Episode Ⅰ 「7.勝利とは一体?」
「ついに姿を現しやがったな魔王……」
大剣持ちはそう言って背中から剣を引き抜く。剣先が窓から差し込んでくる陽光を強く吸収し、グローに向けてきらりと輝かせる。
後ろの三人の勇者も、それぞれ三者三様に臨戦態勢に入った。
「初めまして、かな」
グローは落ち着き払って――少なくともそう見える様な素振りをして――口元にマントを持つ手を当てる。
そして次の瞬間、グローは口元に当てていた右手を大きく伸ばし、大きくマントをはためかせた。
決まった――グローは心の中で快哉を叫んだ。
魔王と言えばマント、そして格好良さ。偏見かもしれないが、らしくあればいい。
グローの後ろで控えているヒュミリオールが、「さすがです魔王様」と小声で伝えてくる。
グローのマントが翻った途端、勇者らが一歩後退る。だが、もう既に扉は閉められており、逃げ場は後方にない。
金髪の少女の首筋を一滴の雫が伝った。
勇者と魔王が対峙する運命にあるとはいえ――彼彼女らは所詮17,8歳に過ぎない。
ほぼ子供と言っても差し支えない彼らと魔王の初めての邂逅。
その実力を計り知れていないからこそ、無為に怯えてしまうのはまた仕方のないことではあった。
「準備はいいか?」
大剣持ちのリーダー格の勇者が、魔王に聞こえない程度の声でパーティメンバーに確認を取る。それに対して、後ろの三人はこくりと頷き、無言の返答を寄越した。
だが、大剣持ちは確認せずに首肯したものと受け取る。
「魔王さん、それじゃあ行くぜ!」
大剣持ちの勇者が左後ろ脚に力を込めて、タイルを大きく蹴り上げて、大きく一歩、前進する。
金髪勇者も、右側から援護をしようとしているのか、魔王の直線状のコースから外れて大きく迂回して向かってこようとしている。
袴姿の男とは動かず、にやにやとした笑みを顔に張り付けていた。その手元はだらんとカーテンのように垂れ下がっている裾の部分に突っ込まれている。
魔導士の少女は準備されていた魔法を一撃打ち、次の魔法の詠唱準備に入る。
――が。
そんな全ての挙動を打ち壊すかのように、魔王は道破した。
「落とし穴、開け」
その言葉に呼応するように――勇者らがいたスペース、地球換算で30メートル分全てがぱっくりと開き、着地地点を失った四人の勇者は共々皆一様に落ちて行った。
最後に魔王はこう嘯いた。
「落とし穴、閉まれ」
魔王城三階に用意されたホールのおよそ半分以上が巨大な落とし穴として作用し――その漆黒の中に勇者は吸い込まれていった。
その様子を見て、ヒュミリオールは唖然とする。だが、グローは気にしない。動きを制限されるマントをさっさと首元から外し、ヒュミリオールにそれを渡した。
マントを渡されたヒュミリオールは、その手に持っていた機械をグローに返す。『CATSLE SYSTEM』入りのタブレットだ。
「さて、今はこの下あたりか……。二階に設置した迷路がいい感じに効くころかな。ヒュミリオール」
唐突に名前を呼ばれたヒュミリオールは、呆然としていた顔を直すのに手間掛かっていたのか不思議な顔でグローを数秒間見つめた後、「あ、分かりました」と思い出したように口走って他の人員に指示を出した。
「さて、あとはどれだけあいつ等がやらかしてくれるかだな……。それにしても、あの大剣持ってる奴めちゃめちゃ早くなかった?」
「そうですね……一瞬で四分の一くらいの距離まで来ましたからね。もう少しこの部屋を小さく設定していたら負けていたかもしれません」
グローの肌がそれを聞いて粟立つ。
目の前で見た化け物たちが、牙を向いて殺意を向けた――「行くぞ」と言ったあの瞬間、魔王は軽く気後れしていた。
だが、結果オーライだろう、とグローは思う。
現在勇者たちは二階。
そこに入ってしまったからには、もう戻れまい。
♯
魔王グローガルムに嵌められてから15分は経っていた。
勇者らが落ちた場所は、同じくらいの面積がある大部屋と、そこから派生する幾つかの通路が勇者たちを遮っていた。
ちょうど通路は四本、一人一人違う道を行こうという自信満々の勇者の提案に対して、は向かうようにして金髪の少女が異議を唱える。
だが、何も考えずに四人で魔王に向かって行ったことを考えると、大剣持ちの少年は何も言い返すことは出来なかった。
しかし、その四つの道は結局他の小道に繋がっており、どう入ってもこの大部屋に戻ってきてしまう――。
「私たちは魔王に閉じ込められたのよ!」
痺れを切らして金髪の少女が叫ぶ。「ああ、もう!」という言葉とともに魔王城の壁をてで打ち砕く。その腕力は相当なものなのか、或いは魔王城の壁面が弱いのか、隔壁は見事にぼろぼろと崩れ落ち、磨かれたタイルの上にその残片がぽとぽとという音を立てる。
その途端――壁面の奥から微かな音を誰かが、いや四人とも聞き取った。
「ハーッハッハ。今頃あいつ等はこの密閉された部屋の中で狼狽たえているんだろうなァ――ッ!」
妙に悪役じみた声。だが、軽めの迷路に翻弄された揚句、こうして手も足も出ない状況に陥っている勇者らがそんなことを構えるはずもなかった。
「いるな」
「いるわね」
「いますわよ」
「いるね」
四人が口々に、語尾は違えど同じ意味の言葉を口に出す。彼彼女の中で意思疎通はそれだけで十分だった。四人は持てる武器持てる材料を効率的に使いこなし――壁に全力で攻撃した。
「くっ……地味に厚い!」
勇者らの全力の攻撃だったが、しかし壁に穴は開くことはなく――代わりにさらなる厚みのある壁が現前した。
だが、勇者らの攻撃力の凄まじさは一撃では到底終わるはずもなかった。日々の鍛錬と天与の力による奇蹟のコラボレーションを親の仇とばかりに壁に打ち込んでゆく。
やがて、0,2ローム――地球換算で20メートルほど進んだところで、漸くにして灯りのない小径を発見する。
魔導士の灯でその通路を照らすと、曲がり角の奥から魔王の声が反響して聞こえる。
勇者らはそこに向かって全力で疾走するが――その曲がり道の先も行き止まりだった。
「どうなってるんだよ!?」
「ここは魔王の根城ですわ。もしかしたら自由に移転できたり、あるいは壁を抜けられる方法があるのかもしれないですわね」
落ち着き払った魔導士が冷静にそう分析する。
しかし、それを聞いた大剣持ちが、一言、二言、何かを呟いた。
それに気がついた金髪の少女が大剣持ちの隣と言う自らのポジションを離れ、焦燥に駆られて後ろへ3歩ほど跳躍する。遅れて気付いた魔導士の少女は慌てて後ろに下がろうとするが、灯を付けたままだからなのか悠然とした態度で避難をするが、その顔には慴然とした相好が浮かんでいる。
その姿を見かねたのか、袴姿の男性が勇者が呪文を唱え終わる前に急いで呪文を唱えた。
すると、袴姿の男性と魔導士の少女を守るようにして不可視性を持つ緑色の障壁が顕れる。見えないのにもかかわらず、確かにそこにあるような感触が持てる――不思議な防御壁だ。
「エアー・ブレイクスルー!!」
大剣持ちがその言葉を唱え終わるのと同時に、その剣を大きく持ち上げる。そしてその剣には森厳とした気配が宿り――剣を渦巻く大気が揺れる。その勢いのまま、大きく剣を振り翳す。
轟音が辺り一面を取り仕切る。世界を煙が包むかのように、濛々とした空気が辺り一面を包むも、しかしその一薙ぎは風穴を開け――文字通り外にまで影響を及ぼしたのか――煙はすぐに立ち去って行った。
「ふぅ……。これで探しやすくなるかな」
「バッカじゃないの!?」
♯
「何なんだ今の音は!?」
「勇者が魔法剣を使ったようです! 現在確認中、しばしお待ちを!」
地下一階にある会議室に戻る最中、グローは予定通り城が壊れる音と同時に――ミシミシという不快な軋む音を聞いた。
なんなんだこれは!? というのがグローの率直な感想だ。
いくら勇者がチート能力を使うとはいえ――一撃で魔王城半壊とは、洒落にならない。
「急いで勇者を魔王城から運び出せ! 今すぐだ!」
「了解しました!」
魔王は自分の語気が荒くなってしまったことを少し反省するが――今はそれどこではない。
グローも画面を見ていた。
そこに映っていた勇者の一挙一動作を目を逸らさずに――その瞳で捉えていた。
剣を振り上げ、光が辺りに充満したかと思えば画面がブレて――魔王城が、裂かれていた。
そもそも、勇者らが壊しているこの壁ですら柔らかいものではないのだ。グローはどのくらいの強度で壊れるのか、近くにある壁を叩く。
だが、ぽろぽろと破片が落ちてくるということはなく、びくりともせず牢乎としてそこに存在したままだった。
ここでグローは自分の価値観を修正する。
罠に嵌めて、小癪な手を使って、知力を振り絞ればどうにかして勇者を倒すことが出来るのではないかと幻想を抱いていたが――。
蟻と人間なんていう差ではなかった。蟻と地球、その程度の違いだった。
どう足掻いたって蟻には地球を破壊する力を持っていないだろう。それは人間にも言えるが――どうにかしてどうにかなるレベルでは無かった。
圧倒的な差。
それをありありと見せられた。
「現在グローボイスセットを転移陣まで誘導中です! 現在の被害状況建物損失60%、そのうち不可逆性被害が2パーセントです!」
隣から悲鳴にも似た報告が寄せられる。グローボイスセットと言うのは小癪な手のうちの一つ。グローガルムの声を録音して手下に流させながら歩かせるという、ウマ人参にも似たようなセットだったのだが、勇者らには効果は抜群だった。
その分甚大な被害も齎したが――それを持つ手下が現在転移陣まで勇者を誘導しているらしい。
「人物被害がおよそ三人、ドア係の二人が先程の剣技で完全消滅、報告部の移動中だった悪魔族が一人巻き込まれ重体です」
「その……、完全消滅っていうのは――」
ヒュミリオールは眦に涙を湛えそうになりつつも、他の魔族としきりに連絡を取り合う中でグローに告げる。
「人族の言葉で言うと、行方不明――死亡と同義ですね」
なんて――なんて重いんだ。
グローの心臓がズキンと大きく脈動する。締め付けられるような精神的な痛みが霊肉を縛りつける。
人の上に立った事の無い環岸は、人を動かすという言葉の意味をあまり深く考えていなかった。そして――思いつきで行動するという意味も。
せめて出逢ったことのない魔族だったのが救いだ、そうグローは不謹慎にも思ってしまう。
「グロー様、大丈夫ですか?」
「あ、ああ。心配するな。そんなことより今は勇者だ。今はどこに?」
「現在二階から三階へ上に壊しながら上がっています。現在地下一階なので反対方向と言えば反対方向なので暫くは安全を確保されると思います」
少しだけ落ち着いたヒュミリオールがふぅと息を吐き、髪の下で蒸れていたのかスーツの裾で首から垂れる汗を拭う。
「これで無事だといいんだが……」
♯
「あーもう! どうなってんだよ!」
「どうもこうもないわよ! それからあんなスキル使うんじゃないわよ!? 後ろは大変だったんだからね!?」
「死んだって戻るだけだからな……? それにお前みたいに銀行に預け忘れるとか、そんなポカする奴でもないだろ」
「な?」と大剣持ちが後ろを振り向いて魔導士の少女に同意を求める。
「貴方のことなんて知りませんからねっ!」
魔導士の少女は大剣持ちから顔をフイッと叛けて頬を膨らませる。その様子を見て袴姿の男性が微笑ましく笑い、まぁまぁと慰める。
「でもまぁ、仕方がねぇんじゃっけぇ。勇者が悪いなあ」
袴男の駄目押しを聞いて、勇者は視線を前に戻して止めどなく繰り返す掘削作業に視線を戻しながらはぁぁと深い呼気を出した。
突如、その剣の先から光が漏れる――剣先で斬り付けながら進む魔王城の壁が遂に他の部屋まで達したということだ。
その一閃を勇者は確認してから、剣の柄を握り直し、
「『ソード・スキル:円斬』ッ!」
と一言唱えて円周上にぐるりと剣の突端を動かす。その動線は光り輝いたまま通った道に残滓を残し、勇者が剣を鞘に収めると共にばらりと
円周上に囲われた壁が全て剥がれて銃眼程度だった大きさの穴が、一気に人が通れるまでのサイズに拡がった。
「ここは……」
「魔王はどこに居るのかしら」
ぞろぞろと壁に開いた穴から四人組が広間に出てくる。彼らが辿り着いたのは先程罠に嵌められたあの場所の対岸――魔王グローガルムとヒュミリオールが踏ん反り返っていた場所だ。
「さっきまで確かにここに居たはずなのに……」
「この辺りで声も聞こえ――」
勇者らが中心まで歩み寄った辺りで、四人の天空族が上から猛スピードで降下してくる。肩には黄色、緑、赤、薄青と言った色とりどりの羽根が生えており、勇者たちでも目撃するのが精いっぱいで、身体が反応したのは術中に罹ってからだった。
『エジェクト・ホール!』
四人の天空族――性別はどれも女性だ――が声を揃えてそう叫ぶ。
ヒュミリオールとともに生き残っている数少ない同胞であり、魔族の一員だ。
勇者たちはそれぞれ罠にはまったということを悟り、驚愕の表情を繰り出したり、魔法キャンセルの呪文を唱えようとするが、時は既に遅し。
次に瞬きをした瞬間、既に魔王城の外に放り出されていた。
今回の本文のルビに関して、本来ならば「後退る」で「あとずさる」と読むべきなのですが(大辞林より)、「一歩後退る」で「あとずさる」と表記されています。正しい表現ではないのですが、面白かったので修正せずに放置しておきます。
誤植ではない、という意味でここに書き記しました。