Episode Ⅰ 「5.魔王城での団欒」
皆が一笑いした後に、凍える様な沈黙が会議室全体に展開されていく。
まったく、何が面白いんだ――グローは醒めた眼で、全体を見回す。
笑いごとどころの話ではない。
魔族再建のためには、お金が必要と言うのもよく解らない話だが――そのために自分たちを窮地に陥れる……。
再建、という言葉の意味をもう一度深く噛み締めるべきだ。
「なぁ、魔族なんだから、武力で再興、とかそういう考えはないの?」
「昔はそうやって出来てたんですけれど、もう既に私たちは落ちぶれちゃった身なんです……。そんな力があれば既に動いていますし、こちらが武力を使って攻め込もうとしたら、王都のメチャメチャ強い親衛隊が即座に鎮圧しに来ます!」
感情のこもった声でクロコリトルは訴えかける。
成程、王城を魔王城の傍らに移転させる理由にはそんな側面もあったのか……。
最強の軍隊を側近において、魔王城の監視と王都の管理を一本化させる。リスクはあるも、その分効率もいい。
それに、クロコリトルがいうメチャメチャ強い、というのも気になる。
「勇者らはかつてこの大陸の大半を占めていた魔族のほぼ全てを制圧して――制圧しきって、彼らで言うところの【レベル】を最大限上げた状態になっています。なので、私たちがまともに戦っていっても……」
語尾をすぼめた後、恐らくは、という仮定の含まれた前置きを据えてヒュミリオールは言葉を紡ぐ。
「惨敗はおろか、骨も残らないでしょう」
その言葉には、『勝てるかもしれない』という一閃の希望すらも残されていなかった。でしょう、と丁寧な言葉を選んで使ってはいるものの、そのニュアンスは断定に近い。
それを聞いて、グローは眉間をつまむ。
この辺りを押すと、頭痛が緩和されていくような気がするのだ。恐らくはプラシーボ効果だろうが。
「だからお金を集めて、正々堂々と戦っていこうという結論になったのか……」
「はい!」
元気よくクロコリトルが答える。
「ちなみに、目標金額は?」
「とりあえず、5百万ですかね」
「…………」
グローは絶句する。天井を仰いで、枯れた笑いを零すことくらいしかグローには出来なかった。
「さテ、それでは本日の議題に入っていこうと思いマシタ。本日の議題はいつも通り『勇者を倒す方法と、魔王城の宣伝の方法と、集客率アップの方法』でス」
「もういっそのことテーマパークとか開いたほうが早いんじゃないか……?」
グローがそうぼやくと、ザスラがその手があったか、と感嘆するように手のひらを打つ。それに対してヒュミリオールは怖い顔をして、
「魔王様! 魔王様には魔族の一員としての自覚が足りません!」
と、怒ってきた。その後ろで、ザスラが涼しい顔で何もなかったように口笛を吹く。
おい、これでいいのか魔族よ。と、グローは突っ込みたくなるのをどうにかして抑える。
「テーマパークだなんて、そんな人間と共闘するようなことはあってはならないのです!」
「いや、今でも十分似たようなもんじゃん」
「違います! これは敢えてそうしているのです。心の中では敵対し合っているのです! 言うならば精神面での蹂躙です!」
実際に蹂躙されているのはこちら側なのでは? というグローの喉まで出かかった言葉は代わる言葉で口に出された。
「それでも、お金とかいう人族のシステムに縛られている時点で、魔族も何もあったもんじゃないよね」
「魔王様ぁぁ!!」
半ば泣き出しそうになってしまったヒュミリオールの頭をよしよしと撫でつつ愛子ながら、グローは今日何度目かもわからない溜息を吐いた。
♯
――夜。グローガルムは会議室にひとり残ってタブレットを弄くり回す。残りのメンバーは全員解散させたが、会議室を使わせてもらうことになった。
ヒュミリオールは、「グロー様がここに残るのならば私も残ります」と言っていたが、風呂に入って来いと優しさを込めてグローが言った途端に、顔色を変えて走り去ってしまった。
そうして、グローは現在魔王城地下一階最奥の会議室を使い、魔王城の改築に当たっている。会議室自体は過ごしやすいが、如何せん椅子が固いのか、魔王は幾度となくポーズを変えつつ座り直す。最終的に椅子を三つほど並べて寝転ぶという体制に落ち着いたのか、その状態でタブレットを床に置き操作している。
一部屋貰えるようにヒュミリオールに言えばよかったかな……、とグローガルムは思い返すも、後悔先に立たず。幾つか蛍光灯が不規則な点滅を繰り返す会議室で一晩を過ごす腹積もりをした。
今度は移動性などを考慮して、新しく城内を造り変えた。
もちろん、内装は迷路だ。今度は嗜好を凝らして上下にも工夫を凝らしてみる――も。
途中で飽きられて逃げられたら意味がない。
と、グローは考えたが、この考えを持つことでもはや何を目的として城を造っているのかを見失い始めた。
「グロー様、お風呂どうぞー」
「あ、サンキュー」
初日に比べて随分と魔王に対する態度が軽々しくなったヒュミリオールが、寝間着だと思われる服装で会議室に呼びに来た。ヒュミリオールの頭には、普段腰より下まで長く垂らされている髪の毛が頭の上でタオルに包まれてくるくると巻かれている。顔が火照って、どことなしか桃色に染まっており、気が抜けているのか半透明な翅がヒュミリオールの後ろからひょこりと顔をのぞかせる。
風呂に入ろうかと思い、重い体を持ち上げて椅子から立ち上がる。
「羽根、出てんぞ」
会議室から出ていく際に、ヒュミリオールにそう一言告げて風呂に向かった。
その姿を見送るヒュミリオールが、
「魔王様のえっち!」
と言って少しだけ顔を上気させてから、会議室の電燈を消してすたすた歩いて行った。
ヒュミリオールの履いている夜用のスリッパの音だけが廊下に響き渡る中、グローは、あの翅はそういう扱いなのか……、とどうでもいいことを考えながら風呂場に向かおうとするも場所が分からずに右往左往することになった。
最終的に通りがかったクロコリトルとその地中族の手下だと思われる少女らに浴槽まで案内してもらい、グローはヒュミリオールのことをすっかり忘れて浴槽に浸かり、この魔王城の寮は各部屋に風呂があるわけではなさそうだな、という別のことを考え始めた。
♯
「はぉあ……」
乳白色に染まった温湯に半緑色の体を肩までつけると、情けない声が出てきた。グローは少しきょろきょろと湯煙が立ち上る浴場を見渡して誰もいないことを確認すると同じような声を幾つか吐いた。
というのも、グローにはここ三日心が休まる場所も時も無かった。
かつていた場所で、ストレスに押しつぶされている時間を懐古がましく思い出す。
ここはあそこほど幸せだろうか。
はたして自分は正しい選択をしたのか――、と。
だが、グローガルム、もとい環岸はそんなことを考えるまでもなく、答えは出ていた。
「やっぱり新しい空気っていうのは閉塞感がなくていいな……」
これも湯船に浸かっているだからだろうか、考え事も声に出てしまう。
「そうかい? こっちはァ今の場所はせまくて堪らんぜ」
グローの耳朶に触れたのは、先の会議で聞いたのと同じ声だった。
おかしい――先程誰もいないことを確認したのに、とグローは思う。
「……まあ、俺は来たばかりだから知らないが、昔はさぞ広かったんだろうな」
朦々と沸き立つ水蒸気の中で地上波修正のごとく薄らとしか見えなかったが、誰かが奥からゆっくりと水を足で掻いて此方へ向かってくる姿が白い影となって現前する。
悪魔族代表のザスラ、といった男だ。
スーツの下で隠されていた肉体が、此方へ向かって歩いてくるときに露わになる。
グローは特に男性の裸体には興味はなかったが――悪魔の姿には少しだけ求知心をくすぐられた。
代表とだけあってやはり歴戦の勇士なのか、細いスーツの下に隠されていたのは張りあがる筋肉と十文字の傷跡だった。『痩せマッチョ』というやつだ。
対してグローは湯船の中で今は見えない自分の体を思い出す。
純粋な筋肉量だけで言うのならばドラゴン族と言われた自分の方があると思っていたんだが……。
「昔かァ、そうだんなぁ……。オラたちゃあ悪魔族だんけ、闇の世界に住んでたんじゃァ」
「闇の世界?」
隣にざぶんという水しぶきを立てながら安座したザスラをグローは見る。
グローの視線を感じたのか、ザスラはチラリと一瞥して、それからゆっくりと目を閉じた。
「ああ、闇の世界だ。悪魔たちが蔓延ってぇ、人族が最も恐れる地。どこからともなく瘴気が溢れ、悪魔族以外が立ち入ることは不可能な土地じゃった……」
「そんな所なら、まず人族は入ってこれないだろ。そこに魔王城とかも建てれば良かったのに。それとも、なんか魔族内のいざこざでもあったのか?」
「いんや、そういうことじゃァないんだな……。たとえば、主上――魔王グローガルムさんよ、主上はドラゴン族じゃろぅ?」
「そう、らしいな」
「ならば、そんなところに入ったら瘴気に触れて死にはせんでも、死ぬまで苦しみ続けるじゃろうよ」
確かにそんなにむごいところには魔王城なんてとても建てれない。
納得した顔でグローも頷く。
「じゃが――人族、あいつらは『スキル:瘴気耐性』とかなんとかいっちょるもんを取り出してじゃなァ、あっという間に征服しおったけん、どうしようもなかったんじゃ」
どこの方言かもわからない方言のごった煮のような話し方でザスラは物語る。
「そっからは速かったけぇ、一気に『抗体薬』、『防病剤』、『霧吹』、『闇止め』だとか何とか、大量に開発して撒き散らして俺らの土地を穢しおってん……。そんだら、明くる朝には闇はどこかに消え去って闇の世界はもうなかったんでさ……」
悲しげに語るその背中を見て、なおグローの頭の中には疑問が残る。
結局闇って何なんだ?
瘴気? 瘴気からよく解らない。
「悪いなァ、来て三日でこんな話させちまってよ。でも、オラたちは主上様に期待してんだっぺ」
「そんなころころ語尾変えられても……」
「オイラはもう上がるだ。グローガルム様も、のぼせんようにな」
「ちょっ」
ザスラは、魔王の呼びとめようとした声に、ふと振り返った。だが、グローは引きとめるのを止めた。
いろいろ聞きたいこともあったが――ザスラの早く上がりたいという要望を優先した形だ。何も言ってはいなかったが、顔がそう告げていた。
グローが何も言わないと、ザスラは再び前を向いて歩み行く。
その姿を見送ったグローは、寝湯をする様な形で体を浮かせ、天井を見てぼーっと考える。
果たして自分が取った行動は間違いだったのか。
ヒュミリオールに昼間に言われた、『卑怯』という言葉を咀嚼する。そしてザスラが言外に言った、故郷愛を噛みしめる。
正々堂々とあるべきが、魔族の本来の姿なのだろうか――。
不幸にも、先代との引き継ぎに完全に失敗しているグローは、価値観が全く分からない。
本当にこれで良かったのか――。
考えている間に、上の層から激しい移動の響きが聞こえた。
昏迷の時間を、運命は受け容れてはくれなかったようだ。
サブタイトルを少し変更してみました。
あくまで様子見なのでころころ変わるかもしれません。
Episode Ⅰで話の中核に迫りつつあるのですが、どのあたりでそれに合わせてサブタイトルを変えるかは悩みところです。
更新されていないうちからその話をするわけにはいかないですし……。
とりあえず現状はこれで一日二日様子を見て、もう少しインパクトのあるものを考えたら変更させていただきます。予めご了承のほどを……。