夢の一人暮らしの終わり_1
「はあ……尊い……」
異世界に来てから、僕は相変わらずのスローライフを楽しんでいた。
今日も朝から優雅にコーヒーを飲みながらラノベを読んでいる。
ここでの生活は、驚くほど僕の性に合っていた。
朝起きて、コーヒーを入れ、アニメを見ながら朝食を取り、本を読み、ゲームをし、アニメを見ながら昼食を取り、少し昼寝して、また本を読み、ゲームをし、アニメを見ながら夕食を取り、シャワーを浴び、また本を読みゲームをして寝る。
そんな幸せな時間の繰り返し。
初日こそ昼まで寝ていたが、今では意外と早起きで、目覚ましも使わず朝4時には起きるようになった。
どうやらストレスフリーな生活というものは、睡眠の質も上がるらしい。
また、心の底からこの生活を満喫しようと思っているうちに、短時間の睡眠でも良くなってきた。そうだよな、せっかく夢のような生活をしているんだ。寝ているなんてもったいないよ。
ラノベを1冊読み終わった僕は、少し散歩に行こうと外に出る。
この家は人里離れた森の中にあるようで、道路からも徒歩数十分というところだろう。
森の中とはいえ、防虫剤を使っているためか、虫が入って来るようなことはない。この世界に目立つような虫がいないだけかもしれないが。
そんな森の中を散歩するのは、別に珍しいことではなかったりする。
僕は引きこもりたい性格だが、それは外に一歩も出たくないわけではない。
外に出るとすれ違いざまに挨拶されたり、募金やらお店の客引きやら聞きたくもない声を聞かされたりするから嫌なのだ。
その点、この家は良い。
そもそも周りに人などおらず、ただただ静かな森が広がるばかり。
だからこそ、こうして安心して散歩ができる。
今日も気分転換がてら、家周辺の様子を把握するついでに散歩している。
この世界に転移してからの数日で、ここ一帯はある程度散策していた。
「今日はこっちを見てみるか」
まだ見ていなかった範囲を散策しようと、家の裏側に回り込む。
他人と関わりたくはないが、未知への興味はあるのだ。
初めての道に少しワクワクしながら歩を進める。
5分ほど歩くと、少し開けた空間があった。
まだ登りきっていない太陽から光が差し込み、川の水はその光をキラキラと反射している。
ちょうど円形になるように木が並び、そのうち1本の木陰に、エルフが倒れていた。
「……は?」
当然ながら、エルフかどうか確実に判断できたわけではない。
でも、尖ったような長い耳や背格好、うつ伏せだから顔は見えないが、冠にも似た金色のカチューシャに淡い金髪のロングヘア、白や緑を基調としたワンピースにも見える衣服、まさにアニメに登場するようなエルフの容姿そのものだった。
見た目はJKくらいの年齢か。エルフといえば長生きする種族だろうし、実年齢を聞くのは少し怖いな。
初めて見つけた自分以外の人に興味が湧き、だがしかし、いつでも無関係だと言い張れるような距離で、じっくり見ていた。
よく見ると、エルフは傷だらけだった。
服や腕には傷がいくつもあり、足のあたりからは少なくない量の血が流れている。
足に剣の攻撃を受け、命からがら逃げ出したという表現がぴったりの様子だったのだ。
「へぇ、物騒なこともあるんだな。僕には関係ないけど」
僕はエルフをスルーし、家に帰ろうとする。
今まで、大変そうな人を助けようとして、自分にプラスに働いたことなど一回もない。
『じゃあ俺の仕事もやっといてよ。アイツの手伝いできるくらい余裕あるんでしょ?』
『俺がどうしようもなくなるまで、黙って見てたってことかよ。もっと早く手伝えよ』
『俺の仕事を奪って、自分の腕を自慢してんの? だったら最初からお前がやればいいだろ』
などなど、人助けそのものが嫌な思い出なのだ。
だから、今回僕は心を鬼にする。無視だ無視。
このエルフを助けない場合でも、僕にデメリットはない。だが助けた場合、確実に一定量のデメリットが発生する。
僕はそのデメリットを許容したくない。
だから助けない。
「……け…………さ……」
ん?
声がしたような気がするので、とりあえず耳を塞いだ。
もしあのエルフから声をかけられていたら、面と向かって断る勇気はないぞ。
そう、僕は対面でのコミュニケーションがとても苦手なのだ。
ラフターラのような、一回きりの関係ならなんとか大丈夫だが、今回はどう転んでも面倒事だ。そんな事態に対面で的確に対応できるわけがない。
聞こえないふりをして、早く逃げよう。
「たすけ……ださい」
なぜだ? 耳を塞いでも、頭に直接響くような声が聞こえる。
まさか、魔法か! エルフは魔法に強いイメージがあったが、その通りなのか。
感心している場合ではない。
今考えなければならないのは、聞こえないふり作戦が通用しなくなったということだ。
このまま無視は厳しいな。
いっそ魔力を使い果たして、もう話しかけてこないとか……
そう思った矢先、
「たすけてください」
より鮮明な声が聞こえた。クソ、最後の魔力を振り絞って、的なやつか? しっかり聞こえちゃったじゃねえか。
ここまで言われて無視するのも辛いな。だから対面で話すのは嫌いなんだよ。その場の空気みたいなのに流れを持っていかれるし。目の前で断れるやつなんか少ねえよ。
対面じゃなくて、全部文字で送れってんだ。
そんなことを今考えても仕方ない。今考えることは、助けるか、助けないかだ。
「……クソッタレ」
僕はエルフをこんな姿にしたやつに向けて、つぶやくように暴言を吐く。
そもそもそいつがこのエルフに危害を加えてなかったら、僕に迷惑かからず済んだのによ!
「こんなことで、僕の時間と労力を無駄にさせやがって」
エルフに近づく。
「いいか、助けてやるが、動けるほど回復したらそれ以降はアンタに対して何もしない。それでいいな?」
「それで、良いです。できるお礼があればなんでもします」
「なら、ひとまずは僕に対して何もしないことをお礼にしてもらおう。金品を渡すとか、家事を手伝うとか、何もしなくていい」
「……? わかりました」
いまいち何を言われているかわかっていない様子だったが、高度な要求をされたのではないという最低限の理解を示したようなので、互いに問題ないと判断した。
そんなわけで、エルフを家に連れ帰る事になった。
おぶって連れて行くが、体は驚くほど軽い。何日も何も食べていないのだろうか。
服に血がつくが、別に気にしない。捨てて新しい服を買えば良い。お金はいくらでもあるのだから。
やれやれという足取りで家に戻る。
ここがいくら人里離れた森だと言っても、冒険者などは探検に来るかもしれない。
つまり、このエルフも回復するまでここでやり過ごすのは見つかる危険性が高いと判断したのだろう。
ラノベの世界ならエルフを奴隷にする人間なども描かれているし、この世界にも奴隷がいるのなら、ますます危険だ。
あれ、そんなエルフを助けようとしている僕って、この世界の人間から見たら敵じゃね?
当初の想定より面倒な事態であることをようやく理解した僕は、動かしていた足を加速させた。
幸い誰にも遭遇せずに帰宅できたので、玄関で思わず安堵のため息をついていた。