困った婚約者とビン底眼鏡〜外野に婚約解消しろと言われて困ってます〜
「メルさん、あなた公爵家のご令嬢だからといって、ロダン様の婚約者になれたなんて、ずるいのではなくて?」
ここは貴族学園の教室棟と他の棟を繋ぐ通路。の少し外側。
この学園に通うメルは、現在授業を終えて図書室がある棟に向かっているところだった。
しかし突然現れた三人の女生徒に捕まって、通路の外まで押し出されたところだ。
三人は威圧感を出しながらメルを囲んで睨みつけてくる。
メルは思う。またこの話か。
メルはこの学園に入学してから、いつもこんな目にあっていた。
女生徒に捕まって詰め寄られると決まってその話なのだ。
彼女たちの言うロダン様とは、この学園の三年生に属する侯爵家の嫡男だ。
眉目秀麗、頭脳明晰。
この学園のアイドルとも言える存在で、美しいツヤのある金髪、優しい顔立ち、性格もとても優しく、紳士的で、生徒教師、男女関係なく全てに好かれていると言われている。
そんな彼が三年生に上がる直前、休みの間に婚約したと学園は大騒ぎになった。
そして、その相手が今年入学してきた一年生の公爵令嬢のメリアンヌ、通称メル嬢だと言うのだ。
学園全体の興味と嫉みがそのメル嬢に向かうのは当然のことだった。
入学式には大量の在校生が押し寄せた。
そして皆が確認したメルという一年生は、名門公爵家の子女であり、
その容姿はとても平凡だった。
彼女は、奥の目が見えないくらいのビン底眼鏡をかけた、髪色も髪型も平凡な、とても普通の女生徒だった。
これではまるで田舎娘のような娘じゃないかと、誰もが思って噂した。
そして、みんなの憧れのロダン様が捕まったご令嬢が平凡となっては、もう令嬢たちは我慢がならなかった。
メルより先にロダンと一緒に学園生活を送っていたのは学園に通う令嬢たちなのだ。
こんな婚約はどうあっても納得できるはずがなかった。
誰もが彼と一緒に学園に通うなかで一度ならずも、彼の婚約者になることを夢見ていたのだから。
いつか彼に跪かれ、薔薇の花束と一緒に、笑顔で愛の言葉を囁かれるのを。
二人で馬車に乗り、彼から愛していると囁かれるのを。
教室に二人きりになり、君だけだと囁かれるのを。
そして彼からのキスを、妄想しなかった令嬢がいただろうか?
それなのに、ある日突然、野暮ったいビン底眼鏡の新入生にみんなの憧れのロダン様を取られてしまうなんて。
誰もが「信じられない!」「こんなのおかしい!」「名門公爵家の権力にものを言わせたに違いない!」と敵意を固めてしまったわけである。
そうしてメルはこの学園に入学してから、ほぼ毎日と言っていいくらいに令嬢に絡まれて生活することとなった。
全く困ったものだ。
「あなたロダン様の婚約者を名乗っておられますけど、結局それはあなたのお父様の公爵様が権力で勝ち取ったのであって、あなたに魅力があったというわけではないんですよ、わかっておいでですの?」
「もちろんわかってらっしゃるに決まっているじゃない。こんな奥まで見えないようなビン底メガネをかけていて、自分がロダン様に見合った相手だと思っているほど彼女だって思い上がっていませんんわ」
「そうよね、ねえ、メルさん。いい加減ロダン様を解き放ってあげたら如何かしら? ねえ今日帰ったらお父様におっしゃって? 『私じゃ荷が重すぎます』って」
「それがいいわ。ねえ、そうなさったら、あなたの学園での生活も、もう少し居心地がよくなりますわよ」
「あなただって辛いでしょう? 女生徒みんなから目の敵にされて」
「婚約解消なさったら、あなたのことも可愛がってあげてよ?」
令嬢たちは自分たちの中だけで納得しあい、うふふとみんなで笑い合っている。
満足気なその様子を確認してメルは「はあ、考えておきます」と答えて、彼女たちの輪から抜け出した。
彼女たちは大体言いたいことを全部言い終わると、相手が自分たちに従うものだと思い込んで後はどうでも良くなってしまうらしい。貴族の性だろうか? いつもこんな感じで終わるので、メルはそのタイミングで抜け出すことにしている。
全くの時間の無駄なのだが、付き合わないと終わらないので仕方ない。
こんなことに時間を取られてばかりなので、メルの成績は落ちる一方だ。
授業後の予習復習の時間は大幅に削られている。
今日もずいぶん時間を取られてしまったと思いながらメルはいつも通り図書室へ向かった。
図書室には予約制の個室があって、そこをいつも押さえてあるのだ。
図書室の入り口にはちょうど婚約者のロダンが立っていたので声をかける。
「ロダン、待った?」
ロダンはすぐに振り返った。
そして嬉しそうに微笑む。
「ああ、いや、待っていないよ。僕もちょうど来たところだ」
ふとロダンの向こうを見ると、男子生徒がこちらを向いていた。二人で喋っていたところらしい。申し訳なく思って、メルは相手に頭を下げた。
「お邪魔してしまったかしら」
「いいえ、ただ挨拶をさせていただいただけですので」
男子生徒は慌てて首を振った。
「大丈夫だよ。メル、そろそろ行こうか。いつもの個室を取ってあるから」
ロダンは優雅に微笑み、男子生徒に別れを告げ、メルをエスコートした。
そして個室に入り、バタンとドアを閉じると、メルは振り返って“みんなの憧れの”ロダン様を睨みつけた。
「ロダン、あなたのせいでまた難癖をつけられたわ」
「……あ〜、遅いと思ったら、今日も捕まってたの? “僕が美しいから君は身を引くべきだ”って? 大変だったね〜」
そう言いながらロダンはご機嫌斜めのメルを後ろから抱きしめ、頭をいい子いい子しながら頬擦りする。
そして個室に入る前とは大違いの、気の抜けた馴れ馴れしい言動にもどっていた。
彼はいつもこうなのだ。外では完璧に紳士の仮面を被っているのに、メルと二人きりの時だけは完全に気を抜いてこうなってしまう。
「今日は“権力を笠に着て”の方よ」
メルの機嫌は治らず、鬱陶しそうにロダンを追い払うと椅子にドスンと座った。それを目で追うロダンは笑う。
「ああもう、淑女らしさのかけらもない。今のお尻痛かったでしょ」
「いいのよ。ここにはあなたしかいないんだから」
「そうだけどさぁ」と言いながらロダンは隣に座り、メルのほっぺをチョンチョンと触る。
「本当にどうしたらいいんだろうね〜、僕も止めたいんだけどなぁ。あの人たち僕の前ではいい子ぶりっ子するから注意しにくいんだよね」
ロダンは別に放置したくて放置しているわけではないのだ。
確かに「可愛い婚約者様ですね」と笑う令嬢に対して「僕の婚約者をいじめるのは止めてください」とは言いづらい。
普段は優しくて紳士で通っている男なのだ。
尻尾を出さない令嬢たちには困ってしまう。
「僕が顔に怪我でもしたらいい? そしたらモテなくなるかも?」
「それはダメ! 見るたび私が罪悪感を感じるじゃない」
「そっか〜。はあ、めんどくさいなぁ」
ロダンは困り顔で頭を抱える。
解決策はいつも出ないのだ。
悩んだところで仕方がないので、メルは勉強しようと教科書を出してページを開く。
するとすぐにロダンが教科書の上に体を投げ出して妨害してきた。
「メル〜!」
「もうっ!!」
飼い主の作業を邪魔をしてくる猫のようだ。
「ねえメル、何か面白い話してよ〜。学年が違うからメル不足だよ〜」
そう言ってロダンはメルの眼鏡を取り上げる。
「もう、なんでそんなに子供みたいなのよ! みんなの前では完璧な紳士ぶってるくせに!」
メルが憤慨しても、ロダンはにこにこと笑ってばかりだ。
「そんなの、メルが好きだからだよ〜。二人でいる時は甘えたくなっちゃうんだよね」
「はぁ……もう」
メルはため息をついて目の前のロダンの金髪をぐちゃぐちゃにかき回す。
「わ〜〜」
ロダンはキャッキャ喜んでいる子供のようだ。
こんな男が可愛いと思ってしまう自分が悔しい。
メルは愛着と苛立ちを同時に感じた。
「も〜〜〜〜〜っ可愛こぶって!」
こんな男でもみんなの前では完璧な紳士なのだが。
彼は困った男なのだ。
+
「ねえ、メルさん、あなたロダン様と婚約解消して差し上げなさい」
今日も今日とて朝からこれか。
メルはメガネの奥で目を細めた。
神様がいるなら助けてほしい。ここで祈ってしまいそうな気分だ。
「ねえあなた、なんでわからないのかしら。ロダン様はあなたの事が恥ずかしいのよ?」
「あなた、ロダン様とデートに行く時、いつも個室を使われるらしいわね? なんでだか考えた事がないの?」
確かにメルとロダンは外にデートに行くと、いつも個室を使っている。
図書館でも個室を使っているし、それはいつものことだ。
「あなたと一緒にいるのを他の方に見られるのが嫌なの。恥ずかしいのよ」
「ロダン様にそんな肩身の狭い思いをさせているのがわからないの?」
「地味なだけでなく、鈍感な女なのね、だからそんなに堂々としていられるんでしょうけど」
今日の令嬢たちは攻撃的ね。メルはうんざりした。
どうしてこの人たちはロダンと一緒にいる時に意見してくれないのかしら。
そうしてくれれば、なんとでもなると思うんだけど、とメルは思う。
メルが言い返したところで、この人たちはメルの話を聞かないので、メルは黙って話を聞くしかない。
メルの言い分など聞く価値がないと思っているみたいだ。
彼女たちにとってメルはロダン様を悪どい手を使って独占する悪役なのだろう。
そう決めてしまっているようなので、この人たちにとってはメルが喋る言葉は全部嘘なのだ。
面倒くさい。
+
メルとロダンは元々幼馴染だった。
二人が知り合ったのはメルが赤ちゃんの時で、彼女が生まれてすぐに紹介されている。
父親同士が親友で、昔っから家族ぐるみの付き合いがあったのだ。
メルには兄が二人おり、メルが生まれる前からロダンは二人の弟のように扱われていたらしい。そしてメルが生まれるころになり、ついに自分より下の子供ができるとなってとても喜んだらしい。
そして生まれた子供は女の子で、男三人でどう付き合うべきか会議をしたりしたらしい。
結局メルは三人にとても可愛がられて育った。
メルはすくすく育つうちに、とても可愛い顔に育っていった。もちろん母もとても綺麗な人だから、最初から予想はついていたはずだ。
だがロダンは何故だかそれに焦りだし、ある日眼鏡を持ってきて、これをかけた方が良いと言い出した。
家族は何を言っているんだと反対したが、またその時も男たちで会議が行われたらしい。その時は兄弟だけでなく、父達もくわわっていたという。
それから、メルは眼鏡の生活が始まった。
何やら特殊な加工がしてあるらしく、メルの眼鏡は外からはあまり目が見えないように加工されている。しかしメルからの視界は良好なので、視力が落ちる心配はなかった。
メルは使用人の前でも眼鏡をかけることを強要され、「外して良いのは寝る時と僕の前でだけだよ?」とロダンにこそっと耳打ちされた。
なんだかわからないがメルは同意した。
するとロダンは嬉しそうにテレテレと笑って走って逃げた。
家族もそれを了解していた。眼鏡を外す癖はつけないでほしいと言われた。
少し大きくなると、その理由を教えてくれた。
眼鏡をかける前は、メルがあまりに可愛いことが噂になって、怪しい人間が屋敷の外を見張っていることが増えていたらしい。
実際二度ほど怪しい使用人がメルが寝ているところを抱き上げようとしているところを乳母が発見し、大騒ぎになったこともあったという。
メルはぐっすり眠っていて何も知らなかった。
そうして眼鏡をかけて、地味で野暮ったい娘だという噂が改めて広がると、危ないことは何も起こらなくなっていた。
しかしもうすぐ学園に入学するという時期になって、またロダンがソワソワし始めた。
そしてメルに求婚したのだ。
家族はロダンの気持ちを元々知っていたらしく、「メルの好きに返事をしていいよ」と許可をくれた。
メルはロダンが好きだったので「お受けします」と笑顔で答えた。
と言っても眼鏡をかけたままだったのでその笑顔が伝わったかはわからないが。
+
令嬢たちは待てど暮らせどロダンとメルが婚約解消しないので、もうどうしようもなくヤキモキしだした。
それからついに、何人かで集まってロダンに詰め寄ることにしたらしい。
ある日突然、ロダンは令嬢に囲まれて全く前に進めなくなっていた。
これは困った。
メルはいつもこんな気分だったんだなぁと呑気に考える。
「ロダン様、どうしてあの方と婚約なさったんですか? 公爵家に弱みを握られているんですか?」
「そうですわよね、こんなことを言ったら不快になられるかもしれませんけど、あなた様にはあの女性は似合っていませんわ」
「ええ、もっと素敵な女性なら、いくらでもいるじゃないですか」
「なんであの方と婚約しているのか、私たちに教えてくださいませ!」
ロダンは耳を塞ぎたい気分だった。女性のヒステリーは一人でも大変だと言うのに、こう何人も集まって矢継ぎ早に話されては耳が壊れそうだ。
だがやっと自分の気持ちを伝える事ができる事を嬉しくも感じていた。
彼女たちはいつでもロダンの前ではいい格好をして、とても物分かりのいいご令嬢のふりをしているのだ。
そんないい人のフリをしている人間に対して注意や嫌味は出来ない。
今日は絶好の機会だろう。
ロダンは満面の笑みでみんなに向かった。
「もちろん、僕が彼女を好きだからだよ。僕の方から婚約を申し出たんだ」
令嬢たちは固まってしまった。今の言葉が信じられなかったらしい。
「すっ……好き? 一体どこが」
「あのような、顔が……タイプなのですか?」
「……まさかそんな」
女性陣は自分がロダンの恋人になれなくても、せめて綺麗な女性が選ばれてほしいと思っているらしい。
あの女性が相手なら仕方ないと思えるような人が理想なのかもしれない。
その予想が当たっているなら、ロダンがメルの眼鏡を外させれば解決する話ではあるのだが、ロダンは渋った。
問題は令嬢たちではなく、全ての男なのだ。
ロダンはメルの美しい顔を犯罪者だろうが普通の男だろうが子供だろうが赤ちゃんだろうが、他人には誰一人に見せたくないと感じていた。
とても心が狭いことはわかっている。
だが嫌なものは嫌なのだ。
「そう、確かに顔は好きだね。他にも好きなところはいっぱいあるけど」
「は? あんな地味眼鏡ですのに?」
思わず口から出たという感じの言葉に、ロダンは笑いたくなってしまった。
「おや、君は眼鏡がメルの本体だと思っているのかな」
「あ、いいえ……そんなことは」
女性陣は何かを感じ取って一瞬怯んだ。誰一人、メルの眼鏡の下を想像してみた事はないらしい。
「ロダン」
後ろから呼ぶ声に振り返ると、メルが遠くからこちらを見つめているのが見えた。
いつから見ていたのだろう? 彼女はちょっと眉根を寄せて、不快感を示している。
ロダンが彼女らを心の中で嘲笑してしまった事に、声のトーンで気付いたのかもしれない。
彼女は自分が嫌われるのは構わないくせに、ロダンが嫌われるのは嫌がるのだ。
ロダンは「ゴホン」と仕切り直してから紳士的に彼女たちに頭を下げた。
「申し訳ない、僕の婚約者が迎えに来たようです。君たちとお話しするのは楽しかったんですが、そろそろ失礼してもよろしいでしょうか?」
「……え、ええ」
「……お時間をいただいてしまい……申し訳ありませんでしたわ」
彼女たちはおずおずと答えた。ロダンは満足気に微笑むと、さっとメルの方に歩き出した。
しかし思い直して、もう一度令嬢たちに振り返る。
「あの、一つお願いなんですが、よければ僕の婚約者にも優しくしていただけませんか? 大事な婚約者なんです」
申し訳なさそうな、それでいて甘えるような表情でそう頼むと、彼女たちは頬をピンクにしてコクコクと頷いた。
ロダンは満足気に微笑み、また令嬢たちをドギマギさせてから、今度こそメルのそばに駆け寄った。
令嬢たちはぼんやりとその様子を眺めていた。
そして、やっと自分達の考え違いに気付いたのだった。
+
二人はまた図書館の個室にいた。今日はもう予約時間が残り少ないので、メルは眼鏡をかけたままにしている。
ロダンはメルの後れ毛をツンツン引っ張りながら教科書を読むメルの横顔を眺めている。
「メル〜、今日は甘いもの食べて帰らない?」
「なんで? 私勉強したいんだけど」
「勉強は僕が休みの日に教えてあげるよ。それにそんなに一生懸命勉強しなくても、普通で大丈夫だよ」
ロダンは目一杯メルを誘惑する甘えた顔で迫ってくる。
メルは彼の顔の前に手を出してその表情を遮った。
甘いものは食べたい。だがしかし、勉強時間がまた無くなってしまうと思うとそれも恐ろしい。
「う〜っでも〜」
メルは迷った。こうやって誘惑してくるロダンの甘い言葉に乗っていると、いずれ自分がダメになってしまうに違いないという予感がするのだ。
過去に何かあったわけではないのだが、何となくいつも抵抗してしまう。
「今日僕頑張ったんだよ? 見てたでしょ? ね、ご褒美に。メルが美味しいもの食べて嬉しそうにしてるところが見たいな〜」
メルはロダンに弱いのだ。
ロダンはいつも通りケーキ屋の個室に入った。
もちろんメルと一緒にいるのが恥ずかしいからではない。
メルの顔が見たいからだ。
図書館でもレストランでもスイーツ店でもロダンは絶対個室をとる。
メルの眼鏡を外せるのはロダンの特権だからだ。
小さな時の口約束通り、メルはロダンの前でしか眼鏡を外さずにいてくれる。
メルは寝る時以外、自分で眼鏡を外す事はない。
ロダンはメルの眼鏡を自分の手で外すと、満足して微笑んだ。
「メル可愛い。メルの可愛い顔が今日も僕だけのものでよかった」
ロダンはいつも満足気だ。
とっても困った男なのだ。
読んでいただいてありがとうございました。
なんか微笑ましい若いカップルを書きたくなって書きました。
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