39・世界で一番大好きな人
【SIDE アシュトン】
俺は昔から剣の才能があった。
剣を握ったのは物心付いた時だろうか。
王宮の一室にあった剣を握り、それを振るうとまるで心が晴れていくような感覚になった。
剣の家庭教師も付けてもらったが、「百年に一人の天才」と言われた俺は、めきめきとさらに実力を伸ばしていった。
そしていつしか、俺を次期騎士団長にと推す声も多くなっていった。
俺もこの剣で国を……そして民を救えることが出来ると自分の力に誇りを持った。
王という立場に興味はなかった。
しかし好きで振るっていた剣が、誰かの役に立つ……そのことが嬉しくて、俺はさらに努力を重ねた。
そんな人生に暗雲が立ち込めたのは、学院を卒業した頃だった。
稽古場に向かっていると、途中で執事のカスペルがとある者にイジめられている光景が目に入った。
彼は俺の身の回りの世話をしてくれている執事だ。
同世代ということもあり、カスペルとは他愛もない世間話をして、夢を語り合ったこともある。
カスペルは執事という枠を超えて、俺の良き友だったのだ。
そんな彼が無抵抗で地面に蹲っている。
これはおかしい。
何故なら、彼は国お抱えの暗殺者一族の一人だったからだ。
国の暗部を担う彼ら。
国にとって都合の悪い者を暗殺する彼らは、その力に反して周囲から侮蔑の視線を向けられていた。
しかし国にとって、そういう汚い部分を担ってくれる人物が貴重なのも事実なのだ。
悲しいことではあるが、綺麗事で政治は出来ない。俺はそれを実感していた。
そんな中でカスペルは暗殺の才能がないと見なされ、執事に回された人物だった。
だが、才能がないとはいうものの、それは暗殺者一族の中基準のもの。
カスペルと何度か模擬戦をしたこともあるが、俺は彼から一度も勝利をもぎ取ることが出来なかった。
それなのに簡単にやられるとは到底思えないが……一体なんだろう?
しかしその疑問はすぐに解決した。
カスペルをイジめていた張本人が、兄のレオナルトだったからだ。
『お前の中には汚らわしい血が流れている! こんな王宮にはふさわしくない! それにアシュトンと仲良くしているのも腹立たしい。お父様が見逃しても、僕が許さないからな!』
そう声を張り上げていた。
メチャクチャな言い分だ。
王宮にふさわしいかどうか決めるのは、レオナルトではない。それなのに彼は独断でカスペルをイジめている。
暗殺者一族からも……そして王族など内部から、カスペルが疎まれていることは知っていた。
だが、こうやって表立ってイジめられるところを見るのは初めてだ。カスペルに力があったからだ。
カスペルはレオナルトの暴言、そして暴力にじっと耐えている。
あんなにクソみたいな兄ではあるが、第一王子であることには変わりない。一介の執事が手を出しては、自分がタダで済まないと思ったからだろう。
そんなカスペルの態度が気に食わなかったのか、レオナルトが剣を抜いた。
『くくく。一度試してみたかったんだ。人を斬る感覚というものをな!』
カスペルに向かって剣が振り下ろされる。
それを見た瞬間、俺の中でなにかが弾けた。
そこからはあまり覚えていない。
記憶にあるのは、地面に倒れているレオナルト。そして俺が握っている剣に、赤い血が付いていたことだ。
すぐさま王宮内にいる者も気付き、俺を拘束した。
そして今回の事件は、アシュトンが剣の腕を試してみたかったことがきっかけとされてしまった。
全くのデタラメである。
しかしレオナルトがみんなにそう言い、俺も強くは否定しなかったために最終的には責任を全て被らされた。
否定しなかった理由は、逆上して兄であるレオナルトに剣を振るってしまったから。
そんな自分を強く反省したからだ。
最後までカスペルは俺に代わって、反論してくれた。
だが、一介の執事が言ったことなど信じてもらえるはずがない。
思えば、レオナルトはあの時からさらにおかしくなっていったように思う。
自分の立場に溺れ、好き勝手やるような王子となってしまった。
カスペルは何度も「陛下にだけは真実を伝えましょう」と言ってくれてはいた。
しかし今回の事件がきっかけで騎士団長の道もなくなってしまった今の俺は、全てがどうでもよくなっていた。
そして無気力な俺は王族の責務を放り出し、辺境の街……ここジョレットに向かった。
そこにはカスペルも付いてきてくれることになった。
俺はそのことを反対したが、「私は一生アシュトン様にお仕えします」と彼は強情に譲らなかった。
ジョレットに来てから、俺は冒険者になった。
幸い剣の腕もあり、瞬く間に最高ランクのSに昇格することが出来た。
しかしそんなことはどうでもよかった。こんなことをしても、空虚な心は満たされないことは分かっていたからだ。
一方予想外だったのは、街の人々の俺を見る目が変わっていったことだ。
彼らは当初、第七王子である俺がこの街に来て「厄介」だと思っていただろう。王子が街に来たとなっても、得することはないと。
だが、俺が淡々と依頼をこなし人々を助けると、彼らが俺を見る目も徐々に変わっていった。
『さすがアシュトン様だ!』
『この街にあなたが来てくれて、本当に助かります!』
『アシュトン様がいればこの街も安泰だな!』
そんな声。
最初はそんな声がむず痒かった。
俺はそんな立派な人間ではない──と。
しかしいつしか慣れてきて、街の人々の優しさが心地よくなっていった。
──ああ。俺の居場所はここだったんだ。
そんな日々を過ごしていた頃、ノーラという公爵令嬢がやってきた。
俺は今の生活が気に入っている。
それに……またレオナルトの時と同様に、人を傷つけなにかをなくしてしまうかもしれない。それが怖かった。
だから今回も断ろうと思ったが、ノーラは違った。
彼女は破天荒な行動で、いつも俺を楽しませてくれた。
そんな彼女と一緒にいると、心が弾んでいく自分に気付いた。
彼女を失いたくない。
一生俺の隣にいて欲しい。
しかし……そんな願いが今、粉々に壊されようとしている。
〈貴様が幸せになる権利などない〉
魔神の声が頭に響いてくる。
戯言だということが分かっている。そうやって俺の心を弱らせ、抵抗する気を奪おうとしているのだ。
だが、魔神の声を聞いていると不思議と「そうかもしれない」と思うようになってしまうのだ。
抵抗しても、闇が頭に侵食してきて自分を見失いそうになってしまう。
「お、俺は……幸せなる……権利、などない……」
そうだ。
レオナルトの事件の時も、俺がもっと上手く立ち回ればなにも失わなかったかもしれない。
カスペルも俺に付いてくることはなかったかもしれない。
俺は面倒ごとから目を背けただけだ。
なにも手にしようとしなかった男が、急になにかを欲したとしても無理な話だろう。
願いを受け止められるほど、俺の両手は大きくないのだから。
〈我に力を譲り渡せば、ここにいる者たちの命だけは助けてやろうではないか。それを考えれば、貴様ごときの命は安いものだろう?〉
聞くな。
魔神の言っていることなど全て嘘だ。耳を傾ける価値はない。
しかしそんな魔神に反発出来るほど、俺は強くなかった。
「だ、だったら……」
俺は必死に口を動かし、魔神の甘言に乗ろうとすると──。
「アシュトン!」
俺の名を呼ぶ声が聞こえた。
魔神の魔力が頭を染めているためか、視界が真っ暗になっている。
だが、声だけで誰かは分かる。
何故なら。
「気を確かにしなさい! ここで魔神なんかに負けるなんて、許さないんだから!」
呼びかける声は、俺が世界で一番大好きな女性からのものだったからだ。
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