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仕事辞めたい_3

翌朝、家を出る時まで無言だった。当然だ。言葉を発する気力もない。

惰性で駅まで歩き、機械のように感情のない足取りで電車に乗った。

このまま遠くへ行ってしまおうか、とも思ったが、会社の最寄駅で降りる人混みによって電車から押し出され、人波に揉まれて自然と足が動いていた。

そしていつの間にか会社にいた。

習慣とはすごいものだ。よく会社まで行ったと思う。

おそらくいつも通り仕事をしたのだろうが、記憶は全くなかった。

珍しく終電に乗れたものの、死んだような状態は続いていた。

いつもはこんな時、帰ってアニメでも見て元気を出すのに、それもできないなんて。

もはや呼吸が止まったかのような息苦しさを感じ、ため息も出なかった。


帰りの電車では、珍しく起きていた。

起きていたという表現が正しいかわからないが、目は開いていた。

ドアの前に立つ僕は、焦点の合わない目で虚空を眺めていた。

見たことのある風景だと感じた時には、最寄り駅を過ぎてしまった。

ああ、久しぶりに乗り過ごしてしまった。

次の駅で降りても、戻る電車がない。歩いて帰るか。

……いや、帰る家などあるのだろうか。

もはやあの家に帰る気力など湧かない。帰ったところで何もない。

それならこのままどこかに行ってしまおうか。そう考えていた。


電車に乗ったまま次の駅を通り過ぎ、その次も通り過ぎた頃、少しだけ心が晴れてきた。

もうこのまま死んでもいいから、せめてあの家から離れたい。そんな気分だった。


結局、終点まで行き、駅から離れたホテルに泊まった。

駅からはタクシーを使った。もはや他にお金を使うあてもないし、駅近くのホテルだと親に連れ戻されるかもしれないと考えたからだ。

まあ、探しにくるなんてあり得ないけど。

スマホの地図アプリでホテルを検索し、運転手に住所を伝えると、少しだけ自分が非日常に足を踏み入れたような感覚がして、ほんの少し気分が高揚した。

ここまできたら、念には念を入れよう。

誰とも繋がりたくないから、スマホの電源も落とした。

ホテルには到着できるし、誰かからの連絡を受け取る必要もない。

こうして電源を落としたただの金属板(スマートフォン)をポケットに入れ、ホテルまで車に揺られていた。


しばらくして到着したホテルは、暗闇の中で落ち着いた輝きを見せ、死んだような僕の心を少しだけワクワクさせた。

まるで秘密基地に来た子どものような、とっくの昔に忘れていた心を呼び覚ましてくれたように感じた。

僕はここを死に場所と決めたようなものだった。

家にも会社にも戻るつもりがなく、バレるまでここで過ごそうとしている。

どうやら空き部屋には余裕があるようだったので、7泊8日で部屋を借り、渡されたカードキー番号に従って部屋に向かった。

部屋に入り、ドアを閉めると、また少し心が晴れやかになった。

ここは誰にも邪魔されない、自分だけの城。

部屋の時計を見ると、深夜1時を過ぎたところだった。

どんなに探されても朝までは見つからないだろう。

あと数時間は自分だけの時間。たった数時間が、何より嬉しいものに感じた。

まずはご飯だ。

部屋に備え付けの電気ケトルを使ってお湯を沸かしている間に、駅で買い込んだ食料からカップ焼きそばを取り出す。

僕はカップ焼きそばが好きなのだが、家ではあまり食べられなかった。

母が作った料理以外を食べると怒られるのだ。

『せっかく作ってくれたのだから、文句を言わず食べなさい』

そんな家だった。

社会人となった自分にとって、自分で稼いだお金で何をしてもいいじゃないかと思う。

ましてや作ってくれなんて頼んでいないのだから、好きなもの食べさせろよ。

嫌な記憶がフラッシュバックしてしまった。

もうあの家に縛られる必要はないというのに、まるで呪いのように僕を縛り付けてくる。

そろそろ3分経つし、焼きそばを食べて気分を切り替えよう。

お湯を捨て、ソースをかけ、我慢できないというそぶりで食いついた。

家で食べるどんな食事よりも、そのカップ焼きそばは美味しく感じた。

初めて自由を謳歌しているということも、良いスパイスになっているのかもしれない。

夢中で食べ進めると、いつの間にか僕の頬が濡れていることに気づく。

水漏れか? ホテルなんだからしっかりしてくれよ。

そんな感想だったが、どうやらその水は僕の目から溢れているらしい。

そう気づいた時は驚いたが、同時に深く納得してしまった。


そうか、僕はこんなにも疲弊していたのか。


自分がここまで酷い状態だとは思っていなかった。

大の大人が、鼻水垂らして泣いている。

でも、嬉しかった。

僕は、生きている。

心が、生きているんだ。


体中の水分を出し切るほど泣き、すっかり冷めた焼きそばを食べ終えると、スッキリしてそのまま寝落ちしてしまった。


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