38・魔神なんかに負けるだなんて、許さない!
異常にはすぐに気が付いた。
「あれは……ライマーの悲鳴?」
アシュトンも顔を険しくする。
肌がピリつくるような冷気に、屋敷内が突如包まれる。
ただ立っているだけでも頭がクラクラする雰囲気だ。
「ははははは!」
縄で拘束されているレオナルトが急に高笑いを上げた。
「きっと魔神が復活したんだ! 君たちへのエリーザの憎悪が爆発したんだろう! こうなったら勝負は僕の勝ちだ!」
レオナルトの焦点はどこを向いているか分からない。
初めて彼に対して、薄気味悪い恐怖を感じた。
「……っ! ノーラ、カスペル! すぐにここから逃げるんだ! 魔神は俺が対処する──」
とアシュトンが言葉を続けようとした時であった。
〈もう遅い〉
低い声が聞こえた。
私たちが身構えるよりも早く、いつの間にやら周囲に黒い魔力が充満し出した。
聞いているだけで腹の底が震えるような不気味な声を聞いて、私は直感する。
魔神の声──なのだと。
〈とはいえ、今の我はまだ不十分だ。旨そうな料理がある。喰わせてもらうぞ〉
私たちが動揺している間にも、魔神は待ってくれない。
黒い魔力が塊となり、そのままアシュトンとレオナルトの二人に襲いかかったのだ。
「くっ!」
「アシュトン!」
すぐにアシュトンは剣を抜き、魔力を振り払おうとするが間に合わない。
一方のレオナルトはなされるがまま。
黒い魔力が二人の体に纏わりついた。
「ははは! 魔神よ! 僕が真の王だ! お前の力を僕に与えたまえ!」
そんな状況でありながらも……いや、そんな状況だからだろうか。
レオナルトはそこに勝機を見出し、魔神に命令する。
しかし。
〈真の王? 貴様はなにを言っている? 真の王は我ただ一人だけだ〉
「え……? どうなっている。ブノワーズ伯爵家は言っていたぞ。魔神を目覚めさせることが出来れば、僕がお前を制御することが出来ると」
〈ヤツらがなにを言ったか分からぬが、そんな戯れを信じるとは笑止千万。我は誰の下にもつかん〉
「どういう……わああああああああ!」
レオナルトが突然、悲鳴を上げる。
それは喉が張り裂けんばかりの絶叫だった。
レオナルトの体がだんだんと黒く染まっていく。魔力で体を焼かれているのだ。
そしてレオナルトの絶叫が止まり、やがてそのまま事切れて床に倒れるのはそうかからなかった。
〈バカな男だ。せめて我が糧となったことを誇りにせよ〉
満足したような魔神の声。
彼がブノワーズ伯爵の言葉を信じたのが悪い。
それに……この魔力を直に感じれば、すぐにブノワーズ伯爵の言ったことが嘘だということが分かるでしょうに。
こんな邪悪なもの……従えるなんて不可能だし、仮に出来たとしてもしてはいけない代物だということを。
「っ……くっ、はっ……!」
〈ほう。こちらはなかなか強情なようだ〉
アシュトンに視線を向けると、彼は必死に黒い魔力に抵抗していた。
胸元を掴み、なにかに耐えているかのようである。
顔は苦痛で歪んでいて、脂汗が出ている。
今にも倒れてしまいそうだ。
「アシュトン! すぐに助けに行くわ!」
私がすぐに彼のもと駆け寄ろうとすると……。
「ダ、ダメだ……」
アシュトンは手の平を向け、そう声を絞り出した。
「これは……たとえお前でもどうにかなるものではない。お前たちは……早く逃げる……んだ」
「そんなの! やってみなくちゃ分からないじゃない!」
可能な限りアシュトンに近付き、私は魔力をコントロールしようとする。
原理としてはエリーザにやった時のようだ。
だけど……あの時とは比べものにならないくらい、魔力の量が多い。
そのせいで上手く制御することが出来なかった。
「きゃっ!」
それでもなんとかアシュトンを救い出そうとすると、内から弾かれた。魔力への干渉を止められる。
私は悲鳴を上げて、床に尻餅をついた。
「ノーラ様!」
すぐさまカスペルさんが私に駆け寄る。
「大丈夫ですか?」
「え、ええ……大丈夫よ。もう一回、やってみるわ」
「いけません。アシュトン様の言った通り、ここは逃げましょう。私たちではどうしようも出来ません」
カスペルさんの言ったことが一瞬理解出来ず、私はぽかーんとした表情をしてしまう。
だけど。
「な、なにを言っているのよ! アシュトンを見捨てるってわけ?」
すぐにカスペルさんに言い寄った。
私の言葉に、カスペルさんはじっと耳を傾けるのみ。
「そんなの……薄情すぎるわ! それでもあなたはアシュトンの執事なの? ご主人様がこんな目に遭って、なんとも思わないの!? 私は……」
「嫌に決まっている!」
カスペルさんが今までにないような大きな声を出した。
「え……」
カスペルさんの勢いに、私は思考が停止してしまう。
彼は心から辛そうに顔を歪めながら、こう続ける。
「アシュトン様は! 私にとって命の恩人です! もう役立たずになった私を、こうして迎え入れてくれた! なにがあっても守り通すことを決めました。しかし……だったらどうしますか? 思いの強さでアシュトン様をお救い出来ますか? 今は一旦退いて、他に助けを求めるべきです。私たちがここでやられてしまえば、その救出も遅れてしまうでしょう。今は……それしかないのです」
彼もどうしようもない歯痒さを感じているんだろう。
本当なら自分の命を賭してでも、アシュトンを助けに行きたいはずだ。
だけど彼は個人の感情をぐっと堪え、アシュトンが助かる可能性が一番高い方法を選ぼうとしている。
それはとっても辛いことで、自分が死ぬことよりも辛いように思えた。
でも……。
「それでアシュトンは助かるかしら」
「…………」
すぐにカスペルさんは答えを返せない。
「このままではすぐにでもアシュトンは死んでしまうわ。それが分からないあなたでもないでしょうに」
この黒い魔力が異質すぎる。
いくらアシュトンでも打ち勝つことは出来ないだろう。
「ぐっ……! 俺は役立たず……そう、幸せになる権利がっ……!」
アシュトンに視線を移すと、彼はなにか呟きながら黒い魔力に抵抗している。
役立たず? 幸せになる権利が?
なんのことかしら。
もしかして……黒い魔力がアシュトンの精神に干渉している? そうして彼の心を折ろうとしているのだろうか。
しかし悠長に考えている場合じゃない。
こうしている間にも、アシュトンの体がレオナルトのように黒く染まっていった。
「他の人に助けを呼びに行くのは、カスペルさん一人だけで十分でしょ?」
「ノ、ノーラ様……一体なにを……」
立ち上がる私を、カスペルさんが呆然と見ている。
「さっきは失敗したわ。だけど……アシュトンに直接触れさえ出来れば!」
「ノーラ様!」
カスペルさんが手を伸ばして私を掴もうとする。だけど遅い。
私は彼の制止を振り払って、アシュトンに向かって駆け出した。
そんな私の行く手を阻むように、黒い魔力が目の前に現れる。
「もうっ……! ほんと邪魔な子たちなんだから! 早く私をアシュトンのところに行かせなさい!」
しかし私はそれに魔力をぶつけて対抗して、なんとかアシュトンの元へ辿り着こうとする。
黒い魔力が肌に擦り、火傷のような痛みを感じた。
でもここで足を止めているわけにはいかないわ。
もうちょっと……もう少しでアシュトンのところに……。
……触れた!
私は黒い魔力が纏わりついているアシュトンに、とうとう右手を触れることが出来たのだ。
「アシュトン! 気を確かにしなさい! ここで魔神なんかに負けるだなんて、許さないんだから!」
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