57・アシュトン、強硬策に出る
「ん……?」
アシュトンが突然、訝しむような表情になる。
「あら、アシュトン。どうしたのよ。なにか気になることでもあった?」
「いや……誰かが俺とノーラのことを考えているような気がしてな」
「……ふうん?」
「多分、俺の気のせいだ。すまんな」
とアシュトンは早々に話を切り上げた。
一体なんのことだか分からないけど、アシュトンがそう言う以上、私はなにも言えない。
今はそんなことより……。
「ねえ……ちょっと過保護すぎないかしら? そんなにべったりひっついてもらわなくて十分だと思うけど……」
「ダメだ」
アシュトンが私の顔を真っ直ぐ見つめて、こう口を動かす。
「まだ俺はヤツらのことを信頼していない。ここはいわば、ヤツらのテリトリー内だ。あいつらがなにかを仕掛けてくる可能性がある。だから俺がこうして、ノーラを守ろうとするのは自然な話だろう?」
「うーん……」
一見、アシュトンの言っていることは筋が通っているが、いまいち納得出来ない。
今──私たちはリクハルドさんのお屋敷の一室に通されていた。
室内はそこまで広い方じゃなかったが、一泊するだけなら十分快適に過ごせる。
私とアシュトン、ライマーの三人分のベッドが並べられており、布団はふかふかだった。
本当はリクハルドさんは、女の私用にもう一つ部屋を用意すると言ってくれたけど──アシュトンがそれを断った。
きっとそんなんじゃ私のことを守れないと思っているのでしょうね。やっぱり過保護だわ。
まあそれは良いとしよう。問題は今だ。
私とアシュトンは同じベッドに腰掛けているんだけど──ちょっと距離が近すぎる気がする。
アシュトンが私の肩を抱いて、ぎゅーっと身を寄せている。
それにしても……この男、良い香りね。
男性特有の汗臭さがしない。香水とか振りかけているわけじゃないと思うけど、一体どうしてなのかしら? 不思議だ。
正直な話、今の私はかなりドキドキしている。
「ね、ねえ、アシュトン。やっぱりやめましょうよ。なんだか恥ずかしいわ……」
それに耐えられなくなって、そう言ってしまう。
「断る。俺との約束を忘れたのか? 俺から離れるなと言っただろう」
「離れるなと言っても、度が過ぎるじゃない!?」
「くくく……まあ、そう言うな。最近、ノーラと婚約者らしいことをしていなかったからな。これくらいの我儘、聞いてくれ」
とアシュトンは愉快そうに笑った。
うーん、婚約していたら、これくらい当たり前なのかしら? レオナルトの時はこんなことなかったし、いまいち分からない。
「うー……ライマーは早く戻ってこないかしら?」
同部屋であるはずのライマーは、
『外の空気を吸ってくる』
と言い残して、そそくさと部屋から出ていってしまった。
すぐに戻ってくると思ってたのに……かれこれ、一時間は経過しているわ。
「大丈夫かしら? こんなことをしている暇があるなら、ライマーを探しにいった方がいいと思うんだけど……」
「いや、あいつも一人前の男だ。あまり心配しすぎるのもよくない。放っておこう」
「わ、私との扱いの差が大きすぎない!?」
「気のせいだ」
きっぱりと言い放つアシュトン。
やっぱりこいつ、理由を付けてこういうことをしたかっただけらしい。
「それに……ライマーが悩んでいることも分かるしな。今はヤツ一人にさせた方がいいだろう」
「悩み……? それってなによ」
ライマーがうじうじ悩んでいるところなんて、とてもじゃないけど、想像出来ない。
「いや、お前には理解出来ないことだろうしな。気にするな」
「なによー、教えないさいよ」
とアシュトンの胸板を軽く押してみるが、彼は口を割ろうとはしなかった。
気になるけど……まあ、男の子には男の子なりの悩みがあるのね。女である私が突っ込みすぎるのも、よくないんだろう。
「──あっ、そうだ! カスペルさんとお話ししましょうよ。せっかくエルフの村に来てるんだし」
「おい、待て。俺はお前ともう少し二人の時間を──はあ……言っても聞かないか」
アシュトンは疲れたように溜め息を吐く。
ちょっと悪い気はしたけど、これ以上は私の心臓がドキドキで爆発しそうなのよ!
私は急いでバッグから通信用の魔導具を取り出す。カスペルさんに渡してもらったものだ。
私はそれを起動し、
「カスペルさん? 聞こえるかしら」
と話しかけた。
こうやって話しかけることによって、相手側の魔導具のベルが鳴る。それで相手側が気付いて、応対する仕組みね。
だからすぐに返事がくるはずがないんだけど……。
『はい、聞こえますよ。おつかれさまです』
と、まるで魔導具の前で待っていたのかと思わんばかりの速さで、カスペルさんから返事がきた。
「相変わらずね……どうしてそんなに早いのよ? 魔導具の前で待ってたりするのかしら?」
『いえいえ──これくらい、執事として当然のことですよ。ノーラ様を待たせるわけにはいきません』
カスペルさんの声はいつも通り。
ふう、この声を聴いてたらなんだか安心するわね。実家に戻ってきたみたい。
私はほっと一息吐き、こう話し始めた。
「実はね、私たち……今日はエルフの村に来てるのよ」
『エルフの村? どうしてそんなことに? 確か、エルフは多種族とは距離を取って暮らしている種族。滅多に会えるものではないと聞きますが……』
「色々あったのよ。街に行くまでの橋が──」
カスペルさんにエルフの森に向かった理由、そしてリクハルドさんに気に入られて、ここで一泊することを説明した。
『なるほど。それは驚きです』
平坦な声で返事するカスペルさん。
「そう言う割には、あまり驚いてないのね」
『驚いてますよ。この驚きが伝わらないですか?』
「よく分からないわ」
とはいっても、カスペルさんが平常心を失うことなんてほとんどない。いつも冷静なのだ。
しかしそんな彼でも、感情を吐露した事件がある。アシュトンが魔神に取り込まれそうになった時ね。
……あっ、そうだ。
「カスペルさん。あなたは聖なる魔女って聞いたことがある?」
『いえ……勉強不足なもので、知りませんね』
「知らなくても無理はないわ。聖なる魔女というのは、魔神の恋人だったみたい。それでどうやら──私の中にその人の魂が眠っているらしいのよ」
『……は?』
とカスペルさんが聞き返してくる。
「お前は説明を省きすぎだ」
とアシュトンが私の頭を軽く叩く。
私は頭を押さえ、アシュトンに非難の目を向けるが──彼はわざとらしく目線を外した。
『……ノーラ様、詳しく説明していただけますか?』
「ええ、もちろんよ。聖なる魔女というのは──」
リクハルドさんから聞いたことを説明する。
『……そんなことがあったんですね』
「そうなのよ。まあ、あまり大したことじゃないけどね! そんなことよりカスペルさんにお土産を買ってきて──」
「このことを大したことがないって言うお前も、どうかしてると思うぞ」
アシュトンがなんか言っていたが、無視だ。彼の小言をまともに聞いていては、身が持たない。
カスペルさんにお土産のことを話し続ける。
「光るアンティークなのよ! 屋敷の中に飾ったら、きっと素敵だと思うわ。私たちが持って帰るのを楽しみにしててね」
『はい』
それからしばらく、カスペルさんと取り留めもない話をしてから──私は魔導具の通信を切った。
「ふう、楽しかったわ」
「それは良かったな」
「どうして不貞腐れ気味なのよ?」
何故だか、アシュトンは不満げな表情だった。
私がカスペルさんと話している時も、ほとんど口を挟んでこなかったのに……なにか体調でも悪いのかしら?
でもその心配は杞憂だったようで、
「いや、なに」
アシュトンはさらに私に顔を近付け、こう続ける。
「この旅でなにかが変わると思った。しかしお前は相変わらず、俺の気持ちに気が付かない。それどころか二人きりの時間がなかなか取れず、やっとかと思えばカスペルと楽しそうに会話をする。これではさすがの俺も焦ってしまうのだ」
「焦る……? 一体あなたはなにを──ってえー!?」
言葉を続けようとすると──アシュトンは私の両手首を急に握る。そしてそのまま、私をベッドに押し倒したのだ。
「おとなしくするのはやめた。だから──強硬策に出ようと思う」




