Episode Ⅰ 「2.CASTLE SYSTEM」
グローは目を覚ました。
そこは一番初めにここで目を覚ましたのとまったく同じ場所、同じ位置だった。
「グロー様、グローガルム様ぁ!」
叫び声を上げながらグローの体を揺する少女がいる。ヒュミリオールだ。
パリッと決められた黒スーツだったはずなのだが、ちらほらと肌色が露出してしまっている。足元に至っては血の滲んだ後まで散見できる。
「うう……」
「生きていますか!?」
同じような構図。唯一つ、違うことがあるとすれば――。
グローの右隣に、何かいる。サイズはヒュミリオールの半分ほど。特筆すべきは、サイズ比。顔と胴体が、おおよそ一対一。二頭身だ。
二頭身?
見間違いではないかと、グローは目を擦る。
「彼は医療担当、クランシュルさんです」
「よろしくシマス。どうぞ」
怪しげな言語の先に、どう見てもロボット――クランシュルは手を差し伸べてきた。その手はいやに人のようで、なんとも不釣り合いだ。
「クランシュルさん、ちょっとグロー様が怖がっていらっしゃるので……」
「OK、わかりまス」
グローの微妙な反応はどうやらヒュミリオールに見透かされていたようで、彼女たちは後ろを向いて何やら話している。
どうやらあの機械もグローの配下らしい。というか、おそらくそうだろう。
「お待たせしました」
そうヒュミリオールが告げると、その後ろでシュゥゥという音が聞こえ、グローは一気に室内の温度が3度ほど上昇した様な錯覚に陥った。
機械であるクランシュルのつなぎ目から、濛々と白煙が湧き上がる。
スチーム・パンクが今から始まるのかと思わせる様な煙の量に、グローは驚きというか、不安を隠しきれなかった。
「――どうでしょうか」
声質はさっきの片言のロボットとまったく同じだったが、先ほどよりどこか癖が抜けたようなしゃべり方に治っていた。
やがて、煙が晴れるとそこには。
「――誰?」
「クランシュルでス。どうぞよろしくお願いしまス」
二頭身から八頭身へ、見事なフォームチェンジを終えていた。全身の肌の色も人間にどことなく近い、元の鉄色から抵抗のない色へと変わっている。不気味の谷を鮮やかに乗り越えている。
「あ……おう、よろしく」
クランシュルが先ほどと同じく差し伸べた手を、グローが今度は抵抗なく受け取る。何もない魔王城での、二人目の邂逅だった。
♯
魔王城は今も同じようにただただタイルが敷かれているだけのだだっ広いホールがあるだけで、他には何もない。だが、先ほどまでおそらくそのあたりで戦っていたであろう、血飛沫やそれに纏わる跡が軒並み消されている。まるでそんな戦いなど無かったかのように――魔王城は清潔な状態に修復されていた。
しかし、ヒュミリオールの着ている――或いは、纏っていると言った方が正確だ――元々スーツだったらしい布切れがその戦いの壮絶さを物語っていた。
「勇者とやらはどうなったんだ?」
グローはクランシュルとの対顔を終え、ようやく本題を切り出す。クランシュルは他の傷ついた仲間たちを治すと言ってどこかへ行ってしまった。何もない魔王城だが、心強い味方がまだどこかにいるらしい。
「その件に関してはあたし達がどうにかして対処しました。ですが、これで魔王城に蓄えられている現存ほぼ全ての力を使い切ったといっても過言ではありません」
ヒュミリオールは渋い顔をしてそう告げる。
グローは来て間もない、新参者だからかそこまで感情移入は出来なかったが――相当にまずい状況を引き起こしてしまったという責任感の様なものだけは持ち合わせていた。
「わかった。命を呈してまで俺のことを助けてくれたのは誇らしく思う」
偉そうに――そう自分でも思いながら、グローは続ける。
「だから、今度は俺が何とかしよう。だからまずは俺のことについて、何ができるのかを教えてくれないか?」
ヒュミリオールは、グローのそんな言葉に対して、ぱぁと顔を輝かせて、言葉とともに首肯した。
♯
「これは『CASTLE SYSTEM』。文字通りこの魔王城の絶対防衛ラインです」
「何も文字どおりじゃないな……」
再び渡された15インチ程度のタブレット。二回目ということもあって、初期化画面は出てこずにスムーズに起動する。
あまり見ていなかったことを反省し、グローはそのタブレットを指で操作する。やってきた異世界がどんなところかは全く知らなかったが、どうやらタッチパネルは存在していると考えていいものか、グローはしばし頭の片隅でそんなことを考えた。
「それはこの魔王城すべてを構築する監視モニタであって、設計図です」
「設計図?」
先ほどまでの感情豊かなヒュミリオールではなく、事務作業モードのヒュミリオールに変わっていた。黒スーツは一張羅だったのか、おそらく私服であろうピンク色のワンピースに着替えていた。
「そこにどのような素材でどのようなものを置くのかを決めて、この魔王城をダンジョン化させます。そうすることによってやって来る勇者たちを殲滅させるのです」
いつの間にか付けている眼鏡をくいっと中指で持ち上げるヒュミリオール。グローは、ヒュミリオールがソレ(眼鏡)に関しての対応を待っているとは思うのだが、そんなことはスルーして画面を動かす。
すこし顔を赤らめて何事もなかったかのように振る舞うヒュミリオールが、「そこをタップしてください」と言うので、言われるがままにグローは何もない場所を押す。
すると、そこには『何を設置しますか?』の文字が。
「とまあ、そんな感じで魔王城に自由にオブジェクトを設置することができます。これは魔王城の内部で作られるものなのでノーコストで製造できるのですが……実を言うと、これ、売るとお金になるんですよ」
「売っていいものなのか?」
「だめなんですけどね。魔族の秘術ですし」
軽く笑うヒュミリオールにグローは若干の心配を感じないわけでもなかったが、現状では何も言うことは出来なかった。
「これを使って、迷路を作ったり罠を作ったりして、そこまでで勇者を倒し切りましょう!」
「でもこれって、防衛戦専用だよな?」
グローはふと、そんなことを考えた。
攻め入るときに、残念ながらこの技術は活用することができない。それに、ヒュミリオールが言った言葉、そこまでで勇者を倒し切りましょう、と言うもの。
少しだけ、魚の小骨が喉に引っかかる程度の違和感を感じた。
「そうですね……。でも、この城を防衛出来なければ攻めることも不可能ですし」
「ずいぶんと後ろ向きだな……」
ははは、とヒュミリオールは苦笑いでお茶を濁した。そしてグローも言葉を口に出した後に気がついた。
この城は、もうそれすらも困難なのだ。
完全敗北まで、後もう一歩。
リーチは既に掛けられている。
首の皮一枚でつながっている状態。
それでも、とヒュミリオールは切り出す。
「貴方なら、出来そうな気がします。何の根拠もないですけどね、グロー様」
悲しげな瞳で、そう呟いた。
♯
数時間を経て――グローの手元には出来立てほやほやの設計図がデータとして収められていた。
「一応、こんな感じでどうかな」
グローはヒュミリオールにタブレットを渡す。その中身は迷路チックに仕上がっていた。
出来ることは大まかに つ。
一つ目が、魔王城内の配置換え。どのような部屋割にするか、道を作るのか生成は自由。
二つ目は魔法の構築。魔方陣を書き、どのような罠を仕込むか決めることができる。飛び出す針に、転がる大玉、強制転移、などなど。出来ることは様々だ。
一方、魔族襲撃のタイミングなどは手動で行えということらしく、あくまでこれは城の設計図ということだった。
「おおっ! まあ、最初ですし」
タブレットを覗き込んだヒュミリオールの反応はあまり芳しいものとはいえなかったが、及第点、というところくらいだろう。
ヒュミリオールは確認作業なのかタブレットを細かく操作して隅から隅まで眺めまわす。
「良いんじゃないでしょうか。罠もあって、我々が襲えそうな角もいくつかありますね。ですが……」
少し言葉に詰まるヒュミリオール。その顔には困惑と疑問が浮かばせながら、何度もタブレットを弄くる。
「そういえばこれ、作ったのはいいけど、いつごろ完成するとか目安はあるの?」
親の敵のように画面を睨むヒュミリオールにグローは声を掛けるも、彼女はしばしの間画面から目を離さない。
「……ああ、はい。ええと……」
ふとして、ヒュミリオールが顔を上げる。声を掛けられたらしい、という意識しかなかったようで、グローのことを見てキョトンとしている。
「それだよ、それ、タブレットの設計図っていつ完成するの?」
「『CASTLE SYSTEM』ですか? ここに書いてある設計図が完成するのは日付が変わったその瞬間です」
「瞬間? その瞬間に作業の係の人が仕事を始めるとか?」
「いえ、ですから『CASTLE SYSTEM』なので、自動生成です。分かりやすく言うと、午前零時【更新】ってことですね」
それを聞いてグローは腕を組んで悩む。少しだけ開いた口から特有の微音がこぼれ出た。ドラゴンらしい――大気を振動させるような――唸り声が出ていて、自分自身が驚いた。
ヒュミリオールはそんな声には慣れているのか、澄まし顔で再びタブレットを見据える。
「あ、これはまずいですよ……」
そう言ってヒュミリオールはグローに画面を見せる。
タブレットに表示された画面は、なんてこともない唯の通路だった。
「どこかまずいか?」
「やつらにこんな風な道あたえたら、飛びますよ?」
「飛ぶ?」
ヒュミリオールは至極真剣な顔でそう告げた。だが、グローとしては笑わざるを得ない。
何を言っているんだろうこの少女は。
「グローさんはまだ何も知らなかったんですよね……。この魔王城に攻め込んでくる人たちは、俗に勇者と言われています」
「はぁ」
「勇者――蛮勇なる者たち――ってことなんですけど、各地で魔族を大量に虐殺したこともあり、レベルが上がっています」
「レベルって言う概念があるんだな」
「はい。私たちには認識できませんが、人族にのみあると伝えられています。人族は全員持っているそうです」
「なんか……不条理だな」
グローとしては聞いていて頭が痛くなるような話だ。環岸だったころにゲームは幾つか――いや幾度もしたことがある。
まさに、そんな世界だと目の前の少女、ヒュミリオールは告げている。
「それだけではありません。彼らは成長するとソードスキル、マジックスキルなど、さまざまな『スキル』と言われる特殊能力を覚えます。その中に飛翔能力だったりハイジャンプが付与されたりするものもあって……、さっきも飛び違えたりして……大変でした」
しみじみと頷き思い出している様子のヒュミリオールに、グローは尋ねる。
「なぁ……なんか俺らにはないの?」
さっき勇者とやらに吹っ飛ばされた思い出が、グローの脳裏に想起される。勇者は確かに同日の論でないような力を持っていた。自分の体が浮遊した感覚を体験したのは初めてのことだ。
それに対して、グローは。
何も太刀打ちできないどころか、踏みつぶされる蟻の様な圧倒的無力感。
抵抗の一つすら許されなかった。
グローは自らの拳を握りしめる。厳つい拳にグローは目を落とすが、肉体構造的に筋力が増えたということ以外にはそれと言って異変は起こらなかった。
「私たちには元から生まれ持った力があります。俗称【種族補正】というものですが――グロー様はドラゴン族の御方ですので、火が吹けますよ」
「火が吹けるのか……」
グローは自身の腹部を見る。
この身体のどこかにそういう器官があるのかと思うと、どこか不思議な心持ちになって来る。
タブレットをグローに捧げたヒュミリオールが、ふと気がついたように左手を裏返して時計を確認する。
「っと、そろそろ零時になりますよ。修正はお早めに」
「わ、分かった」
貢物を奉るような格好をされてしまったので、早急にタブレットを取り上げたグローは天井を作りながら返事をする。
「さあ、これでどんな勇者が来ても安心だなっ……と!」
完成したと同時、短針が垂直になり、長針と被る。ゴォンという荘厳な鐘の音が聞こえ、魔王城全体が微かに揺れた。静かに流れている魔族の血が、胎動を始める――。