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かくれんぼ

作者: ゴボウ玉先輩

「みつけた」


  ※


 喉の渇きで目を覚ましてしまう。

 きっといい夢が見られていたはずなのにと、なにも覚えていない事に苛立つ。

 眼前に両手をかざして握って開く。右手の中指にぎこちなさを覚えてから何日くらいたっただろうか。

10日……半月……わからない。一月はたったのだろうか。曲げるたびに筋が骨に引っ掛かるような感覚を覚える。

 辛うじて認識できる指の動きはいつもどうりに、何も変わらず動いてくれる。

 相変わらずの寒さが眠気を奪う。今日は西に向かう予定だ。



  ※


「このように日本の景気には大きく分けて――」

 夏の日差しが肌を焼いている、ガラス越しの空調の効いた教室で。

 若干の腑に落ちなさを感じながら、窓の外に目をやる。

 夏の最中だというのにベンチに屯する人たちは、なにやら楽しげだ。

 講義が終わるまであとすこし。


  ※


 暗がりの中、壁に手を当てながら階段を下る。

 他と違いすえた匂いが薄いのが救いか。気のせいなのかもしれないが。

 居間を見て、台所、トイレ、風呂、両親の部屋を見る。実際にそうなのかはわからない。

 そう思いたいのか、どうなのかもあまり考えないほうがいいのかもしれない。

 今日は2階の姉の部屋を見るのを忘れてしまったが、……どうせ何も見つからないだろう。

 廊下を踏み抜かないように外にでる。玄関の扉の錆がひどい。壊したところで別の場所に移ればいいだけなのだが、ここを離れたくない思いが強い。ここが自分の家かもわからないのに、何を固執しているのかと笑えてくるが。

ノブを回し、ギリリと軋ませながら押す。

 眼前にはいつも通りの灰色。雨が降った跡のような土の匂いに埃を混ぜたような匂い。埃を払いむき出しになったアスファルトに書かれた方角に沿って歩き始める。


  ※


「たまにはお前もこいよな――」

 誘いを断る。昔よりは当たり障りなく断れている気がする。

 うまく日常をおくることにどれだけの意味があるのかはわからないけれど。

 学外の時間を確保する上でとても助けてもらっているはありがたいことだ。こんな関係を続けていければいいなと思う。

 講堂を出ると汗ばむ陽気が肌を包む。今年はまだキャンパス内でセミの鳴き声を聞いていない。この近辺にセミがいないのだとしたら、去年も聞いていなかったのかもしれない。

 街路樹の点々とした日陰を繰り返しながら駅まで歩く。スマホでいつもの掲示板を開く。

 今日はどこへ行こうか。


  ※


 何も変わらない。何もおかしい場所はない。

 見渡す限り灰色で埋め尽くされている。錆びて埃にうもれて腐っている。橋の下の川も干からびている。動くものは何もない。

 久しぶりに声を上げようかとも思ったが疲れるだけだと思いとどまる。

 スーパー、コンビニ、ドラックストア、本屋に電気屋、デパート。確かにその店だという確証はないが、どこも塵に覆われている。

 川の流れていない川沿いを歩く。

 ここが知っている場所ならば、もう少しで公民館がある。その近くには図書館と市役所があったはずだ。……図書館は、多分、探してないはずだ。

 見通しの悪い道を目を凝らして歩く。悪路というほどではないが、踏み外せば痛みは長く続くから。


  ※


「お降りの方はドア横のボタンを――」

 掲示板にはめぼしい話はなかった。的を射た話が在った事など無いのだから、そもそもが間違っているのかも知れないけれど。

 各駅停車の電車が止まる。利用者の少ない時間帯のため、ボタンを押して扉を開ける。

 ひさびさの駅のホームはいつも道理に錆びれている。相変わらずの暑さと湿度に顔をしかめる。

 仮定の積み重ねでしかない行動の指針にすがるしかない。

 ここで降りるくらいならばもう一駅乗って家に顔を出せばよかったか…。行ったところでだろう。ずっと探していたのだから。

 山に、あの場所に行ってみようか……。

 あまり意味があるとも思えないけれど、日が陰り始める前に山に向かおう。


  ※


 図書館の正面入り口は中央に両開きの扉と左右に一つずつ。向かって左のドアがひしゃげて通れるようになっている。触ってみれば風化が進みすぎているためか無理やり曲げられないこともない。窓枠にはまっていたであろうガラスもどこにも見当たらなかった。

 ロビーの床はタイル張りでゴム張りよりは都合がいい。ネチャリとする不快さはいまだになれた記憶がない。もしかしたらカーペットが塵になってその下が露出しただけなのかもしれない。

 図書館の中は乱雑にかき乱されていた。書架の中には辛うじて本の形を成している泡のような埃が散見する。

 大体の机や椅子はひしゃげて壊れている。壁には×の印と正の字の書きかけ。

 何回目なのだろうかここに来たのは。

 書きかけの正の字に書き足すために壁の埃に指を差し込む。

 最初はひどく荒れていたのだろうか、もう思いだせないが。

 ここに来たことを記録することに意味があるのかはわからない。きっと次に来ることがあれば忘れてしまっている。

 ただ、何も変わらないこの場所で自分の受け取り方でしかない感情でも、変わっているものを見れるのが、とてもうれしい。


  ※


「下校の時刻になりました、子供たちを――」

 午後五時、夏の夕方にはまだ時間がかかる。いつものベンチに腰を掛ける。

 眼下には何度も見た景色が広がる。

 あの図書館だ。

 おそらくはあの図書館なんだ。続く道も、街並みも、川も、きっとあの時の町……なのだと思う。

 図書館の正面入り口は中央に両開きの扉と左右に一つずつ。あの時は朽ちて埃まみれで、今の姿とは比べようもないが、確かにあの図書館だ。

 夢のようにあやふやで、時々浮かび上がる記憶も満足につかめない。

 あの時、私は山を見たのだろうか……。思い出せない。あの時は何を考えていたのだろう。焦ってはいたような気がする。それは今も変わらないけれど。

 眼前に広がる町はうっすらと夕日色に染められ始めている。きっとあの場所に違いないのに、変わり果てたあの場所はどこにあるのだろう。


  ※


 一定の場所、というものを設けないと不安に駆られる。

 歩いていた続けていた事もある気がする。どこまで行ったかは覚えてないけれど。

 ただその間ずっと不安だったことは覚えている。自分の場所というのは大事だ。それがあるだけでも不安は小さくなる。こんな場所で何もかもがおかしいのに、まだ自分がおかしくなることが怖い。

 散らかした図書館を出て帰路につく。道に残った足跡を辿る。

 相変わらずの灰色が視界に広がる。視界は悪いが見えなくはない。建物の中と違い、自分の足音も灰に吸われる。自分の呼吸音だけが聞こえる。

 何かを探し始めたときは、いつも何か期待をしている。だから自分の呼吸音など気にならない。

 帰り道はやはり耳につく。

 足跡を見ながらただ歩く。


  ※


「ちゃんと食べなさいよ――」

 一言二言交わして、電話を切る。

 親の名前も忘れてしまうような息子が、無理を言って一人暮らしをさせてもらっているのだから。

 やはり母には心配をかけてしまっているのだろう。

 帰りの電車で汗が冷え切っている。汗を吸った服をかごになげ入れる。

 闇雲に探し続けるよりはと場所を変えたが、あまり意味はなかったのかもしれない。そもそもあてなど無いのだからどこを探しても同じなのだろうけど。実家近くまで行くのを繰り返すのは時間の無駄でしかないのでは……と思う。

 椅子に座り机にノートを広げる。

 昔は思い出したことを書きなぐったが、最近は書き込めることもなくなってきた。

 忘れていくことに怯えながら書いたはずだが、時の心情はもはや思い出せない。

 いつも通りに初めから目を通す。三年間同じことをやってきた。

 時間の記録も、飛ばすことなく反芻する。

 書き続けたはずの名前は文字として読み取ることはできないし、写真の隙間への記述はたんなるこじつけのように思える。

 実家の正面は初めから空き地だ。

 自分の中の認識とすり合わせる。四年間ずっとやってきた。

 何もわからず夜道を歩いて、保護されてからずっと。

 この場所こそが現実なのだと自分自身が主張し続けてきたとしても。

 最後の一瞬しか思い出せない、残滓にも満たないあの場所の記憶を忘れない限り。

 ずっと探さなければならない。

 あの廃屋のような家で、ずっと家族を探していた世界を。

 あの世界をなかったことにする、この世界で探さなければならない。

 両親と姉が、この現実すべてが前と同じ保証など無いけれど。

 そんなものどうだっていい。

 

  ※


 足跡を見続け歩くと方位記号が目に止まる。

 いつの間にか家についていた。鈍い音を響かせながら玄関を開け中に入る。

 居間を見て、台所、トイレ、風呂、両親の部屋を見る。やはり父さんも母さんも居ない。今朝……と言っても時間の経過あやふやだが、調べ損ねた姉の部屋ものぞく。やはり誰もいない。

 腐りかけの廊下を踏み抜かないよう自室に戻って、膝を抱え目をつむる。

 眠る必要なんて本当はないのかもしれないが、それでもこの時間だけがこの世界のことを考えないことを許してくれる。

 体が冷たくなっていく、今でない何時かの夢ならいい。ここに比べれば大概は幸せだ……。


 音が、聞こえた……?


 体が引きつるのを感じる。鳥肌が酷い。

 意識を家の外に向ける。夢を見ていただけだろうか?

……確かに聞こえる。

 どこだ、正面の家だろうか?だれの家だ……ったろうか。

 周りの家に住んでいる人のことを考えていたのはいつまでだったろうか?

 音は聞こえ続けている。

 ギリリと玄関のあく音がする。

 ずっと探していた、会いに行くべきだ。体が動かない。ずっと探していた、だから分かっている。

 ここに自分以外がいるはずなんてない。

 階段を上がる音が聞こえる。

 とうとう気がふれたのだろうか。だいぶ自分自身で怪しいとは思っていたが幻聴は今までなかったはずだ。

 部屋の扉の前に何かがいる。

 目が離せない。奥歯が鳴り続けている。

 扉が開く。

 ……なんでここに。


  ※


「明日の天気はあいにくの――」

 いつの間にか時間がすぎていた。ノートをいくら読み込んでも新しく何かがわかることはないが、どうにも読みふけってしまう。

 電気を消しベッドに潜る。

目を瞑り、考える。

 あの時、誰を見たのだろう。

 分からない。

 ただ、あの声だけは覚えている。

 あの声だけが今確かに信じられる。

 あの声だけが、だからあの声を見つける。

 無くしたものを、探さなければ。






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