49・エルフ族
「うーん……どうしようかしら」
私はその場でしゃがみ、崖の下を覗き見る。
どこまで続いているか分からないほど、深い崖の下。試しに石を放ってみると、それが地面に当たる音すら聞こえなかった。
「でも微かに水が流れるような音が聞こえるわ」
「この下は川になっているからな。かなりの激流で、一度飲み込まれたら体がバラバラになってしまうだとか」
とライマーが説明してくれた。ぞっとする話ね。
「橋の修理にはどれくらいかかる?」
その間にもアシュトンは作業員と会話を交わしていた。
「およそ一ヶ月程度はかかるかと。元々老朽化も進んでいましたし、せっかくならこの機会に全部直しておこうと思いまして」
「一ヶ月!?」
こんなところで一ヶ月も足止めを食らっていたら、魔物討伐作戦が決行されてしまうじゃない!
その後に私たちが行っても「なにしに来たんだ?」というような目で見られること請け合いだ。
「なんとかならないのかしら?」
私は作業員にそう詰め寄る。
「うーん……渡れるように修理するだけでも、一週間はかかるでしょうね。しかもかなりの突貫工事になりますので、安全性は保証出来ません」
「一週間……どちらにせよ間に合わないわね」
困ったことになった。
「ねえ、アシュトン。仕方ないから、この崖を降りてから向こうまで行ってもう一度崖を登る……ってのはどうかしら?」
「やめておけ。それが出来ていれば苦労はしない。ここは乱気流もあるし、ここから崖を降りるのは自殺行為だぞ」
「お前と同じことをやろうとした人間で、生きて帰ってきた者はいない……なんて話もあるんだぞ。無謀だ」
アシュトンとライマーが口々に否定する。
うーん、良い考えだと思ったんだけどね。でもこの崖の深さだと、二人が言っていることも納得ね。
「あっ、そうだ。お前」
「お前って言わないでよ。私にはノーラって名前があるんだから」
「うるさい。お前の魔法でここに橋を架ける……ってことは出来ないのか? もしくは空を飛ぶような魔法があれば……」
「それも難しいでしょうね」
私も一番初めにそれは思い付いた。
だけどちょっとした氷の橋を作る──ってことは出来たとしても、向こう側まで結構距離がある。この距離を渡れる氷の橋を魔法で作ることは不可能だ。
空を飛ぶ魔法というのも却下ね。そんな魔法は使えないし、仮に出来たとしても乱気流のせいで途中で墜落してしまう危険性が高い。
「ふむ、じゃあ橋の修理が終わるのを待つしかないのか……」
アシュトンが顎に手をやって、難しそうな表情を作る。
「となると回り道をするしかないようだな」
と言いながら、アシュトンはその場で地図を広げた。
「あらためて見ると、なかなかの大きさね。崖が地図の端っこまで続いているわ」
「そうだ。一番近い橋のところまで行っても、時間は足りないだろうな。無論、橋の修理が終わるのを待つよりかは現実的ではあるが……」
アシュトンが指差すところに目線を落とす。そこには確かに橋が架かっているようだが、ここに辿り着くだけでも三日はかかりそう。やはりこれも難しい。
「ん……?」
その時、私は見つけた。
崖を横断するように、黒いもじゃもじゃが地図に描かれていたのだ。
「ここは……森かしら? どうして崖の上に森なんてあるのかしら?」
私は首をひねる。
「でもアシュトン、この森を通ることは出来ないのかしら? ここからだったら間に合うと思うんだけど」
「ああ、そこは……」
アシュトンが表情を険しくし、こうきっぱり言い放った。
「ダメだ。そこは通れない」
「どうしてよ。まさか……強い魔物でもいるとか? それなら問題ないわよ。私とアシュトンがいれば、きっと倒せるから」
「おい! なんでオレを省くんだ!」
横からライマーがぎゃあぎゃあと騒いでるけど、無視だ。
アシュトンは腕を組み、こう口を動かす。
「強い魔物だけなら良かったんだがな。だが──違う。それどころか、その森には一体たりとも魔物がいないとも聞く」
「それなら……」
「ここには──魔物の代わりにエルフ族がいるんだ」
「エルフ……? こんなところに住んでるの?」
私が問うと、アシュトンは首肯した。
──エルフ族。
魔法や弓の技術に長けた種族だ。しかも人間よりも寿命が長く、千年以上も生きているエルフも中にはいるのだとか。
だが、エルフは他種族とほとんど交流を持とうとしてこなかったため、滅多にお目にかかれるものでもない。
少なくとも、私はお会いしたことがなかった。
「ここはエルフの居住地がはっきりしている珍しい場所なんだ。しかし人間との間で不可侵条約を結んでいて、許可なき者が勝手に森に立ち入ることを禁止している」
「よく知ってるわね。私でもそんなこと、知らなかったわ」
「これでも王族だからな。一般の人が知らないような情報でも、色々と耳に入ってくるのだ」
とアシュトンは一瞬顔を歪めた。
アシュトンは昔、第一王子レオナルトの間でごたごたがあったせいもあって、逃げるようにジョレットに移住してきた。
そういう経緯があるからこそ、アシュトンは王族という言葉に、人一倍思うところがあるんでしょ。
「でも……絶対に行ってはいけないってことじゃないのよね?」
「それはそうだが……」
「なら行ってみましょうよ。きっと話をすれば分かってくれるはずだわ。別に戦いにいくわけじゃないんだし……」
「そんな簡単にいくものか?」
ライマーが私の提案にそう疑問を呈する。
「だってそれくらいしか崖の向こう側に渡れる方法はないんでしょ? なら一度試してみても損はないはずよ。私、嫌だからね。こんなんところでトンボ帰りするなんて」
「むう……」
アシュトンは難しい顔をして、一頻り考え込む。
しかし答えが出るのにはそう時間がかからなかった。
「……まあノーラの言うことにも一理ある。スムーズに事が進むとも思えないが、可能性が少しでもあるなら試してみよう」
「決まりね!」
パチンと指を鳴らす。
一方、ライマーは納得がいかなそうな顔をして「無理に決まってる……」と呟いていたが、アシュトンも乗り気ということで、それ以上文句は口にしなかった。
「じゃあ行きましょう。大丈夫。これでも私、交渉ごとには自信があるんだからっ!」
「どの口で自身があるだなんて言ってるんだ。お前みたいなバカが──」
「えっ? ライマー、もしかして私のことをバカって言った?」
「……っ! 言ってない! 言ってないから、そんな人を殺しそうな目で見ないでくれ!」
私が鋭い視線をライマーに向けると、彼は慌ててそう否定した。
「くくく。相変わらず俺の婚約者は破天荒だな。普通、エルフと交渉しようなどとは思い付かないぞ」
アシュトンは何故だか、やけに楽しそうだった。




