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Prologue 「relocation:転移」

 とある住宅街の三階建てアパートのうちの一室。

 環岸たまぎし清泉いずみは目を覚ました。廊下に面した窓からは、レースカーテンに遮られながらも陽光が差し込んでくる。網戸だけを閉め、風通しを気にして窓は開けっ放しにされているが、防犯対策としてか近くにはつっかえ棒が立てられている。

 何日も敷かれたままの布団の上に鳴り響く目覚まし時計をぶっきらぼうに止めて、布団からむくりと起き上がった。


 大学に入学してもう二年目にもなったが、環岸の周辺で変わったところはあまりなかった。あるとすれば、ぎちぎちに詰まった本棚では今ある蔵書が収め切れないことくらいだろうか。蔵書と言っても、漫画やラノベが大半を占めている。あとは郵送で送られてきた段ボールに包まれたままの卒業アルバムがあったり、一度も手をつけていない流行りの単行本が置いてあるくらいだ。


 小高い山の上にある、便利という言葉からは程遠い築17年のアパートを借りて一人暮らしをしている。だが、住めば都とはよくも言ったもので、今のところ不自由はない。


 寝惚けた瞳で焦点の合わないまま覚えている順路通りに環岸は洗面所へ向かう。足取りはいつも通り重そうだ。昨晩飲み明かしたというわけでもないのにフラフラして、ユニットバスの一角である洗面所の蛇口をひねり、顔を洗う。


「ぷはっ」


 顔面に滴る水滴を二日前あたりには変えたはずのタオルで拭き取って、元に戻す。

 そこまでは何一つ変わりのない、いつも通り平々凡々な日常だったのだが――。

 洗面所に掛けられている鏡に、得体の知れない何かが映り込んでいた。


 瞬時、環岸は体を一瞬震わせてコールドスプレーを捜す動作をするも、現れたものが害虫ではないことを確認し少し安堵してから二度見をした。


「どうも、こんにちは」


 鏡越しに目を合わせて挨拶をしてくるソレは――まるで、妖精の様な姿をしていた。

 環岸は目を擦る。目がおかしくなってしまったのかという確認だろう。だがしかし、その瞳に――あるいは鏡に映るソレは網膜から消え去りはしなかった。


「その反応なら、私が見えているようですね。大丈夫です、あなたは普通ですよ」

「普通……。はぁ」


 言葉を反芻するも、受け容れ難いフィクションの様な何かを見ている状態のまま会話ができるほど環岸は異常ではなかった。

 だが、そんなことを気にしてはいないのか、慣れたようにソレは語りを続ける。


「どうですか? あなたは今の世界を楽しんでいますか?」


 そう問うソレに対して、環岸は考える。

 こんなものが見えているということは、かなりきてるんだろうなぁ……。

 そんな思考とは関係なしに、ソレはさらに言葉を紡ぐ。


「あなたがもし今の世界に屈託を感じているのならば、私が別の世界に誘ってあげます……。そしてこちらの世界でも、また変遷が起きているのです……。助けるつもりで、どうか御一考を」


 環岸は言葉を聞く。しかしそれでも寝起き十分といったところ。正常な判断力を持っていたのかどうかは微妙なところだが――それでも彼は、鏡に向かって手を伸ばした。


「ありがとうございます。後ろを向いてください。それは鏡です」


 ソレに言われて、ようやく環岸は自分が見ているのは鏡に映った虚像だと気付いた。本物のソレは――妖精は、後ろにいた。


「それでは」


 鏡に全身が映るくらいの大きさ――上から下までしめて45センチくらいといったところだろうか。不透明度が妙に低い羽衣が全身を包みこんでおり、空気中で揺曳する。

 環岸が差し出した手を、妖精はその小さい手で人差し指をきゅっと掴んだ。


 次の瞬間、世界が暗転した。


「ようこそ、帳の世界へ」


 耳元で、そんな声が聞こえた気がした。




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