第四話
「帰ります。帰って、自分に『追い払う』能力がないことを祈りながら……待ちます」
声が震える。帰ったところで希望か絶望か、どちらかの運命しかたどれないという事は分かっている。ここにいれば、少なくとも絶望に落ちることはないとは分かっている。それでも、僕は帰る。彼はそうか、と笑顔を見せる。目はわずかに弧を描いていた。
「ならば帰ると良い。君が五体満足で帰ることのできる奇跡を、祈っているよ」
彼は洞窟を指さした。僕は立ち上がり、ぺこりと頭を下げて洞窟に走る。洞窟に一歩踏み入れると、どろりした闇が僕を包む。まるで水の中を歩いているみたいに四肢が重い。泥のようなものがそこら中に浮いているようで、それらをかきわけながら進んでいく。段々と泥が重くなり、かきわけるのもかなり力がいるようになった。きっと、五体満足で帰ることが出来ない、というのはこのことを言ったのだろう。泥の重みに体が耐えられず、胴体から四肢が分裂する。運が良ければ四肢が消える前に元の世界にたどり着けるが、運が悪ければ……と、考えたところで我に返った。そんなふうに考えていたって仕方がない。取りあえず、前だけ見て進まなければ。
……そうして、いつまで進んでいただろう。全身から汗が吹き出し、一歩歩くだけで筋肉が悲鳴を上げる。体中が、四肢が、今にも引きちぎれそうな程熱く、痛みは当に僕の理解を越えていた。おかげで声にもならない。息を荒く繰り返す。一度立ち止まろう、と思って膝をつこうとして、気付いた。
膝が無い。正確には、膝から下が無い。
「えっ」
思わず漏れた声。膝から下が、まるで最初からなかったかのようになくなっている。ズボンの上からでも分かる。しばらく釘付けになった後、恐る恐る反対の足を見た。膝はついている。ついていたが――ゆらゆらと、靴が、足が、不安げに揺れている。太ももは揺らしていないのに、膝下に当たる部分がわずかに揺れている。ああ、と理解した。これは、恐らく、もうすぐ取れるのだ。
「…………」
このまま帰ることが出来ても、きっと足は残らない。それでも、一度帰ると決めたなら帰るしかない。僕はできるだけ足を見ないようにして前に進んだ。太ももを振っだ。ぷつり、と小さな音が聞こえたが、無視して走り続けた。どうして太ももだけで走っても正確に走れるんだろうとか、考える余裕もなく、走り続けた。
***
目を覚ますと、白い天井が目の前に会った。
僕は帰れたのか。ここはどこなのか。
起き上がろうとしたが、何かに固定されているのか、上手く起き上がることが出来なかった。頑張って首だけを上げる。そうして、見た。
僕の体に四肢はなかった。
四肢があった場所には何かのチューブがつながっていて、それは心電図のような機械に繋がっていて、数値をはじき出している。
「……?」
声を出そうとしたが、声が出なかった。
「目覚めたのね」
どこからか若い女性の声がした。僕の視界には映っていない。
「目覚めないほうが幸せよ、あなた。おやすみなさい」
女性はぶつぶつと何かを唱えていた。彼女が何かを唱え終わると、僕の瞼はゆっくりと降りてくる。僕の意志に反して、静かに僕の視界は闇に閉ざされた。
段々と沈んでいく意識の中で、僕はうっすらと、あそこに残るのが正解だったかもしれないと思った。だが、それを確認する手段もない――。
そうして、二度と、僕が目を覚ますことはなかった。