2:第二幕の人生を異世界で
山田が目を覚ました時、彼は高級集合住宅の一室に居た。
……という描写は、粗雑かつ不正確である。
王国の集合住宅は、日本の集合住宅とは似て否なるものである。詳細に観察すれば建築様式や構造材、照明や空調の原理、内装や家具の意匠に至るまで、さまざまな部分に少なからぬ差異が認められる。
そもそも「高級集合住宅」という言葉から想像される、広々とした贅沢な空間設計ではない。山田がいる部屋の広さは日本の単位で八畳程度にすぎず、窓も小さな明かり採りが一つしか無い。
あえて例えるならば
「東京都内で家賃150万円のお洒落な高級集合住宅にある物置部屋から、洋服掛けと収納棚を撤去したような小部屋」
と表現したほうが実態に近い。
ここで内装などについて詳細な描写を加えることも可能だが、そのような情報に興味を持つのは建築設計士と内装業者ぐらいであろう。今、注目すべきはそういう部分ではない。
重要なのは、山田が居る部屋が
「高級集合住宅の一室」
の一言で済まされてしまうような場所だ、という点にある。
情報というものは
「言及が無い」
ということがきわめて重要な意味を持つ。
たとえば「普通の女の子」という言葉には、その人物は男性でも年配の女性でもなく、ロリ巨乳の美少女でも誘惑全開のエロいお姉さんでもない、という情報が含まれている。
話を戻せば、部屋について特別な言及が無い、という事はここに住んでいる種族が山田と同程度の身長であることを意味する。すなわち巨人族や妖精族の住居ではない。
また、山田が所属していた文化圏の基準に照らし合わせて
「高級」
という印象を抱くほどの建材加工技術、設計および内装技術がこの社会に存在している事が判る。
加えて言えば、この部屋が贅を凝らした貴族の居室のように超高級ではなく、棄民が居住する城郭外のスラム街ほど庶民的でもないということも理解できる。
また異質な仕様だという描写が無いことから、この部屋は移動商人の陸上交易船の船室ではなく、女淫魔嬢が就業奉仕する万妄具現の湯女風呂でもないと判断する事が可能である。
もし山田が王国で生まれ育った者であったならば、この部屋が「高級集合住宅」に住むような社会階層の者、すなわち王家家臣の居室である、ということが容易に推測できただろう。しかし残念ながら、この時点では山田はこの世界に関する知識が皆無であった。
山田は部屋の中を見回した。
見慣れぬ様式の家具や調度がいくつか置いてある。空間設計が今まで山田が見聞きしたことのある部屋とは微妙に異なっている。
端的に言えば「都会的」で清潔感のある部屋だが生活臭に欠け、どこか寒々しい印象を受けた。
小さな窓には巻き簾のようなものがかかっている。外の光は見えない。
(……今は……夜か?)
山田は自分が置かれている状況が判らない。
天井全体がほんのりと淡い光を放っている。寝室用の調光器具に似た温かみのある光。空調魔法でゆっくりと空気が循環し、温度や湿度の調節具合も山田にとって申し分のないほど快適である。
「……何があったのか、少し整理してみよう」
ようやく頭がはっきりしてきた山田は、独り言をつぶやきながら自分におきた事件のことを考えてみた。
「……解雇通知で頭が真っ白になって、夜の町中を雨に濡れながらふらふら歩いていたらトラックが突っ込んできた。逃げる気力も無くて『あー死んだな』と思いながらはねとばされて、人生終了……
……と思ったけれど痛みが無くて、おかしいなーと思いながら目をあけて起き上がってみたら、なぜか昼間の森の中だった。状況が理解できず途方に暮れて、倒木の上に座っている時に何か……生き物らしきネバネバした何かが体を登ってきた。
暴れても払い除けられなくて、そのうち鼻や口をふさがれて息ができなくなって、もう駄目だと思った時に人影が見えたので助けを求めた。
……そこで意識が飛んで……それから何があった?」
山田は自分の周囲を見た。
今、彼が居るのは四角い檻の中である。
比喩ではない。
具体的に言うと、高級集合住宅の一室に置かれた檻の中に収容されていた。
特殊合金の棒を縦横に錬接して創られた、直方体の巨大な金属籠。
その檻の中で山田は、ふわふわした白い中張りがあるピンク色の大きな平たい箱の中で、胡坐をかいて座っていた。