香らない恋もある
屋上は寒いなんてもんじゃない。
痛いくらいの冷たい風が頬を刺し、だからなのか頬を赤く染めた夏目蓮が勢いをつけるかのように言う。
「俺と付き合ってほしい」
最初、何を言われたのか分からなかった。
蓮は、私のクラスメイトでおまけに幼稚園から高校からまで一緒の、ついでに家も隣同士の幼なじみ。
確かに仲は良いけれど、付き合って、というのは、どういう意味で?
私が彼の言葉の真意を汲めないでいると、蓮はこう付け加えた。
「俺、萌香のこと、好きだ」
そう言った直後、蓮の顔はぼんっという音が出そうなほどに真っ赤になる。
顔が真っ赤になっても、中性的で痩身の彼は絵になるなあと思う。
そんなことを考えていたら、蓮の言葉がようやく私の脳みそに到達した。
私を好き?
そう思った途端、鼻をひくひくさせてみる。
香りがしない。
蓮からは、恋の香りがしなかった。
「本当に私のこと」
そう言いかけたところで、蓮が「本気だから」と真っ直ぐに目を見てくる。
その吸い込まれるような瞳に、私は視線をそらした。
「付き合ってほしいだなんて、迷惑だったか」
寂しそうに言う蓮に私は思わずこう叫んだ。
「そんなわけないじゃん!」
カップルが成立した瞬間であった。
蓮は今日は部活があるということで、私は一人で下校することにした。
学校の門を出てすぐに、ふわりと花の香りが漂ってくる。
ジャスミンとバラを混ぜたような香りだ。
すると、私のすぐそばをカップルが通り過ぎて行った。
少し離れたところで女子二人が「彼氏なんかいらないよね」と話しているが、右側の女子からはツンとするくらいの花の香り。
これらはすべて恋の香りだ。
人は誰しも、心に花のつぼみがある。
その花は恋をした瞬間に花開き、香りを周囲に漂わせているのだ。
恋心が消えれば、花は閉じ、また次の恋まで開かないし香らない。
私は昔から、他人の恋の香りがわかる体質だ。
現実にある花の匂いと恋の匂いはそっくりだけど、恋の匂いのほうが現実離れしている香りだからすぐにわかる。
ふわふわしたような夢のような、何とも言えない良い香り。
私は、この恋の匂いを嗅ぎ分けることには自信を持っている。
今までクラスメイトや知人友人親族の恋をすべて嗅ぎ分け、当ててきたのだ。
「だけど、今回はハズレてほしい」
私はそう呟いて、オレンジ色に染まる空を見上げた。
蓮からは恋の香りはして来なかったから。
だから、彼の告白を冗談かと思ったのだ。
小さくため息をつくと、白い息が二月の空に溶けていく。
ふと、さっきの蓮のうれしそうな笑顔が浮かぶ。
弱気になってはダメだ。
気になっていた蓮からの告白を素直に喜びたい。
きっとこれから恋の香りがしてくるんだ。
次の日のお昼休みは、私と蓮は中庭にいた。
「おお! 美味そう!」
蓮はお弁当箱のふたを開けて、歓喜の声を上げる。
なるべく茶色に偏らないように、彩りよくしたお弁当は、五時起きで作った。
「構想十年、制作時間は二年の力作だよ」
「おお! それ全米が泣く! ってゆーかそれ腐ってんじゃん!」
「腐らないよ。愛は腐らない」
そう言った瞬間、自分がとんでもなくくさい台詞を吐いてしまったことに気づく。
ちらりと蓮のほうを見ると、彼も顔が真っ赤でお弁当に入れたプチトマトと張り合えそう。
蓮が黙りこんでしまったので、私も何も言えなくなった。
どうしよう……。『愛』とか重いよね。でも、冗談だって蓮もわかってるはずなのに、なんでこんなに空気が重いのよ。
心の中でパニックになっていると、蓮がガバッと顔をあげそれから親指をビッと立てて私に言う。
「萌香の愛は受け取った!」
そこまで言うと、自分の言葉に恥ずかしくなったのか、蓮はますます顔を赤くさせ、「わあああああ!」と言ってからペットボトルのお茶を一気に飲み干した。
そして、盛大にごほごほとむせ始める。
私も紅茶の入ったペットボトルに口をつけて勢いよく飲んだ。
「いただきまーす」という声が聞こえたかと思うと、蓮はお弁当を食べ始めていた。
蓮は卵焼きを食べては「美味い、なにこれ」と驚き、ミニハンバーグを食べて「天才じゃん」と目を輝かせ、から揚げを食べて「すっげー美味い!」と笑う。
から揚げは、冷凍食品だけど黙っておこう。
高校入学から十カ月。
こんなに幸せなお昼は初めてだ。
それなのに、心から喜べないのは蓮から恋の香りが一切しないことだった。
「なーに? ため息なんかついちゃって」
教室に戻ると友人の紫がそう声をかけてくる。
彼女から、かなり強いラベンダーのような香りがしてきた。
「紫、なんか良いことあった? 主に恋愛面で」
「あ、やっぱ萌香はその辺の勘が鋭いなー」
紫はそう言ってからさらさらのロングヘアーをかきわけてから続ける。
「彼氏できたんだー。他校なんだけど、前からカッコいいなあって思ってて昨日、告白したらOKもらえたんだ」
「そうなんだ! 良かったね!」
「萌香こそ、夏目君と付き合って幸せ真っ盛りでしょ」
「うん、まあ」
私はそう濁して、笑顔をつくった。
「萌香」
その声に振り返ると、蓮がすぐ後ろに立っていた。
「今日、一緒に帰ろう。部活ないから」
「うん」
私が頷くと「じゃあ放課後なー」と蓮は自分の席に戻って行った。
鼻をひくひくさせみるけれど、蓮からは花の香りはしない。
場所が悪いのかもしれないな。
そもそも教室のような場所では、そこかしこに恋の花の香りがする。
教室中が花だらけになっているようなものだ。
それでも紫の恋の香りはわかったけれど、もし、蓮の恋の香りがそれほど強いものではなかったらわからないかもしれない。
うん、きっと控えめな匂いだからわからないんだ。
そう自分に言い聞かせた。
放課後に蓮と二人で帰る。
それは特別なことではなくて、今までも友だち付き合いをしていたから偶然、一緒になって帰ることは何度もあった。
「そういえば、付き合う前も何度も一緒に帰ったことあったよね」
私が何気なく言うと、蓮は両手にはあっと息を吐いてから答える。
「あれはなー。俺の血と涙と汗と鼻水の結晶なんだ」
「なんか汚ない結晶だなあ」
「失礼な」
蓮はそう言ってから空を見上げて、遠い昔のことを思い出すような口ぶりで続ける。
「俺は萌香と偶然、帰りが一緒になったことを装うべく、時には校門の隅に隠れ、時には下駄箱に隠れ、そうやって『今帰り? 奇遇だなー』とかなんとか嘘ついてたんだよ」
「そうなの? そこまでして……」
私はそこで言葉を飲み込んだ。
そこまでして私と帰りたかったの?
そんなに好かれてるの?
私がそう質問をしたら、蓮は顔を赤らめつつも『そりゃあそうだろ』とか答えてくれるかもしれない。
だけど、私は蓮から恋の香りが漂わない状態で、彼の言葉を信じることはできないだろう。
蓮はなんで私と付き合ってるんだろう。
バレンタイン目当てだろうか?
それなら、別に私じゃなくていいと思うんだけどなあ。
蓮の提案でコンビニに寄る。
コンビニの前で、私と蓮は肉まんを頬張った。
道路に落ちた枯れ葉がかさかさと音を立てて、風に飛ばされていく。
「寒いな」
蓮がぽつりと呟く。
「まあ、二月だしね」
「それより萌香、お前なんで角煮まんなんだよ」
「え? おいしそうだったからに決まってるでしょ」
「冬と言えば肉まんだろ!」
蓮が自分の食べかけの肉まんを頭上高く掲げる。
私は角煮まんを飲み込んでから言う。
「そんなの好みじゃん」
「いや、肉まん一択だ。俺はピザまんも角煮まんも認めないぞ! 俺の世界ではあいつらは邪魔ものだ!」
「まるでピザまんと角煮まんに親でも殺されたみたいな言い方だね」
「ピザまんと角煮まんに俺の村は焼かれたんだ……!」
そう言って嘘泣きをした蓮が、ぽろりと自分の持っていた肉まんを地面に落とす。
「あああっ! 俺の肉まん!」
「あーあ。ノリツッコミなんかするからー」
「うわあああ。だからピザまんと角煮まんは嫌いなんだよ。こんなところで俺に呪いをかけてきやがる!」
「単なる不注意でしょ、もー」
私はちょっと呆れつつも、自分の角煮まんを半分に割る。
そして片方を蓮に差し出す。
「はい。一口食べちゃったけど」
「え? あ、ありがとう」
蓮はそう言って私から角煮まんを受け取ると、食べようとしてぴたりと動きを止める。
「どしたの?」
私が聞くと、蓮はようやく聞き取れる声で言った。
「これって、間接キス、だよな」
蓮はそう言い終えた途端、耳まで真っ赤になる。
そこまで正直で純粋なのに、彼から恋の香りはしてこない。
私は複雑な気持ちで角煮まんにかぶりついた。
「そういえばさ」
蓮がぽつりと独り言のように呟く。
「小学校三年生の時に、俺、家出したことあったよな」
「ああ、あったね! 蓮のおばさんが血相変えて家に来てさー。『蓮しらない?』って。もう大変だったよ。夜九時過ぎてたし」
「まあ、家出っつても近所の公園のタコの滑り台のトンネルの中に隠れてただけだけどな」
「そうそう。あれはちょっと笑った」
「萌香が最初に見つけてくれたよな」
「うん。お母さんも一緒だったけどね……って、なんで急にそんな話を」
「いや、ちょうどこのくらい寒い時期だったなあと思って」
蓮はそう言うと、暗くなりかけてきた空を見上げた。
彼の横顔を見て、私は胸がしめつけられる。
蓮が家出をしたと聞いた時、私は本当に心配をしたんだから。
あの時の気持ちがなんなのか。
今ならわかる。
これは恋だ。
だけど、隣の蓮は、恋の香りがまだしない。
ああ、そういえば、家出をした時、蓮からものすごい良い花の香りがしたっけ。
すぐに香りが消えてしまったから、トンネルに残っていた香りなのか、蓮の恋の香りなのかは区別がつかなかったけど。
今はその時のことが妙に恋しい。
あのくらいの良い花の香りがしたら、私は安心して蓮のことをこのまま好きになれるのに。
そんなふうに複雑な気持ちはあるものの、蓮との付き合いは順調だった。
部活がない時は、朝は迎えにきてくれて二人で登校。
帰りは蓮の部活がない日は一緒に帰ったり、カラオケに行ったりゲーセンに行ったりした。
家に帰っても、メッセージのやりとりを何往復もしたり、長電話をしたりと、これだけ見れば仲良しカップルだ。
蓮が私を好きでいてくれるのは、言葉にしなくても伝わってくる。
香りはしないけど。
だから私は、考え方を変えることにした。
香らない恋もあるのだと。
私がすべての人間の恋の香りを認識できるとは限らない。
そう結論を出したら、なんだか気持ちがすっと楽になった。
「え? 今週末?」
付き合って一週間が経過したある日の朝。
蓮が『今週末の土曜日か日曜日どっかひま?』と聞いてきた。
「どっちもひまだよ」
「一緒に遊ぶ友だちとかいないのかよ……」
蓮が心配そうに私を見る。
「紫にも彼氏ができたし、ミホも彼氏とデート三昧だし、遊んでくれる人がいないだけだよ」
「それはそれでかわいそうになる」
「週末の予定聞いたのって哀れむためだったの?」
「んなわけねーだろ」
蓮はそう言ってから、わざとらしく咳払いをする。
それから私から視線をそらして、もそもそと続けた。
「なんてゆーか、その、デート、みたいな、ものをだな、したいと思いまして」
「あー、いいね!」
「なんだその軽い反応は!」
「じゃあ、『私と本当にデートしてくれるの? 本当だよ? ってゆーかもう一生離れないから! 鎖でしばって離れないようにする!』のほうがいい?」
「なんだそのヤンデレ」
蓮はそう言うと、笑いだした。
つぼに入ったらしく、肩を震わせて笑っている。
この笑顔を偽物だと思えない。
デートに誘ってくれた気持ちも、疑いたくない。
だから私は、蓮から好かれているって自信を持たなきゃ。
私が教室に戻ると、紫が何やら怒っているようでずかずかと大股でこちらに来た。
「なに? どうしたの?」
「いやー。今朝、弟とケンカしてさー」
「あー。それでイライラしてるんだ」
「だってさー、聞いてよ! 昨晩さ、『クラスのさえない女子に罰ゲームで告白したら本気にされて困ってる』って笑いながら話すんだよ!」
「それは酷いなあ」
私が苦笑いをすると、紫は机をバンバンと叩きながら言う。
「酷いよ! 酷過ぎるよ! だから私、思わず弟にビンタしたんだよ。そしたらケンカになってね」
「それを今朝もまだ引きずってるってことかー」
「そう! 今朝なんか私の朝食のハムエッグ勝手に食べるし! あいつちょっと中学でイケメンだともてはやされてるからっていい気になって!」
紫は机をバシンと強く叩く。それ、私の机なんだけどなあ。
でも、紫の怒りはもっともだと思う。
罰ゲームで告白をしてからかうだなんて、最低だ。
そこで私はハッとする。
まさか、蓮も罰ゲームで私に告白をした、というわけじゃないよね?
そう思ってから、私は首を左右にぶんぶんと振る。
蓮はそんなことをする奴じゃない!
そんな最低なことしない!
小さい頃から一緒にいる私が、蓮の性格は一番、よく知ってる。
そう思って、蓮を見ると、教室の前のほうで仲の良い男子のグループとはしゃいでいた。
ああやって屈託なく笑う蓮もかわいいなあ。
その日の放課後は、私が委員会の仕事があるので蓮には先に帰ってもらうことにした。
寂しいけど、明日も会えるからいいか。
鼻歌混じりに階段を駆けおり、昇降口へと急ぐ。
もしかしたら蓮は「じゃあ先に帰る」って言っておきながらも、待っていてくれるかもしれない。
そう考えて、ニヤニヤしながら廊下を歩いていてふと思い出す。
「あ、そういえばカバン、教室に置きっぱなしだった」
カバンを置いて帰る、という大失敗をするところだった。
香りのことを気にしないようにしていたら、蓮はレアかも、香りがしないタイプかも。
そんなことを思うようになれたので、恋人気分を満喫できている。
だけど、あまりにも舞い上がり過ぎないようにしないとな。
一年一組の教室のドアを開けようとしたその瞬間。
「夏目、お前、恋野と付き合ってるんだって?」
自分の苗字が中から聞こえて、思わずドアに伸びる手がぴたりと止まる。
「ああ、うん。付き合ってるよ」
蓮の声も聞こえてくる。
男子の友人同士で私の噂? やだー、蓮の惚気をこんなところで聞くことになっちゃうのかな。
私が耳を澄ましていると、別の男子が笑いながら言う。
「でもさ、マジで罰ゲームするとは思わなかったなあ」
「本当だな。俺、冗談で言ったんだけどなあ」
男子二人の会話に、さっきまで頭の中にあったお花畑が消える。
罰ゲームって、どういうこと?
「俺だったら絶対無理。負けてもそんな罰ゲームしないな」
「だな。告白するなんていう罰ゲーム、もはや罰ゲームどころか地獄だ」
男子二人が笑いながら言う声が、遠くに聞こえる。
『告白』、『罰ゲーム』という二文字が頭のなかでくるくると回っていた。
罰ゲームで私に告白したなんて、嘘だよね。
「まあ、それで萌香からOKもらえたんだし、罰ゲームは成功したんだよ」
そう言ったのは、蓮の声だった。
目の前で、ガラガラと教室が崩れていく気がした。
蓮の笑顔も、お弁当を一緒に食べるのも、デートの誘いも。
何もかもが目の前で落として壊れるガラス細工のように、ぱりん、ぱりんと割れていく。
その破片が、私の体中に突き刺さるみたいに全身が痛い。
居ても立っても居られなくなって、私はその場を走り去った。
その日は、どうやって帰ったのか覚えていない。
気づいたら私は自室のベッドにもぐりこんでいて、夜になるまで眠っていた。
起きたら夢だったらいいのに。
そう思いながら、私は枕に顔を埋める。
蓮が罰ゲームで告白なんて、そんな幼稚で人の心を弄ぶようなことをするはずがない。
そんなふうに思う一方で、蓮から恋の香りがしなかったのは、罰ゲームで告白をしたからなんだ、と納得をしてしまう。
好きじゃないんだ。
私のことなんて、何とも思ってないんだ。
そうやって考えるたびに、胸がズキズキと痛んで涙が自然と溢れてくる。
それに、やけに喉が痛い。
失恋って喉も痛くなるもんだっけ。
「三十七度二分。だいぶ下がったわね」
母が体温計を見て、ホッとしたような表情をする。
私はベッドの上でぼんやりとしながら「うん」とだけ頷いた。
あれから――学校にカバンを忘れた次の日、私は風邪をひいた。
喉が痛いのは、失恋のせいじゃなくて風邪。そりゃそうだよね。
一週間も寝込むほどの風邪をひいたのに、蓮の顔を見なくて済んでホッとしている自分もいる。
私はもぞもぞと布団の中に戻りながら、机の上に置いたカバンに視線を向けた。
学校に忘れたカバンは、あの日、蓮が家まで持ってきてくれたと母から聞いたけど、私は蓮には会わなかった。
連絡はすべて無視をしたし、蓮がお見舞いに来たと母から聞けば、帰ってもらっていたのだ。
罰ゲームの私に、わざわざ連絡をしたりお見舞いに来たりしなくてもいいのに。
そんなふうに思っていたけど、今、私はどうしようもなく蓮に会いたいし、一週間前から触っていないスマホで蓮からのメッセージを確認したい。
だけど、会うのも、メッセージの内容も見るのも怖い。
それでも、蓮に会いたい、メッセージを見たいの無限ループ。
いっそのこと嫌いになれたらどんなに楽だろう。
そんなことをうだうだと考えていたら、睡魔が襲ってきたので、あっさりと睡魔に敗北しようとしたその時。
電話が鳴った。
私はぼんやりしながらスマホを掴んで操作をする。
画面に表示されているのは、蓮の名前。
心臓が飛び上がり、出るのを躊躇したけれど、もうハッキリさせようと腹を括った。
「もしもし」
『あ、もしもし? 萌香大丈夫なのか? 一週間も連絡取れないし、学校来ないし、お見舞いも拒否されるから、相当悪いんだなと思って』
「本当は心配なんかしてないくせに」
『なんでそうなるんだよ』
「罰ゲームで告白したって知ってるんだから!」
『は? あ、あれのことか! ちょっと待って今そっち行く』
蓮のその言葉を聞いた途端、電話を切り、上着を羽織って家を飛び出す。
辺りは夜の闇に支配され、空気が氷のように冷たい。
それでも、私は蓮と鉢合わせないように裏道を走る。
どこへ行くかなんて決めてない。
ただ、蓮と会いたくないだけ。
ハッキリさせようと思ったくせに、いざ真実を聞けるとなったら逃げだすなんて情けない。
家からしばらく走ったところで、温かさを求めてコンビニに避難――できなかった。
なぜなら、財布もおまけにスマホも持っていなかったのだ。
「バカだなー」
そう嘆いて、もう家に帰ろうかとも思ったけどすぐに戻ると蓮に見つかりそうで嫌だ。
どこか落ち着ける場所はないかと辺りを見回し、迷わずその場所へ入った。
そこは通称タコ公園。
蓮がこのタコの滑り台の真ん中にあるトンネルに家出をしていた。
私も真似して、中へ入ってみる。
入ってしゃがみこんだら、余計に虚しくなってしまった。
こんなところにいたら、嫌でも蓮を思い出してしまうから。
お弁当に喜んでくれたことも、寄り道したことも、好きだって言ってくれたこと。
全部、嘘だなんて思いたくないのに!
「蓮のばかやろおおお」
私が泣きながらそう言った時。
「はい、ばかやろうの登場ですよ」
トンネルを覗いたのは、蓮だった。
それと同時に、外から甘くて優しい香りがしていることに気づく。
どこか懐かしい香りだ。
これは、恋の香り。
蓮は小さくため息をついてから言う。
「俺が最近、ここのトンネルの話をしたからまさかと思ったけど」
「なんで探しにきたのよ」
「そんなの好きだからに決まってるだろ!」
「もういいよ、その演技」
「だーかーら! 罰ゲームってのは、『好きな子に告白をする』って内容だったんだよ!」
蓮の言葉に、私は頭がついていかない。
「からかうためじゃなく?」
「そんな最低なことするかよ」
蓮がぷい、とそっぽを向いてから、思い出したように何かを差し出してきた。
肉まんだ。
「俺があの日ここで隠れてた時、萌香が肉まんを差し出してくれたんだよ」
「そうだっけ」
「そうだよ。覚えてねーのか」
私はトンネルを出て、肉まんを受け取る。
それと同時に、甘く優しい香りの源は蓮だと気づいた。
じゃあ、蓮が家出をした時に嗅いだ香りは、蓮からだったんだ。
でもいつもはこんな香りしないのに。
「俺はあの時に肉まんを差し出した萌香を見て、天使だなあと思ったんだよ」
蓮の言葉は、香りの疑問に支配されて右から左へ。
「おい、聞いてんのか? こんなこと年に一度くらいしか言わないぞ!」
「年に一度……」
私はそこで、思い当たる花を思い出す。
月下美人という花は、年に一度おまけに夜にしか咲かないと聞いたことがある。
じゃあ、蓮から恋の香りがしなかったんじゃなくて……。
「蓮は、本当の意味でレアだったんだ」
「なんの話?」
蓮がそれだけ言って肉まんにかぶりつく。
その横顔を見た途端、彼がどうしようもなく好きだと叫びたくなった。
だから叫ぶ代わりに、私はこう提案する。
「ねえ、今度は間接キスじゃなくて、本当のキスしようか」
蓮が驚いて肉まんを地面に落とす。
私は彼から目をそらさず、まっすぐに見つめた。
蓮は、一度視線をそらしたけど、照れくさそうに私を見る。
ファーストキスは、甘くて優しくて、そして懐かしい香りに包まれていた。