豚の川流し
「あいかわらず不気味な河だ。まるで伝説のうわばみに飲み込まれそうだ」
アトレビドが呟く。
黒蛇河はその名のとおり、巨大な蛇を思わせるような河である。
川の幅は大型船がなんなく行き来できるほどに広い。
底は真っ暗で、蛇のように曲がりくねっている。
その上雨が降り氾濫する場合もあった。
いつでも近隣住民を飲み込む準備をしている。そんな河である。
アトレビドは一人船に乗り、上流を目指していた。
腕を組み、胡坐をかいている。冷たい風が顔に当たる。。
船にはオールはない。動かす機械もない。
それなのに船は自動で動いている。
答えは簡単。船の下には天然のエンジンがついているからである。
巨大なウシガエルであった。カバほどの大きさである。調教されて人の命令に忠実になっていた。
ウシガエルの背中に船を乗せ、ひたすら上流を目指していたのだ。
黒蛇河という名に反発し、カエルに船を動かせる。
あまりに皮肉が効きすぎているだろう。
「アトレビドさん、今のところ異常なしです」
「おお、ありがとう」
「近くには巨大なアメリカザリガニやヌートリアが徘徊しております。
刺激しなければ問題はないでしょう」
アトレビドの周りをパラディンヘッドが旋回している。
周囲の状況を調べているためだ。
ちなみにヌートリアとは齧歯目カプロミス科の哺乳類だ。
体長40~60センチ、尾長20~40センチくらいで体つきはビーバーに、尾はネズミに似ている。
そして後ろ足に水かきをもち、水辺に穴を掘ってすんでいる。
草食性でかつては南アメリカに分布していたが、繁殖力が高く、外来種として扱わていた。
柔らかい上質な毛皮が獲れ、肉も炒め物にするとうまいらしく、狩人がよく獲物にしていた。
水辺にはヌートリアの主食であるマコモやホテイアオイがびっしりと生えている。
それをヌートリアたちがばりばり食べていた。まるで牛のような大きさだ。
彼自身、このまま何事もなく進めるとは思っていない。
必ず敵の攻撃は来ると確信していた。
なので腰に巻いたカバンから揚げバターを貪り食う。
食べたそばから脂肪が増えていくのがわかる。
ラード・スキルは脂肪が命だ。脂肪のない豚など食べる価値はない。
そして心の中ではグラモロソを強く思っていた。
早く助けなくてはならない。もっとも早く助けてもヒステリーを起こすだろう。
逆に遅くてもだめだ。もっと不機嫌になる。
捕らぬ狸の皮算用の如く、グラモロソの機嫌取りに苦心するアトレビドであった。
☆
「!? アトレビドさん、敵がいます!!」
異変を感じたのはパラディンヘッドであった。
川の中から水泡が出てきた。それも複数だ。
アトレビドに対し口笛を吹く。危険の合図である。
その瞬間、水面から一気に飛び出したものがあった。
それは水色の肌のビッグヘッドである。身体を風船のように膨らませていたのだ。
両手両足には水かきがついている。
眼球の部分は水晶玉のように濁っている。
鼻穴も小さく、まるで長時間水中での活動に適した体型であった。
そしておちょぼ口で、舌を槍のように扱っている。
さしずめ舌の水兵といったところか。
タング・シーマンは一気に五体も浮上してきた。
アトレビド目がけて舌の槍を突きだしてくる。
舌の槍使い《タング・ランサー》と違うのは、舌が鞭のように細長いことだ。
まるでハチドリのようである。
空中で数秒間、静止し、小昆虫を捕食せん如くであった。
アトレビドは脂肪の糸でタング・シーマンの舌に巻き付ける。
「おらぁ!!」
それを力いっぱいぶんまわし、他のビッグヘッドに叩き付けた。
ハンマー投げの要領のようにだ。
それで三体のビッグヘッドは弾き飛ばされる。
だがすぐに新手のタング・シーマンが飛び出してきた。
そしてピュッピュと細長い舌の槍で攻撃してくるのである。
アトレビドの身体に細かい傷が増えてきた。だが痛みは感じない。
脂肪の塊でダメージは思いのほか少ないのだ。
もっとも今のままでラード・スキルを使い続けては危険である。
脂肪分が減ればそれほど防御が薄くなるのだ。下手すれば内臓に到達する可能性が高い。
「助太刀いたします!!」
そこにパラディンヘッドが助っ人に飛んできた。
タング・シーマンの頭部を足爪でつかみ取る。
そして空高く舞い上がり、急降下した。
その瞬間つかんだものを放り投げる。まるでボーリングのピンのように派手にとんだ。
タング・ランサーたちは泡を吐き出した。さらに口からクロモも吐き出す。
水生のビッグヘッドは死ぬと水生植物へ変化するのだ。
だが新たなタング・シーマンが出てくる。
今度は船を運ぶウシガエルを狙ってきた。舌の槍を突きさしてくる。
そうはさせるかとパラディンヘッドは再び急降下し、タング・シーマンをつかみ取る。
水面に叩き付け、ウシガエルに群がる敵を排除したのであった。
☆
「ふぅ、これで一安心だろうか?」
アトレビドは一息ついた。だがそれを空からの死者が打ち消した。
「いいえ、油断してはなりません。今度の敵はオオヌートリアです」
パラディンヘッドの言葉にアトレビドは首を傾げる。
おそらくは野生だろうが、なぜオオヌートリアが襲ってくるのだろうか。
アトレビドは周囲を見回した。すると川岸から巨大なヌートリアが自分に向かってきている。
いったいどうしたことかと疑心を抱くが、すぐに答えが分かった。
タング・シーマンが引き連れているのである。おそらくはバンブークラスだ。
バンブークラスはその他大勢のプラムクラスと違い、知能が高い。
おそらくはオオヌートリアたちを激高させ、興奮させているのだろう。
そしてそれをアトレビドにぶつけようとしているのだ。
なんとも小憎らしい手を使ってくるではないか。思わず舌打ちをしたくなる。
「なああんた。あれほどのヌートリアをつかみとることはできるか?」
「厳しいです。あれほどの大きさだと持ち上げることはできません」
パラディンヘッドは微妙に首を横に振った。
オオヌートリアたちは大群で川を渡ってくる。
その姿は津波のようであった。ウシガエルの泳ぐ速度より早い。
さすがにあれだけの数を相手にすることはできない。
ラード・スキルは有限なのだ。補給の揚げバターも上限がある。
「ですがご安心あれ」
だがパラディンヘッドはすぐ先頭のタング・シーマンをつかみ取る。
そしてヌートリアの大群に放り投げた。
ヌートリアたちはそっちに目が向き、群がっていく。
「なるほどな。わざわざ戦う必要はないわけだ」
アトレビドは感心した。パラディンヘッドは微笑む。
このままいけば上流までもうすぐだ。そう安堵していた。
好事魔多し。こうゆうときほど邪魔が入るものである。
もっともその邪魔者は意外な形で現れたのであった。
「……なんだ?」
突如、霧が発生し始めた。いったいどういうわけだろうか。
あっという間に白いカーテンに包まれてしまった。
周りは全く見えない。自分の手だけ辛うじて見える程度だ。
霧がべっとりと毛皮にまとわりつき、気持ち悪くなってくる。
「ああ、この霧です。私を邪魔したのはこの霧です」
パラディンヘッドが叫ぶ。彼女の姿は見えなくなった。
確かに自然発生とは思えない。アトレビドはふんどしを締めてかかるのだった。
オルデン・サーガの基本は外来種です。
荒廃した世界なら増えやすい外来種を利用して食用にできると思ったからです。
現実はそこまで甘くないのは認識しております。
一応ヌートリアは食べられるそうです。