Episode Ⅱ 「15.邂逅」
白磁に塗りあげられた巨塔の門戸に添えつけられた取っ手に、グローは手を掛ける。滑りゆく扉に、微音も付随しない。代わりに、騒ぎ立てる喧騒が荘厳な世界を妨害する。
目障りのいい紅の絨毯と雪景色を髣髴とさせる大理石とのコントラストが光り輝き人の心に安らぎを与える。
しかしそこで行われているのはイカサマ無しの真剣勝負。数多のチップをその手に賭けて享楽に耽る悦楽の世界。様子見程度だった慎重な人間ですらも雰囲気と言う魔力に絆されて、互いの手札に瞠目し、他人を見ては羨望し、自らを省みて躊躇狼狽悔恨ノスタルジー等々様々な反応が吹き荒れる。
「始まってまだ2時間も経ってないだろ……」
「こんなもんですよ。出入り口の近くで屯しているのは小心者とそれをカモにして鍋にする輩だけですからね」
そんな輩は興味がない、という態度がヒュミリオールから滲み出る。軽蔑するような視線を送り、スタスタと何の躊躇いもなく別棟へ繋がる渡り廊下に向かって歩いていく。
「それにしても、本当に誰も気にしないんだな」
マスクだけを装着したグローは、衆目の視線がこちらへ向いていないことを確認する。皆一様に焦点がどこかずれていて、その顔には狂気すら浮かんでいる。
「勇者は奇怪なものですし、それ以上に今はカジノの楽しさを覚えてしまったのでしょう。所詮勇者は脳筋ですから。運動以外のことを少しでも教えてやれば籠絡されるのは時間の問題ですよ」
「そういうもんなのかなぁ……」
目に曇りが見える一部の層も見えるが、その他大勢の層には概ね受けが良かったようだ。
グローはお上りさんのごとく視線を縦横無尽に駆け巡らせながらヒュミリオールの後に続く。
「おお、グローガルム様。どうなされましたか?」
のっこのっこと、黒いスーツに身を包んだ男が、グローガルムに近づいてきた。スーツの内奥から滲み出る悪のオーラは、まるで暗雲が立ち込める曇天のような禍々しい空気を滲みだしていた。
空気を肌で感じて、カジノという賭け事の場においてこいつとだけは一緒に居たくはないとグローは内心そっと思いつつ、喉から出かけた言葉を空気とともに飲み込んだ。負のオーラが胃袋の中でぐるぐると渦巻く。
「久しぶりだな、ザスラ。どうだ、うまい具合に行っているか?」
「始まって間もないので今はまだ何も言えませんがのォ、現状を維持できるのならば、恐らくは大丈夫だと思われるでやす」
ひどい訛り言葉で、標準語を聞きなれているグローは少し戸惑った。
「まぁ、運営に問題がないのなら何よりだ」
「あァ、そう言えば、グローガルム様にお客さんがいたんだべ」
「客だと? 誰だ?」
「確か一度謁見しているはずなんだべが……」
ザスラは、誰かと言う質問には答えずに『関係者以外立ち入り禁止』と書かれた扉の向こうに入っていった。どうすればいいのか分からずに狼狽るグローを、ヒュミリオールが先導する。
「関係者なんですから、そんな他人行儀にしなくてもいいんですよ」
ヒュミリオールが、グローの心の内を読み取った言葉を掛けてザスラの後に続く。その背中を追いかけて、グローもまた扉の奥に続いた。
「ここにいったん入ってもらってるべ」
「分かった。俺が対応しよう」
案内された場所は小ぢんまりとした個室だった。一般に言う控室なのだろうが、魔族人族両対応にしようとしたためか、扉の大きさが人族の平均身長よりも遙かに高い。人族に向かって門戸が解き放たれたカジノを見た後にこの扉を見ると、ひどい違和感を感じてしまう。
結局ザスラは誰が来たのかは言わなかったが、不安に怯えているという訳でもなかった。二度目に聞くタイミングを逃したというのもあるが、会えば分かるだろうという雰囲気もザスラからは感じ取ることが出来た。
だからこそ、グローは何も聞かなかった――が。
「あ……どうも」
出迎えたのは、歯切れの悪そうな小さな声。目はどこか下を向いて、グローの顔を捉えない。怯える小動物のような態度からは、人畜無害の具現化すら感じ取れそうなものがある。
グローは開けた扉のノブを握りしめる力を強くした。
いや、無意識下で強く握っていた。握らざるを得なかった。力のやり場がそこ以外になかった。
後ろで待機しているヒュミリオールの翅が、暗闇の中でぼうっと光り出す。
そっとドアを閉めてしまおうかと考えたグローの背中を、ザスラが後押しする。
「さァさ、こちらがグローガルム様です」
朗々とした声で、ザスラは臆面もせずにグローとともに控室の中に入ってゆく。
ヒュミリオールは何かを言おうとしているが、肺に空気を入れるという動作を忘れているのか、言葉が出ていない。
グローが唖然としつつ固まる中、控えていた男――緑色の袴を全身に纏い、互い違いに裾の中に手を突っこんだまま座り込んでいる――は漸く顔をあげて、グローガルムを見詰めた。
「どうも……。お久しぶりです。僕は、ロバート・ウェルスと、言います」
途切れ途切れで少しばかり上擦っている様子の口ぶりだ。だが、そんな些細なことは気にならない。
高揚した声で、尚ロバートは続けた。
「あの……一応、勇者、を、やってます」
♯
ロバート・ウェルス。
嘗て魔王城に襲撃してきた人族――勇者の内の一人。飄々とした身のこなしと、何を使うのか把握させない巧みな戦術でグローをすらも当惑させた。
そして、四人の戦犯の中で唯一賠償金を支払わなかった男。
そんな男が、この城に何の用があるのか。グローはしばし思案する。
だが、たどり着いた答えはない。更に気になる点は、ザスラとロバートが友好的であるという点だ。
魔族を殲滅しに来た人族と友好的になる理由――互いが互いを利用しようとしている時くらいだろう。
言うならば、相互利用にして共闘。但し敵は其々相手。
そんな不可解で不毛極まりない交渉が水面下で行われていたとでも言うのだろうか。
グローはロバートをキッと睨みつけた。
ロバートは視線に怯え、竦ませていた肩を更に縮こませる。口がぼそぼそと小刻みに震え、「すみませんすみません」とまるで読経のような謝罪の文言が聞こえなくもない。
「で、何の用だ? わざわざ勇者様が魔王に面会などと、大した用事に違いない」
グローは高圧的に、さも威厳を見せつけるかのようにロバートに接する。
対して、更に恐縮したロバートがその強圧ぶりに泣きそうになる。そしてその姿を見てザスラが駆け寄って宥める。
「いえ……然したる用事ではないのですが」
ロバートの謙遜した言動に、ザスラが横から脇腹を肘で突く。突かれた部位から波紋が広がるように、震えが伝染していく。
「いえ……然したる用事でもないわけでもないのですが……」
「一言で、手短に!」
「はいッ!」
グローの苛々とした声音に、ロバートが悲鳴を上げる。後ろで何故かヒュミリオールも恐怖の反応を示した。
「えーと……魔族に復帰したいな、と思いまして」
「……は?」




