18・アシュトンはノーラを好ましく思う
【SIDE アシュトン】
「ん……アシュトン様……お戻りになられたんですか?」
ノーラを部屋まで送り届け、俺……アシュトンは先ほどの食堂まで戻ってきた。
もっとも『送り届けた』というほどスマートなものではない。
寝ている彼女を部屋まで抱っこして、ベッドで横にさせただけだ。
こんなんじゃ荷物を運んでいるようなものだ。
食堂まで帰ると、執事のカスペルが不思議そうに首をかしげた。
「なんだ。なにかおかしいか?」
「いえいえ。今夜はこのまま戻ってこないと思っていましたから」
表面上は変わらないものの、カスペルの声には驚きが含まれているように感じた。
「俺がこのままノーラに手を出すとでも?」
「はい」
カスペルがすぐに返事を返す。
そんな彼の正直さがおかしくなって、俺は思わず笑みを零した。
「くくく。まあ俺もそんなに強引ではない。まだノーラは婚約者なんだからな。摘み食いなどもってのほかだ」
「らしくありませんね。それに……ノーラ様とは近いうちに結納を済ますおつもりでしょう? まだ婚約者だから……というのはアシュトン様の行動とは思えない」
「そうか? じゃあここにいる俺は偽物なのかもな」
「かもですね」
俺の冗談にカスペルは否定もしない。
クスリとも笑わないし、そういう彼のことを不気味と称する人間が多いのも知っている。
だが、俺はそんな彼のことを好ましく思っている。ゆえにここ辺境の街、ジョレットまで付いてきてもらったのだ。
まあそれだけではないのだが……今はそのことを振り返らなくてもいいだろう。
「まあ俺らしくないというのは否定しない。彼女を前にしたら、なんだか自分が自分じゃなくなるようだ」
椅子に座り、背もたれに体重を預ける。
「彼女と話していると、まるで毒気が抜かれたようになる」
「それは私も思いますね。先ほどの食事の時も、アシュトン様が『食べちゃいたい』と言ったのに、いまいちピンときていなかったみたいですからね。つくづく面白い方です」
「カスペルもそう思うか」
俺が訊ねると、カスペルは黙って首肯した。
当初──。
俺は婚約者が来ると聞いて、憂鬱な気分になったものだ。
俺に婚約者など必要ない。
そもそも他人の人生を背負えるほど、俺は立派な人間ではないのだ。
冒険者としてこの街で名をあげようとも、その考えは変わらなかった。
王族としての責務からも逃げた半端者。そんな俺に幸せになる資格などない。
だから今まで来た婚約者候補には、わざと酷いことを言って帰らせた。
大体の人間は最初の段階で怒る。
せっかく遠路はるばるこの街に来たというのに「帰れ」と言われれば、当然のことだった。
そして俺はそのことも自分で分かっている。
しかしノーラは違った。
──「受けて立ちます」
あいつは帰るどころか、俺の挑発に乗ってきた。
あんな女は初めてだった。
この時点で俺は彼女に興味をそそられていた。
「しかも剣術も魔法も一流だったんだからな。全く……どういう育ち方をすれば、ああなるのか」
「普通の令嬢でしたら考えられませんね。必要に迫られて、あれらを身に付けた……というより彼女の性格からきているように思えます」
「レオナルトに婚約破棄されるはずだ。ヤツは自分より強い者が嫌いだからな。ましては相手が女性ならなおさらだ」
もっとも、ノーラはレオナルトの前ならさすがに猫を被っていたと思うが……それも隠し通すことは不可能だろう。
これは俺の勘なのだが、彼女はそういったことが苦手な気がする。
よくも悪くも、自分の思う通りに行動する女だからだ。
「そういえば今日のデートはいかがでしたか?」
「服や化粧品、宝石よりも剣に興味があったみたいだ。剣を一本買ってやったら、まるで子どものように喜んでいたよ」
「ノーラ様らしいです」
──「本当にありがとうございました! このご恩は忘れません!」
剣を購入した時、ノーラがそう喜んでいたことを今のように思い出せる。
そんな彼女の姿を見て、俺はさらにゾクゾクとした不思議な感覚を抱いた。
ノーラの底はまだまだ計り知れない。これならしばらく退屈しそうにない……と。
今度、ノーラを魔法書ショップに連れて行ってみようか? きっと今日みたいに喜ぶ気がする。
そのことを想像するだけで、愉快な気分になった。
「サンドスパイダーも討伐したんですよね」
カスペルの声も心なしか、いつもより弾んでいるように聞こえる。
あまり感情を表に出さないカスペルですら、彼女のことを語っている時は楽しそうだ。
サンドスパイダーの事件については、カスペルに細かく伝え済みである。
──「お願いします。私もその森に連れて行ってください」
ノーラが最初、森に付いていきたいと言った時は「なにを言ってるんだ?」と思ってしまった。
彼女を危険な目に遭わせられなかった。Aランクの魔物というのはそれほどの存在だ。
しかし俺はそれ以上に興味があった。
果たして、魔物の前で彼女はどういう立ち回りをするのだろうか……と。
結果的に堂々とした戦いっぷりを見せ、足を引っ張るどころか彼女は大きな戦力になってくれた。
ゆえにサンドスパイダー戦でも、俺は傷一つ負うことがなかった。
これは驚くべきことである。
Aランクの魔物はそんな甘っちょろいものではない。
俺とて死力を尽くして戦う必要があった。
ゆえにそうならなかったのは、ひとえに彼女のおかげと言っても過言ではないだろう。
「戦っている時の彼女の姿は、まるで別人のようだった。さすがの俺とて、思わず気圧されてしまったよ」
「私も見てみたかったです」
「また機会があればな。だが……それなのに、先ほどの食事はどうだった? 美味しそうにご飯を食べ、完食したかと思えば眠くなる。つくづく自分に正直なヤツだ」
他の連中なら、ノーラのことをはしたないと言うかもしれない。
だが、俺は彼女の正直な性格に惚れ込んでいた。
ここに来て少しはマシになったものの……元々は思惑が入り乱れる、どす黒い宮廷社会で俺は生活していたのだ。
そこでは嘘を吐いたり、騙すことは当然のこと。兄弟同士ですらいがみ合うのが普通だった。
そんな宮廷社会に彼女は溶け込めたのだろうか?
……頭の良い女だとは思う。上手く立ち回ることも、その気になれば可能だろう。
しかし俺は彼女のそんな姿を、どうしても想像出来なかった。
「彼女も俺たちと同じはみ出し者というわけか」
「似たもの同士かもしれませんね」
カスペルの表情がじゃっかん暗くなったように感じた。
「……ノーラの婚約破棄になった理由、カスペルは詳しく知っているか?」
「いえ、それほどでも。第一王子のレオナルト様が婚約破棄を言い渡したこと。その理由はノーラ様以外の、他の女と懇意にしていたため……ということくらいしか」
「確かその相手はエリーザといったな? とある伯爵令嬢の娘と聞いたが……お前はなにかそれに引っかかりはないか?」
「アシュトン様、奇遇ですね。私もエリーザ伯爵令嬢が気がかりです」
レオナルトはバカだ。正式な手続きも踏まずに、ノーラとの婚約を破棄した。
好きになった女と一緒になることは結構なことだが……貴族の結婚というのは、それだけでは済まされないことが多い。
ましてやノーラは公爵家の令嬢。エナンセア公爵家と王室との仲が悪くなることも考えられる。陛下もご立腹のことであろう。
レオナルトが王位を継ぐことから、ますます遠ざかったということだ。
まあ今はそんなことはどうでもいい。
問題はエリーザ伯爵令嬢だ。
「カスペル」
「分かりました」
俺が名前を呼んだだけで、彼は全てを察してくれる。
「婚約破棄のこと……そしてエリーザ伯爵令嬢のことを、もっと詳しくお調べすればいいんですね?」
「そうだ。俺の勘が外れていれば、それでいいんだがな。だが残念なことに、こういう時の俺の勘はよく当たる」
「承知いたしました」
カスペルはそう言うと、音もなくこの場から姿を消した。
早速エリーザ伯爵令嬢のことを調べにいったんだろう。カスペルは仕事の出来る男だ。あとは彼に任せておけばいい。
「安心しろ、ノーラ。お前に降りかかる火の粉は、俺が全部振り払ってやる」
食堂で一人。
俺は誰にも言うともなく、呟いた。
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