Episode Ⅱ 「20.来客の襲来」
魔王城に来客があった。
簡潔に一言で述べてしまえば、それで十分こと足りるのだが。
それでも、後一言だけ付け加えるのだとすれば。
それは、望まれない来客だという事だろう。
扉をノックする音がする。どうぞと言うグローガルムの声に反応して、ドアの開く音とハイヒールのようなカツッという音が同時に聞こえた。だが、そこまでいい音がするわけではなく、微妙にどんよりとした音だった。
ヒュミリオールはハイヒールを履かない。黒いスーツに身を包んでいようと、常に足元はスニーカーだ。生と死の狭間を潜り抜けた歴戦の魔族ともなると、常に移動性は欠かせないのか、彼女がスニーカー以外を履いていたことを見たことがない。
――いや、そうだったか?
まあ、いい。
とにかく。
ハイヒールの音がするという事は、少なくともヒュミリオールではないという事だ。ならば、一体誰だろうか。
「失礼します」
グローガルムが自分の部屋で寛いでいる所に、彼女は入ってきて腰を60度に折り、御辞儀をした。
礼儀正しい立ち振る舞いと、着こなした黒スーツ、それからピカピカに磨かれた革靴を履いているのはケルチュトスだった。
「お久しぶりです。魔王様ぁ」
言葉遣いと礼儀は正しいものの、どこか妖艶な雰囲気を醸し出している。甘い語尾に甘い匂いがグローガルムの男性本能をチクリと刺激する。
そんな自らの生態欲求を押えこみ、座布団と机を拡げ、ポットに入っている水をお湯に還るべくスイッチを入れた。現代日本とあまり変わらない技術の粋があちらこちらに見えるのは魔族の努力の賜だろう。
「おう、久しぶり」
素知らぬ顔でグローガルムはケルチュトスを招き入れる。彼女は靴を脱いで、座布団の上に座った。
「って、座ってる場合じゃないんですよ」
座った直後、ケルチュトスは何かを思い出したかのように立ち上がり、キッチンで茶葉の準備をしているグローガルムににじり寄る。グローガルムは、二人分の湯呑を棚から取り出し、お盆の上にことりと置いた。
「魔王様、来客です」
「ああ、いや、来客なら落ち着いて座っててくんねぇかな……」
キッチンにまで上がり込んできたケルチュトスを一瞥して、グローガルムは再び視線をポットに戻す。ぐつぐつと水が湧く音が聞こえた。
魔族の技術は現代日本の技術とはかけ離れたところがあるのか、もうすでにお湯が湧きかけの状態になっている。心なしか、室内の温度も一気に上昇したようにすら感じられた。
沸騰するまで温める必要もないだろうとグローガルムは判断し、ポットのお湯の中に茶こしと共に茶葉を投入する。葉の養分が滲み出ていくように、徐々に緑色に温湯が濁ってゆく。
「違いますよ! 私じゃないんです」
ケルチュトスはグローガルムが着々とお茶を造り上げていく工程の後ろで似たようなことをいくつも呟く。グローガルムに取ってしてみれば、蚊の羽音程にしか聞こえない。
「ヘルロス様がいらっしゃいました!」
グローガルムは持っていたポットを取り落としそうになった。慌てて元の位置に戻し、ケルチュトスへ振り返る。
「何だって?」
「ヘルロス様がいらっしゃいました。至急、私と共に来てください」
♯
ケルチュトスは魔王城の裏口――地中族に言わせて、ケルチュトス以下数名しか知らない地下通路を造り上げたそうだ――にグローガルムと共に入る。
ほの暗い、不思議な燐光だけが漂う、これぞ異世界と思える空間だった。ケルチュトスの左手には一応懐中電灯が握られているが、それを点けるまでもなく洞窟の輪郭がはっきり見える。
クロコリトルが造っている大規模な洞窟とは違って、この地下通路は人一人が通り抜けられるのが精一杯な程の小さな巣穴のようだった。ガタイの大きいグローガルムは、肩や肘に土を塗りつけながら通っている。
「すみません、魔王様。こんな不便な思いをさせてしまって」
「……玄関口から出てはいけなかったのか?」
「それは先方のご要望でして」
反響すらもしない、ただの土が刳りぬかれただけの空洞で、歩をまた一歩と先へ進める。黙々と、ただケルチュトスの背中を追いかけて歩き続けるだけで、ケルチュトスの方から何か話してくるという事は基本的にはない。
「なぁ、ヘルロス、っていうのはどういう奴なんだ?」
痺れを切らしたかのように、グローガルムが会話の口火を切った。
「ヘルロス様は、かつて私が第一秘書だったころの女王様ですよ」
「女王様……」
グローガルムはヘルロス、という単語を聞いて、脳内で引っ掛かったワードと照らし合わせた。
確か、ヒュミリオールが語った過去回想の中の一人として出てきたような気がする。
「女王様、っていう訳では――まあ、そう言えなくもないんですけれど、違うというか……」
ケルチュトスが、苦笑いを浮かべながらどこか歯切れの悪い相槌を打つ。グローガルムは、目の前の燐光を遮る黒い物質としてだけケルチュトスを認識しながら、その体勢を見詰めた。
「女王様でない? ああ、お付きの人って感じか」
ヒュミリオールの回想から感じた雰囲気を読み取って、グローガルムは補完する。ケルチュトスは、「まあ、大体そんな感じです」という曖昧な言葉を返した。
「こんなところに魔王を呼びだすってことは、それなりの事情があるんだろうな。察してやれるほど俺はここに長くはいないから分からないんだが」
嘆息ともいえる吐息をはきだし、グローガルムは地下通路の酸素濃度をまた一つ下げた。ケルチュトスは懐中電灯を腕に巻きつけてぶら下げたその手で、壁を触りながら洞窟を進む。
「それに関しては、ヒュミリオールから聞いてないんですか?」
「ヒュミリオールは、特には何もそう言う事は話してなかったが」
グローガルムは、ケルチュトスの言葉に触れて、ヒュミリオールから聞いた情報を集め直してみるも、それほど知りえた情報は多くはない。ヒュミリオールは聞かれなれば特に答える様な性格ではないという事は、魔王城に転移してからの数週間のうちに知りえた数少ない情報の内の一つだ。
「ヒュミリオール……。彼女は大丈夫なんでしょうか」
「さぁ……」
「もし彼女では不安だったら、なんなりとお申し付けくださいね」
「よろしく頼む」
シルエットしか確認することは出来ないが、ケルチュトスが頭を押さえているのが分かった。前方から洞窟内を仄かに照らす緑色の光が、ケルチュトスの陰だけを黒く染める。
「ヘルロス様は、勇者に対して攻撃することができなくなってしまわれたんですよ」
「攻撃することができない?」
「ええ。クアルローン様の時代に魔族は人族に騙されて条約を結ばされまして、そこからです」
ケルチュトスの言葉を聞いて、グローガルムは沸々とヒュミリオールが喋っていた回想を思い出せるような気がした。
大きく息を吸って、少しだけ目を閉じると――ああ。確かに。
「そんなこと、言っていたような気もしなくもないな」
「しっかりしないといけないのは、魔王様なんじゃないでしょうか」
ケルチュトスは容赦なく、グローガルムであろうとも言葉の針を突き刺してくるようだ。
「そろそろ出口――だと思います」
ケルチュトスの背中があるせいで洞窟の先が全く見通せないが、ケルチュトスの視界には光が差し込む出口が見えているのだろう。彼女の視線は全て先だけを見ている。後ろを振り向くという概念が欠け落ちている。
やがて、グローガルムの視界にも徐々に日光が差しこんでくる光のベールが見える程に出口に近くなり、土で造られた急ごしらえな階段を上った。
数枚の絡みつく蔦や葉を土に塗れた手で払いのけるついでに汚れを振り払い、魔王城から随分と離れた繁みの中からグローガルムはひょこりと顔を出した。先行して既に地上に出てきている筈のケルチュトスは繁みに紛れてその姿を扮している。
高所から見渡す視界がいかに広いとはいえ、蒼々と生い茂る草叢の中では無用の長物であるが、探さないことには始まらないので、首を回しつつ辺りを見渡した。だが、その姿は視認できず途方に暮れかけていたところに、腰のあたりをつんつんと引っ張る感覚を感じた。
「魔王様、目立ってはいけません。なるべく隠密に、です」
「そこまで厳密に行動する必要でもあるのか?」
「まぁ、見つかったらパニックにはなるでしょうね」
「そんな相手なのか? ヘルロスって奴は」
「まぁ……」
ひそひそと、木々がざわめく音とも変わらない程の大きさでケルチュトスと会話をする。ただ、ケルチュトスはこの程度の会話ですら気が抜けないと言わんばかりに周囲に注意を張り巡らせている。
「ここから暫く歩きますが……大丈夫ですか?」
「いきなりの強行軍だったから何も準備は出来ていないんだが……本当にこれでいいのか?」
不安そうに、ケルチュトスは普段着を着こなすグローガルムを一通り眺める。ケルチュトスの視線はどこを見ているのか分からないが、なんだか少しだけむず痒い気がする。
「魔王様は準備なんていらないですよ」
ははっ、という乾いた笑みを湛えてケルチュトスは告げた。その言葉の裏には、「一体準備って何をするんですかね」という疑問が浮かんでいたことをグローガルムは雰囲気で薄々察する。
だが――グローガルムはふと思うのだ。
俺が魔王足る理由なんて、そもそもないのではないのか――と。
ケルチュトスと話していると、ヒュミリオールと一緒に居る時と違って変に煽てられないからより一層、強く感じる。
体力も人並みで、力なんてもってのほかだ。優れたブレインがあるという訳でもない。タダ飯食らいの魔王城に引き籠るニートのような生活しかしていない。仕送り金を無為に浪費するかつての環岸だったころと、何も変わっていないのだ。
今の環岸――いや、グローガルムに出来ることは一体何なのか。
そう考えてみた時に、思い浮かぶ姿は。
『象徴』としての姿が、役割が与えられただけで、その本質は何一つとして変わっていない。
だから、彼女が、ケルチュトスが求めている今のグローガルムの役割は、魔王と言う『象徴』としての役割であって。
グローガルム――『環岸』自身ではないのだ。
「そうか」
鉛のように冷たい言葉の一つを呟いて、グローガルムは引かれた方向に歩きだす。
その心に、憂いを感じながらも。
この状況で生きていくためには、それしかないのだと。
自らが自らである理由を、問い直すことをせずに。
そんなことを考えているからか――気がつけば、ニヒルな笑みが、その顔には張り付いていた。




