仕事辞めたい_2
PCに向かっているうちに朝日が差し込み、いつの間にか早朝になっていたことを自覚した。
3時くらいまでかかったがようやく今日の仕事が終わり、そのまま机に突っ伏すように意識を失っていたのだ。
外の景色を見て、そろそろ始発が動き始めるだろうと、慌てて帰宅の準備を始める。
清々しい朝だというのに、重々しい足取りで駅までたどり着き、電車に乗って座るや否や、いつも通り泥のように眠ってしまった。
最寄り駅に近づいた頃、アラームが鳴って飛び起きる。
アラームをセットしておかないと寝過ごしてしまうため、いつもこの時間にセットされるよう登録してあるのだ。
今日は無事に最寄り駅で降りれたので、これまたさらに重い足取りで家まで帰る。
いつものことだが、家に帰るのも気が進まない。
実家は駅から20分ほど歩いたところにある一軒家で、道も平坦でコンビニも近く、立地は申し分なかった。
そう、立地だけは……。
「ただいま」
嫌々ながら声を出す。
帰宅したら次の仕事『親のご機嫌取り』が始まるからだ。
今日も帰宅して早々に、心ない言葉を浴びせられる。
「おい、もっと早く仕事ができんのか」
リビングで新聞を広げ、コーヒーを飲みながら説教してくるこの老害こそ、僕の父だ。
「俺が若い頃は仕事を早くこなすことに必死で、休日も勉強してたぞ」
もはや聞き飽きたセリフを発するbotを素通りし、2階の自室に向かうべくリビングを出ようとする。
「また漫画やゲームに時間を使ってるのか。もっと社会に貢献……」
話の途中だったが、僕はすぐにリビングを出て勢いよくドアを閉めた。これ以上聞いていたら、耳も心も腐ってしまう。
僕がなぜこんな最悪の家に住み続けているかというと、当然父から言われた言葉が原因だ。
「一人暮らしは金がかかるだろう。それに、お前が一人暮らしするための手続きする手間をかけさせるな。どうせお前一人では何もできないんだから、ここで暮らせ」
ことあるごとに、同じような言葉を浴びせられた結果、社会人4年目にして未だ実家で暮らしている。
両親とも既に定年退職した公務員。
父は中学校の校長、母は市役所に勤めていた。
『俺の若い頃はもっと働いていたぞ』
『お給料もらってるんだから、頑張らなきゃ』
『死ぬ気で頑張ってこそ成果が出るんだよ』
『大人としてしっかり仕事しなきゃ』
2人ともそんなことを口々に言う親だった。
給料をもらってもやりたくない仕事だってあるじゃないか。
頑張ったところで報われないのなら、頑張る意欲が湧かなくなるのも当然じゃないか。
大人だって子どもと同じ人間だ。できるなら遊んで暮らしたいのは当然じゃないか。
そんな内心を吐露できたことなど一度もない。
どうせわかってもらえないし、また長時間説教されるオチが丸見えだ。
せめて今の会社から転職を、と考えた時もあった。だけど、
『今より高い給料で雇ってくれるのか?』
『会社なんてどこも同じだ。新卒でちやほやされて入った会社以上に優しくしてくれるところなんてあるわけないだろ』
我が家の権力者である父の言葉を受け、僕は黙るしかなかった。
今の会社に勤め始めたのも、就活で採用してくれた会社がここしかなかったからだ。
大学に入学したのも、親に言われたから。
就活で受けた会社も、親に言われたから。
そんなもの、うまくいかないに決まってる。
大学はランクを下げまくってなんとか合格したが、就活は全部落ちた。
内定どころか、書類選考すら通らなかった。
極稀に書類選考が通っても、一次面接や集団面接で落ちた。
『だから俺と同じ公務員になれとあれほど言ったのに』
父から何度も浴びせられた、心ない言葉だった。
そんな言葉をかけ続けられた僕にとって、唯一曲げない反抗心があった。
それは、公務員にだけはならない、ということだった。
父母ともに公務員だから、もし僕まで公務員になろうものなら文字通り死ぬほど『俺のおかげだ』『親を見習え』など、我が物顔でズケズケ言ってくるに違いない。
それなら、せめて公務員以外になって、 老害どもの口を塞ぎたかった。
ただ、就活を初めて早数ヶ月。もはや選択肢は減っていた。
そんな中で、やっと見つけた一筋の光、それが今の会社だった。
『未経験者でも歓迎』
『先輩方が指導します』
『有給も取得できます』
など、今思えば当たり前のことしか書いていないのだが、僕は不思議とそこに惹かれていた。
もはやここしかない。そう思って飛び込んだ会社は、いわゆるブラック企業だった。
結果、会社もブラック、帰宅しても親から『だから公務員になれとあれほど』と言われる。
そんな日々を繰り返すうちに、僕は生きることに楽しみを見出せなくなっていた。
こんな不自由の中、生きていると言えるのか?
一時期、自殺を考えたこともあった。
でも、それはやめた。
死ぬのは嫌だった。
死んだら、せっかく集めたコレクションをこれ以上堪能できなくなってしまう。
それは、僕の部屋に集めた漫画やアニメ、ゲームやフィギュアたちだった。
僕がギリギリ自我を保っていたのは、いつでも僕を受け入れてくれる二次元の世界があったからだ。
好きな漫画の新巻がもうすぐ出る。
次の休日は、ゲームで倒せなかったボスにリベンジしたい。
久しぶりにこのアニメ一気見しようかな。
そんな気持ちが、かろうじて僕の命を繋ぎ止めていた。
だが、そんな日々は突如終わりを告げる。
「……え?」
2階への階段を登り、自室のドアを開けた時、思わず口からこぼれてしまった。
自分の部屋が、モデルルームのように綺麗になっていたのだ。
それは、必要な家具だけあって、余計なものがない部屋を意味する。
それは、集めてきたコレクションが一切合切なくなっていたことを意味する。
なるほど、ついに僕は自分の部屋を間違えるほど疲れてしまったのか。
そんなことを考えながら、一度部屋を出る。
振り向いて、今入った部屋を確認する。
おかしい、僕の部屋で間違いない。
ふぅーーーっと、大きく深呼吸をして、もう一度部屋に入る。
ベッドや机、本棚など最低限の家具はあるが、やはり コレクションがない。
掃除とかのレベルじゃない。
ポスターやフィギュア、ベッドに置いてた漫画に、棚にあったゲーム機まで無い。
ということは、捨てられたのだろう。
「………………ぁぇ?」
人間、自分のキャパを超えて意味がわからない状況に直面すると、感情が機能停止するらしい。
怒りという感情のラインを通り抜けて、じわじわと絶望が湧いてきた。
長い時間が経った。
いや、本当は長くないのかもしれない。
時間感覚もないまま、僕は絶望に呑まれた。
体に力が入らず、手に持っていたカバンさえ落としてしまった。
1階から上がってきた父が「いらない物は捨てた」とか「これからは勉強しろ」とか言っていたような気がするが、もはや耳に入っていなかった。
その日、いや、この土日に何をして過ごしたか覚えていない。
気がつくと夜になっていて、全ての感情を失ったまま二日間の休日は終わった。