80・私もアシュトンを──
「アシュトン殿下──お久しぶりです。こうしてお会いするのは、十年ぶりくらいになりますか」
実家に着くと、私たちは早速応接間に通された。
私のお父様──名前はルドルフ。
妻──つまり私のお母様になるんだけど──を亡くしてから、再婚もしなかった。
お父様はこの国の大臣の一人。そのため、幼い頃のアシュトンにも会ったことがあるんだろう。
「本日はお忙しい中、お時間を取っていただきありがとうございます」
ソファーに座る前に、アシュトンはそう丁寧に挨拶する。
ここまでかしこまった彼は初めて見る……かもしれない。
しかも声と表情が強張っている。さすがのアシュトンでも、私のお父様を前に緊張しているのかしら。
「まあまあ、まずは座ってお茶でも飲んでください。良い紅茶の茶葉が手に入ったんですよ」
「ありがとうございます」
とアシュトンはソファーに腰を下ろす。
私もその隣に座った。
──ど、どうしてこんなことになってるの!?
私のお父様と会うことは、アシュトンから聞かされていなかった。
しかし彼は秘密裏に計画を進めており、こうして『婚約者が実家に挨拶に来る』という大イベントが実現したのだ。
どうして私に言ってくれなかったのかと問い詰めると、
『サプライズだ』
ニヤリとイタズラ少年みたいな笑みを浮かべて、アシュトンは言った。
……色々と文句を言いたくなったけど、それどころじゃない。
「こうしてご挨拶に来るのが遅れてしまい、申し訳ございません。本来ならば、もっと早くにこうした場を設けるのが筋でした」
「ご丁寧にありがとうございます。しかし──謝る必要はありません」
お父様は柔らかく笑って、こう続ける。
「そもそも、この婚約は元々国王陛下が勝手に決めてきたこと。こうして顔を合わせる機会もなかったのは、仕方のないことです。それに殿下も色々とお忙しい身でしょう。気にする必要はありません」
その言葉に、アシュトンの表情がより一層強張る。
勝手に──って言われたら、そりゃあ身構えるわよね。
それにしてもお父様もどうしてこんな言い方をしたのかしら? もしかして、私とアシュトンの結婚を認めるつもりはないとか?
「ノーラも久しぶりだね。全然実家に戻ってきてくれなかったじゃないか。父は寂しかったよ」
「だ、だって……意外と婚前の嫁入り生活が楽しかったんだもん。帰るのを忘れていたわ」
と私は言葉を返す。
お父様……ニコニコと笑っているけど、これは怒っている時の表情だわ。わ、私だって、悪いと思っているんだからね!
そして私たちはしばし世間話に話を咲かせていたが──アシュトンが不意に真剣な表情になって、こう口にした。
「ノーラとの結婚をお許しください」
──と。
場がピリッと引き締まった感じがした。
「…………」
お父様は言葉を発しようとしない。口を閉じて、品定めするような視線をアシュトンに向けていた。
一方、アシュトンも似たようなところ。
両膝に手を置いて、じっとお父様の言葉を待っている。肩にも力が入っていて、緊張しているのが丸わかりだ。
こんなアシュトンの姿、魔物と戦っている時ですら見たことがないわ。
もしかしたら、魔物と戦っている時以上に神経を研ぎ澄ませているのかもしれない。
私も変に口を挟まず、固唾をのんでいた。
そして。
「ノーラは──」
口火を切ったのはお父様の方からだった。
「昔からワガママな子でした」
「お、お父様!? なにを言い出すの?」
私は前のめりになって、お父様に反論しようとするけど──さっとアシュトンが視線でそれを制す。
「ダンスや淑女のマナーを学んでいるよりも、剣や魔法の勉強をしている方が好き。私になにも言わずに森に行って、ハードベアを狩ってきたことはつい最近のように思い出せます」
「そ、そんな昔話を……」
「ですが、ノーラは優秀な娘でした」
お父様は私を無視して、さらに話を続ける。
「だから『心配はいらない』とノーラをよく知る者は言います。しかし私からしたら、気が気でなかった。『いってきます』と家を出た娘が、二度と帰ってこなくなる……そんな心配をしたことは一度や二度ではありません」
「…………」
そう。
私はお父様にいっぱい迷惑をかけてしまった。
しかし──お父様はそれでも、私の好きなようにやらせてくれた。
私もそのことに罪悪感と恩義を感じていたから、レオナルトとの婚約も嫌嫌引き受けた。
今だって、アシュトンとの結婚が嫌! って言ったら、お父様は反対しないでしょうね。
まあそんなこと──。
「目が離せない子なんです。なにをするか分からない。勝手に一人でダンジョンに行くこともあれば、危険な魔法を試してみたりもする。でも──優しい子なんです。本人は無自覚かもしれませんが、いつの間にか他人を救っていたりする。気が付けば、みんな彼女の虜になってしまっている」
「それは私も感じています。まあ──私の愚兄はそう思わなかったみたいですが」
とアシュトンがお父様の言ったことに同意する。
さらにお父様は真っ直ぐアシュトンを見つめ、こう口にした。
「殿下はどうですか? あなたもノーラの虜になっていますか? 彼女から目が離せなくなっていますか? そして──娘を守ろうとする気持ちはありますか?」
それに対して、すぐにアシュトンは言葉を返さなかった。
お父様の言ったことを真摯に受け止め、自分の中で消化している。
しかしやがて、一度深呼吸をしてから──アシュトンはこう口を開いた。
「先日──私は許されざる過ちを犯してしまいました。ノーラを危険な目にあわせてしまい、その結果、彼女は遠いところに行ってしまった。最終的にはこちらに帰ってきてくれましたが、それは結果論。反省してもしきれません」
──あなたが罪を感じる必要なんて、どこにもないのよ。
そう口を動かそうとした。
だけどそうすることも許されない神聖な空気を感じ取っていた。
ただアシュトンが紡ぐ言葉を待っている。それはお父様も同じだった。
「だから決めた。もう二度と、彼女から目を離さない。もっとも彼女を束縛するつもりはありません。彼女と手を取り合って、生きていく。時にはノーラが前を歩いたり、私が引っ張っていく時もあるでしょう。ですが──夫婦というのはそういうもの。どちらが上とか下はないんですから」
そしてアシュトンは深々と頭を下げ、
「彼女を一生涯かけて守り通す。お父さん──ノーラを俺にください」
と言った。
「……ふふ」
それを受けて、お父様が頬を緩める。
「すみません、少し意地悪をしたくなりました。なにせ、ノーラは私の自慢の娘。それなのに変な男にはやれませんからね。特にあなたは変人王子だなんて、ここ王都で呼ばれていますから」
「ちょ、ちょっと、お父様……それはさすがに失礼……」
と慌てて訂正させようとしたが、アシュトンはそんな私を手で制す。
その頭は下げられたままだ。
「ですが──私には分かります。あなたは私の娘を愛してくれた。そんな人が、悪い男なわけがない」
そして──お父様も頭を下げ、
「娘を──よろしくお願いいたします」
と──言葉を返した。
それを聞いて、アシュトンは顔を上げる。表情は明るかった。
「……ありがとうございます。ノーラを必ず幸せにします」
お父様も顔を上げて、アシュトンを見る。
二人の顔は朗らかなもので、先ほどの緊張感が嘘のようになくなっていた。
「そういえば、ノーラからの言葉を聞いていなかったね。ノーラ──君はどう思っている?」
なにを分かりきったことを……と思わなくもない。
だけどそれを茶化す場面でないことも分かっていた。
ゆえに私も二人の真剣さに応えるように、こう答えを返す。
「……アシュトンは私を幸せにするって言ってたわね。でもちょっと違う。私こそアシュトンを幸せにしてあげるわ。まずはそれを言いたかった」
そう言うと、アシュトンが驚いたように目を見開いてから、少し頬を緩めた。
アシュトンにあんなことを言われて嬉しいけど、ここまで情熱的な言葉を聞くと、私も私で照れるわけで。
「私、今まで本気で人を好きになったことがなかった。そしてそれはこれからも続いていくものだと思っていた。だけど違った──」
私はアシュトンと向き合う。
アシュトンのキレイな瞳を真っ直ぐ見て、彼の手に私の手を添えた。
お互いに微笑む。こうしていると勇気が出る。
そして私は再度、お父様の方に顔を向けて、こう言った。
「私もアシュトンを愛してる──私、彼と結婚するわ」
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早いところだともう並んでいるかも……?
よろしくお願いいたします。




