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氷の精と俺。

作者: フツキ

 俺はその日、村のはずれで不思議な女を拾った。本当ならば助けたという表現の方が正しいのかもしれないが、どうしても拾ったという表現が合っていると思ってしまった。例のその女は、この村の者たちでもあまり通らないであろう道の途中で行き倒れていた。俺は狩りの最中だったから、偶然立ち寄っただけで、いつもならば近寄りもしない道だ。

 どうしてこんなところに。外からやって来たからだろうか。そう考えながら慌てて駆け寄ったのだが、真夏日とも言える天気なのにその身体はまるで氷のように冷たく凍えていた。これはいけないと思い部屋に仕方なく連れてきたのだが、その女はいっこうに目を覚ますことは無かった。

 日が暮れて夜になり、辺りが涼しくなった頃、ようやっとその女が目を覚ました。一時はどうなるかと思ったが、その様子を見るにどうやら少しばかり体調が悪かっただけだったらしい。目を冷まし目を覚ました女は起き上がると、驚いてひぃ、と悲鳴を上げた。途端にびし、と部屋の隅が凍り付き、床に霜が降り、そして部屋の空気が一気に冷え込む。

 俺はこの状況に素直に驚いた。もしがしなくても俺はとんでもない者を助けてしまったのかもしれない。こんなことを出来るのは普通の人間ではない。つまり、妖怪の類か、それとも。驚き黙りこくる俺を見て、女は己の状況を理解したらしく、じっと俺を見つめてきた。視線を逸らそうかと思ったが、逆に凍らせられる可能性もある。目のやり場に困ってしまった。

「…あ、あの、驚かせて、すみません…」

 ぺこぺこと何度も頭を下げて、女がそう謝った。どうやらこの態度を見るに、悪意を以て行った訳では無いようだ。冷え切った身体を温めるための茶を用意して渡してやると、女がおどおどとした口調でありがとうございますと微かな声で礼を言った。

「えっと、その、あ、あり…」

「どうした?」

 何かを言いたいであろう彼女にそう聞き返すと、その身体がびくりと大仰に跳ねる。するとまた、部屋が凍り付く。さすがに二度目はそれほど驚きは無かった。むしろ逆にそこまで過剰に反応する女の方が気になってしまう。俺は何もしていないというのに、その動作は大袈裟すぎるほどだ。

 相手は人間ではない。それだけははっきりとした。だがその言動はどうにも人間に近い。少なくともヒトならざる者は、もう少し仰々しいというか、ここまで感情を露わにするようなモノではない…俺はそう考えている。だが目の前にいる女は、俺の一言にいちいち驚き、そして怯えているようにも見える。俺が男だからか。ううむ、そんなことは無いだろう。

「…そ、その…助けて、くれ…て、ありがとう…ご、ござい…ます」

 俺が考え込み何も言えぬままに黙っていると、怯えるようにひどく縮こまりながら女がそう礼を言う。脅すような発言はしていないつもりなのだが、どうしてここまで弱気なのだろう。もともとそういう性分なのだろうか。むしろ怯えたいのはこっちの方だ。部屋はまだ寒いし、霜も取れていない。いったい俺の家はどうなってしまうのだ。

「私、こっ、氷の…精の、ゆき…と申し、ます」

「氷の精!?」

「あっ!は、はいっ、そ…そう、です」

 俺の問い掛けにびくびくと震えながらも、ゆきと名乗る氷の精がそう答える。まさか自分が助けたこの気弱すぎる女が、世界の理を司る精霊の一人だというのか。まぁとにかくこれで合点がいった。氷の精であるのなら、俺の家を凍らすことなんて造作も無いだろう。

 この広い世界には精霊や神が存在していて、実際に神や精霊のたぐいを目にした者も多いと風の噂で聞いている。

 だから精霊が行き倒れになっていたとしても何らおかしくはない。否、おかしいのかもしれない。精霊というくらいなんだから、人と違う能力を持っていてもおかしくないというのに、彼女はこうやって倒れ、ただのヒトである自分に助けられている。

 だが今日は珍しくとても暑い日だったし、彼女のような氷の精からすれば、この環境はかなりきつかったに違いない。だが何故、その氷の精がこんな場所にいるのだろう。まさか故郷がここから近い訳ではあるまい。この辺りに住んで長いが、氷の精の話など聞いたことが無い。

「ゆき、だったか」

「はい、な、な、なん、ですか?」

「どうしてこのような場所に?」

 俺のそんな問いに、ゆきがまたびくりと反応する。その動きのせいで茶が零れそうになり、ゆきはすみませんと謝りつつ湯のみを床に置いた。ちらりと中身を見てみれば、その中身は綺麗に凍っている。あわあわと慌てふためきながら、ゆきがこう答えた。

「あっ、ええと…その、修行、です」

「修行?」

「私、まだ…精霊と、しては…その、まだ半人前で…」

 俯き肩を落としながらゆきがそう続ける。確かにこの性分ならば半人前と言われてしまっても仕方ないかもしれない。正直に言うと申し訳ないが、ゆきからは神や精霊が持つような神秘的な雰囲気を、まったく感じられない。逆にここまで人間臭いと、親しみを持ってしまいそうだ。

「だから外の世界に出て修行を積むということか」

 そう補足してやると、こくこくとゆきが頷いてそれを肯定する。半人前といっても立派な精霊の一人だろうに、どうしてここまで気が弱いのだろう。まったくもって不思議な精霊だ。そう考えていると、ゆきが恐る恐るこう声をかけてきた。

「その、貴方様、に…何か、礼を…」

 そう言ってゆきが綺麗な緑の瞳で見つめてくる。それはいつかの旅商人が見せてくれた、翡翠の石に似ていた。どうやらこの精霊は律義に助けた礼をしてくれるらしい。しばらく俺はいろいろと思案してみたが、何も思い付かなかった。すぐに解決したい問題も無いし、この氷の精は物を凍らせる以外に、何が出来るのかも分からない。

 俺はこの村のはずれで、ひとり孤独に暮らしてきた。物心ついたときには両親はもういなかった。なのでこの歳になるまで、村の者たちとは最低限の付き合いをしつつ、ずっとひとりで生活をしてきた。

 ゆきは精霊だ。もう体調も良くなったようだし、このまま俺の家から送り出してもいいだろう。否、その方がいい。彼女が普通の精霊ならば、の話だが。修行の旅を邪魔したくない気持ちもあるけれど、この気弱で外界も知らなさそうな精霊を、放っておけない気持ちもあった。

 ならば、彼女がある程度この世界に馴染むまで、自分のもとに置いておくのも悪くない気がする。ここは村から外れているから、他人との接触はほとんどないから、精霊がいるという噂も立つことも無いだろう。それから自分がこの願いを口にして、ゆきがどんな反応をするのか知りたいという、ちょっとした悪戯心もあった。

「そうだなあ…」

 そう言葉を濁し、俺は一度口をつぐむ。それをゆきが何も知らずに真剣な眼差しで見つめている。それに気を良くした俺がこう続けた。

「俺と共に暮らしてもらおうか」

「え?」

 俺のそんな言葉に、思わずゆきが素っ頓狂な声を上げる。鳩が豆鉄砲を食らったような表情で、ゆきは微動だにしない。まさに氷のように固まってしまっていた。氷の精が氷のように固まるとは、何とも皮肉な話だ。でもまあ、こちらの予想通りの反応だ。

「一人に退屈していたからな、丁度良い」

「えっえっえっ」

 ようやっと状況を飲み込めたゆきが困惑し慌てふためく。予想通りの反応を返す精霊に、俺は口元を緩ませる。何より俺は一人に…孤独に退屈していた。このままひとりで死ぬのかと思うときもあった。村に行けば年頃の娘もいるし、村長から嫁にどうかと紹介されたこともある。でも俺はそれを気が乗らないからと何度も蹴ってしまっていた。

 でもこの気弱で不可思議な氷の精霊となら、共に暮らせるような気がする。何故かそう思ったのだ。だから俺は、こんな無茶苦茶な要求をした。

「約束は約束だ、頼むぞ、ゆき」

「ううっ…わ、わかりました。私も精霊のはしくれ、約束は守ります。故にこれは、精霊との契約を交わしたことになります」

 さっきよりもしっかりとした口調で、ゆきが答える。その瞳に迷いはない。その凛とした表情は、やはりヒトとは違う雰囲気を纏っていた。待て、今何と言った。俺は要求をしただけであって、契約なぞしたつもりはない。相手があまりにも人間臭いから忘れていた。すっぽりと抜け落ちていた。この女は、ヒトとは違う生き物なのだと。

 精霊と契約をするとどうなるのか。俺にはまったくもって分からない。けれどとんでもないことをしてしまったことに、今更ながらに気付いてしまった。取り消してくれと言っても、恐らくもう遅いだろう。この契約はいつまで続くのか。ちょっとした悪戯心が、とんでもない結果を招いてしまった。

「ま、待て、契約だと…」

「よろしくお願いします」

 慌てふためく俺に構わず、三つ指を揃えてそう頭を下げるゆきに、俺はいささかの後悔をしながらも、よろしくと小さく返した。

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