ってるんだ、ありがたく思え!!」
「全く嬉しくないわ。だって私、あなたのことなんて好きじゃないもの」
「なんだと!?」
「好きじゃないどころか、大っ嫌いよ!!」
「う、うそだっ、ヘイノと、セザールがっ」
「だから騙されてるのよ」
「そんなわけ、、ぼっ、僕は、子爵になれるならと、仕方なく、お前みたいなブスでもずっと我慢してたんだっ!! やっと美少女と婚約して子爵にもなれると思ったのにっ!! お前が次期当主だとっ!? そんなの聞いてないっ!!」
「お友達は婿入りできるケビンのことが妬ましかったから、こうなるように陥れたのよ。公にはなっていなくとも、次期当主のことを、彼らが察していてもおかしくはないわ」
「うるさいうるさいうるさいうるさい!!!」
髪を引っ張られ、押し倒された。両手は頭の上に押し付けられているが、されるがままでいるつもりはない。
ケビンは人を押さえつけたことがないのだろう。足が自由になることがわかり、膝を立てて急所を力いっぱい蹴り上げた。
「グッッ、、、お、まえ、、、お、女の、くせ、に」
慌てて立ち上がると、裾を直しながら蹲ったケビンを見下ろして叫んだ。
「卑怯者!! ただ顔が大きいだけで美男子でもないくせに、調子にのらないでっ!!」
頬は熱く、耳鳴りが続いていた。
これほど怒ったのは、十二歳のあの日以来だ。
髪が逆立ち、血が沸騰したように熱い。
もっと何か言ってやりたいが、罵る言葉が見つからない。
ケビンがもぞもぞ動き出そうとしているので、もう一度蹴ってやろうと足を後ろに振った。
「レナ様っ!!」
派手な音を立てて扉が破られ、息を切らしたフェルミンが来てくれた。
レナの顔を見て唇を噛むと、転がっているケビンの両手を縛り上げた。
「貴様、レナ様に何をした」
フェルミンはケビンの髪を引っ張り、無理やり顔をあげさせて聞いた。
「このっ、女がっ」
「言葉には気を付けるんだな」
ガツッと鈍い音がしてケビンの頬にフェルミンの拳がめり込んだ。
「フェルミン待って、とにかく叔父様に連絡を」
「っ……わかりました」
「ケビンは魔道具のブレスレットを着けているわ」
「なにっ!? こんな物、どこで手に入れた!?」
手首に鈍く光るそれを見て、フェルミンが驚愕の声をあげる。希少な物なのだろうか。
フェルミンがケビンの手からブレスレットを抜くと、忌々しい顔をしながら証拠品を入れる袋にしまい、騎士団へと連絡した。ブレスレットは他人でも外すことができるようだ。
ケビンは殴られた頬が痛いらしく、ずっとうめき声をあげていた。
部屋に入る前にフェルミンに通信を繋げようとしたけれど、話し声に反応したフェルミンが声をあげてしまうと、それを聞いたケビンがどう反応するかわからず諦めた。代わりに録音を起動しておいたが、慌てていたのでうまく録れているかはわからない。
「あの、レナ様、大丈夫ですか?」
マリエッタとサーシャがおそるおそる顔を出してくれた。
「大丈夫よ! フェルミンを呼んで来てくれてありがとう!! マリエッタさん、お願い、先生を呼んできて欲しいの」
マリエッタは即座に頷き、パタパタと足音が遠ざかっていく。
フェルミンがもう一度ケビンを殴りそうだったのでそれは止めた。
「フェルミン、それ以上は駄目よ」
「ですが!!」
「騎士団で処罰を受けるべきだもの」
フェルミンは納得できないと顔をこわばらせている。
「大丈夫、私に手をあげたのだから……簡単には釈放されないでしょう。……じっくり、取り調べを受けるといいわ」
落ち着いて話さなければと思うが、心臓が早鐘を打つ。息を切らせないように心掛けながら、必死に言葉を繋いだ。
「レナ様! 叩かれたのですか!? いま、ハンカチを濡らしてきます!」
隣で聞いていたサーシャは、止める間もなく物凄いスピードで出て行った。
ケビンの前で迂闊なことは話せない。長い沈黙が流れた。
ケビンのうめき声と、フェルミンの燃えるような息づかいと、レナの深呼吸だけが響き渡る。
かび臭い室内はジメジメしているし、それだけでも陰鬱な気分になる。
用具入れ専門の部屋なので、外側から施錠されてしまうと、内側からは鍵が開けられない構造になっている。
そのことに気付き、あまりの姑息さに、もう一度蹴ってやりたい気持ちが湧いてくる。
怒りを鎮めようと、再び深呼吸を繰り返していたレナの元に、サーシャが戻って来た。
無言でレナの頬に冷たいハンカチを押し当ててくれる。涙目だったので大丈夫よと頷いてみたが、首を振られてしまった。腫れが酷いのかもしれない。
マリエッタが先生を連れて来てくれて、騒ぎにならないよう近くの通路は封鎖された。レナたちが授業に出ていない時点で、のちのち騒ぎにはなるだろうが今更だ。むしろマリエッタたちに風評被害が及ばないよう、自分がターゲットだったことを強調しなければならない。
「レナ様、余計なこと考えてますね?」
「いえ? いいえ??」
「私たちなんて庶民なんですから、元からこの学園では馬鹿にされてるんですよ。評判なんてどうでもいいです」
「サーシャさん、なんのお話です?」
「サーシャの言う通りですよ。私たち、レナ様とお話させていただくようになってから、あまり嫌がらせをされなかったんです。レナ様がそれとなく注意して下さっていたお陰だって、知らないとでも思ってるんですか?」
「な、なんのことかしら」
「嘘が下手ですね」
マリエッタのふっくらした唇が柔らかく弧を描き、サーシャのパッチリとした瞳はキラキラと瞬いていた。
大したことをしたつもりはない。レナが注意できるような人物は限られていたから。もっとも、高位貴族でありながら二人に強く当たる人は、あまりいなかったけれど。
二人には優しくしてもらって、とても幸せな学園生活だった。こんなことになってしまったのは本当に残念だ。もう学園へは来れないかもしれない。
「私、マリエッタさんとサーシャさんに出会えて、本当に幸せでした」
「そんなお別れみたいなこと言わないでくださいよ!!」
「そうですよ、私たちはこれからもずっとお友達です」
レナの言わんとすることがわかった二人は、レナの手を握った。
三人で友情をわかち合っているうちに、騎士団を引き連れたイグナートが到着し、あっという間にケビンが連行されて行った。
イグナートが先生たちと話し合いをしている間に、モニカ・ポルポラと名乗る蜂蜜色の髪と瞳の女性の騎士が、レナの怪我の具合を調べに来てくれた。
「叩かれたようだとお聞きしました」
「はい、頬を一度」
モニカはレナの頬から耳の辺りを確認したあと、マリエッタとサーシャを遠ざけた。
「他に何かされたりとかは……?」
「髪を引っ張られ、倒されて押さえつけられましたけど、蹴ってやりましたから」
レナの言葉にモニカが目を丸くした。
「あの者が倒れていたのはフェルミンが殴ったから、だけではなかったと?」
「はい。思いっきり急所を膝蹴りしました」
「ぶっ」
モニカが噴き出す。
それを見ていたイグナートが、遠くから咎めるような視線を寄越したので、彼女は『最高です』と小声で言って、レナにだけわかるように小さく笑った。




