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第一話 

 今日の夕飯はカレーだった。僕ら寮生が「ママ」と呼び親しんでいる彼女のご飯は、実家で食べるご飯のように温かかった。いつもと同じ席、いつもと同じ人と食べる食事。いつもと同じ夕食の時間を過ごしているはずだった。だが、カレーを一口食べた直後のこと。誰かから脳をわしづかみにされ、ぶんぶんと揺らされる感覚に僕は陥った。


そして、揺さぶりながら、低い獣のような声が、僕の脳裏に踏み入ってきた。


「目をさましなよ。このおかしくておもしろい幻術から」


その声に、はっと我に返る。目の前には、自分の今の状態をまるで鏡に映したかのような、真っ青になった猿飛先輩がいた。


***

【備考】

※西崎は、絶世のイケメンである。押しに弱い

※猿飛は、ノンケである。超人じみた行為を平然とする


***

西崎「……あの、先輩、今……」


猿飛「わぁお、革命的な? なんかおもしろそうなの起こっちゃってる」


西崎「いや、革命っていうか……頭が……気分悪い……」


猿飛「あらやだ、大丈夫? 鉄分足りてる?」


西崎「いや、鉄分とかそういう問題じゃなくて……まさか、栄養失調による幻術……って、そんなわけないか」


猿飛「げん、じゅつ……?」


西崎「いやまさかそんなことは……」


(猿飛。一瞬、周囲に視線を巡らせて満足げに微笑を浮かべる)

猿飛「ま、たまには面白いよね。こういうことも」(独り言)


西崎「? 何か言いました?」


猿飛「うん、君のもみあげに芋けんぴついてるなぁって」(猿飛。余裕の笑み)


西崎「は……? ばっ、早く言ってくださいよ! っていうかなんでついてるんだ芋けんぴ!?」(慌てて取ろうとする)


猿飛「ジョーダンって言ったら、怒る?」


西崎「ジョ……もう、からかわないでください。僕先に部屋に戻ってますからね」(そう言ってトレーを持って歩き出す)


猿飛「うふふ、かーわいんだから。は・あ・と」(片目をつむって投げキッス)


西崎「……ハァ~~」(げんなりして食堂から消える)


(猿飛。西崎を見届けたのち食堂の外に目をやる)

猿飛「……ついに来たか」(窓から見える星空。それを睨む猿飛。並々ならぬ真剣な面差しを残して、場面暗転)


***

(猿飛。西崎が食堂を去ってのち、食堂に残ってカレーのルーを一滴残さず掬い取ったり、福神漬けを音もなく食べられるかに挑戦したりと、先ほど見せた真っ青な顔が嘘のように、非常にマイペースに過ごした。西崎が退出して二十分後、鼻歌を奏でながら食堂を後にした。曲名はマツケンサンバです)


(一方の西崎。男子寮の自室に戻っていた。相変わらず気分が優れなかった。原因は、間違いなくあのカレーだと思っていた。体調不良だけでなく、ある種の違和感も併存していた。ここが、自室であるはずなのにそうでない他人の部屋であるかのような居心地の悪さ。食堂から自室に戻ってくるときも、いつも通りの廊下を歩いているはずなのに、なぜだか気が張り詰めていた。背後に不審者がいるんじゃないかと、何度も過剰に後ろを振り返っていた)


***

 二段ベッドと勉強机が二つある以外は至って簡素な部屋の戸が開いた。猿飛斬が鼻歌交じりに自室に戻ってきたのだ。ここは、男子寮、それも西崎と猿飛の相部屋だ。


西崎「…ああ、お帰りなさい。帰って早々すみませんが、先ほどのことなんですけど……何だと思いますか?」(西崎。回転椅子に座り、椅子をぐるぐるさせながら聞く)

西崎は、この、当たり前であるはずの生活環境を当たり前として受け入れることにえもいわれぬ違和感を覚えていた。このフルールでの生活が、もはや異常のように思えて仕方なかった)


猿飛「芋けんぴのこと?」(軽口は好きだが、会話の本質は瞬時に理解している)


西崎「それは忘れろ。ひょっとして聞いてないんですか?」(怪訝な表情。ひょっとしたら、さきほどの『低い獣のような声』を猿飛は聞いていないのでは、と本気で思う)


猿飛「ヤダ~、年を取ると耳が遠くなるのよ~。さぁて、何があったのかしらん?」(余裕の表情で腰を下ろし、膝に肘をついて上機嫌に尋ねる)


西崎「あんまりからかうと僕だって怒りますよ? 全く……。さっきのあれは、間違っても人間の声とは思いたくないですけど、確かに人語だった……。気分が悪くなりました。本当におかしくておもしろい幻術だ。異常を日常に変える力に、僕らは支配されてたわけですよ。……さっきの声は、まさか……。ともかく、この状況、どう見ます?」


猿飛「ふざけて欲しい? 真面目がいい? なんなら語尾に猫語をつけるわよ」


西崎 「むしろ三回回ってワンと言ってほしいな」(青筋を立てている)


猿飛「アタシ、同じ質問をさっきもした。夕飯前にね」(すっ、と真剣な顔になって)


西崎「夕飯、前……? どういうことです?」


猿飛「会話は今のと同じノリ。だけど君はその時こう返したわ。『やだなぁ、真面目に頼みますよ』ってね。どう、イマの君としては?」


西崎「……今の僕の心には、そう返せるだけの余裕がない、ってことなんでしょうね」


(猿飛。西崎の前で指をふる)

猿飛「ノンノン、そこで思考を落ち着けちゃダメよ、少年。本質は《何故》の先にあるのよ」


西崎「な……《何故》の、先って……つまり、どうして今の僕に余裕がないか、ってことを考えろってことですか?」(ちょっとのけぞる)


猿飛「そ。言い換えれば……何が君を変えてしまったのか、ってとこね」(欠伸をする)


西崎「変えたと言えば、先ほどの不気味な声です。でも、不気味な声は、僕を変えたというより、むしろ――戻した?」


西崎「僕の常識を、以前持っていた常識に戻してくれた。そんな気がします。だったら、僕を変えたのは、つまり、僕の常識を植え替えたのは、もっと、前……?」


猿飛「ともすればイマの君は本来あるべき姿の君であるわけ。さて、その常識がすり替わっていたのはどんな要因があったのか……君の人格に差異が生まれていた原因は《何故》でしょう?」


西崎「そんなの……何、が」(思考がパンクして混乱する)


(ふと、猿飛は謎の視線に尋常ならざる何かを感じた。それでもつとめて平生に、)

猿飛「ねえ」


西崎「えっ、なに」


猿飛「食後の腹ごなしがてら、散歩でも行かなぁい?」


西崎「ちょっと待って。あの、何が何だか全然追いつけてないんだけど」(西崎は猿飛の感じる視線に気づいていない)


猿飛「細かいことはいいじゃないのぉ。アタシダイエットしてちょっと体重減らさないといけないのよね」


西崎「先輩、そんなことしなくても十分細いと思いますけど」


猿飛「いやぁねぇもう、あんたオトメ心がわかってないのよ。アタシは一ミリ二ミリの問題で考えてるの、わかる? ねぇ?」


西崎「くふふふっ……一ミリ二ミリってそんなめんどくさい単位まで考えるんですか」


猿飛「あたりまえよ。いまね、ちょっとね、夜外くらいでしょ? もうねぇ、」


西崎「そうですね……」(若干押され気味の西崎)


猿飛「あんたオトメを一人で行かせるつもり? 危ないからあんたも来なさいよ、もうねぇ」


西崎「オトメって、先輩そんなぁ……」


猿飛「あら? 何か問題でも?」


西崎「いや、あの全く問題ないです」(急に声が小さくなる)


猿飛「わかればいいのよ、わ・か・れ・ば(ハート)」


西崎「はぁーーー(深いため息)」


猿飛「じゃあ行くわよ」


西崎「(なんでこんなことに……)」


(猿飛は西崎の手を引き、自室を出た)

猿飛「ふふふふふーん、西崎くんとおさんぽぉ~、いえーえ~」(嬉しそうに声を上げて歌い出す)


西崎「先輩もう夜なんですから、歌わないでくださいよー!」


猿飛「あら、みてぇ、星がきれいよぉ~」(二人は男子寮の廊下を歩いていた。窓から見える夜空に、感嘆の声)


西崎「そうですねぇ……帰りたい」


(猿飛、のんきに鼻歌を歌いながら歩いているが、相変わらず監視の目が追ってきていることを察知していた)


西崎「え、先輩って、たまにこうやって星を見たりだとか、されるんですか?」


猿飛「そうねぇ、アタシは昔から星が好きでねぇ。オリオン座とか、ベテルギウスとか、いろんな星座をみてたなぁ」


西崎「ふーん」


猿飛「そうねぇ、星はいいわよぉ。困ったときはね、空を見上げるの。そうするとね、自分の悩みなんてちっぽけに思えてくるの。西崎くんは、空とか見上げないの?」


西崎「そら……まあ、入道雲とかは見ますけど、それ以外はあまり」


猿飛「入道雲ねぇ、いいわよねぇ、夏っぽいし。夏だ!」


西崎「まあ、確かに、入道雲って言ったら、なつー! て感じはしますけど」


猿飛「西崎くんは海なんて行ったことあるの?」


西崎「うみ?」


猿飛「ええ、やっぱり入道雲と言ったら海でしょぉ?」


西崎「うーん、海は、そうだな、ほんとに小さいとき行ったっきりかなぁ……」


猿飛「ああそうなのねぇ、近頃わぁ?」


西崎「近頃は、まああんまり行ってないかな。この学校に来てから、ほら、基本的にこの学校外に出ること許されてないし」


猿飛「そっか、また行けたらいいわね、海」


西崎「そう、ですね。あっ、先輩、先輩の悩みってなんなんですか?」


猿飛「ん? ん? なやみ……。体重のことかしら?」


西崎「だって星を見たら悩みが消えるって言うから。先輩は、消したいのかなって、悩み」


猿飛「ああー、そうねぇ、あれは、アタシが内閣総理大臣に就任してた頃――」


西崎「って、ぶううう!」(西崎の奇声)


猿飛「ちょっと、なによ」


西崎「先輩まじめに答えてくださいよぉ。先輩が総理大臣にでもなったらこの世の終わりですよ!」


猿飛「ああーあんたヒドイわね。アタシがなったら敏腕総理大臣としてね、ね、オネェのオネェによるオネェのための独立国家を建国してみせるわよ」


西崎「……日本が崩壊します」


猿飛「うん」


西崎「まあ、ね」


(少々の間)


猿飛「こっちの世界にもいろいろあるのよ」


西崎「こっち?」


猿飛「ん? オネェの世界って言った方がいいかしら?」


西崎「んんんんんんぅぅぅ」(悪寒がする)


猿飛「ん?」


西崎「いや、なんでもないでーす……」


猿飛「ん、わかればよろしい。まっ、アタシの話はいいから。そんなことよりぃ、この寮の中だけ散歩するのも味気ないわよねぇ。だからさぁ、この外に行ってみない?」


西崎「え? この男子寮の外……。いやいやいや。時間的にもう外出れないし。こっそり出て、ばれでもしたらまずいですし」(こんな状況であっても、自分はあくまで常識人であろうと、ルールを守りに行くスタイル)


猿飛「ばれたら罪に問われる。でもばれなかったら罪じゃないじゃなぁい? どう? 完璧な理論でしょ?」


西崎「ああ確かに見つからなければおとがめなしなのはわかりますけど、でも、男子寮の出入り口は、この時間帯、警備員さんが見張っているんですよ。それを無視して外なんて……」


猿飛「あらそうかしら? アタシ、こう見えて二十三回は飛び出したことあるんだけど?」


西崎「え? やけに具体的な」


猿飛「うん、ちょろいちょろい、ここはねぇ、意外と警備の穴があんのよ。それに気づかないお間抜けさんがわんさといるのよぉ。で、どう? いまのアタシだったらなんでもイケるわよ」


西崎「な、なんでも……でも、それは。うーん。外、星……まあ、それで先輩の悩みが解決するんだったら……」


猿飛「ああー話が早くてステキだわあ! うん! うーん! かわいいぼーやねぇ!」(西崎を思い切り抱きしめ、頬をすりすり)


西崎「んんんーっ! やめろぉー!」


猿飛「もう、chu chu chu chu chu!!!!!(高速連続キッス……)」


西崎「うああああ、やめろぉぉぉぉぉ!」



 かくして、二人は男子寮から抜け出すことにした。猿飛は西崎に、

「策がある」

そう言って、西崎の頭を抑えしゃがませた。

「アタシのいうタイミングで呼吸してちょうだい。よし、このまま歩きましょう」


男子寮のT字路にさしかかった。二人から見て、前方が突き当たりで、左右に廊下が分かれていた。今二人のすぐ目の前を警備員が横切っていった。すぐそばのふたりに警備員は気づかず、そのまま素通りしていった。


西崎「え、なんで、なんで! 気づいてないの!?」(誰にも気づかれないようここでしゃべってはいけないと分かってはいた。だが、どうしても思いを口にしてしまった。それくらい、いま起こったことは衝撃的だった)


猿飛「そう、聞かれても……。んー個性?」


西崎「(個性って既に出てるじゃない!)」


気配隠しの術。猿飛の超人じみた行為の一。外界へと流れる自身の気を臍下丹田にとどめ気配を消す。猿飛の指示した呼吸によって西崎もこれを意図せずして行っていた。


 二人はついに、出入り口近くまで来た。案の定、扉の横には、警備員が立っていた。そこで、猿飛が指をパチンと鳴らす。さっきまでいたT字路のところでなぜか爆発が起こった。警備員は慌てて、現場に向かう。この男子寮は夜になると内鍵がされ、その鍵は警備員が持っていた。このことを猿飛は知っていた。扉の前を離れ、自分たちの前を横切ろうとした警備員に、猿飛は重いタックルを食らわせた。横からの襲撃を全く予期していなかった警備員は、簡単にバランスを崩し、そばの壁に激突。頭を打ったのか、その場に倒れてすぐには動く気配はない。


西崎「え!」(いきなりの爆破、そしていきなりの猿飛の襲撃にもう理解が追いつかない)


猿飛「うーん青春ねぇ!」(さも、楽しげに、警備員が腰に下げていた鍵の束をぶんどった)


猿飛は西崎の手を引っ張りながら、男子寮の出入り口へ急いだ。


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