『てっちゃん』
どうも、はじめまして。それとも久し振りかしら。私は東武鉄子。主に埼玉・栃木・群馬辺りを走っている某鉄道会社とはまったく微塵もこれっぽっちも関係のない、ごく普通の女子高生よ。
「――はっ! お弁当忘れた!」
カバンに片手を突っ込んだ体勢のまま突然叫んだコレは、私の幼馴染、千堂樹。能力ポイントを運動神経に全振りしたような、おつむがちょっと……いえ、かなり残念な子だけど、まあ悪い子ではないわ。
「どうしようてっちゃん、あたしのお昼がない!」
「……あーはいはい、いつものアレね。どんまい」
「てっちゃんセリフに心がこもってないよ⁉」
「だって、週に二回も聞いてたらそりゃ聞き飽きるわよ。またいつものか、ってなるわよ」
「そんなに頻繁に忘れてないよ!」
「本当に?」
「…………ぐぬぬ」
自覚がなくはないのか、言葉に詰まる樹。この子の弁当忘れ癖は中学から一向に直る気配がない。いくら私が注意しようと翌週にはしれっと忘れてくるから、もうこの癖を直すのは諦めたわ。
「で、でもしょうがないじゃん! 朝練があるから朝は時間がないんだよ!」
「……あー。剣道部のエース様は大変ね」
さっきも言ったように、能力ポイントを運動神経に全振りしているだけあって、樹の運動神経はちょっと人間の域を超えている。中学の頃からやっている剣道は余裕で全国レベルで、三年生が引退した今は当然主将を任されているわ。まあ、とはいえ。
「でもそれって、樹が早起きすれば解決することじゃない?」
「それができれば苦労はしないんだよ!」
「いや、それぐらい頑張りなさいよ高校二年生」
威張って言うことじゃないでしょう。朝練なんて中学のときから続いてるんだからいい加減慣れなさい。
「……で、結局お昼はどうするの? 言っとくけど、私のぶんを分けてあげたりはしないわよ?」
「てっちゃんの鬼っ!」
だって、前に分けたら半分以上持っていかれたんだもの。運動バカの食事量をなめてたわ。
「……仕方ない、面倒だけど購買に……ダメだ、この時間じゃもうマイナーでマニアックなサラダ、略してマニラくらいしか売れ残ってない……!」
……なに、その酷い略称。きっとこの子、それがフィリピンの首都の名前だって知らないんでしょうね。
「……樹のネーミングセンスに関して小一時間くらい議論したいところなんだけど……まあ、後でいいわ。さっさとその……まにら? でも買ってきなさいよ」
「あんなので健全な女子高生の胃袋が満足するわけないでしょ!」
「いや、私は食べたことも見たこともないから知らないのだけど……」
それと、樹の胃袋を健全な女子高生の基準値にしてはいけないと思うわ。
「じゃあどうするのよ」
「……しょうがない、コンビニまで行ってくる」
「……無駄だと思うけど、一応忠告しておくわ。昼休みに校外に出るのは校則違反よ」
「パッと行ってパッと帰ってくれば問題ない!」
「……ここから一番近いコンビニまで一キロくらいあるけど」
「五分で帰ってくる!」
「……待ちなさい。今軽く計算したけど、仮に買い物が一分で済むとしても、五分で帰ってくるには百メートル十二秒の速さで移動し続けないといけないのだけど――」
「行ってきます!」
そう言うと、樹は止める間もなく教室を飛び出していった。……いや、いくら樹の足でも五分は無理でしょ。昼休み中には余裕で帰ってきそうだけど。……せっかくだし、タイムでも計っておこうかしら。
というわけでスマホのタイマーを立ち上げたのだけれど、結局樹が昼休みの間に帰ってくることはなかった。
単にサボりなのか、それとも何か事件に巻き込まれたのか。悶々とした気持ちのまま五限、六限と時間だけが過ぎていく。授業の合間に電話も鳴らしまくっているけれど、一向に繋がる気配がない。……そもそもあの子スマホ持ってったのかしら。持ってってない可能性の方が高そうよね……。
HRも終わった放課後。不安になった私が教室に置きっぱなしの樹の鞄を探ろうとしたそのとき、私のスマホが着信を告げる。ディスプレイには『樹』の文字。
「……もしもし」
スマホ持ってたならもっと早く連絡くらいしなさいよとか、私の電話に気付きなさいよとか、言いたいことは色々あったけれど、その辺りの感情は一旦飲み込んで普通に電話に出る。
『あ、もしもしてっちゃん? あたしだよあたし』
……人が心配してたっていうのに、なんでこの子はこんなに暢気なのかしら……。腹いせにちょっと樹で遊んでも文句はないわよね。
「……あたしあたし詐欺は間に合ってますので」
『詐欺じゃないよ⁉ っていうか、画面に名前出てたでしょ⁉ あなたの幼馴染、千堂樹だよ!』
「……お掛けになった電話は、現在あなたの電話番号を着信拒否しています」
『そんな心を抉るメッセージがあってたまるかっ! っていうか、そろそろマジレスして!』
……仕方ないわね。樹の事情も気になるし、遊ぶのはこの辺で勘弁してあげましょう。
「……これはこれは、午後の授業をエスケープしたくせに今の今までなんの連絡も寄越さなかった樹さん。私に一体なんの用?」
『わ、わーお……もしかしなくてもてっちゃん、怒ってる?』
「別にそんなことないわよ? ただ、急に消えたあなたについて『お前が一番仲いいだろ? 何か知らないか?』と教師たちから質問攻めにあって、ちょっとうざかっただけよ」
樹からは何の連絡もないから答えようがないし、ほんと困ったわ。
『やっぱり怒ってるよねごめんなさい! こっちにも色々事情があって!』
「……はあ。まあ、いいわ。それで? その事情とやらは、当然私にも説明してくれるのよね?」
『も、もちろんだよ! えっと、実はかくかくしかじかでね、今喫茶店にいるんだけど……』
「……樹。現実で『かくかくしかじか』と言っても、相手にはなにも伝わらないのよ?」
『え、嘘⁉ 伝わらないの⁉』
……この子、一体どこまで馬鹿なのかしら……。というか、こんなことで来年の受験は平気なのかしら。
『さっきボクもそう言いましたよね⁉』
『だ、だって、たまにてっちゃんに使うと『あー、はいはい』ってなるよ? ちゃんと伝わってるよ?』
『……いやそれ、多分適当に流されてるだけだと思いますよ……』
『⁉』
……電話口から聞こえてくる会話の内容はその通りなのだけれど……。
「……樹以外に誰かいるの?」
『あ、うん。かくかくしかじかの過程で知り合った子なんだけど……詳しく説明してるとおよそ六千文字くらいになるから、説明は後でいい?』
「……わかったわ」
その表現の仕方はよくわからないけれど、それを電話越しに聞くのは面倒そうだし。
「それで、私に連絡してきたのはどういう用件なわけ?」
『うん。お金貸して?』
「……切るわ」
やっと連絡してきたと思ったら用件がこれって……。
『わー待って待って! てっちゃんに見捨てられるとあたしたちマジで捕まるから!』
……さすがに幼馴染が捕まるのは寝覚めが悪いから、話しくらい聞いてあげましょうか。
「……というかあなた、コンビニに向かったんじゃないの? なんでお金持ってないのよ」
『財布を開いたらフィリピンペソしか入ってなかったの』
「……なにその、どこぞの漫画みたいな話……あなたホント、なにしに校外に出たのよ」
『財布の中がこんな惨状だとは思わなかったんだよ!』
「自分の財布の中身くらい把握しときなさいよ……。で? 私はどこの喫茶店まで支払いに行けばいいの?」
……こんな風に樹の世話ばかり焼いているから、周りから「樹の保護者」なんて呼ばれるのかしら。でも、そう自覚していながら結局世話を焼くのだから、私はそういう性分なのかしらね。
『てっちゃん……! ホントにありがとう! 愛してるよ!』
「……ごめんなさい、私に百合趣味はないのだけど」
世話は焼くかもしれないけど、そういうのはちょっと……。
『あたしにもないよ! とっ、とにかく! あたしたちは『なっちゃん』にいるので、お願いします!』
なっちゃん……意外と学校から近い喫茶店ね。どういう経緯でそこに至ったのかはわからないけど……お金を払いに行くついでに事情も説明してもらいましょうか。
「……わかったわ。そんなにかからないと思うから、少し待ってなさい」
『はーい』
無銭飲食しておきながら相変わらず返事が暢気ね……。反省する気あるのかしら、この子。
喫茶店についたらまずは説教しようと心に決めて、私は教室を出た。
それから約十分後。樹の言っていた喫茶店に無事到着。道中やたらと黒服のゴツイ人たちとすれ違ったけれど……あれは何だったのかしら、と首を捻りつつ店内に入る。
「あ、てっちゃん! こっちこっち!」
入るや否や、店の奥の方から誰かが手を振って呼びかけてきた。店内で叫ぶんじゃないわよ馬鹿。そのせいで注目されちゃったじゃない。
「まったく……次からはお店に入る前に……いや、教室を飛び出す前に所持金の確認くらいしなさい」
恥ずかしさをこらえるように早歩きで樹のいるテーブルに向かい、早速説教をする。とりあえず有言実行。
「はい、すいません。反省してます」
……まあ、反省はしているみたいね。周りの目もあるし、ここでの説教は勘弁してあげましょうか。それ以上に気になることもあるし。
「……まあいいわ。それで、この子が電話で言ってた子?」
樹の対面に座る可愛らしい少年を見やりつつ、樹に尋ねる。
「うん」
「は、初めまして。湊奏です」
「こちらこそ初めまして、東武鉄子よ。……で、樹。あなたなんで小学生に手を出してるの?」
「ちょっ、酷い言いがかり! 手を出したとかじゃないよ!」
「いや、そこは小学生も否定してくださいよ! ボクは十六歳です!」
「え……⁉︎ あ、そ、そう……それはごめんなさい」
こんなに可愛いのに一つ下……⁉ こ、これはヤバイわね……なんて言うのかしら、こういうの。合法ショタ?
※てっちゃんはまあまあ混乱しています
「いえ、誤解されるのには慣れてるので……」
まあ、そうね。誤解されないわけがないでしょうね。
「さ、自己紹介も済んだところでてっちゃん。お会計お願いします!」
「……いや、その前にさっきの『かくかくしかじか』の中身を説明しなさいよ」
正直お金を払いに来たというよりも、そっちの方が私的にメインなのだけど。
「……それもそうだね」
というわけで、樹から昼休み以降の顛末を聞く。曰く、コンビニに向かう道中で湊君と偶々出会い、追われてるっぽかったのでとりあえず助けたらしい。で、追手を撒いた後この喫茶店に入って、湊君が国内でも結構有名な湊グループの社長の一人息子として過保護に育てられてきたけど、屋敷から出られない生活に嫌気がさして家出してきたという事情を聞き、じゃあそれをなんとかするために湊家に乗り込もうと店を出ようとしたところで、財布にフィリピンペソしか入っていないことに気付いたんだとか。
「…………ねえ、樹。あなたやっぱりショタ――」
「違うよっ‼」
……本当かしら。だって、そうでもなければ今日会ったばかりのこの少年のために家にまで乗り込もうなんて……いやでも、昔から樹はそういう子だったわね。困ってる人がいたら積極的に首を突っ込んで颯爽と解決していく。そんなヒーローみたいな子だった。だから私も……いえ、この話は今は関係ないわね。
「まあ、その真偽は別にどうでもいいとして。あの湊家のSPをあっさり撒くとか……あなたやっぱり人間じゃないわよね」
「てっちゃんさっきからあたしに対して口撃激しくない⁉」
「そうかしら。一時的とはいえ、誰かさんのせいで必要のない出費をしなくちゃいけないせいかしらね」
「あ、はい。ごめんなさい」
……本当に反省してるみたいだし、からかうのはこのくらいにしてあげましょうか。
「冗談よ。別にそこまで怒ってはいないわ。でもあとでなにか奢りなさいよね」
「それはもちろん!」
というわけで、樹の代わりに会計を済ませる。
「ゴチになります!」
「奢りじゃないわよ立て替えよ。このお会計分は後でちゃんと返しなさい」
「わ、わかってるって。軽い冗談だよー」
まったく……やっぱり反省してないんじゃないかしらこの子。
「……はあ。ならいいけど。それで? この後二人は、湊家に行くの?」
「うん。交渉しに行かなきゃいけないからね」
「そう。じゃあ、頑張ってらっしゃい」
「うん。……ってあれ⁉ てっちゃんは来てくれないの⁉」
……まあ、この感じだと普通は私もついていく流れなんでしょうけど……湊君が屋敷の外に出るのを許してもらうために『外出中は私がSP代わりとしてこの子を守る!』なんて男前な交渉をしに行こうとしている樹に、私がついていってもできることはなさそうだし。
「私がついていってもなんの力にもなれないでしょう? 樹みたいにSPの代わりなんてできるわけないし」
「まあ、そうだね。てっちゃん運動音痴だもんね」
「それは関係ないわ」
あなた基準で見たら大抵の人は運動音痴になるわよ。私だってそこまでひどくはないわ。……ほ、本当よ? 五十メートル走だってちゃんと十秒台でゴールできるのよ?
「……まあとにかく、私は行かないから、二人で行ってきなさい。私も湊君の境遇はおかしいと思うし、あなたたちの味方だから。自宅から応援してるわ」
「あっ、ありがとうございます、東武さん!」
「いえいえ。それじゃあ湊君、機会があればまた。樹はまた明日ね」
「うん。いい知らせを持って帰るよ!」
「そういうフラグになりそうなことを言うのはやめなさい」
最後の最後で変なフラグを立てた樹にそう突っ込むと、私は二人と別れて自宅方面へと歩き出した。
その日の夜。交渉が上手くいったという樹からの報告メールへの返信を自室で考えていると、コンコンと扉がノックされた。
「私だ。少しいいか?」
やってきたのは父だった。
「構わないけど……こんな時間になに?」
「大事な話だ。……樹、お前今、彼氏とかいるか?」
……突然なにを聞いてくるんだろうか、この父は。
「別にいないけれど……それが?」
「……うちの会社の業績が最近伸び悩んでいるのは知ってるな?」
「……ええ、まあ」
言い忘れていたけど、私の父はゲーム会社の社長よ。だからまあ……湊君ほどではないけれど、実は私もそれなりにお嬢様。ちなみに、うちの会社はゲームセンターに置いてあるようなアーケードゲームを中心に扱っている会社で、代表作は『クイズ黒猫アカデミー』というクイズゲーム。昔は結構業績もよかったのだけれど、近年のスマホゲームの波に押されて最近はやや下降気味。これでも社長の娘兼次期社長候補だし、それくらいは知っている。
「それを受けて、うちのゲームのシステムの開発を一部委託している会社が撤退したいと言ってきた」
「それは……また大変ね」
業績の落ちかけているこのタイミングで、しかもシステム開発を委託しているような重要な会社に撤退されてしまえば、業績の巻き返しはより厳しくなる。
「ああ。今この会社に抜けられたらうちはほぼ終わりだ。更なる業績悪化は免れない。だから私も必死に引き止めた。結果、一つだけ条件を引きだせた」
「……それは?」
……いや待って。さっきの質問……それに、その話をわざわざ私にしに来るってことは……まさか――!
「……条件はお前だ、鉄子。相手方の社長の息子さんとお前が結婚すれば、撤退は取りやめると言ってきた」
「っ!」
やっぱり……! なによそれ、そんなの漫画の中だけの話じゃないの⁉
「……だから、私にその見ず知らずの男と結婚しろと……?」
「……私だって父親としてそんなことはさせたくない。だが、会社のトップに立つ者として、責任ある立場として、これ以上業績を悪化させることも、その結果多くの社員を路頭に迷わせるわけにもいかない。……わかってくれるな?」
「……私に拒否権はないのね」
「……すまない」
「謝らないでよ。そうしたところで、結局私が望まぬ結婚をさせられる現実は変わらないのでしょう?」
「それは……」
「用はそれだけ? じゃあもう出てって」
「…………」
私がそう言うと、父は無言で部屋を出て行った。ちょっときつい言い方だったかもしれないけれど……仕方ないじゃない。だって、結局自分の娘よりも会社の人たちを取ったのだから。社長としては素晴らしくても、父親としては最低よ。もちろん、諸々の事情を鑑みてその選択が理解できないわけじゃない。でも、納得できるかどうかは別の話。
「……ふぅ」
ベッドに倒れ込み、ぼんやりと天井を眺める。まさか、この歳で結婚することになるとは。納得することは今後一生できないでしょうけど……だからって、私が結婚するという現実が覆るわけじゃない。会社のために、会社の人たちのために、自分の人生を棒に振らなければいけない。こんなの、漫画の中だけの話だと思ってたのに……やっぱり、私はこっち側なのね。
それでも、何かこの確定事項をひっくり返せる方法はないかと考えてしまうことは止められなかった。でもその度に、会社の人たちの顔が脳裏をよぎる。私の我儘の結果、職を失ってしまうかもしれない人たち。彼らの幸せな家庭を、私が壊してしまうかもしれない。そう思うと、思考が鈍る。
結局、私に残された選択肢は一つだった。
沈んだ気分のまま迎えたその週の日曜日。いつものように昼過ぎまで惰眠を貪ろうと心に決めていた私は、けたたましい電話の音に叩き起こされた。
「……こんなじかんにだれよ……」
いつまでもうるさく鳴り続ける電話に、このままでは安眠を続けられないので仕方なく応じる。
「……もしもし」
『あっ、やっと出た! おはようてっちゃん! 起きてる?』
「……だれ」
『えええ、そんなマジトーンで聞く⁉ あたしだよあたし、樹だよ!』
……ああ、そうね。この電話口でも騒がしい感じは、確かに樹ね。
「……なんのよう? わたし、もうすこしねたいんだけど」
『いやてっちゃん、もう十二時だから! 眠そうにぽわぽわしゃべるてっちゃんは超可愛いんだけど、さすがにそろそろ目を覚まして!』
ほんと耳元でうるさいわねこの子……そのせいでちょっと目が覚めて来ちゃったじゃない……。
「……で? 結局なんの用なのよ」
『あ、そうそう! 今日の二時にかなで君の家の前に集合ね!』
「……はい?」
『じゃ、そういうことでよろしくねー!』
「え、ちょっ、もう少し説明しなさ――」
……切りやがったわあのアホ……! 自分の要求だけ一方的に喋って……今日はたまたま何もないけれど、私に何か用事があったらどうする気よ。……まあ、別に用事があろうとなかろうと樹の要求に従う必要はないのだけれど………このまま家にいても嫌なことばかり考えてしまいそうだし、気分転換がてらに付き合ってあげましょうか。
お昼を食べて出かける準備をした後、私は樹に言われた通り湊君の家に向かう。行ったことはなかったけれど、通学中にいつも敷地の脇を通っているから場所は知っていた。敷地沿いにぐるっと歩いていけば、家の入り口には簡単に辿り着く。やたらと目立つ巨大な門の前に、待ち合わせの人物はいた。
「あ、やっほーてっちゃん!」
「……おはよう。テンション高いわね」
「うんっ! こうやってお出かけするの、何気に久しぶりだからね! しかもそれがてっちゃんとかなで君と一緒って、もうテンションが上がらないわけがないよ!」
……確かに、樹はなんだかんだで部活忙しいものね。だからまあ、テンションが高いのはわかるのだけど……。
「……ねえ、樹」
「なに、てっちゃん」
「……どうして私まで、一緒に出掛けることになってるのかしら」
せめて前日までには本人の了承を得なさいよ。今日はたまたま私も暇だったけれど、そうじゃなかったらどうするのよ。
「てっちゃんも一緒のほうが楽しそうだったから」
そんな私の内心など知らずに、樹は誘いが断られることなど微塵も想定していなかったようないい笑顔でそう言った。……まったく、こういうところずるいわよね……。そんな顔されたら、これ以上文句言えないじゃない。
「……そんな理由で私は睡眠時間を奪われたのね……」
「……いやてっちゃん、もう二時なんだけど?」
「……普段はもう二時間くらい寝るわ」
「寝すぎだよ!」
とはいえ、安眠を妨害されたことにはきちんと文句を言っておく。ここばかりは譲れないところだもの。
そんなやり取りをしていると、門の奥から湊君がやってきた。
「こ、こんにちは。お待たせしました」
「こんにちわー。そんなに待ってないから平気だよ」
「こんにちは。早速だけど、私も一緒で大丈夫なの?」
私を誘ったのが樹の独断だとしたら湊君も戸惑っているのではと思い、そう声をかける。
「あ、はい。ボク一人だと、いつきさんのボケを処理し切れる自信がないので、いてくれると助かります」
「あー……」
この究極天然ボケ星人の相手は、湊君一人だと大変そうね……。
「確かにそうね。わかったわ、それじゃあご一緒させてもらうわね」
せっかくの湊君のお出かけが樹へのツッコミだけで終わってしまったら残念だものね。
「それじゃあ樹、早く行きましょ」
「行きましょう! ボク、ずっとこの日を楽しみにしてたんです!」
湊君のテンションもだいぶ高いわね。それに引き換えさっきまでやたらとハイテンションだった樹は、ボケ星人扱いに若干不服そうだけど。
「よしっ。じゃあ出発しよう! かなで君は、どこか行きたいところある?」
あ、でも目をキラキラさせる湊君を見て、不満を呑み込んだわね。
「うーん……あ、そうだ。ボク、この街に住んでるのにあそこに行ったことないんですよ」
「あそこ? ……ああ、なるほど。あそこだね」
……まあ、この街と言えばまずはあそこよね。
「じゃあ、今日はそこに行ってみよっか。いざ、出発!」
「おー!」
「……なに、このノリ」
……あれ、もしかしなくても今日、私がこのテンション高い二人の面倒を見る感じかしら……。
「はいはい、てっちゃんも行くよー」
「ちょっ、自分で歩けるから放しなさい! 恥ずかしいわ!」
樹の手を振りほどこうとじたばたしながら(バカみたいな握力してるから全然振りほどけない)、私たちは賑やかに目的地へと歩き出した。
「うわぁ……!」
私たちがたやってきたのは、この街最大級の建物、駅前の大型ショッピングモール。市外や県外からも多くの客が訪れるこの施設に、この街に住んでいながら行ったことがない人はそうそういないんじゃないかしら。
「いつきさんいつきさん! おっきいですね!」
その数少ないうちの一人である湊君のテンションはさっきからずっと高いわ。
「だよねー。あたしも初めてきたときはびっくりしたよ」
「……でもこれ、湊家の敷地とそんなに変わらないんじゃない?」
「そんなことないですよ! ウチよりぜんぜん広いです!」
いや、さほど変わらないと思うけれど……まあ、この辺の真偽はまた後で検証することにして、さっさと中に入りましょう。
「う、うわっ、すごい人……!」
モール内は大勢の客でごった返していた。まあ、日曜日の午後じゃこんな感じよね。二人が迷子にならないようにしっかり見てないといけないわね。
「さて、どこから見てまわろっか。かなで君、どこか行ってみたいお店とかある? 特にないなら、適当にぐるっと回りながら気になった店を見ていくスタイルでいこうと思うんだけど」
「あ、それでお願いします! なんか、お店がいっぱいありすぎてよくわからないので」
案内板を見ながらそう答える湊君は、既に若干目をまわしてるっぽいわね。まあ、そうなるわよね。樹もよく目的地に着けないまま迷子になるし。
「じゃあ、適当に一階から見てまわろっか」
「はいっ」
というわけで、モール内を一階から順に見てまわる。ペットショップで猫をひたすら眺めたり、人生初だというクレープを買い食いしてみたり、私と樹で湊君をコーディネートしてみたり。中でも湊君のテンションが一番上がっていたのは、意外なことにゲームセンターだった。
「うわー! これが噂のゲームセンターですかっ!」
「うん。ゲームセンターもお初?」
「はいっ。前々から興味はあったんですけど、いつもSPにとめられてて……きょ、今日は入ってもいいですかっ?」
「うむ。許可しよう」
「やった!」
SP代理の樹が許可を出すと、湊君はゲームセンターの中に駆けて行った。
「こうしてみると、ホントに小学生みたいだよね、かなで君」
「まあ、今までろくに外出もさせてもらえなかったわけだし、心境としては初めて外に出た子供に近いんじゃないかしら」
「そっか……本当はみんなが小学生のうちに経験することを、かなで君は今の今まで経験できなかった、ってことなんだね」
……まあ、そういうことよね。そう考えると、樹と湊君が出会えて本当によかったわ。おかげで、湊君を縛り付けていた『家』という鎖を、少しとはいえ解けたのだから。……がんじがらめの私とは違って。
「……よしっ。それじゃあかなで君に、ゲーセンの楽しみ方を目いっぱい教授するとしますか!」
「……そうね」
っと、今日はこのことは考えないようにするんだったわね。今は、樹や湊君とのお出かけを楽しむことだけを考えましょう。
「でも、あなた流の楽しみ方を教えるのはやめておきなさい。誰もついてこれないから」
「そんなことないよっ!」
いやいや、私は大真面目に忠告してるのだけれど。みんなもそう思うでしょう? この運動神経馬鹿と同じ楽しみ方を湊君が……いえ、一般人ができるとは思えないわ。
「あっ、いつきさん! これ、どうやって遊ぶんですかっ?」
樹が抗議のように脇腹をつついてくるのを華麗にスルーしていると、湊君が樹を呼んだ。どうやらUFOキャッチャーの遊び方がわからないらしい。
「OK、お姉さんが教えてあげよう。まずはこの筐体を――」
「揺らさないわよ?」
「わっ、わかってるよ! ちょっとしたジョークだよ!」
いや、湊君はゲームセンター初めてなのだから、そういう冗談もあまりよろしくはないでしょう。
「こ、こほん。えっと、まずはここに百円を投入します」
「はいっ」
私の責めるような視線を無視して、樹はレクチャーを始める。
「そしたら、この一ってボタンが光ったでしょ? まずはこれを押して、このアームを横に移動させるの」
「は、はい。やってみます」
湊君は樹の言葉に従ってボタンに手を添えると、ちょこん、と一瞬押した。当然、アームは少し横に移動しただけで止まってしまう。
「あ、あれ? いつきさん、これ動かないですよ?」
既に光を失っているボタン一をカチカチと押し続ける湊君。……まあ、初心者はやりがちよね。
「ごめんかなで君。これ、アームが動くのはボタンを押してる間だけなの。先に説明すればよかったね」
「あ、そうなんですか?」
「うん。……あっ、でも、ちょうど奥のほうの景品が狙えるかも。かなで君、今度はその隣にある二ってボタンを押して。あたしがストップっていうまで離しちゃだめだよ?」
「は、はいっ」
見るからに大雑把そうな樹は、細かい操作が求められるクレーンゲームは一見苦手そうに見える。でも実際には、野生児みたいな勘の鋭さで狙った景品の元へ的確にアームを動かしていくので、かなり得意だったりする。
「ストップ!」
「っ!」
だから、樹の指示に従って湊君がボタンから手を離すのと同時に降下していったアームは、見事に目標の景品を捉え、取り出し口まで運んできた。
「……よしっ、ゲット!」
「すごいよかなで君! 初挑戦であんな綺麗にゲットするなんて!」
「いっ、いやそんな! いつきさんの指示がよかったんですよ!」
「いやいや、かなで君の実力だって。ほら、早く受け取って」
「は、はい!」
樹に促されて、湊君は取り出し口からゲットした景品……猫のクッションを取り出した。
「……湊君、猫好きなのね」
「はいっ。昔ボクの家の敷地内に、よく遊びに来てたんですよ。結構可愛がってたんですけど、最近はあんまり来なくなっちゃったので少し残念です」
いいわよね、猫。私も好きよ。……私の分もこのクッション取ってもらおうかしら。
「あっ、あのコーナーはなんですかっ?」
ゲットした猫のクッションを袋に入れてもらった後。湊君が次に興味を示したのは音ゲーコーナー。
「あれは音ゲーコーナーだね。音楽に合わせて太鼓叩いたりボタン押したりするゲームが集まってるんだ」
「へ~! 面白そうですね!」
興味津々といった様子で音ゲーコーナーへと向かっていく湊君。音ゲーは運動神経馬鹿の樹が半端ないのよね。私はちっともできないのだけど。
「うわっ、いっぱいありますね……どれがオススメですか?」
「うーん……個人的には、初心者におススメなのは太鼓かな。音符が二種類しかないし、他の音ゲーに比べたら簡単だと思うよ」
「なるほど……じゃあ、それをやってみます!」
というわけで、樹と湊君で『太鼓の鉄人』をプレイする。私はもちろん観戦。
「かなで君は、普段どういう曲聞く? 当然聞いたことある曲のほうが叩きやすいんだけど」
「うーん……普段はクラシックしか聞かないですね」
「「さすがお坊ちゃん……」」
そんな気はしたけれどね。
「じゃあ、クラシックの曲をやろうか」
樹が太鼓の縁を叩いて『クラシック』というジャンルを選択し、太鼓の面を叩く。すると、収録されているクラシック曲がいくつも表示された。
「この辺がクラシック曲だね。そんなに多くはないけど、どれがいい?」
「そうですね……あ、第九とか入ってるんですね」
「じゃあ、一曲目は第九にする?」
「はい!」
比較的あっさり曲が決定する。今度は難易度決定画面。
「一番左の『梅』が一番簡単で、『竹』『松』って右に行く毎に難易度が上がって、一番右の『化物』が一番難しいよ。初心者は『梅』か『竹』くらいがいいかな」
「じ、じゃあ、『梅』にします」
私も『梅』くらいならどうにか叩けるわね。しれっと『化物』を選択する樹は本当に化物だと思うわ。
「かなで君は、上のレーンを流れてくる音符に合わせて太鼓を叩いてね。赤なら面、青なら縁だよ」
「が、頑張ります!」
湊君が気合いを入れるのと同時に曲が始まる。画面の上を流れる湊君の譜面は……うん、私でもできそうな感じね。樹の方の譜面は……もう、何が起こってるのかさっぱりわからないわ。
「うっ、うわっ! いつきさんのほうの譜面すごっ!」
まあ、下であんなヤバいのが流れてたらそりゃ気になるわよね。
「か、かなで君! それよりも自分の譜面見て!」
「あっ、は、はい!」
樹にそう言われて、湊君は自分の譜面に集中する。ピアノとか習っているらしい湊君のリズム感は良く、見事にノルマクリアを達成した。
「な、なんとかできました……!」
「おめでと、かなで君! その感じなら、『竹』でも普通にできそうだね」
「あ、ありがとうございますっ。それにしてもいつきさん、やっぱりすごいですね。一つもミスしてないじゃないですか」
「いやいや。あれは『化物』の中では簡単なほうだし」
何を言ってるのかしらこの子は。
「あ、あれでですか……。どうやったらそんなにうまく叩けるようになるんですか?」
「うーん……まあ、一番は回数をこなすことかな。何回もやってれば、自然と上達していくし。それ以外にも、画面の右側を見ながら叩くようにしてみるとか、主要な三、四、五連符あたりを叩けるようにするとか、いろいろあるけど……まあ、その辺はもっと慣れてきてからだね」
「は、はあ……」
……後半何言ってるかさっぱりだったわね。私や湊君はこれ以上音ゲー沼に深入りしない方がよさそうね。
「じゃあ湊君。今度はあれをやってみない?」
音ゲーコーナーから離れるために、適当に目についたゲームを指さす。その先にあったのは『クイズ黒猫アカデミー』。よりによってうちの会社のゲームだった。
「……あれはどんなゲームなんですか?」
「クイズゲームよ。とある事情で黒猫にされてしまった主人公が、元の人間に戻るためにいろいろなクイズを解いていくの」
……正直今は、どうしても家のことを思い出してしまいそうだからやりたくはないのだけど……。
「へ~! クイズならボクにもできそうです!」
……こんなに楽しそうな顔をされたら、やっぱり別のゲームをなんて言えないわよね。
というわけで、二人掛けの椅子にどうにか三人で腰かけ、ゲームスタート。
「……ちょっ、ちょっと狭いですね……」
女子高生二人に挟まれるかたちになった湊君が、顔を真っ赤にしながらそう呟く。……可愛いわね……じゃなくて。やっぱり高校生三人が並ぶには無理があるわね。
「そうね……じゃあ樹。あなた、私たちの後ろで立って参加しなさい」
「え、あたし⁉」
「当然よ。あなた、クイズゲームではまるで戦力にならないでしょ?」
「ひどっ!」
ショックを受けつつ、しかし否定はできない樹がしぶしぶといった様子で席を立ち、私たちの後ろから画面をのぞき込む。その画面では、人間に戻る手掛かりになるかもしれないクイズ大会の一回戦が始まろうとしていた。どんな大会やねん、というツッコミはなしよ。どうしても気になるなら開発部に聞いて頂戴。
「一回戦は八人で争って、クイズが五問。下位二人が脱落よ。解答時間の速さも得点になるから、頑張りましょうね」
「はいっ!」
湊君への説明が終わるのと同時に、一回戦が始まる。クイズのジャンルは文系。
『第一問。 関ヶ原の戦いは西暦何年?
一、七九四年 二、一一九二年
三、一六〇〇年 四、三〇五一年』
「これは簡単ですね。三です!」
「あれ、二じゃないの?」
「……樹。あなたなにを言ってるの?」
「え、だってほら、覚え方あったじゃん。なんだっけ、『いい国だったね関ケ原』とかなんとか」
「……いい、湊君。ああいう大人になったらダメよ?」
「は、はあ……」
「ちょっとっ‼」
早速一問目から樹の馬鹿が露呈した。もちろん正解は三よ。
『第二問。「女郎花」何と読む?
一、アサガオ 二、ヒマワリ
三、タンポポ 四、オミナエシ』
「……え? 正解なくない?」
「いや、これでオミナエシって読むんですよ。だから答えは四です」
湊君が四を押す。もちろん正解。本来は消去法とかで答えを導くタイプの問題だけど、湊君は普通に読めたみたいね。
『第三問。「鯛や平目の舞い踊り」と言えば?
一、桃太郎 二、浦島太郎
三、金太郎 四、乙姫様をお守りします!』
「これは四だね!」
「黙りなさいソシャゲ脳。普通は二よ」
ああ、この問題を作ったときの開発部の様子が目に浮かぶようだわ。こういう悪ふざけみたいな選択肢は控えるように後で言っておきましょう。
『第四問。一五八二年。明智光秀が謀反を起こし、織田信長を自害に追い込んだ事件は?
一、木能寺の変 二、本能寺の恋
三、本能寺の変 四、本能時の変』
「……え、どれ?」
「「嘘……⁉」」
この子本能寺の変すら漢字で書けないの……⁉ それとも単に視力の問題⁉ 後者であることを切に願うわ……。あ、ちなみに正解はもちろん三よ。
『第五問。「てっちゃん」と言えば、次のうちどれ?
一、鉄道マニア 二、鉄棒マニア
三、レバーマニア 四、東武鉄子』
「……待って⁉ 四番の選択肢はどういうこと⁉」
なんで私の名前が問題の選択肢にあるのよ!
「いいなー、てっちゃん。QNAに出れて」
「ちっとも嬉しくないわ! 私の個人情報保護はどうなってるの⁉」
あの開発部は一体何考えてるのかしら……! 社長の娘の本名をゲームに登場させるとかありえないじゃない……‼
と、私がエキサイトしている間に湊君が一を選ぶ。問題の答えはそれで正解で、湊君は見事に全問正解で決勝進出を決めたのだけど、私は正直それどころではない。
「やったねかなで君! すごいね、やっぱり頭いいんだ」
「いや、あれくらいの難易度なら誰でも……いえ、なんでもないです」
「……あとでQNAに抗議の電話入れとくわ」
「……ほ、ほどほどにね」
開発部許すまじ。なんなら電話じゃなくて直接文句を言いに行こうかしら。
まあ、それは後日実行するとして、続いて準決勝。ここでもクイズは五問で、下位二人が脱落する。ジャンルはアニメ・ゲーム。
『第一問。次のうち、千葉県が舞台になっていない作品は?
一、おれいも ニ、おれがいる
三、はがない 四、きんもざ』
「ぼ、ボクにはさっぱりわからないんですけど」
「三だよ。はがないは岐阜県かな」
「……相変わらずアニゲーは強いわね」
「ホームグラウンドだからね」
私にはさっぱりわからないわね。準決勝は樹に任せましょう。
『第二問。ゲーム「あかね色に染○る坂」に登場する、白石な○みの口癖は?
一、ちゃうねん ニ、なんですかもう
三、あによ 四、ちなうんです』
「…………」
「ほら樹、早く答えなさいよ。ホームグラウンドなんでしょう?」
「さすがにエロゲーは守備範囲外だよ!」
……なんで全年齢向けのクイズゲームでエロゲーの問題を出すのよ。本当にうちの開発部はどうなってるの? ……というか。
「……なんでこのゲームがエロゲーなのは知ってるのよ」
「まあ、結構有名なタイトルだし」
そ、そうなのね……私は聞いたこともないけれど。ちなみにクイズの方は、樹が勘で四を押したけれど正解は二だった。わかるわけがないわこんなの。
『第三問。ゲーム「魔法使いと○猫のウィズ」に登場する、アリエ○タに関して間違っている情報は?
一、かつて、誰もがア○エッタを求めて諭吉を羽ばたかせた
ニ、人気投票では常に上位に食い込む人気キャラ
三、おしとやかで真面目な性格
四、あばばばば』
「……ソシャゲ脳を頼るまでもなく、これは四で決まりよね」
「いや、答えは三だよ」
「「四は正しい情報なんですか(なの)……⁉︎」」
一体どんなキャラなのよ、アリ○ッタ。ちょっと興味が出てきちゃったじゃない。っていうか、ジャンルがアニゲーになってからクイズがマニアックすぎないかしら。
『第四問。次のうち、「キュアドリ○ム」の変身時の決め台詞は?
一、大いなる希望の力! 二、情熱の赤い炎!
三、安らぎの緑の大地! 四、知性の青き泉!」
「一! 答えは一だよ!」
「「はやっ……」」
私も見てはいたけど、このアニメやってたの結構前よね……よくそんなすぐに出てくるわね。
さて、残すところあと一問。既に一つ間違ってるし、決勝に進むためには確実に取りたい一問ね。
『第五問。猫クイズ! にゃにゃー、にゃんにゃー、にゃにゃにゃ、にゃんにゃん、うなーなー、にゃー?
一、にゃんにゃにゃ ニ、うななななー
三、ぎにゃー 四、うにゃん』
「「「……わかるかっ‼︎」」」
最後の最後でなによこれ、ふざけてるの⁉ やっぱり今日帰ってからすぐに開発部に文句を言いましょうそうしましょう。
クイズは直感で樹が四を押したけれど、答えは三で不正解だった。そしてその結果、準決勝敗退となった。……納得いかないわね……というか最後の問題、一体どんな精神状態でつくったのよ……それと誰も止める人いなかったの……?
とまあ、最後こそ微妙な感じだったけれど、概ねゲームセンターを満喫しきった。ゲームセンターを出た頃には結構な時間になっていたから、そろそろお開きね。
「かなで君、今日はどうだった?」
ショッピングモールを出て湊家に向かう道中、樹が湊君にそう尋ねる。
「それはもう、楽しかったです‼ 今までで一番楽しい時間でした‼」
「それはよかった。いい息抜きになったかな?」
「もちろんですっ! こんなに楽しいことが毎週あるなら、勉強だってぜんぜん頑張れそうです!」
嬉しそうにそう語る湊君を見ると、今日は来てよかったって思うわね。たまには早起きも悪くはないわ。……え? 全然早くない? ……なんのことかしらね。
その後は他愛もない話を続けていると、あっという間に湊家まで辿り着く。
「いつきさん、東武さん、今日は本当にありがとうございましたっ!」
「いやいや、かなで君が楽しんでくれたならなによりだよ。それに、あたしたちも楽しかったし。ね、てっちゃん」
「……そうね。朝樹に起こされたときはなんで私まで、って思ってたのだけど、私も楽しかったし、結果的には来てよかったわ。よかったら来週からも呼んでちょうだい」
自力で起きるのは厳しそうだけれど、きっと樹が起こしてくれるわよね。
「もちろんです! 来週からもよろしくお願いします!」
「任せなさい!」
「……あなたたち。もう結構な時間なのだから、あまり大きな声を出すのはやめなさい」
「「ご、ごめんなさい……」」
気持ちはわかるのだけれど、もう外はだいぶ暗いし、ご近所迷惑だわ。湊君だってそろそろ帰してあげないと心配されるかもしれないし。
「じゃ、かなで君。また来週ねっ」
「また来週」
「はいっ、また来週です! 楽しみにしてますね!」
笑顔でそう告げると、湊君は門の内側へと入っていった。それを見送る樹の表情は、まるで弟を可愛がる姉のようだった。
「……樹、湊君のこと相当気に入ってるのね」
「うんっ。弟にしたい男の子ナンバーワンだよ」
「弟、ね……」
まあ、樹は一人っ子だし、湊君もあんな感じだから、どうしてもそういう感覚になるわよね。実際私にもそれに近い感情はあるし。
……でも、私たちの感情や彼自身の見た目がどうであれ、湊君は有名グループの一人息子で十六歳。政略結婚なんて時代錯誤になってきているとはいえ……私の家みたいな場合もある。むしろうちの会社なんかよりもずっと歴史がある湊家の方が、そういった慣習が残っている可能性は高い。もしそうなら……もう十六歳である彼にそういった話が出てくるのは時間の問題だ。私たちが一緒に出掛けられる機会も、もうそう多くはないかもしれないわね。
……とはいえ、こんなに嬉しそうにしている樹にそんな話はできないわよね。私がそういう境遇にあるせいで、変に考え過ぎてしまっている可能性もあるし。
「ま、いいけど。一つ忠告しておくと、あれでもあの子十六歳なのよ。そこは覚えておきなさい」
「え……? ど、どゆこと……?」
「まあ、私の勘が間違ってるならそれでいいのだけど……」
「んん……⁇」
……でもまあ、一応忠告くらいはしておいてもいいわよね。私の杞憂ならそれでいいわけだし。
それから毎週日曜日は、樹と湊君の三人で毎回どこかへお出かけした。カラオケに行ってみたり(湊君、すごく歌上手かったわ)、屋内プールで遊んでみたり(私がおぼれかけたわ)、映画を見てみたり(樹がホラー映画を選んだせいで、私と湊君が失神しかけたわ)、スケートしてみたり(私が死にかけたわ)……なんか私が危ない目に遭ってばっかりね。
それでも、この三人で出かける時間は、私にとって本当に貴重だった。先方との顔合わせや結納の日取りが段々と決まっていき、私が結婚させられる日が刻一刻と近づいてくる憂鬱な日々の中で、この時間だけは唯一その事実を忘れて楽しい時間を過ごすことができたから。このお出かけが無かったら、私はもうとっくに参ってしまっていたでしょうね。
……けれど、神様は私のことが本当に嫌いみたい。私の当たらなくていい予感が、杞憂で終わってほしかったものが、恐れていた事態が、起こってしまったのである。
それはいつものように、湊家の前で湊君が出てくるのを待っていた時のこと。
「ご無沙汰しております、千堂様。東武様は初めましてですね」
「……メイド長?」
門の向こうに姿を現したのは湊君ではなかった。樹曰くメイド長らしい。……つまりこの家、メイドがこの人以外にも何人もいるのね……。って、今はどうでもいいわね。
「はい。本日はお二人にお話がございましたので、こうして私が出向かせていただきました」
「「は、はあ……」」
私達が戸惑う中、メイド長とやらは門の向こうから話し始める。
「結論から申しますと、お二人には今後一切、お坊ちゃまと関わらないでいただきます」
「「……は?」」
その言葉の意味が、しばらく理解できなかった。
「ちょっ、どうして⁉ なんで急にそんなことになるの⁉」
樹がすぐさま抗議の声をあげる。対してメイド長は落ち着き払った様子でその疑問に答える。
「理由は二つございます。一つは、湊家次期当主として相応しくない言動や知識が、お坊ちゃまに増え始めたことです。増え始めた時期から考えて、おそらくお二人の影響だと思われます。もう一つは、年頃の異性がいつまでも近くにいるのは、お坊ちゃまの結婚の障害になる可能性があるからです」
「け、結婚⁉︎」
……! まさか本当に……!
「はい。お坊ちゃまは一人息子ですので、早くに後継ぎを残してもらはないと困りますから」
「んなっ……!」
「では、私からの話は以上ですので」
「あっ、ちょっと! まだ話は――」
一方的に話を終えると、メイド長は敷地の奥へと消えていった。私達の話なんて最初から聞く気がなかったみたいね。……それにしても……。
「……やっぱり、こうなったわね……」
「やっぱりってどういうこと⁉︎」
思わず漏らした私の一言に、樹が掴みかかってくる。
「ちょっ、とりあえず落ち着きなさい!」
気持ちはわかるけど、これじゃあ喋れないわ。
「あっ……ご、ごめん……」
「……ここで話すのもアレだから、場所を変えましょう。『なっちゃん』でいい?」
「う、うん……わかった」
ひとまず落ち着きを取り戻してくれた樹と共に、私達は『なっちゃん』へと向かうことにした。
「……それで、やっぱりっていうのはどういうこと?」
テーブルにつくや否や、樹がそう尋ねてくる。
「……以前、私が忠告したのを覚えてる?」
「忠告……?」
首を捻る樹。……まあ、忘れてると思ったわ。
「やっぱり忘れてたのね……。まあいいわ。実は最初に一緒に出掛けたときから、いつかこういう展開になるんじゃないかと思ってはいたのよ」
「そ、そんなに前から?」
「ええ。多分あなたは知らないと思うけど、湊家と言えばこの辺りでは有名な、かなり古くから続く名家なのよ」
「へ~、そうなんだ」
……案の定知らなかったのね。地元民なら大体の人は知っているはずなのだけど……まあ、樹だししょうがないわね。
「で、それが?」
「……まだわからないの? 湊君はそんな名家の一人息子なのよ?」
「……⁇」
察しが悪いわね。……いや、違うわ。きっと私が「こっち側」だから、すぐに察しがついただけなのかも…しれないわね。
「……血よ。遥か昔から受け継がれてきた名家の血を、絶やすわけにはいかないでしょう?」
それは、私とはまた違った家のしがらみ。それも、父の代でまだ二代目のうちの会社の業績云々なんて比べ物にならない、何百年もの間脈々と受け継がれてきたその血を守るという、あまりに大きなしがらみ。
「だから湊君は、万が一が無いよう必要以上に過保護に育てられているし、早くに結婚して子孫を残すことを要求されている。もしそうなら、樹や私は障害でしかないから、いずれ接触を禁じられる」
「あ、あたしたちが障害っ?」
「メイド長の言っていた通りよ。湊君に樹や私みたいな庶民的な言動がうつってしまえば、湊家に相応しいような名家の娘との結婚は厳しくなるでしょうし、毎週のように同じ年頃の異性と楽しくお出かけしているような人物と結婚したいなんて思う人はいないでしょう?」
何百年もの間続いてきた名家の御子息の相手が、誰でもいいわけがない。当然、その血や伝統に相応しい相手が必要になる。そしてもちろん湊君だって、その名家の名に恥じない人物でなければいけない。私や樹の存在は、邪魔以外の何物でもないのだ。今までそれが許されていたのも、また湊君が逃げ出すような事態になると困るから一時的に湊君の要望を叶えてあげよう、みたいな感じだったんじゃないかしら。
「……そういうことか」
私の説明で、ようやく樹は理解してくれたらしい。でも、納得した顔ではない。
「……なにそれ! あたしたちやかなで君の意志は⁉」
「そんなのが通じると思う? 相手は古くから続く名家よ?」
「だからなに⁉︎ その血っていうのは、かなで君の意思や自由を奪ってまで守らなきゃいけないものなの⁉︎」
「私たちとは感覚も住む世界も違うのよ。個人よりも家。それが当たり前なの」
……そう、何よりも優先されるのは家のこと、会社のこと。湊君や私は、その維持のために使われる部品でしかない。
「間違ってる……そんなの間違ってるよっ!」
「私だってそう思うわよ。こんなの時代錯誤だって。……でも、そう思うのは私たち庶民だけ。あの人たちにとってはそれが普通なの。私たちごときが声を張り上げたって覆らないの……!」
私だって本音を叫べば、こんな不本意な結婚なんてしたくない。会社のためだなんて知ったこっちゃない。好きで社長の娘に生まれたわけじゃない。湊君だって、きっと近い思いを抱いているはず。でも、部品がいくら声をあげたってあの人たちにはちっとも届かないの……!
「てっちゃん……。……ごめんてっちゃん。てっちゃんだって悔しいよね」
「……当たり前よ。あんな風に一方的に友人を奪われて、しかもそれが本人の意思じゃなくてくだらない家の事情だなんて……そんなの納得できるわけないでしょ」
悔しい理由は、当然それだけではないけれど。でも、今は私の家の事情を持ち出す場面じゃない。だってそれをすれば、樹はますます混乱してしまう。今は湊君のことだけで手いっぱいなはずなのに、余計な心配事を増やしたくはない。だから、私は言わない。
「けど、文句を言ってるだけじゃ現状はなにも好転しない。私たちにできることを考えないと……」
「うん……そうだね」
そう言うと、樹は真面目な顔で考え込み始める。いつになく真剣な表情だ。それだけ、湊君のことを真剣に思っているのだろう。湊君を助ける方法はないかと必死に考えている。
そうしてしばらく考え込んだ後。樹は突然立ち上がった。
「……よしっ」
「……樹?」
「ちょっと、湊家に乗り込んでくる」
「……はあ⁉ 突然なにを言い出すの⁉」
解決案が浮かんだのかと思ったら、ただやけになっただけ⁉
「いや、だから殴り込みに……」
「悪化してるわ! というか、行ってどうするのよ⁉︎」
「さあ?」
「無計画!」
「でも、ここでじっと考え込んでるよりはいいと思うんだ。あたしそういうの苦手だし。それに、行動しなきゃなにも起こらないよ」
真面目な表情でそう告げる樹に、私は思い出した。そう、よね。いつだって考えるより先に動いて、その結果どんなことだって解決し、誰だって助けてしまう。それが、私の幼馴染……私のヒーローだったわよね。
「……そうね。確かに、樹にじっとしてるのは似合わないわね」
「そうそう。あたしってば行動派だから」
「頭脳はヘッポコだものね」
「おいこら」
私の冗談に怒る樹。でも、別にそれは悪いことばかりではないと思うの。あれこれと考えすぎて動けなくなってしまう私とは違って、直感で即座に動きだせる樹。それはきっと樹だけが持っている力で、誰かを助け出せる力。だからきっと、湊君も救ってくれる。かつての私と同じように。
「……でも、その行動力は樹にしかないものだから。……湊君のこと、頼んだわよ」
「……任せときなよ。あたしを誰だと思ってんの?」
「頭脳がヘッポコな――」
「それはもういい!」
最後に、そんな冗談を交わして。
「じゃ、行ってくるね」
「ええ。いい知らせを待ってるわ」
「おう!」
見送る樹の背中は、かつての私のヒーローにそっくりだった。きっと、湊君のことも華麗に救ってしまうんだろう。そして私のヒーローだった彼女は、今日から湊君のヒーローになる。そんな予感がした。
それと同時に、一通のメールが届く。父からだ。式の日取りが決まったらしい。その日付は……数日前に樹が嬉しそうに教えてくれた、高校最後の大会の予選の日。
……ああ、そうか。私はそういう運命なんだ。かつて私のヒーローだった彼女は、もうすぐ私のヒーローではなくなる。だから、助けを求めてはいけない。もしかしたらなんて、期待してはいけない。もう樹に頼るなと、これがお前の人生だと、神様が言っている。
ああ、たった十八年の人生だったけど……あなたのおかげでそれなりに楽しかったわ、樹……。
私と樹が初めて出会ったのは、小学一年生の時。偶々席が隣だった。当時から樹は明るくて元気で、いつもクラスの中心にいた。一方の私はちょっとませた子供で、常に騒がしい樹を『馬鹿なやつ』なんて思っていた。社長の娘として、当時から色々な大人と接する機会が多かったから、そんな嫌な子供だったのかもしれないわね。だから私たちは、本当に正反対の二人だった。席は隣だったけれど、話すことはほとんどなかった。
そんな私たちの関係が変わったのは、クラス内でのグループも確立してきた六月のある日のこと。私は案の定孤立していた。原因は、近所に住む同じクラスの男子が『アイツ社長の娘なんだぜ!』『金持ちなんだぜ!』と言いふらしたことで『すげー!』『うらやましい!』と寄ってきた子たちに対して、私が『金持ちの家なんて何もいいことないわよ。あなたたち普通の家の方がよっぽどうらやましいわ』と答えたこと……らしいわ。私は本当のことを言っただけなのよ? 確かに私の家は金持ちだけれど、その使い道は当然私の自由ではない。そのお金が使われるのは、専ら私が望みもしてない習い事やら家庭教師ばかり。クラスの子たちは金持ちなら自分の好きな物なんでも買って貰えると思ってるのかもしれないけれど、そんなのはお金の有無じゃなくて両親の教育方針次第。私の場合は一切その辺の自由がきかなかった。控えめでも、時々でも、自分の好きな物を買って貰えるあの子たちの方が、私にはよっぽど羨ましかった。
けれど、そんなことを言っても普通の小学一年生には理解できない。結果、私は『金持ちだのくせにムカつくこと言うヤなやつ』と認識され、クラスの皆から避けられていった。まあ、別に仲良くする気もなかったし、構わなかったのだけど。
でも。このクラスには、そういうのを是としない人がいた。いつも独りで過ごす私を、放っておかない人がいた。
「ねえねえ、なんでいつも一人なの? 一緒に遊ぼうよ!」
ある日の昼休み。その人は突然そう声をかけてきた。
「ちょっ、いつきちゃんダメだよ! その子は嫌な子だから、話しかけちゃダメ!」
「なんで? あたし、別にいやな思いしてないよ?」
「いや、でも……」
「だったら、一緒に遊んでもいいじゃん。きっとそのほうが楽しいよ! ほら、行こ!」
「えっ? あ、ちょっ……」
その人に手を引かれるまま、私は時間いっぱいグラウンドで遊んだ。凄く、楽しかった。思えば初めてだ。こんな風に同年代の子たちと思いっきり遊んだのは。家のことを忘れて、おもいっきり笑ったのは。
いつも大人に囲まれて、東武家に縛られていたませがき、東武鉄子を、普通の女の子にしてくれたその人は――
「ふーっ、楽しかった! ねっ、名前は?」
「わ、私? 私は……東武、鉄子よ」
「鉄子……じゃあ、てっちゃんだね! あたしは千堂樹! 樹でいいよ!」
――『てっちゃん』にしてくれたその人は、私のヒーローだった。
……もう、十二年くらい前になるのね。あの時は、まさかここまでの腐れ縁になるとは思ってもいなかったけれど……それも今日で終わりね。
物思いに耽っていた意識を現実に戻すと、豪奢に飾り立てられた式場の様子が目に飛び込んでくる。そう、今日は私の結婚式。私の……『てっちゃん』としての人生が、終わる日。
「汝、是を夫とし、良き時も悪き時も、富める時も貧しき時も、病める時も健やかなる時も、死が二人を分かつまで、是を愛することを誓いますか?」
……あら、ちょっと物思いに耽っている間に。……もう、私の番なのね。
「…………ええ、誓うわ」
この期に及んで何かを期待している『てっちゃん』を無理やり抑え込んで、『東武鉄子』が返事をする。
「では、誓いのキスを」
促され、向かい合う。相手は三十代後半のおじさん。下心を隠そうともしない下劣な顔で私のベールをまくる。そして、汚い顔をこちらに近づけてくる。
……これで、いいのよ。私はもう十分楽しんだ。樹がくれた『てっちゃん』という人生を、十二分に全うした。だから『てっちゃん』はここで死んで、これからは『東武鉄子』の人生。……それで、いい。
ゆっくりと、おじさんとの距離がなくなっていく。そして――
「その結婚、ちょっと待ったぁ‼」
☆ ☆ ☆
あたしはよく馬鹿だって言われるし、自覚もあるけど、さすがに十年以上も一緒にいる幼馴染の変化に気付けない程馬鹿じゃない。てっちゃんがあたしに内緒でなにかを抱えているのにはすぐに気付いた。けど、大事なことならきっとてっちゃんの方から言ってくれると思って、あたしの方から聞いたりはしなかった。……でも、てっちゃんが何も言ってくれないまま何カ月もたって……段々と嫌な予感がしてきた。なにかよくないことが、あたしの知らないところで進んでるんじゃないかって、このままだとてっちゃんがあたしの手の届かないところに行ってしまうんじゃないかって、凄く不安になってきた。だから、悪いとは思ったけど、かなで君の家の力を借りて、てっちゃんの抱えている事情を探ってもらった。
その結果を知らせる電話が鳴ったのは、あたしの高校最後の大会の予選が始まる直前だった。
『もっ、もしもしいつきさんですか⁉』
「う、うん。そうだけど……かなで君、そんなに焦ってどうしたの?」
『お願いされてた東武さんの件、調査結果が出ました!』
「ほ、ほんと⁉ あ、でも、もうすぐ予選が始まっちゃうから手短にお願いできる?」
『はい! あの、このままだと東武さんが結婚しちゃいます!』
「……は?」
危うく、携帯を落としそうになった。てっちゃんが、結婚……? なんで、そんな話になってるの……?
『時間がないみたいなので詳しい説明は省きますけど、どうも望んだ結婚じゃないらしいです! 相手方に脅されて、会社のために仕方なく結婚する、って感じみたいで――』
「それっ、まだ阻止できるの⁉」
望んだ結婚じゃない。仕方なく結婚する。そんな言葉が聞こえた瞬間、あたしは思わずそう叫んだ。
『えっと……ぎ、ギリギリです! 今日がちょうど結婚式の日みたいで――』
「場所は⁉」
『えっ? いっ、いやいやいつきさん、大会の予選は――』
「そんなのどうだっていい! それより場所! はやくっ‼」
てっちゃん以上に、大事なことなんてあるものか。今ここで動かなかったら、てっちゃんは本当にあたしの手の届かないところに行ってしまう。そんなのは、絶対に嫌だ……!
『え、ええと……いつきさんたちの通ってた中学校の近くにある、かなり大きめの――』
「わかった、すぐ行く!」
あたしたちの中学校の近くにある大きな式場なんて、あれしかない。場所は分かった。なら後は向かうだけだ。かなで君との通話を切り、予選会場を飛び出す。
「えっ、あ、ちょっと樹! 予選は――」
「辞退するって言っといて!」
呼びとめてきた同じ部の友人にそれだけ告げると、ギア全開全速力で目的地へ走る。
「てっちゃん……! なんでこんな大事なこと言ってくれないんだよ……!」
走りながら思わずそんな言葉が漏れたが、すぐに気付く。てっちゃんは……式の日があたしの最後の大会の予選の日だから、あたしに言えなかったんじゃないか。あたしの最後の大会を邪魔したくないって、だからなにも言わなかったんじゃないか。あたしの知ってるてっちゃんなら、絶対そうする。喋り方とかのせいで冷たく見られるけど、本当は誰よりも優しくて、思いやりのある子。それがてっちゃんだ。だからあたしには、何も言わなかったんだ……!
「あたしが……! 親友のあたしが! もっと早く気付いてあげなきゃいけなかったんじゃん……!」
あたしを思って何も言えなかったてっちゃん。そんなてっちゃんの性格を知ってるあたしが、ちゃんとてっちゃんから話を聞かなくちゃいけなかったんだ……! 話してくれるのを待ってちゃダメだったんだ……!
「でもっ、今更後悔したって仕方ない! それよりもっ、今は一秒でもはやくてっちゃんの元へ……!」
もう二度と取り返しがつかなくなってしまう、その前に。どうにか間に合えと、今までにないくらい全力であたしは走った。そして――
☆ ☆ ☆
「その結婚、ちょっと待ったぁ‼」
ドカン、という爆音とともに、式場の扉が吹っ飛んだ。会場のすべての視線がそこへと向かう。そこにいたのは――
「アンタみたいなゲス野郎に、てっちゃんは……あたしの親友は、渡さないよ!」
鮮やかな烏の濡れ羽色をした短髪を汗を飛ばしながら翻し、一切の迷いや躊躇なく右足を振り抜いた姿勢で凛と立つ、右手に竹刀を携えた真っ直ぐな眼差しの少女――私の、ヒーローだった。
「いっ、樹⁉ どうしてここに⁉」
あまりに非常識な光景に会場全体が呆ける中、思わず私は叫ぶ。だって、樹には今日の式のことなんて一言も言ってない。それに今日は。
「あなた、今日は高校最後の大会の予選でしょ⁉」
「そんなのはどうだっていいんだよっ‼」
叫びながら、一歩、また一歩。真紅のカーペットの上を、樹が進んでくる。
「日本一を取れる機会なんて、今後いくらだってある! でもっ! 今日を逃したらてっちゃんは……あたしの親友は、もう二度と戻ってこない‼ だったらこっちの方が優先に決まってるでしょっ‼」
「……っ!」
その剥き出しの叫びに、心が震える。死にかけたはずの『てっちゃん』の鼓動が、再び強く動き始める。
「……事情は大体かなで君から聞いたよ。最近てっちゃんの様子が変なのはわかってた。あたし馬鹿だけど、親友の様子がおかしいのくらいわかるよ? でもてっちゃんはなにも言ってくれないから、湊家の人たちに頼んで調べてもらった。……なんでこんな大変なことになってるのに、あたしに言ってくれないの⁉」
「だって……だって! こんなこと言ったら、あなた絶対に助けようとするじゃない!」
「当たり前だよ!」
「でもそれじゃダメなのよ! 私がここで助かるってことは、それはそのままうちの会社の倒産に繋がるかもしれないの! これでも次期社長なの、そんな選択肢私には取れないのよ‼」
ずっと独りで抱えていた感情が、口をついて出ていく。秘めておかなければと思っていたことが、自然と流れ出ていく。
「なら、それごとあたしに言ってよ! そうすれば、てっちゃんが犠牲にならずに、てっちゃんの会社も助ける方法が見つかったかもしれないでしょ! てっちゃんは何でも一人で背負いすぎなんだよっ! 親友なんだからっ…もっとあたしに頼ってよぉっ! てっちゃんともう会えないかもって思ったら……あたしっ、ホントに怖かったんだよ……? もし間に合わなかったらどうしようって、そればっかり考えながらここまで走ってきたんだよっ……?」
途中から涙をボロボロと流しながら泣き叫ぶ樹の額には、大粒の汗がいくつも滲んでいた。よく見れば服装だって剣道着だ。多分、この式のことを今日知って、剣道の試合を放り出して駆けつけてきたのでしょう。
……ああ、そうか。私は、一つ勘違いをしていたのね。私にとって樹が特別な存在なだけじゃない。……樹にとっても、私は特別な存在だったのねっ……!
「樹……っ、いつきぃ!」
「てっちゃん……っ!」
自分がウェディングドレスを着ていることも忘れ、樹に駆け寄って抱き付く。もう、涙を堪えることはできなかった。
「……おかえり、てっちゃん」
そんな私を優しく抱きとめ、『私』の名を呼ぶ親友に、ヒーローに、私は。
「……ええ。ただいま、樹」
今の『私』にできる最高の笑顔で、そう応えた。
結論から言ってしまえば、今回の騒動は全て相手方の会社の陰謀だった。次期社長に既に私が内定しているのが気に入らなかったらしい。そこで、業績の伸び悩みに付け込んで私と自分の息子を結婚させ、自分の息子を次期社長にさせようとしたのだとか。証拠の音源も湊家のSPさんたちが握っていて、それを聞いた父が大激怒。私の結婚は当然白紙で、この会社との契約も即行で切った。代わりにシステムを担ってくれる会社は、これまた湊家が紹介してくれるそう。ホントもう、湊家さまさまよね。湊君は『いつきさんの親友のためですから。気にしないでください』なんて言ってくれてるけど……流石にちゃんとお礼した方がいいわよね。湊君は樹に気があるっぽいし、何か樹情報を提供してあげましょうか。……いえ、さすがにそれじゃ対価にはならないかしら。
で、結局今回も全てを救ってしまった当のスーパーヒーロー、樹はというと……。
「あー、やっぱりてっちゃんのウェディングドレス、撮っとけばよかったなぁ。もう今後見られないかもしれないし」
などとのたまっていた。
「……いや、私だってそのうち結婚するし、その時また着るわよ」
まあ、その時は白無垢かもしれないし、確実とは言えないけれど。
「いやいやいや! 今回みたいなこともあるし、てっちゃんとはそうそう結婚させないよ! あたしよりも強い相手じゃないと!」
「樹は一体どんな立場なのよ……」
まるで父親ね。実際私の父も似たようなこと言ってた気がするわ。……というか、樹より強い相手って、それ人間なのかしら。このままだと私、一生独身か化物と結婚するかの二択になるのだけど。……あれ。私、全然助かってなくないかしら。
「もちろんデートだって毎回あたし同伴だからね?」
「それはさすがに嫌だわ」
もはやデートじゃないじゃない、それ。今回のことがあるとはいえ、さすがに過保護すぎよ。
……でも、そうね。そうやって心配してくれる気持ちは、凄く嬉しいわ。だから私も、そんな樹を安心させるために素直に言おう。
「……心配してくれてありがとう、樹。でも、大丈夫よ」
恥ずかしさを堪えて、でも真っ直ぐに。
「私、もう樹より格好いい人じゃないと、ときめかないから」




